「縁の花」通信仲間の皆様へお願い
初めてメールを送信させていただきます。 石黒大圓と申します。 「縁の花」様とご縁のある方へ今回初めて以下のことをお願いいたしたく送信いたしました次第です。
私は家族を亡くした縁もあり5年前より「いのち」について考えようと「いのちと出会う会」という例会を毎月、
6月12日(日)に第51回「いのちと出会う会」として「映画『with・・・若き女性美術作家の生涯』上映会」を行います。 以下はその紹介として「いのちの風」に書いたものですが、もしお時間がおありでしたら、ぜひご来場ください。 前売りチケットもあります。
また「いのちと出会う会」50回記念集会のプログラムに記載しました、私の「いのちと出会う会」への思いも最後に再度掲載いたしました。 なおお知り合いの方にこのメールを転送してお知らせいただけましたら光栄です。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
石黒大圓(良彦改め)090-1146−7351
第51回「いのちと出会う会」6月12日(日)
『映画「with・・・若き女性美術作家の生涯」上映会』
阪神淡路大震災で被災し復興する人々の姿をスケッチに描き続けた佐野由美さん。 いのちを見つめる真摯な姿勢は貧困と差別に苦しむネパールへボランティアの美術の教師として向かわせる。
彼女の活動をカメラで追い続けた映画が「with…」です。 人とのふれあいの美しさからいのちの意味を問う感動の名作です。 上映のあと榛葉監督のお話もあり、皆でも語り合います。
平成12年に数多くの受賞をされています:
「日本賞」ユニセフ賞(特別賞)・「アジアテレビ賞」ドキュメンタリー部門第2位
「アジア太平洋放送連合賞」審査員推奨・「国際エミー賞」アジア代表
「上海テレビ祭」優秀作品・「ニューヨーク祭」優秀賞
推奨: 国際連合児童基金(ユニセフ)・「文部科学省特別選定作品」・「優秀映画鑑賞会推薦」
日時 : 6月12日(日) 12時と15時半、 2回上映
場所 : 応典院2階本堂ホール
〒543-0076
TEL06−6771−7641 FAX 06−6770−3147
最寄り駅: 谷町9丁目駅(地下鉄谷町線)B番出口より西へ徒歩8分
日本橋駅(地下鉄千日前線、堺筋線、近鉄)8番出口より東へ徒歩7分
(詳しい地図は應典院のホームページをご覧下さい)
入場料 : 1300円(前売券) 1500円(当日券)
問い合わせ・前売り券の申し込み : 應典院 電話06−6771−7641
上映スケジュール :
@ 11:30 受付
12:00 開演
12:10〜13:10 上映
13:10〜13:40 榛葉監督のお話
10分休憩
13:50〜15:00 分かち合いの集い
(15:00〜15:30 入れ替え時間)
A 15:30 開演
15:40〜16:40 上映
16:40〜17:10 榛葉監督のお話
10分休憩
17:20〜18:30 分かち合いの集い
映画「with…」のホームページ
HP http://www.c-space.co.jp/with/
HP http://www.with.tk (左記だけは時々表示不可となります)
「いのちの風」bS17
佐野由美さんは大阪芸術大学美術学科を首席で卒業。 その前の神戸大震災で長田区の実家は全壊。 「長田のために何かしなければ」とボランティア活動を始める。
苦しい避難生活のなか皆で励ましあい生きる姿を美術学生としてイラスト日記におさめる。 その後ボランティアとしてネパールへ。 そして貧しさの中でも明るく生きる子供たちやその家族と交わり、その姿をスケッチに描く。
そして1年後の帰国直前、自動車事故で逝去。 享年23歳。 遺体安置所の由美さんに取りすがって号泣されているご家族の姿に、17年前の私たちの姿が重なりました。
「いのちと出会う会」50回記念集会でお話ししていただいた釜が崎・野宿者生活相談員の入佐明美さんも看護婦として、由美さんと同じようにネパールに行く予定でした。 そしてネパールで医療活動をされていた岩村医師のもとを訪ねました。
そのときに「日本のなかでもネパールのように、今も結核や多くの病や貧困で多くの人が死んでいる街がある。 その釜が崎で働きなさい」といわれて、釜が崎での活動が始まったのです。
当時年間300人もの人々が路上で死んでいた釜が崎での活動は、ネパールでの活動と変わらないほど、たった1人の若い女性にとっては過酷なものでした。 だが既に25年間も特別に誰からの財政的支援もなく高齢の野宿者の支援を続けておられます。
由美さんも生きておられたら「貧しく小さくされた人々」へ何らかの支援を続けられていたことでしょう。
この映画を多くの方々に見ていただいて心の底に小さな灯でもともればと祈るばかりです。 同じネパールに縁のあるお2人が50回、51回と続くのは不思議なめぐり合わせです。
ぜひご来場ください。 上映時間1時間。 映画のあとに皆で語り合う時間を持ちます。 また当日のスタッフを募集中です。
生きられぬ人を生かせる人になりたし
「50回記念会」がテレビ放映されました。 放映の映像は冒頭、應典院の前景、そして谷先生のクローズアップ、秋田住職や参加者の皆さんの横顔、残念ながら入佐さんは遠景で私と話している姿が小さく映っていただけでした。
