いのちの風 bS11

4月6日(水)発信 石黒大圓(だいえん

 Eメール ishiguro@a1.hey-say.net

今回のテーマ 反日の韓国/日本統治は善政/閔妃/伊藤博文/韓国近代化への日本の貢献

 

いつもありがとうございます。 今春は荒れ模様です。 桜はまだ早く寒さもぶり返し雷が鳴り、ローマ法王は亡くなり、中共では反日暴動。 

 

今年は終戦60年、日本の還暦。 何かが起こる。 荒れるで!  

 

一昨日の朝日新聞夕刊に「いのちと出会う会」の50回記念集会の記事が載りました。 5月15日に今までの49名の話題提供者全員をご招待して行われます。 

 

全員の方が来られるとは限りませんが、和やかな同窓会的のものにしたいと思いますので、どうぞ皆さんもご参加ください。 参加費は1000円です。

 

月曜夜は炊き出し、火曜日は商店街の売出しの抽選会場担当になって時間なくまた送信が遅れました。  

 

ヨン様の追かっけすでに腰抜かす

 

通信bS08に書きました高麗大学名誉教授・韓昇助名誉教授が「正論」に書いた論文が原因で韓国において弾劾され名誉教授の職を剥奪されました。 韓国も北朝鮮と同じく言論の自由がなくなって来ています。 

 

アメリカの大学で「日本統治時代に朝鮮は近代化への離陸を果たした」という講義を聞いた韓国人留学生が教授に抗議したといいます。 欧米歴史学界の定説より愛国神話の方が韓国人には重要なのです。 

 

歴史的事実をねじ曲げて領土的野心丸出しの「竹島問題」で、韓国では再び反日感情が激化しているようです。 ヨン様ブームで訪韓したオバ様族が乗車拒否などの反日感情に出会い、せっかくの親韓ムードもこれで終わり。 

 

オバ様たちの怒りはすぐに日本人の心に火をつけるでしょう。 政治的問題となると見境なく激怒する韓国は恐ろしい国だとの評判が日本中に広がります。 自業自得です。

 

韓国人の自己主張の激しさが昔からの民族差別の原因にもなっていたのです。 日本国民の責任ばかりではありません。 

 

私の商店街で抽選場のバイトに来ていた中国人留学生が言っていました。 「留学生会館の寮で一番嫌われているのは韓国人留学生だ。 彼らの自己主張の激しさには皆へきへきとしている」

 

彼らはこのようなことへの自己反省もなく、昔から被害者であることばかりを主張する在日コリアン人権問題として仕上げてきました。 サヨクもそれに乗って支援して来ました。 

 

ヨン様にほれたオバ様族からの「可愛さ余って憎さ百倍」の反撃はこれからの日韓関係に暗雲をもたらすでしょう。 もっともこれらオバ様族は在日コリアンが多いとも言われていますので、単なる仲たがいに過ぎないでしょうが。

 

20年ほど前に韓国人親友に会いにいって私も乗車拒否に会いました。 タクシーから降りろと脅迫されましたが、彼が「この人は私の恩人だから許してくれ」と頼み、事なきを得ました。 

 

彼が十年ほど前に韓国・済州島から密入国してきた人間であったのを知らずに付き合っていました。 努力と勤勉の人で書店の経営にも乗り出していたのに、私が新婚旅行から帰ってきた日に彼が捕まっていたことを知りました。 

 

新婚のアツアツムードも消え去り、その日から彼への救援活動が始まったのです。 結局彼は強制送還されましたが、苦労の末に祖国で工場を二つも持つまでに成功していました。 

 

私は決して民族的偏見からこの通信を書いているのではないことを知ってください。

 

天動説信じる人に目を廻されて

 

韓国の真実の歴史については台湾人評論家の黄文雄氏や多くの日韓の学者の研究書が山のように出回り始めています。 

 

比較的によくまとまっていた三好誠氏の著書「この目で見た北朝鮮」を中心に戦前の朝鮮の実情をまとめさせていただきます。 この本の後半部分には「日韓併合の軌跡」があります。 

 

1910年の日韓併合当時1331万人の朝鮮の人口が1942年には3064万人と2倍以上(日本や満州に移住した500万人は含まず)。 

 

また識字率は併合時10%だったのが1936年には65%と6倍以上に達している。 

 

この数字だけを見ても「日本統治が残虐極まりない圧政であった」とは信じ難いのです。 

 

我々は日韓のサヨク歴史学会に地動説でなく「天動説」を信じ込まされていたのではないか、と思いました。 欧米の歴史学会が日本善政説をとる理由は数字の面からもわかります。

 

 

日韓併合前の朝鮮を外国人が旅行記や現地調査として書き残しているものが多くあります。 そのなかの英国人イザベラ・バード女史は朝鮮を4回旅して旅行記「朝鮮紀行」を書いています。 

 

そこには「北京を見るまでは私はソウルをこの世で1番不潔な町と思っていた。 紹興(中国)へ行くまでソウルの悪臭はこの世で1番ひどいと考えていた。 首都であるにしてはそのお粗末さは実に形容し難い」 

 

祖国よりわが身可愛さ山河荒れ

 

