いのちの風 bS13
4月18日(月)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ 韓国人親友/五十回記念/改名とシンクロニシティ/皇室への中傷/金正日
いつもありがとうございます。 通信不要の方がいなくなって初めての通信です。 しかし不要なのに送られてくるとお思いの方はお知らせ下さい。
前回の通信は継続の返事のない方へは最後のものでしたので、凝りに凝って難しかったかもしれません。 中身の濃いものを簡単な文章にするのは難しいものです。
それでも言いたいことを最期に叫んだのですっきりしました。 今回の通信内容は前回のものを書く途中で、はじき飛ばされて後回しにされたものです。 だから送信も早くしました。
講演会情報も真近なのに多くがはじき飛ばされたので急いでお送りします。
地獄見て這い上がる彼に畏敬する
韓国人親友が10日間ほど日本にいて帰国しました。 我が家で通算5泊して毎晩銭湯へ行かされ楽しんでくれていました。
また昔、阿倍野でよく行った喫茶店や中華料理の「aa」へもう1人の友人と3人で行って、六時間ぶっ通しで日韓問題や経営談義をしていました。
そして次の日から名古屋、伊賀、関東、河内長野、東大阪などを回って日本の会社へ売り込み。 前もってインターネットで関係会社を調べて、飛び込みセールをしていたのです。
予想外の反応で多くの契約約束をもらって日曜日に帰国しました。 彼の日本語が堪能で人なつっこい性格と、安い韓国製品が仕入れられ価格競争に勝てると思う日本企業。
そして韓国との橋渡しがほしいという要望が合致したのです。
彼は朝鮮戦争で父を亡くし、母は韓国本土に渡り、済州島でおばあちゃん子として育ちました。 日本で勉強したいといっていた彼に、おばあちゃんが「この船に乗ったら日本に行ける」と言われて乗ったのが密入国船でした。
日本に着いたとき自分の運命に愕然としたそうです。 隠れるように町工場で働きながら、大阪市立大学の公開講座で勉強もしていました。
そして彼は密入国者としての身分を隠して、商店経営までしていた商才のある人物でした。 そして強制送還されて人生の地獄の底を見て、そこから這い上がりやっと工場を2つも築くまでになりました。
妻・母を亡くした私と長男を韓国に招待して、新工場の鍬入れ式にも列席させてくれ、観光案内も1週間付きっきりで面倒を見てくれました。
しかし不況下の韓国がIMF体制下になり、経営不振に陥り苦しんでいましたが、そこを切り抜け来日したのです。 彼のガッツには尊敬さえおぼえます。
彼は物流機器の製造をしていて韓国国内では業績の見通しがつかないので、日本に打って出てきたのです。 妻を韓国の会社と工場の社長にして、自分は日本事務所の所長として住み込むとのことです。
しばらくは給料が不安定なので、夜にビルの清掃の仕事などをして昼に営業活動をするという決意を語ってくれました。 外国人の働ける仕事は景気のいい東京にしかないので、連休明けに来たときには東京に事務所兼住居を探すといっていました。
景気の悪い大阪は外国人からも見放されてがっくりです。
50回いのちの出会い有り難し
4月4日の朝日新聞夕刊に「いのちと出会う会」の記事が大きく掲載されました。 西日本全域に載ったようです。 いつも朝日です。 いつも朝日・毎日の悪口を言っているのに立つ瀬がないです。
應典院の紹介だから朝日になりましたが・・感謝はしています。 朝日は社会活動に特に関心があるのでこういう記事が多いようです。
また読者も社会活動に関心が高いので、この記事のおかげで應典院は問い合わせの電話が鳴り続けたそうです。 私のところにも知人から「見たよ」の電話やメールがたくさん来ました。
記事の内容は「人生の店じまい。 語り合おう生きるために。 今を見つめ直す心に。 大阪の「いのちと出会う会」来月五50回」とあります。
私の家族を亡くした体験や会の開催までのいきさつ、今までの会の内容などが書かれています。
「次男は『何も悪いことしてへんのに、何で・・』と病を嘆き、妻は病状が進む中「良彦さんと結婚できて幸せだった」と語った。 2人の早すぎた死を無にするまい、と思い、「生き直したい」と願った」
「私は『妻子が生きていたら、小さな家庭の幸せを大切にしていたでしょう。 しかし、亡くなって、多くの方と語りあい、自分も声をあげる、そんな毎日を得たともいえます』。
應典院の秋田住職は『病院で逝く人が圧倒的な現代、死の実相が見えづらい。 自分の終わり方を意識して考えること。 それは、今の暮らしを見つめ直すことにつながる』と話す。
50回記念の会は5月15日日14時から過去の話題提供者全員が集い、5年の歩みを振り返ります」。
名前変えびっくりなのだありがとう
名前を変えてから何か善循環というか、偶然というか、シンクロニシティーというか、が起こって来ています。 朝日新聞を見て関西テレビが第49回・4月21日木の「いのちとで出会う会」の取材を申し込んできました。
第51回6月12日日には映画「with…若き女性美術作家の生涯」の上映会を企画しました。 もうじき出来ますチラシには
「阪神淡路大震災で被災し復興する人々の姿をスケッチに描き続けた佐野由美さん。 いのちを見つめる真摯な姿勢は貧困と差別に苦しむネパールへボランティアの美術の教師として向かわせる。 彼女の活動をカメラで追い続けた映画が「with…」です。人とのふれあいの美しさからいのちの意味を問う感動の名作です。 上映のあと榛葉監督のお話もあり、皆でも語り合います」と紹介しました。
その佐野由美さんの命日が朝日夕刊に載った同じ4月4日なのだと由美さんの母上から聞きました。
またその同じ夕刊にはビッグイシューのことが載っていました。 「ホームレス支援雑誌「ビッグイシュー」 部数激減大問題=@昨夏猛暑で販売員離脱 一時4割減 紙面改革へ」
この報道がされる前に第52回7月21日木には第52回「いのちと出会う会」で「いのちを支援するビッグイシュー」と題して代表の佐野章二さんに来ていただくことを決めていました。
この偶然!。 韓国のことを通信に書いていたら親友が来て・・。 改名の恩恵?
