いのちの風 bS87
11月10日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
【私の新しいEメールアドレス】 gytkm947@ybb.ne.jp
「いのちの風」縁の花・支縁サイト (bS85までのバックナンバー掲載)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 母の命日/人は死なない/風のなかの愛/福の神/神仏の恩寵/光輝く釜が崎
いつもありがとうございます。 寒くなりましたね。 連休の間、皆さんいかがお過ごしでしたか。 私は炊き出しのメンバー3人と高松へバス旅行。 久しぶりの旅行でした。 大阪駅前や釜が崎での炊き出しなど社会活動を支えておられた被昇天修道会のスペイン人シスター・エンシーナさん。 彼女が高松へ2年半前に異動させられて寂しがっている、というので会いに行きました。 このことはまた書きます。
『逆境こそチャンス』 第64回「いのちと出会う会」
11月16日木 18時半 1000円 應典院6771-7641
会社の連鎖倒産、ヤクザとの死闘、37歳で定時制高校、タクシードライバー、夫のガン死、本人も難病闘病中、しかし「イエス様ハレルヤ! ガハハ!」と笑い飛ばす元気一杯のおばちゃんクリスチャンです。 森フキ子さん(一人暮らし老人会会長)
今年最後の例会ですの、ぜひご参加ください。
應典院・ホームページ http://www.outenin.com
命日に 亡き人々は よみがえる
先日の11月2日は母の5回目の命日でした。 母は軽いクモ膜下出血で頭痛と体調不良が続いていました。 脳外科病院で相談の結果、次回出血が起こったら生命の危険があると言われました。 それで緊急に開頭手術を行い、結局、体力がもたなかったのか、不幸にも集中治療室で死なせてしまいました。
「手術へ行きたくない」と言っていたのに、無理やり行かせたのが心残りでした。 直感が鋭かったので危険を感じていたのでしょう。 手術が終わるのを待っている間、父と妹2人とで祈り続けていました。 今もその時の私たちの姿がありありと感じられます。 結局、深夜まで病院にいた妹の連絡で飛んで行ったら、すでに亡くなっていたのでした。
この母が危機的状況のときに、よりによって私は「大阪メチャハピー祭」にかかりっきりになっていました。 次男が私に多くのことを残してくれていました。 大阪メチャハピー祭もその一つでした。 次男の分まで大阪の子供たちが元気に夢と希望をもって生きてほしいという一途な気持ちで、踊り祭の立上げに協力していたのでした。そしてこの時点で、3年前に立ち上がった「大阪メチャハピー祭」の当日の会場警備の総責任者の役についていたのでした。
会場の京橋・大阪ビジネスパークで行なう、踊り子隊たちのパレート用の道路の使用許可をもらいに、警察へたびたび出かけました。 南港の大阪市建設局へも道路使用許可をもらいにたびたび行きました。 また会場ボランティアの手配や配置の段取り。 会場のツインタワーの使用許可と場所の確認と点検。
踊り祭のテーマとなる子供たちへのメッセージ文を考案して、それの作製と、それを書く横断幕の準備。 当日の五千人もの踊り子連たちの移動経路の確認。 関係者の車の駐車場。 「踊り祭につき車の進入禁止」などの立て看板の準備と設置、などなど。
経験した事のないことばかりで、急を要するものばかり。 葬式のお通夜の日の昼にも消防局へ消防設備確認の許可書をもらいに行くほど、時間との勝負でした。 お通夜には私の踊り子隊のメンバーたちや踊り祭の関係者もたくさん来ていただきました。 結局は最悪の結果として、母の葬式と踊り祭の当日が重なってしまったのです。
葬式での喪主としての挨拶では、人は死んでも消えてなくなるのではなく、見えない魂となって、遺族を見守ってくれている、という私の信念を語りました。 次男と妻を亡くして、そのような信念が私を支えてくれているようになっていたのです 人の死による悲しみは半減していました。 死んだら終わりではない、いつかまた会えるという希望が、常に私のなかにはあるのです。
風に見て 声に感じて 愛はあり
先週聞いた山元加津子さんの講演で語られた 「大ちゃんの詩」。 そこには「千の風」とまったく同じように、「人は死んでもいつもそばにいるよ」といったメッセージが語られていました。 驚きました。 知的障害を持っていて何の知識ももたないと思われているような子供が、そのような宇宙の真理を語っているのです。 障害をもつ人の魂ほど、神仏と隣り合わせに生きているのではないか、と思いました。
山元加津子さん(
山元加津子さんの話「みんな大好き」・・・「大ちゃんの詩」ほか
http://tekipaki.jp/~gon/park/fram/F020713.htm
葬式が終わってからすぐに、踊り祭会場へ飛んで行きました。 そして祭りの最終場面で踊りのステージ台に登って、お詫びの言葉を述べさせていただきました。
母を亡くした悲しみは、何ものにも代えがたい苦しみですが、真理を知ればそれを乗り越えることができる。 それをすでに亡くしてしまった2人に教えられたのです。 死んだ者は決して無駄に死にはしない。 残された者たちへ何ものにも代えがたい宝物を残して、天上へ旅立つのです。
