いのちの風 bS09
3月22日(火)発信 石黒大圓
今回のテーマ 通信継続/李氏朝鮮/朴正煕/文明国の恩恵/植民地/鎖国と開国/閔妃暗殺
いつもありがとうございます。 通信継続のご返事がまだの方はよろしくお願いいたします。 自動一括送信から送信不要な方を削除するのには手間がかかります。
一度に作業をしたいために完全に不要な方が判明するまでお待ちしています。 未だに不要な方にも送信をしていると思いますが、もうじきに送信中止させていただきますのでお待ちください。
なお私の通信の文章が長すぎると苦情を言われることがあります。 私のFAX通信は1回分がA4用紙3枚分で、1通話以内に収まるように送っています。
短い通信を何回も細切れに送っていたら電話料金が多くかかるので、長い文章1回に済ませています。 昔からFAXが基本の通信ですので、ご了承ください。
メール通信はFAX文章の行間を空けたり、段落を変えたり、色をつけたりして内容変更しています。 そのためにA4用紙6枚分ぐらいの長いものになってしまっています。
しかし読みやすく配慮させてもらっているつもりですので、皆様にはFAXからメールへの変更をお勧めします。
歌読みて面白おかしこの世かな
なお訂正です。 前回書きました木下大圓(だいえん)さんは「大下大圓さん」の間違いです。 本も何冊か書いておられます。 思い込みに気がつかず時々ミスをします。
また前回の「素人(しろうと)川柳」はいかがでしたか。 前回は特別ふざけた川柳になりましたが、真面目な硬い文章がすこしは中和されるのではないかと思い切ってやってみました。
これから俳句や川柳を学んでもっとうまい句を創作していきます。 文章そのものも何かウィットにとんだ書き方にしたいのです。
また575、77の短歌風に文章が流れるように書くとか、講談調にするのが理想なのですが、これが今の私の限界です。
川柳のおかげでだいぶん頭の体操ができて面白いです。 ボケ防止にいいですよ。
下宿屋のキムチ囲んで唾ぜり合い
学生時代に東京でまかない食事付きで下宿していました。 下宿生みんなで食事をいただいた後で激論がいつも闘わされます。
そこの大家のオヤジさんは戦前に朝鮮で警察署長をしていたそうです。 ですからいつもおいしいキムチがいつも食卓に出るのです。
真っ赤でなく具がいっぱいで、ニンニクの匂いもうすく本当においしいのです。
それ以前もその後もあんなにうまいのは食べたことがありませんでした。 丼いっぱいのキムチを食べるのは下宿生の中で私だけ。
それを(酒でなくて)お茶のさかなにしながら食後、社会問題が話題となると、特に下宿屋のオバさんと論争が起こるのです。 当時私はノンポリに近いサヨクでした。
大学で学園闘争に加わるために入学したようなものでしたから。
在学中に私がアメリカに行っていて帰ってきたら私の部屋がありませんでした。 追い出されたのです。 サヨクの私を大家さんが煙たがったのでしょうか。
他の学生に悪い影響を与えるとでも思ったのでしょう。 「しつけ」を教えるのが、ここの下宿の方針という硬い考えをお持ちでしたから。
結局私が出たあとはその方針が皆に受け入れられず、おとなしい受験生だけの下宿屋になっていましたが。
若き日の胸打つ言葉今もなお
ところで私は入学してすぐにサヨクには絶望しました。 しかし現在の社会を改革するには共産党と共闘してでも自民党政府を倒さなければならない、と当時思っていました。
今の反体制・反戦平和運動家は今も昔もこの立場から抜けきっていません。 時代は変わったのに未だ目覚めていないのです。
朝鮮問題に関しては朝鮮を支配し搾取した日本は許せないというのが当時の私の立場でした。 あの当時はサヨク言論人優勢でこのような偏った知識で皆が洗脳されていたのです。
