いのちの風 bS17

5月19日(木)発信 石黒大圓(だいえん

            Eメール ishiguro@a1.hey-say.net

 

今回のテーマ 大忙し/神社の清掃/50回記念集会/神佑

あの世/映画「with…」

 

いつもありがとうございます。 さすがに今週は50回記念会が終わって緊張がほぐれバテました。 前回は商店街の抽選会場の担当で、今回は商店街の会議やイベント係の用事が目白押し。 そのためにまた送信が遅くなりました。 

 

先週は「いのちと出会う会」50回記念会の準備。 今週は5月27日の「せんば花金夜市」への出場者募集兼渉外係を任され「ボランティアで出てくれる人知らないか!」と知人に電話を掛けまくり。 

 

そして北心斎橋の小売の商店街と合同で7月におこなう大イベントの委員会の会合などなど。 また「いのちと出会う会」第51回の映画with…」上映会の準備で忙殺。 

これもぜひ成功させねば、の一念で無我夢中です。 

 

私は数えたら公私で十個以上の仕事を抱えています。 皆、金にはなりません。 また儲けるのはヘタです。 恵まれた境遇にあるので、できる限りの社会奉仕をするのが私の義務と思っています。   

 

頼まれ事は断るな。 守護霊さんが走り回って探して来てくれたもの。 その縁を大切にしろ」という人がいました。 そのために毎日時間が飛んでいます。 

猫の手も借りたいが、うちの猫は役立たずです。

 

関西テレビが我が家に来て妻子の写真や仏壇などを映したいと言っていたのに、JR事故報道で後回しにされ結局は中止。 家の中の整理整頓はまた延び延びに。 

 

あいかわらず野宿者用に買った衣類や送られて来たダンボールの山の中での生活です。 「よその掃除をしている場合か!」と言われそうです。 

男やもめには家事のお助けマンが要ります。 だが再婚するには嫁に食わす金もなし。  

 

日ノ本のつながるいのち掃き清めん

 

15日の日曜日にJR福島駅前で「神州正氣の会」が始まる前に、近くの福島天満宮の清掃を5人でしました。 そしてスーツ姿でオートバイに乗り「應典院の50回記念集会」へ。 

 

今日は晴れ舞台とて、スーツにしたのですが、やはりいつもの作務衣姿の方が良かったのに、と皆に冷やかされました。 

 

福島天満宮には昼前に着きましたが、幼児の初お宮参りの家族が次々来ていました。 心は我が家の2人の子供たちの幼かった頃にタイムスリップしていました。 

 

天満宮では朝早くから掃除は済ませていると言われていましたが、灌木の下は落ち葉だらけで掃除のし甲斐がありました(本当は落ち葉は腐葉土として残していたのだ、と後から言われました。 「世話焼きおよね」の、でしゃばりをしでかしました) 

 

ここの宮司さんは珍しく女性です。 前もって電話で話していたら突然「福島天満宮は皇居や靖国神社にもつながっているとの思いで、清掃奉仕させていただきます」という言葉が出てきて、私自身が私の言葉に感動したのですが、宮司さんも感激されていたようでした。

 

生きられぬ人を生かせる人になりたし

 

50回記念会」のテレビ放映は夜11時45分からと聞いていたのに、大きなニュースが次々入ってしまい延期。 次の日の早朝6時半すぎから関西版のニュースとしてただ1つ無事1分ほど放映されました。 

 

ダメかと半分あきらめていたので幸運でした。 多くの方々に参加いただいて、数々の新聞にも載ってテレビでも放映されて本当に私は幸せ者です。 

 

放映の映像は冒頭、應典院の前景、そして谷先生のクローズアップ、秋田住職や参加者の皆さんの横顔、残念ながら入佐さんは遠景で私と話している姿が小さく映っていただけでした。 

分かち合いの席には「日本笑い学会」の昇幹夫先生の姿、また涙ながらに体験を語っている夫を亡くした遺族女性たちの姿。 

 

