3月1日(火)発信 bS06 石黒大圓
今回のテーマ 通信継続/腰痛/感動教育/生きる力/大阪市役所への抗議/愛国行進曲
いつもありがとうございます。 前回お願いしました通信継続のお申し込みがまだの方はよろしく早めにお願いいたします。
送金はいつでも、半年後でも結構ですのでご返事だけお願いいたします。
通信継続の申し込み
お名前
私の通信は多くの皆様に読んで頂きたくて送っているので、代金をお願いするのは本来は不本意です。 しかし代金を払ってまで読んで頂く方にだけ制限して送信しませんと、限りなく増え続けます。
特にFAXは費用がかかります。 また送信しても読んで頂いていなかったら、紙資源の無駄にもなります。 そのことを考えて有料にさせて頂いています。
しかし頂いた代金は野宿者支援や、先日のアジアの子供たちを救う池間さんの活動支援などに使わせていただいています。 ですからFAX代は自腹で払っています。
昨年来の寝袋カンパは現在で51名の方から608、000円を頂きました。 先に買っていた寝袋750個(60万円)。 ぴったりです。
最近まで赤字で自腹を覚悟しました。 見事に同額となり、神ごとのようで感動します。 神仏に守られて活動ができていると感謝しています。
カンパをいただいた方々に心からお礼を申し上げます。
なお高額のカンパを頂いた方や個人通信を送って頂いている方からは、通信代は頂かないことにしていますのでよろしくお願いいたします。
後がない腰痛治しと踊り本番
私の腰痛のことでご心配をおかけしています。 踊り出場が迫っていて気が気ではなかったのですが、何とか間に合いました。
整体の先生に踊って治せといわれたので、家での練習を綿密にして痛みや硬さは消えました。 2月13日には
毎晩のストレッチも欠かさずするようになり、踊りの練習でスタミナもつきましたし、体も引き締まりました。 1石3鳥です。
12月からの練習開始にもかかわらず、皆失敗なく大成功。 初心者ばかりなのに今回で自信がついたのか、次の練習日には踊りが皆堂々としていました。
1度、緊張の舞台を踏むと、その試練?を乗り越えた結果として自己成長するのでしょう。
感動を教えて育つ日本の子
このような汗と涙?の体験を子供たちにもさせてやりたい。 すばらしい人生体験になります。
青少年育成を目的にして5年前に発足した「大阪メチャハピー祭」。 よさこいソーラン系の、子供たちが中心に数千人参加して鳴子を鳴らして踊る踊り祭。
これに参加した子供たちの多くは巨大な舞台で踊った後、感動のあまり泣くといわれます。 この感動教育こそ今の学校教育に不足しているものです。
学校での百ます計算や朝の読書のように子供は精神集中することが本来は好きなのです。 精神集中を好むのは頭脳が発達した人類の性癖かもしれません。
そのように頭脳は学ぶことを本来求めているのです。 子供は特にそうです。 無邪気に学びます。 その無邪気な学習の底には新しい体験や発見、そして問題をやり遂げた達成感を喜ぶ感動があるのです。
踊りなどの、汗や涙をながして体を通して学ぶ学習は特に感動を誘います。 その感動の芽を逆に摘み取ってしまって、学習嫌いにしてしまっているのが大人であり教師です。
貧しい外国では明日食べるものがない子でも、40度の砂漠の中でも子供たちは嬉々として学びます。 子供の中に本能として備わっている学ぶ喜びを引き出してあげたいものです。
お遊びのゆとり教育はや挫折
総合教育、自由学習などゆとり教育で自分から学ぶ姿勢を築くなどという放任教育。 子供はその時間を遊びの時間と思っている。
子供にあるべき方向性や目的意識を大人が与えてやらないと、またある程度の強制を与えないとヒモの切れた風船のように飛んでいってしまいます。
ゆとり教育という性善説に立った誤れる理想教育は、子供の自由・自主性を尊重しているように見えて、かえって子供を性悪にするのです。
今の学校崩壊はこれを象徴しています。
アメリカで失敗した子どもの自主性尊重の教育を日本はゆとり教育として採用してしまった。 そのための教師の自己研鑽も、主体性のある指導者育成もなく、未熟なまま実施して失敗したのです。
個人の意見が活発に出る個人主義の欧米と異なる国民性をもつ日本。 個人の自主性・主体性より、まわりとの協調性を尊重する日本。
そのような文化伝統志向をもつ国に導入して簡単に成功するわけがない。 文化の異質性を理解できない「世界市民」という発想が、日本固有の伝統思考に反撃されたのです。
子供たちの生きる力が日本を築く
「アジアの子供たちに学ぶもの」の講演活動をされている池間哲郎さんは「日本の子供たちは世界で1番生きる力がない」といわれます。
またフィリピンのゴミの山・スモーキー・マウンテンで生活している子供たちに、フィリピン民族の舞踊を教えて生きる力を与えている舞踊団。 昨年その公演を見ました。
リーダーの日本人の方の話にも「フィリピンの子供たちは貧しいながらも将来への大きな夢がある。 日本の子供たちにはその夢がない。 心が貧しい。
舞踏団来日の目的はフィリピンの子供たちと日本の子供たちが交流して、その姿から自分たちの夢に気づいてほしいのです」と言われました。
豊かな国に生まれ何不自由なく育ち、親の過保護のもとで自由気ままに生きている。 そして学校では人権教育で自分の権利意識にめざめ、自分のみが大切という権利主張が激しくなってしまった子供たち。
