いのちの風 bS25
7月12日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ タイのエイズ患者の映画/ロンドンでの豚のテロ/GHQ史観からの脱却
いつもありがとうございます。 先日映画「
Yesterday Today Tomorrow /昨日 今日
そして明日へ」を見ました。 この映画はタイのエイズ患者2家族の終末期の姿を描くことで人生の意味と家族の絆を問いかけています。
死を見つめ今を喜び感謝する
妻とボーイという男の子2人ともがエイズに侵された夫は、いつか来る別れの日がいつも脳裏をかすめる。 2人が死ねば父親は全財産を処分してタイを離れる覚悟をしている。 タイの郊外で農園を営み、椰子の実や果物を道路際で家族と一緒に売る生活。 子供とキャッキャ、キャッキャと水鉄砲や自転車乗りで遊ぶ毎日。 2人との最後の日々をかみ締めるように過ごしている。 しかし痛みが襲ってきてボーイは病院へ。 病が進行するにつれて彼は苦しさを訴える。
父はボーイに「いつかお前は死ぬんだ、お父さんもお母さんもいつか死ぬ」と告白し諭している。 やせ衰えたボーイのそばであんなに美人の母親も病状が進行してやせ衰え、髪も抜けて見る影もない。 2人の看護を1人で懸命にする父親。 しかし2人との最後の時間を家で過ごそうと決断して、2人を病院から出す父親。 自宅の軒下で椅子に座りながら3人は家畜や農園の処分のことで楽しく話しをしている。 それは自分たちが死んだ後に行われることなのに。
雨上がりのニワトリが歩く園庭を3人は見つめながら何を心に思っていたのか。 終末期を自宅で過ごせるこの幸せ、そしてやってくる最愛の家族の死。 去る者も残る者もどんなにか、つらい思いをかみしめていたことか。 この時が永遠に続いていてほしい。 そして暗幕が出る。 いつもその後がいつも恐ろしい。 次は何が出るのか。 そしてボーイの墓。 わかっていても涙は止まらない。
もう1つの家族はアンナとポムの夫婦。 お互いに伴侶をエイズで失い、2人もエイズに侵されている。 普通の夫婦ならこのままいつまでも同じ生活が続くと思っている。 それが当たり前と思う。 そう遠くない未来にどちらかがこの世からいなくなるとは考えたくもない。 しかしこの2人には確実に死がやってくる。 その思いがいつも付きまとっている。
だからこそ2人はもうすぐ離れ離れになると思えば思うほどお互いを愛しく思う。 離れたくない。 いつも一緒にいたい。 その思いが2人の絆を深くしている。 画面には出ないが、眠れぬ夜を何度くぐり抜けたことか。 何度心の中で「助けて」と叫んだことか。 しかしかえって苦しみのただ中を歩み、死を見つめ続けることで、2人の間には今を生きる喜び、切なさが輝きを放ち始めている。
連れ子はいるが、2人の間の子供がほしい。 しかし2人がエイズに感染している以上、生まれてくる子供にまでエイズにさせるわけにはいかない。 ふたりの忘れ形見をこの世に残したい。 それが叶わぬつらさ。 この世に自分の分身が残せない。 自分がこの世に生きた証がほしい。 このまま何も残さずにこの世を去ることの寂しさ。 2人の悲しみが伝わってくる。
穂のついたわらを叩いて穂を取る野良仕事。 魚を取り夫婦で手分けして車やオートバイで近隣に売りにも行く。 近くの人が「体元気?」と妻に声を掛けてくれている。 エイズであることを知っている。 差別の意識がない。 エイズが蔓延しているタイにはエイズはお互いさまという思いやりの気持ちがあるのだろうか。 地域の暖かいふれ合いが残っている。 差別があれば彼らは生きてはいけない。
タイではエイズ患者に対して無料で診療や薬の配布があるようだ。 そしてエイズ患者に対する集団のカウンセリングが行われる。 お寺だろうか、座敷の間の仏像の前で線香をあげて皆で話し合いが行われる。 心がやすらぐ時間だ。 仏様の前だからこそ心を開いて語り合える。 これが公民館ならここまで安らいだ気持ちにはならないだろう。 宗教がもつ包容力というものだろうか。
タイ人の宗教性がエイズに対しても見られると思った。 死を受け入れて生きる姿勢。 死を単に敗北とは見ない。 死は確かに恐ろしい、しかし理不尽な死への強い拒否反応が感じられない。 次の世界があるという死生観が人々を救っていると感じた。 「希望と持って行きよう」という内容の曲をポムがギターを弾き皆が歌う。 そして皆でサッカー。 この瞬間を大事に生きようというかのように歓声が響く。
食用カエルを飼い、木の実を集め、農作業をし、池で子供と水泳をし・・自然の中で素朴に生きる二人。いつの日か死が静かに忍び寄ってくる。 夕焼けの空を見上げながら、二人は残されていく子供のために将来を語る。 「牛を飼おう、畑を広げよう、私たちがいなくなっても子供が困らないように」 死に向き合いながらも、今生きていることに感謝して仕事ができる喜びをかみしめている。 その姿は死の恐怖を味わってなおかつ、心の平安を勝ち得た人だけが持っている静かな魂の輝きを放っている。
左巻き子供殺して何が正義か
次はがらっと変わって、以下はmixiの中で「ロンドンでのテロ」について書かれた意見に対して書き込みを入れたものです。題して『豚のテロ』