そして最後に私がインタビューに対して「大事な人を失って落ち込んでいる人が一緒に話ができる場所があったらいいな、と思って・・」と答えていました。   

 

5グループの輪に別れて、それぞれの参加者が精神的な支えや病や死に向き合う方法を分かち合いました。 私のグループには4人の女性遺族がおられ涙ながらに「どうして生きていけばいいのか」と訴えておられました。 

 

朝日新聞を見て愛媛から来られた方は、娘や母を相次いで失い最初から泣いておられました。 このような行き場のない人々のための駆け込み寺としても、この「いのちと出会う会」が役に立ったらと思いました。 

 

懸命の努力がありて神助あり

 

当日の参加者は50名ほどで、私は應典院本堂ホールのような大きな会場で話をするのは初めてでした。 100人ほどが入れる会場で正面の柱には小さな仏像が浮いたように安置され、荘厳な音楽と雰囲気のなかで行われました。 

 

十分に話しの準備はしたのですが、頭がフリーズして真っ白になるのでは、と不安でした。 話が失敗したら今まで来ていただいた話題提供者や参加者に申し訳ないという思いで一杯でした。 

 

この際何が何でも神仏にでも先祖さんにでもすがらなくては!の思いでした。 前の晩には、以前から仏壇の扉が壊れてはずれ2、3日放置していたのを修理。 

 

「すみません」と言いながら瞬間接着剤で懸命の修繕。 当日は仏壇の前で10分ほど瞑想のような祈りをして、まるで出陣前の気構えでした。  

 

それでもその日の朝に練習しても、しどろもどろになっていました。 メモだらけの原稿を前に、これも話したい、あれも、という思いで頭が混乱して呆然。 

結局当日のプログラムに載った先日の通信の内容にのみ沿って話しを進めてうまく行きました。 

 

能力以上に深望みすると失敗します。 ほどほどの自制が必要です。 またどのようなことも努力があって初めて神仏その人を助くると、東郷さんに学んだ通りでした。

 

我がもとへ愛しき人よ飛んで来い

 

次男のお通夜の晩での霊的体験について、映画ゴースト・ニューヨークの幻を以前、通信bR51で少し触れて書きました。 

 

ノスタルジックな名曲「アンチェインド・メロディ」のテーマ曲が流れる中で展開されるラブ・ファンタジーです。 「oh my love,oh my darling, I've hungered for your touch a long,lonely time.…」 

最愛の恋人を殺された主演女優デビー・ムーア(前回の「DEARフレンド」にも成人した姿で出ていました)。 その彼女・モーリーの危機を何度も守る、死んで霊となったその恋人。 

 

自分が死んでもこの世に見えない姿で生きていることを伝えたいと彼女の周りに出没する。 そしてついに自分を殺した犯人を突き止め復讐を果たす。 

 

インチキ霊媒師に扮する黒人女優ウービー・ゴールドバーグ(映画「天使にラブソング」で有名)の体を中に入って彼女に自分の存在を確認させる。 

そして最期は、あの世から迎えに来た人々に出迎えられて光り輝く世界へ入っていくのです。 

 

霊媒師の体の中に入って彼と対話するシーンは、次男がお通夜の晩に長男の体の中に入って、自分の苦しかった病状を訴えたのに似ていて涙、涙でした。 次男も私の指示に従って一人歩いて、光る世界へ入っていったのでした。 

  

先日「あおぞら」で話をさせていただいた時に出席者の1人で小児病棟に勤めている方が感想として、こんなことを言われました。 

 

「ある子が意識不明で植物人間のようになっていました。 兄弟が七五三の祝いをしたときに、兄弟たちが一緒に手をつないでいたのですが、手が1つだけ多く写真に写っていました。 体は病院にいるのに、彼の魂は七五三の祝いの席へ飛んで行っていたのでしょうね」。 

  