そして街では「ナンバーワン」から「オンリーワン」へ、の言葉で若者の心がくすぐられています。
オンリーワンは個・独への道
「ナンバーワン」を否定することで人間としての上昇志向、人間としての向上する意欲を削いでしまいました。 あの「ふるさと」の歌にある「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」の「こころざし」の魂を失くしてしまいました。
また「オンリーワン」によって自分はそのままでいいんだ。 自分の良い所も悪い所もそのままで個性として認めよう、と個性尊重として若者は受け取りました。
その結果、欠点はそのままで自分の我を打ち出すことに熱心で、自己反省がなされないままになってしまいました。 自分の自我を主張して周りとの協調をなくした若者を生んでしまったのです。
「周りの人に迷惑をかけないこと」という社会常識に対して「自分は周りの人に迷惑をかけているとは思わない」と考えてしまう。 その結果周りの人に迷惑をかけていることに自ら気がつかない人間に育ってしまいました。
苦しみをさけ楽しみを追い求める。 足ることを知らない戦後の大人の影響を受けて育った子供たち。 苦難も試練も人権意識の前では否定される。
苦しみを与えることは人権無視だ。 試練によって傷つくことも人間性否定と拒否される。 昔の人は「可愛い子には旅をさせよ」といった。 苦しみの中で人は成長するとは考えない。
そのような考え方は封建時代の産物と考える人権論者によって日本の教育は歪められました。 苦しみより甘やかせの中で育った子供は怪物になってしまいました。
ヤミ肥りクソ役人に抗議する
2月23日、もう春一番が吹いたというのに寒風ふきすさぶ市役所前に集まった人々20人ほど。
私の号外を見て通信仲間も数人、また800人余りにFAX転送していただいた通信仲間からの私の号外を見てこられた方もおられました。
主催者の準備した横断幕「職員組合は恥を知れ!」を背景にチラシを道行く人々に手渡していきました。 チラシには「エエかげんにせんか。こら!組合、大阪市民をナメるな!」
「組合員は『公僕』という言葉を辞書で引いて、わら半紙に100回書け」「大阪市のシロアリ『大阪市労連』。市民の血税を何と心得る」「ヤミ受給は公金泥棒」などの言葉が並ぶ。
「がんばれ」という人、突っかかってくる人。 機動隊の制服警官数名が遠巻きに監視している。 私服警官もあたりをうろついているらしい。
市役所の裏には機動隊車両が待機していて、騒乱になったら駆けつける準備をしていると聞きました。
全国でバカ呼ばわりの大阪人
面白い!。 職員組合員と取っ組み合いになったら取材にきているテレビや新聞のいいネタになる。 大阪の人間もなかならやるやないか、と全国に報道される。「大阪の恥をなんで大阪の人間は抗議せんのんや」と全国から大阪はバカにされているのです。
サヨクも組合も自分の仲間という意識があって抗議デモはやらない。 反戦デモのような社会正義への怒りもない。 既得権利意識では同じ穴のムジナです。
旗揚げ人の籠池靖憲さんはまるでサヨクのアジテーターのようにとうとうとアジ演説をしていく。 「嶋田組合委員長出て来い! 話ししようやないか!」「
そのたびに皆がこぶしを上げて叫ぶ。 私も「北に拉致された被害者救援」デモや、若い時の「べ平連」のデモ参加以来の怒りの叫びを上げていました。
「ベ平連」のときには「アメリカも北ベトナムも、南から出て行け」とただ一人叫んでいましたが。
愛国のアジアの民は行進す
籠池氏は私立幼稚園の園長さんで園の公式行事のときに愛国行進曲を流され有名になった愛国者です。 「見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば・・」
この曲はインドネシア建国記念日にインドネシアの人々によって今も歌い継がれ行進されています。 戦後日本人将兵が日本に父母妻子を残してインドネシアに踏みとどまり、インドネシア独立のために2000人が戦い1000人がかの地の土となりました。
インドネシアの人々は今もその恩義を語り継いでいるのです。
大東亜戦争のときの戦争目的の一つがアジア解放でした。 そのために欧米の植民地下にあったアジア首脳が昭和18年に東京に集まり「大東亜会議」を開きました。
今の「G7」のようなアジア最初のサミットでした。 植民地からの独立の志をもつ人々が日本の指導のもとアジア解放のための会議を開催したのです。
決して日本の侵略目的に利用された人々ではありませんでした。 詳しいことは深田祐介氏「大東亜会議の真実」PHP新書をお読みください。
戦後の1955年にインドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催されました。 目的は民族独立を祝う会合であり、自主独立・反植民地主義をうたい上げました。
そのとき日本代表は「大東亜戦争の戦場になったアジアの人々は日本を白い目で見るのではないか」と心配でありました。 しかしあちらこちらからアフリカ、アジアの代表が寄ってきて
「よく来たね! 日本のおかげだよ! 日本が自主独立・人種平等の大東亜共同宣言を出して、アジア民族解放を戦争目的に宣言してくれた。 それがなかったら、我々は依然として欧州諸国の植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」と語った。
今回から入れました素人川柳いかがですか?