『9・11テロがアメリカの世論を沸騰させた。 ベトナムの後遺症をまだ引きずっているのに、戦争優先のブッシュの再選させたのはアメリカの民意。 ブッシュを非難しても始まらない。 アメリカの選挙民がアホなのだ、というべき。 左巻き(今後私は、これをサヨクの代わりに使います)はすぐに政府が悪いといい、人民は被害者と言いたてる。
9・11は日本の真珠湾攻撃に似る。 戦争なんか金輪際したくなかったアメリカ国民を怒りで沸騰させた。 日本の学徒出陣が悲劇と報道されるが、アメリカでは真っ先に学生が兵士志願に殺到して戦場に赴いた。 それほどのインパクトを与えた誰も予想しえない戦争形態だった。 神風もそう。 しかしイスラムは神風を知っていてマネしたかもしれないが、自国の女子供まで殺すような自爆テロは神風とまったく魂が異なる。
無差別殺人は戦争でも行われるが、あくまで軍隊同士の戦い。 最初から一般人を殺す目的はない。 自爆テロは最初から女子供のいのちなど眼中にない無慈悲な行為。 彼らに情け容赦は無用。 1対1の拳銃の対決はいいが、後ろから撃つのは卑怯という常識を覆す行為。
織田信長が足軽の鉄砲隊で武田の「やーやー我こそは!」と言っていた騎馬武士隊を叩きのめした。 これは戦国の9・11だろう。 勝つためには情け容赦はいらない、ルールもいらない。 信長は日本中の嫌われ者だったのではないか。 石山本願寺や比叡山で大虐殺を行なった。 神をも恐れぬ極悪非道の人間。 テロリストも同じ。 神を錦の御旗にしているが、本来は地獄の使者。 持ち上げるのは狂気の沙汰と思う。 原爆を作って敵国を不安に陥れて、支配下に入れようとした冷戦時代の思考と同じ。
貧者の原爆がテロ。 決して貧しい者は幸いなれ、正義は彼らにあり、とは認めてはならぬ。 貧しいプロレタリアートが理想の共産主義国家を作ると言っときながら、出来上がったのは恐怖政治の収容所国家だった。 非力な動物が農園主を追い出して作った動物農園で起こったことは、豚の専制恐怖体制だった。 このジョージ・オーウェルが書いた「動物農園」と同じことが行われたのが、レーニン・スターリンが豚となって2000万人も大粛清するソ連共産主義国家だった。 貧しい者に神が見方するなどという幻想を持ってはいけない
貧しい者の立場という正義感を政治に利用してはいけない。 ただ貧しい者と同じように貧しく生きる生活をすることで連帯すべき。 テロで愛しい人を亡くした人に寄り添うこと、同じように「苦」の世界で生きる人々に手を差し伸べることでこの悲劇から学ぶことしか出来ない。 これを政治的に利用して米英を非難することからは何の創造も生まないと思います』
松陰が言いし神国今はどこ
次は神州正氣の會の昨年11月の講演要旨です。
「GHQ史観からの脱却―占領は解放ではなかった」 文明批評家 中島英迪先生
『戦後のアメリカ占領軍は解放軍であったのか。 否。 憲法改正、東京裁判、教育勅語や修身教育の廃止などの精神的武装解除を強制し日本国家を根底から解体してしまった。 武装解除とともに政治的改革が行なわれたが、本来、占領軍にその権限はない。 現憲法も臨時占領管理法といえるもので違法なものである。 また刑務所につながれていた共産主義者の解放によって、共産主義思想家が抱いていた暗い思想が教育・マスコミを支配して戦後の反日歴史観となってしまった。
また戦争贖罪宣伝計画によって「悪の国家・軍国日本、国民はだまされていた」という思想を国民に植え付けた。 教科書を書き換えさせ、言論を検閲し、新聞やラジオ、映画などによって国民を洗脳した。 真実は戦争をやったのは日本国民全体なのにこれを被害者扱いし、戦前の日本国家だけを加害者にした。
GHQが押し付けた史観で天皇制ファシズムなどという思想は幻想であり、議会制民主主義が機能していた。 また大東亜戦争はアジア解放のためであり侵略ではなく、戦時体制化の国家を軍国主義というのは偽りである。
共産主義の脅威があり、また世界恐慌を乗り越えるため国家総動員の総力戦で戦わなくてはいけなかった。 またブロック経済で世界から包囲されていたことなど、国際環境の激変の影響をGHQ史観は無視している。 また「現人神」や「八紘一宇」、「国家神道」という言葉も戦時中に学者や宗教家が作った言葉であり明治以来の思想ではない。
治安維持法は共産主義を阻止するために作られ、普通選挙法とセットで国会を通過した。 当時ソ連が成立し共産主義に治安を乱されてはならないようにこの法は制定された。 自由主義者の河合栄次郎は「戦後日本はマルクス主義の前に絶望的であり、これに日本思想では太刀打ちできない」と嘆いていた。
戦後日本の知識エリートの大半はマルクス主義に傾き、戦前も治安維持法がなければ日本は完全に共産主義に乗っ取られていた。 共産主義はロシア革命以来、1億人を殺害している。 そのような体制に日本がならなかったことは日本にとっては幸いであった。 治安維持法では死刑はなく、これによって日本は守られた。 日本の特高は紳士的であり、外国なら数十万人が殺されていた。
命がけの時には日本の潜在意識(天皇中心意識)が出てくる。 吉田松陰が言っていたように日本は神聖国家・神の国であり、神勅の精神のない現日本はGHQの負の遺産を継いでいる。 今の日本は天皇絶対無私の存在から切り離された国家形態に貶められている』