いのちの風 bT34
平成20年3月12日(水)発信
今回のテーマ いのちと出会う会/映画「1/4の奇跡」上映会/今野華都子さん講演
いつもありがとうございます。 前回に寝袋カンパをお願いさせていただいて、多く方から浄財をいただきました。 MIXIでも支援をお願いしましたら外国からも数人の方からカンパが届きました。(直接でなく国内の知人経由も含めて)
そしてある知人が彼の参加したある勉強会で募金を呼びかけ、6、9万円も送ってくれました。 本当にありがたいことです。 寒さがゆるむまで、今年は最後まで寝袋を配り続けます。
皆様ありがとうございました。 最終的な収支金額は4月になってからお知らせいたします。
『幸せは2度と来ないと思っていた』
第75回 「いのちと出会う会」3月20日(木・祝)
まるで天使のような小6年生の一人娘を白血病で失って、苦しくて、苦しくて、家族みんながどん底でもがいていた。お嬢さんが命をかけて教えてくれた、大切なこと、生きるとは、愛とはいったい何なのか。人の痛みがわかるためにはその痛みが必要でした。今は彼女に「ありがとう」と祈る日々を語っていただきます。
高下裕子さん 姫路ひまわりの会(遺族会)会員 十八時半 千円 應典院6771-7641
應典院・ホームページ
いのちと出会う会
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html
『映画「1/4の奇跡〜本当のことだから」上映会&入江監督講演』
第76回「いのちと出会う会」特別編 4月29日祝・火
應典院本堂ホール
1500円
定員100人
@13時 映画上映(100分)
A15時 入江富美子監督講演(16時終了)
第一部で元養護学校教師、山元加津子さんと子供たちとの心温まるふれあいを描いたドキュメンタリー映画上映。二部は入江監督による「いのち」に触れた講演。この映画は、見るものすべてに感動を与え、全国で自主上映会の輪が広がり、すでに百ヶ所、一万人以上が鑑賞されるという記録的ヒットを達成。
障害がある人、ない人も、すべて理由があって生まれてきている。みんなそのままで素晴らしいんだ。まるごとの自分のこと大好きでいいんだよ、と魂を揺さぶられる感動いっぱいのひとときです。
ぜひお越しください。
『映画「1/4の奇跡〜本当のことだから」上映会&入江監督講演』
http://uemachi.cotocoto.jp/event/3008
「1/4の奇跡〜本当のことだから」公式ホームページ
苦しみを喜んで享受する
先日、倫理法人会で今野華都子先生の講演を聞きました。「わかる、わかる、同じ気持ちや! 頭ではわかる、しかしそれを実行されている、すごい人や!」と思いました。
今野華都子先生は宮城県出身。 タラサ志摩ホテル&リゾート取締役社長。
「ついてる魔法の言葉」でおなじみの五日市剛さんが認めた日本のマザーテレサ。 毎年赤字のホテルを「従業員感動」「お客さま感動」「業績感動」で黒字転換中。
自身はエステティシャンとしても,第1回LPGンターナショナルコンテストL6(フェイシャル部門)において日本最優秀賞を受賞し2004年12月フランスで審査の結果、世界110ヶ国の中で最優秀グランプリ(世界1位)を受賞したフェイシャルの世界第一人者。 全国の経営者を対象に技術も経営もすべては人創りからとの理念を伝え続けている。 著書「運命を変える言葉」致知出版など。
今野華都子先生は虚弱体質で生まれ、ガンなどの病気の連続。 5歳の時から、この時代に、女として、この親の元に、何故生まれてきたのかの意味を考えられていた早熟なお嬢さんでした。病弱なこの娘のために両親が精一杯かかわってくれていることに感謝して、「我がままは言わないことだ」と幼い頃から決心されていた。
19歳の時に手術が失敗して死ぬかもしれない目に会った時には、「人生から逃れられない、その苦しみを喜んで享受すべきだ、すべて感謝だ」と悟られた。