武士道にわが身当てはめ肩を張る
4月始めの花見は長雨にたたられてダメなところが多かったようです。 温暖化は猛暑と暖冬のときに現れて花見の春にはいつも貢献してくれませんね。
パッと咲いてパッと散る桜は日本国民の心意気を表しているといわれます。 しかし今の日本国民にはそのようないさぎよさが消え、心ひねくれた民族になりさがっている気がします。
今度の4月28日木に枚方の「在宅ホスピスあおぞら」の例会で「私の挑戦」というシリーズが始まります。 「末期患者の行動変容」というテーマで半年間例会がありました。
苦しみを乗り越えて人生が変わった患者や遺族の話が続きます。 その第1回目に私の体験を話させていただくことになりました。 遺族としてどのように考え方が変わり、なぜ多くの社会活動が始まったのかについてお話させていただくつもりです。
今回は生死の問題として武士道から学ぶ死生観についても話させていただくつもりです。
皇室を貶めんとすおぞましき(おとしめんとす)
先日「大往生」という著書のある有名放送作家タレントの話を聴く会に行きました。 そして奴にはむかつき許せなかった。
最初から最後まで皇室を茶化し皇族1人々々を小馬鹿にした話が続き、誹謗中傷に近い表現で漫談のネタにしていやがる。 彼の話を聞きにきていた満座の人々は彼の話に腹を抱えて手を叩いて笑い、おぞましい限りでした。
彼の話の間じゅう私は父を、そして自分の家族を面前でののしられた気持ちになり怒りがこみ上げ続けました。
最後の方では彼が「2000円札の絵柄が源氏物語であり、この小説は外国では『ロイヤル・ポルノ・ストーリー』と言われている。 このような近親相姦や同性愛などが描かれている物語を日本の紙幣に使うとは国辱ものだ。 そしてその淫らな血が今の皇室に流れている」と言ったとき、私の怒りは頂点に達しました。
そして「アンタこそ国辱ものだ!」と私が叫んだので、そばの人におしとどめられました。 彼はその後ウヨクがいる、とでも思ってひるんだのか、話題を変えました。
おかしいと思うことは抗議の声を上げなくてはいけないのです。 彼はあちこちでこの話をして皇室誹謗を続けているようです。 皇室の尊厳など彼には無用の長物なのです。
彼には皇室に関わるすべての日本の伝統文化が劣って卑しいもののように写るようです。 今の価値観で1000年前の風俗を批判して何になるのか。
彼は日本の歴史的遺産であり世界に誇る文学「源氏物語」も侮辱している。 1000年も前にあのような小説を残したのは日本だけです。 西洋に小説が登場したのは近代になってからなのです。
日本を愛する者なら日本文化に無知な外国人に日本文化の特徴を説明すべきです。 また政府もこれが原因で2000円札を廃棄処分にするなど持ってのほかです。
無知な外国人の意見をそのまま鵜呑みにして、日本と皇室を侮辱する材料にする奴は許せない。 彼は僧侶の資格もあるはずですが、このような祖国日本を小馬鹿にするような宗教指導者が仏教にもキリスト教にも多すぎることに怒りを覚えます。
父殺す息子を弁護くそ坊主
彼はその上、金正日にはその肩を持って「あのように彼の尊大な映像を写し続けるマスコミはおかしい」と言うのです。 日本に対して拉致を始めとする野蛮行為を続けてきた凶悪な男、金正日を弁護するかのようでありました。
彼のようなサヨクにとっては天皇をギロチンで首をはね「日本人民共和国」を作ることが愛国的なのです。 漫談話の間じゅう室内は、彼の皇室へのせせら笑いの波動で埋められ、良識ある人々は顔をしかめていました。
ところで最近になってその金正日は、父、金日成を暗殺したとささやかれています。
食料援助が十分に海外から送られ始めた時から、北朝鮮に飢餓が蔓延し始め、それを知った金日成から彼は激怒されました。 金正日の代になってからテロや麻薬取引、ドル偽札偽造、日韓での大量拉致事件が多発し始めました。
金日成は南北首脳会談を行い米韓との融和をはかる行動に乗り出しました。 また原子力発電を火力にする転換する方向を示したのです。
金正日はそのような政策転換によって自らの地位が脅かされると感じました。 そして首脳会談が行われる間際に彼は父を毒殺し、急を聞いて駆けつけた医師団の車は大破して全員死亡したとのことです。 陰謀です。
この情報は元・共産党赤旗記者、萩原遼氏により報じられています。 彼の最新刊の本にも書かれています。
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