いのちの風 bS08
3月15日(火)発信 石黒大圓
今回のテーマ 石黒大圓/運命と数霊、言霊/ご縁に感謝/自力と他力/いのちの風/日韓併合
いつもありがとうございます。 暖かくなったり寒くなったり、お風邪など召されませんように。 私はまたやってしまって心寒々しい思いです。
パソコンを誤操作したのか記録が雲中霧散してしまいました。 パソコンを買ったばかりの昨年の今頃もやってしまい、送信したばかりの通信の文章十回分ぐらいが消えてしまったことがありました。
今回は何十もの下書きメモと長い文章が通信文3回分くらいも全部消えてしまいました。 バックアップして情報を保存する方法を知人に聞いていた矢先だったのに残念無念。
こんな私の愚痴がこの通信の魅力だと言ってくれる親しい人がいるので書くのですが・・。
名を変えて坊主になるな妻子言い
1年前に会社が消滅しそうになり私自身がホームレスになりかけたり。 次男の名前を付けた猫が死にかけて次男の死を再び追体験させられたり。
以前から今回のことのような大小の事件が絶えず、体の変調も続きました。 それで年が変わる2月3日を期して私の名前を変えるつもりでいました。
しかし決心がつきかねて延ばし延ばしにして思案してしました。
通信仲間で姓名判断される方に「大圓」という名前をいただきましたが、その方の助言で月が入れ替わる新月の3月10日に名前を変える決心をしました。
通信の頭にありますように「良彦」を坊さんのような名前に変えました。 しかしあくまでも通称、ペンネームのようなもので戸籍名はそのままです。
同じ大圓という名前の若い僧侶の方でスピリチュアルケアで有名な方がいます。 同じ名前なので最初は躊躇しましたが、このケアに関心ある者の一人としてあえてこの名前に決めました。
偶然ですが昨日と今日の朝四時からのNHKラジオ深夜便でこの木下大圓さんのお話がありました。 すごいご縁を感じます。 また普段から作務衣姿でいますので僧侶のようなこの名前はふさわしいかもしれません。
私の名前「良彦」は字数から見てあまり良くないとは若い時に自分で姓名判断を調べて知っていました。 家族との縁がうすい、孤独癖があると。
父親と仲が悪かったことではないかと思っていました。 しかし妻子のこととは、知人に最近指摘されて気がつきました。 またいつも苦労が絶えないとも。
人は字数という数霊や、誕生の年月日、時分秒によって運命が決められてしまうということはあると思います。 昔から洋の東西を問わず四柱推命や占星術が尊ばれたのは迷信といったものではなかったと思います。
ジャンプして落ちた所がこの俺か
人は誕生日の生年月日・時分秒をあらかじめ前世で決めてこの世に飛び込んでくる、と教えられて、それが私の死生観になっています。 この日のこの時間に生まれると、こんな決められた人生が待っていると天上界で教えられます。
「苦しい人生が待っているよ」と教えられても自分のこの世での人生修行の目的に合致するならばと。 あえて、その苦しい自分の運命を選んで生まれてくる。
その誕生日によって運命が変わるということが、統計的にわかるので運勢占いといったものが古来から伝えられてきたのでしょう。 人間が見えないものに支配されていることはこの世の中に数限りなくあるはずです。
人は謙虚さを失って傲慢になってしまって、自分の人生はすべて自分が支配している。 すべて自分で切り開いてきたと思いがちです。 また科学万能の時代に「運命決定論」など科学的でないと退けられます。
見えないものに支配されていることを認めない唯物主義もあります。
おかげさま お礼の数も数のうち
しかしいかに自分が他の人々のおかげや目に見えない多くのもので動かされていることか。 自分の力のおよばないものによって生かされ、支配されていることか。
人やものとの偶然の出会いによって人生が変わることもあります。 自分の力ではどうすることも出来ない不思議なめぐり合わせ。 これを仏教では縁と言うのだと思います。 改名も縁です。
世の中に自分に関係ある多くの数字があります。 誕生日の数字、名前の字数、電話番号・・。 すべて何の意味もないものではなく、人の人生に影響を与えている数字霊というか、言霊というか、そのようなものの支配下にあると思っています。
東郷さんも幼名を仲五郎と言っていました。 昔、人は年を経て次々と名前を変えていた時代もありました。 出世魚のように名前を変えるのもいいのではないでしょうか。
親が付けてくれた名前を変えるなんて親不孝かもしれません。 しかし自分の人生は自分が切り開いていくと覚悟するのなら、今この時に名前という縁を自分が選んでもいいのではないかと考えました。
決して楽をしようというのではありません。 ガタガタ道が続くとしても滑らかに事が進むようにしたいのです。 自分の個人的なことにわずらわされず、もっと社会に関われるようにしたいと思います。
改名するということはすでに決まっていた人生の一部かもしれません。 改名が本当の私の人生か、しないことが本当か。 それは私にはわかりません。
私の潜在意識は私の本当の人生の行方を知っているけれど、私の顕在意識はそれを知りませんのでジタバタするのです。 しかしするかしないかは自分で決断しなくてはなりません。
変えることで人生が逆に悪くなったとしても、それも私の人生への自己責任として受け入れます。
片輪がパンクしている世間並み
名前を変えて少しでもよい運命に出会えることを望むのは言霊や数霊の力への、安易な他力本願かもしれません。 「名前を変えて事は終わり、後は神仏頼み」ではなんにもなりません。
