いのちの風 bS22
6月24日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ 家族/佐野由美さん/仕方ない/幸せを感じる心/恵みに感謝/ボランティア
いつもありがとうございます。 映画「with・・・」を見ながら最初から最後まで瞳が濡れぱなしになるのは、まず最初に神戸の震災の映像が出るからです。 あの時の思い出。 私は神戸に支援に行こうとしました。
しかし妻は「余震か何かで、もしものことがあったら、もうこれ以上うちの中で死人が出るのは耐えられない」と反対されて神戸行きを断念しました。 そしてその年の末に妻へのガンの告知。
この年は長男は中学受験の年だった。 神戸からどっと大阪に私学受験生が来て苦戦を強いられた。 教育ママに引っ張られて小学校受験をして入学した年に、次男は亡くなりました。
長男の小学校入学式に間に合うようにと、病院から仮退院した次男。 治療の後遺症で坊主頭でした。 校庭の桜の木の下で私と次男2人で、妻と長男の入学式典が終わるのを待っていた。
その時の次男の寂しそうな姿と晴れやかな妻と次男、そして満開の桜。 忘れられない。
そして中高一貫の学校に入って高校に進学した年に妻が亡くなる。 妻の実家で亡くなった時、家族全員が間に合って最後を看取りました。 妻の手を握りながら長男は何を思ったでしょうか。
人生の節目にいつもつらい思いをする長男の人生もすごいものです。 彼はこれを栄養に成長してくれています。
ここまで書いて振り向くと、ネコの「邦之」(次男の名前を付けた黒白のオス猫)が洗濯機に上に仰向けになって白い腹をみせ、「おなか、なでて」と猫なで声。 それは主人を完全に信頼している証拠らしい。
「よしクー君、100回だけやで」となでてやる。 麻薬のように毎日腹を見せてねだる子。 次男への愛の代償行為か。 妻への代償行為にもメスの黒猫の「佐知子」の腹をなでてやる。
野宿者への支援も代償行為かもしれません。 自己満足かもしれません。 それでもいい。 彼らも癒され、私も癒されている。 人間は弱いもの。 お互いに支えあっている。 それがボランティアの真髄かもしれない。
先日妻の母と話をしていたのですが。 妻の兄が永らくネパールに住んでいました。 跡取り息子の従兄弟がネパールに行ってしまって帰ってこなかったので、迎えに行って、ミイラ取りがミイラになったのでした。
次男が亡くなってから兄と母がネパールへ行って、次男とそっくりの子供僧に出会い、里親になって学費などを仕送りしていました。 その子も大きくなって今は働いているから送金はいいです、と言ってきたそうです。
今、ネパールは国王の暗殺があった後で、混乱が続いていて母は心痛めていました。 私たちもこのようにネパールに縁がありました。 そのために由美さんへの共感はつのる思いです。
目に見えぬ方に全てをゆだねつつ
佐野由美さんはネパールの学校で親しくなったある子供の貧しい家庭を訪ねて「何かお手伝いできることはありませんか」と尋ねました。 後にその子の母はいう「佐野さんはすばらしかった。 あんな人はネパールで会ったことがない。 去ってほしくない人は去っていく。
私の人生はつらいです。 少しの米があれば子供に食べさせて私は空腹のまま寝る。 神様がそうさせているから仕方ない。 でも私は子供の未来を作って行きます」と。
由美さんが小旅行で行った村々で多くの人々の似顔絵を描いてあげている。 ある若者は問われた。 「人生は楽しい?」かと。 「どこにも貧しさはある。 ここで生まれたから仕方ない」 「仕方ない」という言葉は人生へのあきらめだろうか。
ある人は「神や宗教は苦しさを麻痺させ、あきらめさせるためのアヘンだ」という。 またある人は「そのような状況を作り出している体制に反逆せよ」という。
この世の苦しみの原因を他に転嫁して憎悪に変えるより、何とかこの苦しみを「苦」としない生き方を模索する方が人間的ではないかと思う。 それが宗教の存在理由と思う。 差別、人権との闘いは宗教には似合わない。
「どうしてこの世は不平等なのか」と問う由美さん。 生存中にネパールで個展が開かれ、没後に神戸で開かれた個展では、物売りの少女たちの絵の中に新しく発見された「書き込み」が示されました。 「学びたい。 でも生きていかなくては・・・」「どこに本当の人生はあるの?」「いつか光は届くのかしら?」
貧しさに苦しむ人々に寄り添いながらも、自分の美術教師としての経験からこう呟く彼女。 「精神的なしんどさを抱えないと、経験にならない。 真実のことが見つからない。」 この世の不条理への怒りがある一方で、苦しみは決して人間にとり苦しみだけで終わるのではないということも、彼女は理解していたのではないでしょうか。
「幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じる心を手に入れるんだ」という言葉はそれを伝えています。
苦しみとつらさの中で道に目覚める
由美さんは2ヶ月でネパール語をマスターして、言うことを聞かない子供たちを相手に怒鳴る、頭をなぐるの熱血教師ぶり。 そして教室で腰をくねらせ腕をねじりまわして踊るひょうきんな人。
大笑いの教室の子供たち。
「日に日に深く広く濃くなってゆく生徒達を好きだと思う気持ち、この気持ちがいろいろなつらさを超える力になっている。」 生きる力をもらっているのは逆境に生きる子供たちより由美さんの方でした。
また仕事のないネパールで大きくなったら仕事を手にできるようにと、紙切り細工を教える「人生の教師」と由美さんはなった。 由美さんが教えた「紙切り絵作り」の伝統は今もネパールの教室で受け継がれている。
彼女の作品が一人歩きして波紋を広げている。 彼女の作品だけでなく、自分が残した手工芸の技術がネパールの子供たちに受け継がれている。 美術が世の中でどういう役割ができるのか、という問いを由美さんは震災の時からもっていたのです。
その美術が子供の生活の糧、心の糧になってほしい。 私にはそれを伝える使命がある。 その祈りともいえる願いが、ネパールの子供たちの心に火となって燃え広がっているのです。
ボランティアも美術も相手の心にどれだけ、とけ込めるかが問題。 彼女は美術という彼女の天性の素質をフルに使って、人の心にとけ込んでいったのです。
ネパール行きの飛行機の中で乗客相手に似顔絵を書いて親交を深め、街の中、小旅行中も行く先々で人を描いていた。 数本のペンと筆を手に、そして口にくわえてさらさらと数分で描いていく。 ネパールではますます人物画が増えていました。
のちに美術の師は「人間の本質にふれ始めたのだ」と言っていました。 美術がいかに人の心をなごやかにさせる生命力をもつか、を知ったのでしょう。 人間の「いのち」の姿を描くことが美術の使命と感じたのでしょうか。
小旅行中に出会った低いカーストのタール族。 インドから移住してきてネパールの密林を開拓して自分たちの土地を守り続け生きてきた部族。 夜の満月の下で満面の笑みを浮かべて、女性たちが土をけって円を描きながら踊る彼女のスケッチ。
「神よ、私たちの土地を奪わないで下さい」と祈り、歌い、踊る。 台地を揺るがす民族のエネルギーの力強さを彼女は感じた。 今この日本で「この日本の土地を奪わないで下さい」と祈る人はいるでしょうか。 この土地は自分が生まれた時から当たり前のように存在する。
「この土地、国土、国家からの恵み」に感謝する人はどれだけいるだろうか。 近隣地域からの脅威に常にさらされているタール族は、この土地が自分のものであり続けていることに神へ感謝の祈りを捧げている。
貧しさの中にあっても自然や土地、神からの恵みに感謝する心。 何でも当たり前で、タダで与えられていると思っている傲慢な私たち豊かな日本国民より、よっぽど精神的にまさっていると思うのです。
1本のペン、1枚の絵、1つの言葉が人々の心を動かす可能性のあることを私たちに伝えてくれた由美さん。 皆がそう思い動くことで世界が少しだけ変わるかもしれないと信じて働き続けた由美さん。
一度は震災で全てを失った佐野家。 しかし由美さんはかえてそこから自分の生きる道を見つけました。 世界の皆が「安らかに眠れる夜を迎えるために」という彼女の願いを胸に、私たちも自分の生きる道を求めて行きたいと思います。
別れのつらさを悲しむより、彼女に出会えたことを喜びたいと思います。 佐野さんは私たちの中に永遠に生きているのですから。
先日の「聖フランシスコの祈り」の声がインドのカルカッタの街に朝を告げます。 この祈りの冒頭にマザーテレサはこのような言葉を入れています。
『平和の祈り
主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ
世界中の同胞のために働く私たちを
そのことにふさわしい者にしてください
私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を・・・』
世界には4000人の長期滞在の日本人ボランティアがいます。 その誰もが世界を支えています。 由美さんは亡くなっても人々に心の中に生き、世界の同胞のために今も働いておられます。