その頃に大家さんのオバサンが言った言葉が耳に残っています。
「終戦後私たちが朝鮮を去るとき、朝鮮の人は皆泣いて別れを惜しんでくれた。 今の人は何故日本が朝鮮に悪いことばかりしたというのか、わからない」
叔父の葬儀のときにも韓国に長く商社マンとして駐在していた親戚に言われました。 朴正煕・韓国元大統領は言っていた。
「戦前に日本が朝鮮を統治してくれたおかげで貧しい者も出世できるようになった。 自分は貧農出身であったが日本のおかげで日本の陸軍士官学校にも行け、戦後も韓国軍人として祖国のために働けるようになった。
中国やロシアの植民地になるより日本の支配下に入って幸運であった。 彼らが朝鮮を支配していたら今のような韓国の繁栄はなかった。
戦後の「漢江の奇跡」といわれる韓国の高度成長も日本の援助がなければ成功しなかった。 その恩を韓国人は忘れている」と。
魂の救済されぬはお前の方
東郷さんの勉強で学んだことですが。 19世紀から20世紀初めにおいては文明国は未開国を占領することが認められていました。
武力で排除できない場合は占領されて植民地にされても仕方がないのが国際法上の決まりでした。 植民地にならずに自国の独立を保つためには武力で対抗できる国にならなければなりませんでした。
例として先日ロシアに占領されて祖国の住民を何百万人も農奴として連れ去られたウクライナ国の話をしました。
占領されて植民地になるか、列強に対抗できる武力を持つかしか、当時は選択肢がありませんでした。 当時は文明国が未開国を占領するというのは文明の恩恵を与えるという意味合いがありました。
未開の住民を救済するという使命感のようなものでした。 キリスト教によって邪教から人々を救い、魂の救済をはかるというのと同じ論理で、世界の未開国を救済するという名目の占領を行っていたのです。
植民地には神の栄光、文明の光が輝くというような独善的な信念があったのです。
この思想は後世に共産主義による民族解放戦争として復活して、搾取された人民の救済という同じ論理の元で、侵略戦争が世界を席巻しました。 植民地支配における悲劇以上の殺戮で1億の民が殺されました。
神風が幕末の世に吹き渡る
日本は幕末に国政のあり方をめぐって勤皇と佐幕、開国と攘夷、公武合体と薩長連合などと大混乱していました。
しかし各藩の利害を度外視して、日本国全体を見ることに目覚めた人々が、一致協力して未曾有の危機を乗り越えたのでした。 混乱が長期化していたら外国に付け入るすきを与え植民地への道を進んでいたことでしょう。
日本人の英知が働いて、白人に侵略されるという日本開闢以来の国難を回避することが出来たのでした。 旧政権の幕府は権力を天皇に譲り渡し自ら解体して、国家一致体制を組むことで亡国の危機を乗り越えました。
そのようなほとんど革命のような政権交代を日本はほとんど無血で(戊辰戦争などは小さな内乱です)平和的に成し遂げたのです。
また薩摩・長州藩はそれぞれ外国からの攻撃によく耐え撃退してくれました。 そして香港のように日本の一部が占領され植民地になる危機を乗り越えてくれたのです。
朝鮮の悲劇龍馬を思い出す
当時の隣国李氏朝鮮も何がなんでも外敵に対抗して国を守る体制を作らなくてはならなかったのです。 不幸にも内政が大混乱していて、収拾がつかずどこかの国の支配下になってしまう歴史を歩んでしまっていたのです。
日本は自らの自存自衛のために、すぐ隣の朝鮮が中国やロシアの支配下にあっては国家防衛上不利になると考えました。 そのために日本が西洋列強にされたように朝鮮に開国を迫り、連帯して外国からの脅威に対処しようとしました。
朝鮮は清の属国でしたから、朝鮮の自主独立について日本は清国と対立しました。 しかし日清戦争に日本が勝って初めて朝鮮は中国からの隷属から独立し、大韓帝国と名乗り国王は韓国皇帝を名乗りました。
