いのちの風 bS19

6月3日(金)発信 石黒大圓(だいえん

 Eメール ishiguro@a1.hey-say.net

 

今回のテーマ 映画「with・・・」と佐野由美さん/苦しみの意味/つらさの教育/祖先の知恵の伝承

 

いつもありがとうございます。 今週はFAXやメール作戦で大忙しでした。 そのために通信送信が大幅に遅れました。 映画「with・・・」の手伝いをしていただける予定のスタッフの多くが急にキャンセル。 

 

あわてて皆への確認作業をして、代理の方々が来てくれることになり一件落着。 そして今度は来場予約が少なすぎると判明し、上映会の案内を知人500人ほどにメールやFAXを送りまくり。 

 

多くの方々にとりお邪魔虫になったと思います。 花金夜市の出場者にまで送信して、1人来ていただけることになり、なんでも遠慮しててはあかんと思いました。 

 

崖ぷちの中年の底力を見せつけねばと、イノシシ男の猛突進が功を奏すか。 上映の成功を期して、あとは祈るのみ。 ご支援、お願い申し上げます。

 

こころざし人に示して逝きし君

 

6月12日の映画「with・・・」は私の思い入れもあるのでしょうか、手元にありますビデオを再度見ていたら最初から最後まで涙でウルルン。 こんなすばらしい子が今はもう居ないのか、と思うともうダメです。 

 

この震災という大変な事態に対して美術を志す者として何も出来ないという無力さと絶望が彼女を襲ってきた。 しかし地震で全壊になった家から取り出してきたのはスケッチブック1冊だけ。 

 

今この一瞬を私は記録に残そう、と思い直し、動き出す。 呆然とする神戸の人々、そして必死に生きようとする姿、ガレキの中で励ましあう人々の姿。 

 

目には見えない「まちの心」が見えてきた』。 その心をすばらしい筆使いで次々サラサラとスケッチに描きとどめて行ったのです。 それらの秀作と震災日記が彼女の最初の本「路地裏に綴るこえ」に詰まっています。 

 

その中の文章。 『文明の歴史を凝縮した日々―・・・「生きていること」がゼロ地点だった。 たくさんの方が亡くなられた震災時、「生きていること」が幸福の第1条件だった。

 

・・・失ったものは多々あるけれど、私は目に見えない大切なことを一杯得られたと思う。

・・・生きていくうえでの価値観の底辺をしっかりと根づかされたし、私の人生観、社会観を、より深いものにしてくれる原動力になったことだろう』。   

 

『ボランティアで得られたことー・・・様々な生き方をする人達との出逢い。 貴重な場面での体験。 すべてが私の歴史を、より深く掘り下げてくれるであろうチャンスであり、私のこれからの作品をより濃く彩ってくれるための素材だと思う』。 

 

この本は当時神戸でベストセラーになりました。 上映会当日に左記の本と一緒に会場で販売します。 

       

祈りつつ探しあてたる子への愛

 

また彼女のもう1冊の本ネパール滞在日記 パタンの空よりには「私は望んで、ここに来た。 私は、ここで探すものがある」とあります。 太陽が輝く下、子供を空高く抱き上げている絵。 

 

貧困の中で皆があえいでいるネパールでますますこの子たちへの愛が深まっていく。 この辛いことばかりのこの国で生きる力を逆に子供たちからもらっている彼女。 

 

「どうか、どうか、この子たちが

       きれいな心のまま、生きてゆきますように。

この子たちが悪い大人に、

人をだましたりするような

人間になりませんように。

       お金に振りまわされませんように」 と祈る彼女。

 

屋上のベランダから物憂げに空を眺める絵。

「ここ、最貧国であるネパールでは、その日食べることに必死で、

まだ見ぬ将来のため、自己実現のために頑張る人間は少ない。・・・

       強くなりなさい 大きくなりなさい 

そしてやさしくなりなさい

自己実現のための新しい旅立ち。 

それにつきまとう「別れ」という

小さな痛みを乗り越えるために。・・・

誰もが理解されたくて、誰もが愛されたくて

そして、大きくなりたくて優しくなりたくて

国や時代の常識や枠を越えて

人の心は壊れやすくやわらかいもの」

 

由美さんは周りの人を楽しくさせるという不思議な力のある人でした。 由美さんの人なつっこい笑顔のまわりには、いつも人の輪ができていました。 しかし苦しみから一歩抜け出すために彼女が子供たちに最後に語ったであろう言葉。 

 

「やろうとしてできないことなんてないんだ。 未来はいつも自分で創ってゆくもの。 そしてその力は誰にも備わっているものなんだよ」とあのまぶしい笑顔できっと語ったことでしょう。 由美さんは美術を通して、平等で他者をいたわる社会が実現することを心から願いました。 

 

その志を身をもって示した修行僧のような姿はもう今はありません。 日本の若者の多くが彼女の志の後を継ぐような人間に育っていくことを切に望みます。

 

苦しみは授かりしもの感謝する

 

先週のせんば花金夜市では出場者の募集係として進行の役もやり、踊り子としても踊り、緊張の連続でした。 踊りの準備が不足して不安のなかで、たった4人の出場でしたが、皆が立派に踊りこなしました。 

 

引きつる顔を笑顔、笑顔と言い聞かせつつ大胆に踊れました。 踊る前は普通の顔だったのに踊っている間は人が変わったみたいと言われました。 無我夢中の踊り子には霊力が宿るのでしょうか。 

 

特に本番の追い詰められた緊張状況の時には、遺伝子がONになってすばらしい演技ができるとよく言われます。  

 