(以下要約)民家は泥壁の家で商店に物はわずかしかなく、道は悪く、橋は流されたまま修復は進まず、銀行や両替商はどこにもなく、流通する銅銭は価値低くまた重く、外国人旅行者は多額の旅費を馬を使って銅銭を運ばなくてはならない。 

 

他の外国人もこの国の治安の最悪さ、不衛生極まりなさ、流通の不合理などを共通にあげ指摘しているのは、民族が劣るのではなく結局国政の反映から来ているということです。

 

500年間もの李氏朝鮮時代には人口がほとんど増えなかったというような悪政が続きました。 そして最後の最後に閔妃が現れて最悪の政治をしてしまったのです。 

 

国王の父「大院君」と権力闘争を繰り広げ、民の困窮をよそに連日豪華な晩餐会を夜を徹して行い、就寝はいつも朝五時であったといいます。 

 

また占いなどに国費を湯水の如く使い、また利権を悪用して私服を肥やし、国庫は常に火の車で官吏への給料も払えない状態が長く続いていました。 その分、官吏は民衆を搾取し、支配階級の両班貴族は働こうとしない。 

 

労働することを忌み嫌い、奴隷を使役し、彼らを売買もして不労所得生活をしていました。 朝鮮民衆の恨みや反感は深刻なものでありました。

 

大院君が閔妃を排除するクーデターを行い、そのときに親日・独立派の朝鮮人や日本人浪士が加わり閔妃を殺したのです。 大韓帝国では恨み重なる閔妃に対して葬儀も出さず、自首した朝鮮人たちを処刑しました。 

 

日本政府は公使が殺害に関与したとの外国からの非難に苦慮しましたが、韓国がそのように処理したために日本公使への裁判は打ち切りにしたのです。  

 

伊藤より安が大事かマルキスト

 

当時の朝鮮の荒廃ぶりを見て伊藤博文は黙っておれないという感想を持っていました。 しかし彼は「朝鮮人は気難しく気位が高い。 こんな民族を併合したら火の中の栗を拾うことなる」と洩らしていました。 

 

また彼は自分の目の黒い内は韓国を併合しては ならない、とも語っていました。 日本の国家財政にとって大変なお荷物になると考えていたからです。

 

彼は明治政府の元老としてこの明治日本をつぶしては明治維新を築いた先輩たちに申し訳ないと考えていたのでしょう。 国際問題では大変に慎重な対応をしています。 

 

「眠れる獅子」大清帝国や、世界一の陸軍をもつロシアとの戦争には反対していました。 ロシアとの友好協商を結ぼうとして日露戦争につながる日英同盟締結にも反対しました。 彼が外遊している間に留守政府が締結してしまったのです。

 

彼をハルピン駅で暗殺した安重根は閔妃を殺した黒幕は伊藤というデマのウワサを信じて、それを暗殺の理由の第一にしていました。 日本の歴史教科書ではまるでこれは韓国教科書かと思うくらい、外国人犯罪者安重根を民族的英雄として説明しています。 

 

逆に伊藤は日韓併合を進めた犯罪者のように扱い、殺されて当然という書き方です。 日本の最高政治家が殺されたのにその悲劇が描かれず、殺した外国人を黙殺せずに逆に讃える歴史は、本当に日本人の歴史でしょうか。 

 

史実を正確に伝えず、歴史を子供たちの洗脳の道具にしているのがサヨクと日教組なのです。

 

数字こそ真理を語る雄弁家

 

さらに日本の朝鮮統治時代の数字をご覧下さい。 

 

併合当初(1909年)〜独立直前(1942年)

 

学校数 併合時 100以下 〜 1943年 5213校  52倍 

 

ハングル文字は朝鮮支配階級がこれを軽蔑して普及していなかった。 日本の朝鮮総督府はハングルの辞書や教科書を作り、マスコミにもハングルを使うように指導した。 

 

そうして朝鮮は漢字文化からハングル文化へ飛躍的に変身した。 また京城(ソウル)帝国大学は大阪帝国大学より先に設立された)

 

中学生数     同 32,7倍  (中学生は当時のエリートである)

 

電灯普及戸数   同 178,6倍

 

(併合当時は電灯普及は官庁や学校、病院、外人宅、民間会社などで一般家庭にはわずか。 一般家庭電灯の比較ではこのようなものではなくもっと膨大になる。 普及速度は戦後には日本本土を追い抜いた)

 

造林面積     同 54,2倍

 

林業生産     同 2,57倍

 

(朝鮮は暖房のオンドル用に木々を伐採して山々ははハゲ山だった。 日本は毎年1000万本を植林し続けた。 農民には農業以外に安定的な仕事と収入源となった)

 

米生産高     同 2,58倍

 

(日本の東北産の寒冷地米を北朝鮮に持っていき増産を高めた。 約3倍も増えたら人口も当然増加する。人口増加は民族繁栄の最大のバロメーターだ)

 

鉄道距離     同 約60倍(約6000キロ)

 

(全国に支線が張り巡らされて国民の利便を高めた)

 

工業生産 (1914年〜37年) 6,57倍

  

この数字を見れば世界の歴史学会が日本の朝鮮統治は善政であったと判断するのは当然です


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