次男もそのような体験をして、長男の夏休みの合宿所へ飛んでいって一緒に寝ていたようです。 

戦時中にも、また患者遺族の話の中にも亡くなった人が枕元に立ったということが多く語り継がれています。  

 

また2人が幼い頃に石黒家としては初めての先祖の大供養をしてもらって帰ってきた時に、長男が部屋に入るなり「白い服着た人が一杯いはる」と叫んだのです。 妻が飛んでいったら誰もいなかった。 

あの世から来て間もない幼い子には、感謝して後を付いてきた先祖の霊の姿が見えるのだ、と話したことでした。 

 

これらは通信bR51に載っています。 以前にお送りしました、私の古い通信を載せてもらっている知人のホームページをご覧下さい。 ない方はお知らせいただいたら送信します。 

 

民話研究家の松谷みよ子さんは「あの世からのことづて」や「異界からのサイン」などの本に、民話の中の霊的語りを集めておられます。 「あの世がある」と語っている話は有史以来ゴマンとあります。 

 

しかし唯物思想の持ち主は「あの世などない」とは証明もできないのに、ただ非科学的だ、「霊など信じられない」と否定します。 また仏教者も「非科学的」の名に恐れおののいて、霊的説法のない唯物主義仏教を拡めているのです。  

 

 

「with…」見て心の底に灯をともす

 

映画「with・・・若き女性美術作家の生涯」上映会』第五51回「いのちと出会う会」12日 

 

阪神淡路大震災で被災し復興する人々の姿をスケッチに描き続けた佐野由美さん。 いのちを見つめる真摯な姿勢は貧困と差別に苦しむネパールへボランティアの美術の教師として向かわせる。 

 

彼女の活動をカメラで追い続けた映画が「with…」です。 人とのふれあいの美しさからいのちの意味を問う感動の名作です。 上映のあと榛葉監督のお話もあり、皆でも語り合います。 

 

第1回上映12時  第2回上映15時半 應典院2階本堂ホール 1300円(前売券・應典院倶楽部会員) 1500円(当日券)

 

佐野由美さんは大阪芸術大学美術学科を首席で卒業。 その前の神戸大震災で長田区の実家は全壊。 「長田のために何かしなければ」とボランティア活動を始める。 

 

苦しい避難生活のなか皆で励ましあい生きる姿を美術学生としてイラスト日記におさめる。 その後ボランティアとしてネパールへ。 そして貧しさの中でも明るく生きる子供たちやその家族と交わり、その姿をスケッチに描く。 

 

そして1年後の帰国直前、自動車事故で永眠。 享年23歳。 遺体安置所の由美さんに取りすがって号泣されているご家族の姿に、17年前の私たちの姿が重なりました。 

 

50回記念集会でお話ししていただいた釜が崎・野宿者生活相談員の入佐明美さんも看護婦として、由美さんと同じようにネパールに行く予定でした。 そしてネパールで医療活動をされていた岩村医師のもとを訪ねました。 

 

そのときに「日本のなかでもネパールのように、今も結核や多くの病や貧困で多くの人が死んでいる街がある。 その釜が崎で働きなさい」といわれて、釜が崎での活動が始まったのです。 

 

当時年間300人もの人々が路上で死んでいた釜が崎での活動は、ネパールでの活動と変わらないほど、たった1人の若い女性にとっては過酷なものでした。 だが既に25年間も特別に誰からの財政的支援もなく高齢の野宿者の支援を続けておられます。 

 

由美さんも生きておられたら「貧しく小さくされた人々」へ何らかの支援を続けられていたことでしょう。 

 

この映画を多くの方々に見ていただいて心の底に小さな灯でもともればと祈るばかりです。 同じネパールに縁のあるお2人が50回、51回と続くのは不思議なめぐり合わせです。 

 

ぜひご来場ください。 上映時間1時間。 映画のあとに皆で語り合う時間を持ちます。 また当日のスタッフを募集中です



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