昔の巫女や雅楽の踊りには見る者の魂を奮い立たせる効果がありました。 私たちが踊りながら鳴らす「鳴子」は、巫女の鈴と同じように魂を振り起して再生させる霊力があると思っています。 

 

私もしんどい仕事をやりこなしてまさに「大圓」になった気がしました。 これこそ守護霊が走り回って探してくれた内的成長のためのお仕事です。 これからも踊りを通して街の魂を奮い起こして行きたいと思いました。

 

このようなつらい緊張のなかで成長する機会を現代の子供たちは遠ざけられています。 それが今の子供たちの悲劇です。 苦しみの中からこそ乗り越える能力が自然に身につくのに、苦しみを味わわせない方に流されています。 

いわく「強制はダメ、子供の人権が大事、子供に自由に選ばせる権利がある、ケガをしたら誰が責任をもつ」。 

 

水の中に放り込まれて水を何度も飲みながら、苦しい思いをしながら水泳が出来るようになるのです。 それをつらい思いはさせるな、強制は人権無視という教育によって、子供の本来もっている能力が発揮できないままにされています。 

つらい思いで水泳のわざを身につけされば、もっとつらい思いが来た時にそれが簡単に泳ぎ切れるのです。 

 

その達成感の喜びが多ければ多いほど、人はもっとつらい試練に立ち向かえるのです。 そのつらさを味合わさせず、乗り越える術を授けられていないから、子供はすこしのつらさで挫折してしまうのです。 それこそ今、世界で評判の「MOTTAINAI」ことです。 

 

現代の多くの若者問題の原因はその教育問題にあると思います。 子供は自然に「人間としての道」を学んでいく、いわば強制的発芽はダメとする進歩的と称する教育。 その放任的、自由主義的教育が最近の子供たちをむしばんでしまったのです。 

 

つらさを大人が子供に味合わせて初めて、それを乗り越えるわざを子供は自分の体験として学んでいくのです。 自然に任せていれば子供は育つという理論は一面の真理を語っているだけです。 

 

大多数への適用は無理です。 子供に最低限の「人間として生きていくうえの術(すべ)」を大人が身につけさせなくてはいけないと思います。 

 

民族の知恵を讃えて民栄ゆ

 

今の若者が世界の若者に比べてひ弱と言われるのは、戦後の平和主義、平等主義で学校内での競争が否定されたからです。 学力での過剰な競争は否定すべきです。 

 

しかし「一緒におててをつないでゴール」など悪平等主義をとる日教組の思考など論外です。 世間に出れば競争社会が待っているのに、彼らは学校内にだけ社会主義的平等社会を作ろうとしたのです。  

 

人権を旗印にして、子供が競争でビリになる姿を見られるのが子供の人権侵害だというのです。 運動会で親と一緒に弁当が食べれない子がいるので弁当は廃止。 食べれない子のために地域やPTAに働きかけるなど、いくらでも救済の方法は考えられるのに。 

 

わずかな例のために全体が犠牲になる貧困な思考しか出てこない。 特殊な例を持ち出して全体をしばり付けたり、糾弾するのがサヨクの常套手段です。 

 

またサヨク日教組は日本の伝統を否定して過去の豊かな知恵を伝承させまいとしています。 彼らの日本の過去否定の歴史観が子供に自信喪失感を与えています。 

 

イギリスのサッチャー首相が就任以来取り組んだのが教育革命でした。 イギリスにもあったサヨク教職員組合と闘って、大英帝国の栄光の歴史を否定する彼らの歴史観を叩き潰しました。 

 

そして祖国の歴史的偉業に誇りを持たせる教育を始めたのです。 その結果が「イギリス病」といわれた経済的、心理的停滞を乗り越える原動力となったのです。 

 

日本も過去の栄光の歴史を子孫に語り継ぐことで、今の沈滞した「日本病」から脱却できるのです。 過去の伝統を否定して人間は将来への希望を持つことはできません。 

 

過去の民族の知恵の伝承が将来の民族の繁栄の元になります。 サヨクは日本の過去の栄光や未来への夢をも破壊して、新しい抑圧社会を作ろうとするので、それらの伝承が邪魔なのです。 

 

カンボジアのポルポト政権がやったことはまさにそれでした。 眼鏡をかけた人間、教師、インテリは全員が殺されました。 過去の民族の栄光を伝える者は容赦なく何百万人も殺害されたのです。    

 

共産主義という新社会を打ち立てるには、過去を知らない無垢な若者しか必要としなかったのです。 そしてその若者が大量虐殺者として利用されて、新しい社会建設者としてほめたたえられたのです。 

 

今も同じような思想にもとづいて人権擁護法案が作られようとしています。 サヨク全体主義者がこの日本を支配して、過去の文化・伝統をほめたたえようとするものを牢獄につなげようとしています。 

外国の反日国家の意思通り動く、日本人を日本中に繁殖させようとしているのです。 

 

人類の過去の歴史を見ても、生き残る上の祖先の知恵の伝達ができる「言葉」を獲得していたのが我々ホモサピエンスだったのです。 だからこそ我々ホモサピエンスは人類の唯一の種として生き残ったのです。 

 

しかし同時代に共存していたネアンデルタール人は「言葉」を持たず、子孫への知恵の伝達が出来ずに滅びた、と言われています。 

 

同じように私たちは日本人としての伝統と文化の知恵を子孫に伝達できなくては、民族として滅んで行くのです。 それを妨害しようとするサヨク陣営と闘うことが、日本の若者問題の解決の1手段であると私は思います。




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