ガン患者さんは「良くなる良くなる、きっと良くなる」と唱えて健康のイメージ、運命好転の言霊を体の中に送り込んでいます。 私も唱えましょう。 そして自分の力で自分の名前に加勢していきましょう。
名前を変えた縁で良き言霊を毎日唱える動機付けができました。 継続こそ大事です。 それこそが「凡事徹底」です。
「良くなる良くなる」と唱えるのは自力であると同時に他力です。 人の運命を支配する大いなる見えざる力、言霊の力を信じ帰依します。 自力と他力は車の両輪のように人を運んでくれていると思います。
以前から「ありがとうございます」を唱えていました。 最近「笑顔教室」の野坂礼子さんの講演を聴いて「ありがとう」の威力を再確認しました。
人は誰でもこの体の中にスーパーコンピューターを持っています。 それをうまく生かしていないのはただ運転がヘタなだけ。 人生の運を良くするにはただ運転の技術をマスターすればいいだけなのです。
野坂さんは言います。 その技術とは「笑顔をつくること」「良い言葉・イメージをもつこと」「呼吸法を身につけること」この3点です。
難しい心の修行を考える前に外面の形から入っていくのです。 「作り笑顔でもいいから笑顔を作る習慣を身につける」 「よい言葉をしゃべり、よいイメージを持ち続ける」 「丹田呼吸法という長い呼吸を身につける」。
吸う息とともに笑顔と良いイメージを心の中に収め、吐く息とともに「ありがとうございます」と唱えつづける。 深い呼吸はよいイメージを潜在意識の中へ送り込んでくれます。
よいことが将来実現すると先取りして感謝する。 そうすると、良いことがこの世に形となって現れてくる。
笑顔や良いイメージがスーパーコンピューターの中に定着したら、その人の人間関係は改善され、運命も好転し始めるのです。
いのちの風 人の心を吹きぬけよ
また前から温めていたことですが、通信に名前を付けました。 ある通信仲間から、通信「発信」とあるのは
平凡だから名前を変えたらとの提案を以前に受けました。
私もその気になって考えてみて、ふと、通信そのものの名前として「いのちの風」っていいのでは、と思ったのです。
「千の風」(私のお墓の前で泣かないで下さい。 私はもうそこにはいません。 千の風になって大空を駆け抜けています。 あなたのほほをそっとなでています・・・)といった詩を前に紹介しました。
また子供を亡くした親の会に「小さな風」の会というのがあります。 また先日「風の又三郎」のことも書きました。
ある通信仲間に教えられたのですが「風」とは古来より「魂」の意味があるとのこと。 神の息づかいが風であり、神から息を吹き込まれて人間に魂が宿ったとも考えられます。
それらに「いのちと出会う会」と、私の日本再生の気持ちを込めた「日本のいのち」
をかけて『いのちの風』としました。 「いのちの風」が日本中の人の心の中を吹き渡り、日本国民の魂を奮い起こさせてくれることを。
また「いのちの風」が生老病死の「苦」に真正面から向き合っている人にとって参考になってもらえることを。 そんな祈りをこめて「いのちの風」通信を全国に発信していきます。
ヤフーで検索しても同名で同主旨のものがなく、字数も見てもらいOKでした。 20人ほどの親しい通信仲間の方々に助言を求めて、いい返事だったので、これに決定しました。
私の名前も通信の名前も新たに変わり、よりよい飛躍につなげたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
漬物が赤いキムチに土下座する
ところで叔父石黒英一が亡くなったと聞いて「しまった」と思いました。 叔父は私の父とは従兄弟になります。 私の祖父の弟であった叔父の父上は裁判官として朝鮮に赴任していました。
そして妻を病で亡くして英一氏を筆頭に幼い子供4人を、男手1つで育て上げ、再婚もせずに戦後の混乱の中を帰国しました。
その父上から朝鮮のことを聞けずじまいで、また叔父からも聞けないままに終わったことが残念でした。 朝鮮がわかれば日本の歴史がわかるのです。
雑誌「正論」4月号に韓国高麗大学の元学長、韓昇助名誉教授の興味深い論文が掲載されていました。 高麗大学は日韓併合のまえに設立された私立の名門校で、日本の早稲田大学に比されています。
「韓国保守派知識人覚悟の論文! 『共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚、日韓併合を再評価せよ』です。
コチコチの硬い題名ですが、要するに親日派とは日本に肩入れする民族的反逆者の意味で、いわば国賊と見なされています。
「戦前に日本は朝鮮にひどいことをした、というのはウソだ。 朝鮮が日本の統治下になったのは幸せであった」と韓氏は言うのです。 韓教授はアメリカで学び、日韓の民族的偏見のない欧米の公正な朝鮮歴史研究で目覚めたのでしょう。
一般に「日本の朝鮮統治時代は善政であった」という結論は韓国国民にとっては許せない妄言なのです。 日韓併合後の朝鮮が世間でいわれているような圧政ではなく、朝鮮にとって幸運な時代であった、など口がさけても言いたくないのです。
戦前を経験した老韓国人世代が日本統治時代に郷愁を感じているなど、言ってはならないことなのです。 日本の妾として裕福な生活をするくらいなら、奴隷制社会のような併合前の祖国・李氏朝鮮で馬や牛のような生活をしていた方が良かったというのです。
韓教授は言う「立派な人はうまく行かなかったことの責任を他人に転嫁しない。 立派な人は何かうまくいかなくても、その主な原因を自分にあるとして、反省して再発を防止する。(略) 共産主義者は常習的に責任を他人や制度のせいにする」
宗教や精神世界に関心ある方はこの言葉は理解できるでしょう。(続)