分かち合いの席には「日本笑い学会」の昇幹夫先生の姿、また涙ながらに体験を語っている夫を亡くした遺族女性たちの姿。
そして最後に私がインタビューに対して「大事な人を失って落ち込んでいる人が一緒に話ができる場所があったらいいな、と思って・・」と答えていました。
5グループの輪に別れて、それぞれの参加者が精神的な支えや病や死に向き合う方法を、分かち合いました。 私のグループには4人の女性遺族がおられ涙ながらに「どうして生きていけばいいのか」と訴えておられました。
朝日新聞を見て愛媛から来られた方は、娘や母を相次いで失い最初から泣いておられました。 このような行き場のない人々のための駆け込み寺としても、この「いのちと出会う会」が役に立ったらと思いました。
「いのちの風」bS16
私の「いのちと出会う会」50回記念集会での開会の挨拶の内容の概略は以下の通りです。
人の死で自分と向き合う不可思議さ
妻子の死に直面し「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」などの問いがかけめぐりました。
第1回の「いのちと出会う会」に来ていただいた南吉一先生と、幸いにも6年前にご縁ができました。 南先生は枚方で「在宅ホスピスあおぞら」を主宰され、「終末期患者の在宅ケア」の支援を開業医としてされていました。
そして「あおぞら」の事務所で「終末期医療」などの勉強会を谷先生たちとされておられ、私も参加したのがすべての始まりでした。
ある時に南先生から「石黒君、大阪でもこのような勉強会をしてはどうか」と問いかけがあり、既にご縁があった應典院の秋田住職さんに相談しました。
秋田さんもそのような会を作りたいと思っておられて意気投合しました。 「いのちと出会う会」の命名は秋田住職でした。
当初は「生と死を考える会・天王寺支部」のような内容にするつもりでした。 昔は死を語ることはタブーでした。
しかしE・キューブラ・ロスの著書「死の瞬間」が出版され、「生と死を考える会」のアルフォンス・デーケン教授の「死の準備教育」などによって、死を語ることが市民権を得ました。
もう死について考えない、縁起が悪いという時代ではありません。 人は死に向き合った時に真に自分の人生の意味や生きがいについて振り返り見るのではないでしょうか。
現在では死は病院死が圧倒的になってしまい、日常生活で大事な死を見る機会が隠されています。 今回のJR事故を見ても、人生いつ何が起こるかわかりません。
まさかの時の人生での危機管理の心構えとして死を考えることは、自分の人生観や死生観を築く上で大事だと考えます。 愛しい人の死と向き合うことで自分自身と向き合うことになるのです。
この趣旨で始まり最初は、医療や生と死の問題が多かったのですが、この会を通して釜が崎や野宿者支援に関わりだしてから幅が広くなってきました。 そして国内外で社会活動をされている方々もお招きしました。
この会で皆と本来の「生老病死に関わるいのち」について考えました。 また今このように日本国民として恵まれた生活をさせてもらっているのは、過去の日本の祖先のおかげと思い「日本のいのち」へも関心がわきました。
またこの恵まれた生活は自然の恵みの中で生かさせていただいていることから「自然のいのち」にも感謝する姿勢となりました。
日本は世界の中で孤立して生きることはできません。 世界の運命は日本の運命でもあります。 恵まれている日本と恵まれることの薄い国々やそこに住む子供たちの運命。 その「世界のいのち」にも深い一体感を感じます。
大いなるいのちが響く人の心に
私たちが生かされている陰には多くの「いのち」があります。 私たち一人の「いのち」を超える「大いなるいのち」への目覚めが大事ではないかと考え始めました。
今まで「いのちと出会う会」で話された49名の話題提供者の方々の「いのち」。 その話の中で語られた多くの「いのち」の姿。 そしてそれらを聴かせていただいた参加者という多くの「いのち」。
様々な「いのち」の交響曲が「いのちと出会う会」の中で奏でられてきました。 これからもこの響きを日本中の人々に伝えていきたいと思っています。
またここで死の準備教育や死生観といったものを学ぶうちに、私はますます自分の存在の意味を考えるようになりました。
「妻子を失ったことの意味するものとは?」「私は誰?」「私はどこから来てどこへ行くのか?」「なぜ今ここに生きているのか?」「今この時代、この国に生きている意味は何か?」・・。
そのような問題意識を日本国民の多くが心に持ち行動すれば、この国をすばらしい国に再建できると思い始めました。 またそのような思いを伝えるために「いのちの風」という通信を全国に発信し始めました。 またこの会を発信基地として「国直し」しようと呼びかけています。
妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とあります。
私の活動は妻の代わりに世間に恩返しするものです。 そして2人が後ろから押してくれていたおかげで、ここに到れたと感じ、心から妻子に感謝する次第です。