皇帝とは中国皇帝しか名乗れないもので、属国から離脱できた証拠です。
その後ロシアなどからの三国干渉を日本が受け入れてしまったために一転朝鮮は日本を侮蔑しロシアに走りました。 そしてロシアは軍事基地を朝鮮に築き始め朝鮮を支配する体制をとり始めました。
ロシアはすでに北朝鮮に接する満州を支配下にいれていました。 時にロシア皇帝はアジア全土を植民地にする野望に燃えていたのです。
そのためシベリア鉄道の建設を急ぎ、世界一の規模をもつロシア陸軍の大部隊をアジア各地に送り込もうとしていたのです。
日本が国際社会に出ずに鎖国のままでいたなら、日本は清と戦うこともなく朝鮮は大清帝国に併合されていたでしょう。
また日露戦争の日本勝利がなかったら、ロシア帝国や皇帝の権勢は地に落ちていなかったでしょう。 ロシア革命もなく、朝鮮・中国はロシアに飲み込まれ植民地にされていたことでしょう。
解放も悪魔が憑けば地獄行き
日清・日露戦はともに立憲君主国家と専制国家との戦いでありました。 両方に勝利した日本は民主国家の優位性を内外に示し、専制国家打倒の気運を中国、ロシアに広めました。
異民族「清」によって支配されていた漢民族。 そこからの独立をめざす中国人留学生や独立志士たち、そしてアジア各国からも白人植民地からの解放・独立を志す人々が「アジアの希望の星」日本に続々と集まってきていました。
その数1万5000余。 彼らは日本で軍事技術や近代国家の組織作り、そして国民の団結がいかに重要か、を学び帰国し祖国革命のリーダーとなっていきました。
かってソ連が世界共産革命の悪魔の基地になったように、明治日本は植民地下にあった有色人種にとって独立解放革命の基地になっていたのです。
見る目変われば如来も夜叉
朝鮮では日本の維新革命に学び、日本の力を借りて朝鮮の近代化をめざす、「独立派」が日本に留学し、また亡命もしていました。
これが「親日派」という名の祖国反逆者として今は韓国で嫌悪されている人々です。 その人々にとって当時最大の政敵が「閔妃」(ミンビ)という名前の反日派の王妃でした。
最近、「閔妃暗殺」新潮文庫・角田房子著という本を通信仲間に教えていただきました。 これが前回から今回にかけての私の通信のテーマだったのですが、前置きが長くなって今回は前座だけになりそうです。
李氏朝鮮の王妃「閔妃」を日本人公使が主導して暗殺してしまったのです。 何という残虐な行為を日本はしてしまったのか。
日本の過去の罪業に対して日本人は「遺憾の念」を持たなければ真の友好関係は保てない、というのが角田さんの執筆の動機といわれます。
まさに歴史を自虐史観の観点からのみ解読しようといるのです。 歴史は色々な観点から見なくてはなりません。
彼女はマルクス主義歴史観から見た歴史解釈のみを採用しているのです。 現に彼女の本の後ろにある「あとがき」にはマルクス主義歴史学者の長老が絶賛の言葉を書いています。
現在の韓国では閔妃は「国母」として尊敬されています。 しかし当時、彼女は清末期の残虐な独裁者、西太后に似て権勢欲の権化。
「亡国の女、傾国の女」として朝鮮の近代化、政治改革をめざす人々に忌み嫌われ常に命を狙われた人なのです。 彼女のそのような悪い評価が軽くあつかわれ、悲劇の王妃として彼女を殺した日本の非道のみが強調されています。
ある韓国の保守派知識人が書いたものにはこうあります。
「日本の愚かな女性作家が、閔妃に同情的な本をかいたことがあるが、閔妃は義父(国王の父)に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。
このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである」。 (続)