母の死後、半年もしないうちに父が風呂の中で亡くなっているのを、朝、私が発見しました。 昔から家じゅうがゴミ御殿になって埋もれていて、母や家族から嫌われていた父でした。 しかし亡くなってから不審死の調査で警察の警部がやってきて言うことに、「お父さんは皆に愛されていたのですね」と。 愛しているが故に、ゴミ御殿を父の言いなりに、そのままに私たちはしてあげていたのです。 そう、警部は言いたかったのでしょう。
誰にも愛されていないと思っていても、なんらかの形で愛はこの世に存在するのです。 何気ない言葉、何気ない挨拶、人からの微笑み、外から聞こえる子供たちのはしゃぐ声、明るい太陽、そよ吹く風・・・そうでないと人は、明日にでも自殺してしまいます。 その愛を示すために多くの方々の代理として、私たちは毎週、炊き出しや寝袋配りへ出かけるのです。
福の神 汚れし人を 祝福す
今はご縁がありませんが、昔、小林正観さんの講演で教えていただいたのは、家が新築されると多くの神さんたちがその家へ場所取りにどやどやとやってくる。 ある神さんは居間、ある神さんは応接間、ある神さんは台所・・・という風にその場所に鎮座まします。 しかし福の神さんは一番遅くやってくる。
なんせ福の神さんは大黒さんのように大きな重い福袋をさげているので動きが遅い。 他の神さんたちが家のなか全部を占拠していて、最後に残っていたのが便所。 そんなわけで福の神さんはいつも便所に鎮座ましますのです。
小林正観さん
この考え方はいかにもアニミズム的な日本人らしい。 そして一番汚いものに一番価値を見出す。 「下座の行」の思想の根底にあるのは、このような人の嫌がるようなことをやることこそ、神仏の思いの近くにいるという感覚なのでしょう。 「みのるほど こうべをたれる稲穂かな」という句も別の言い方の同じような表現なのでしょう。 神仏はそのようにへりくだった心の持ち主を愛される。
便所掃除も台所仕事も皆が嫌がる3Kの、きつい、汚い、つらい、冷たい仕事です。 しかしそこにこそ価値を見出す。 そのようなつらい仕事によって魂が磨かれ、その結果として神仏の恩寵が授けられる。 それが美人であり幸せ、福となって現れてくる。 焼け野原の日本再建の底辺で、人に無視されながらも黙々と働いてこられた建設労働者たち。 肉体が衰え仕事もなくなり野宿しながら生きながらえているホームレスたち。 彼らは今世ではダメでも、次の世界では幸せな人生が待ってくれていると思うのです。
夜、路上で寝ている彼らのそばには常に神仏がついておられる。 慈悲のまなこで見つめておられる。 「なんでこんな目にあわされるんや!」と叫ぶ人々を涙を流しながら見つめておられると信じています。 彼らの幸せな来世を神仏は保証してくれているはずです。 この世で地獄を経験したものは来世では天国が保証されている。 神仏は公平です。 しかしそのようなことは現代の僧侶は言わない。 人権が大事だとばかり、この世での幸せばかりを主張する現世主義者と成り果てている。
慈愛の眼 降り注がれる 地獄の世
マルクス経済学の労働価値説では説明できない、労働というものが人間の精神にとっていかに価値あるものかということを日本人は昔から知っていました。 日教組の「教師は労働者だ」という考え方は、日本人でない人間のいうセリフです。 そして「台所仕事や便所掃除を人権無視の3K労働だ」とするフェミニストやサヨクの主張も日本人にはなじまない。
最後に美人の神様が便所にいるという話の続き。 私の考えでは、美人の神さん、ついつい化粧に忙しく、美しき自らの姿にしばしうっとりしていて出発が遅れ、美人の神さんにもトイレしか残っていなかったのでは!? チャンチャン、お後がよろしいようで。
釜が崎のある環状線の新今宮駅近くに来るとめまいを起す人がいると以前に聞いた事があります。 あのような波動の低い、体に害を及ぼすところには行かない方がいいと言う先生がいました。 しかし私は前にも日記に書きましたが、心の目で見たら釜が崎は神仏の光で輝いているのではないか。 天上から地獄に神仏の光が降り注いでいるのです。
イエスは人からさげすまされた人々のところへ来て宣教された。 弟子も多くはさげすまされた職業の漁師でした。 神仏はそのようなつらい思いでいる人が可愛くてたまらないのです。 可愛い子には旅をさせよ、です。 能力ある子供には苦しみを与えて鍛えて、立派な魂にしたいのです。
進化した魂だからこそ普通の人にはできない、つらい苦しみを乗り越えられる力を神仏から授けられている。 現世での地獄を乗り越えて来世での天国を待ち望みましょう。 その思いは野宿のオッチャンたちにも感じています。 だから可哀想だけの気持ちではないのです。 尊敬すべき進化した魂の持ち主だと敬意を感じています。
(完)
リンクのホームページ
@ 「いのちの風」通信 (大阪駅前炊き出しや清掃の写真、そして踊りの動画など掲載)
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
B 應典院HP「いのちと出会う会」
http://www.outenin.com/inochi/index.html
C 大阪メチャハピー祭
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
D せんば花金夜市(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。虎のぬいぐるみも私です)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html