「人のお役に立ちたい」と山奥の貧しい酪農家に嫁がれて、最初の子供が流産となって実家に帰ってこられた次の日に、父上が事故で亡くなられた。 「命は突然逝く、いつまでも生きていられる保障などない、精一杯生きていく」と思い知らされた。
先生は見たものが読んだものがすべて記憶されるという特殊な能力をもっておられた。 授かった息子さんも同じ能力をもっていた。 しかし娘さんにはそれがなく、どうしてわからないのか、理解不能だった。
しかし娘さんは兄より成績がよかった。 彼女は努力して時間をかけておぼえて、忘れなかったからです。 「人はたとえわが子でも『わからない』が前提。 自分の物差しは通用しない」という人間についての、のちの経営者としての学びを、子育ての中で学ばれた。
貧しい中で学校へ2人を行かそうと、無謀にも起業しようと仙台で事務所を構えた。 そして「マツゲ・パーマ」をしようと決心。 それがエステ業界への出発点だった。 主婦として料理のなかで学んだ知恵でエステの真髄がわかっていた。「今、自分がやっているものを一生懸命やっていたら道が開かれていく」
しかし運営資金がない。 紙に宣伝文句を書いて仙台のデパート前で「『マツゲ・パーマ3500円』ですが、いかがですか」とニコニコして道行く人にセールスしてまわった。 このすごい度胸も必死だったから生まれた。 そしてお客さんに満足してもらって、顧客満足とお客様の口コミ宣伝もあって、お客様を芋づる式にどんどん獲得できた。
志がその人の血となり肉となる
店で初めて雇った子が無愛想な子だった。 箸にも棒にもかからない子だった。 客から苦情が出た。 しかし「あの子はほかのどこで勤まりますか? 働く所がないなら一緒に育てて下さいませんか?」と客に頼んだ。 一つでも悪いクセが直ったらほめてあげた。 苦情を言った客にその子を担当させて、だんだんうまく成長させていただけた。
誰でも20歳くらいまでは、親や同級生などの生活環境は選べない。 北向きの斜面に生まれる人もいる。
その子も相手を傷つけまいとして心を閉ざしていた。 それを悪いとは言えない。 むしろ、その子によくぞ生まれてきてくれたと言いたい。
目の前の人が社会である。 仕事を通してその人に、社会に喜んでいただくことが幸せに通ずる。 仕事の場で自分を高め、眠っている能力に光を当てるのです。生まれてきてよかったと思える仕事をしてもらう。
私の家にはテレビがない。 見る時間がないからです。 車もない。 これを維持する費用で一人が雇えるからです。 電子レンジもない。 蒸し器でいいのです。 そして洗濯機がない。 最初に手にした店は狭くて洗濯機を置けなかった。 手に豆をつくってエステのタオルなどを絞った。
豊かになると1ミリづつ自分が変わっていくのがわかる。 夜に手で洗濯をしながら、その自分の姿を日々確認しているのです。
店で2番目に雇った子は性格は良いが仕事ができない。 最初の子とはまったく逆だった。 二人はお互いにアラが見えて仲が悪かった。 しかしA子にはB子がA子のことをほめていると教え、B子にはA子がB子がほめていることを伝えた。 そしてお互いが相手をほめだした。
一つに自信をもつとすべてに自信を持ち始める。 その子たちは先生のお嬢さんですか、と言われるほどに成長してくれた。 彼女たちには「これをやったらご両親は喜ぶと思いますか、悲しむと思いますか」と常に問いかけた。抽象的なものでなく、心の中にそのような具体的な判断基準を持たせることが大事です。
私たちは同じ時代にたまたま生まれました。 私たちが作った時代に私たちは責任がある。 時代を改めるのは私の責任。ホテルの責任者には自分の成績を考えて教えるな、人としてどうなってほしいかと伝えなさいと言っている。今では「今野さんならどうするかと判断します」と言ってもらえるようになりました。
クラーク先生が北海道で「ボーイズ、ビ、アンビシャス」と言って学生たちに大いなる覚醒を与えたのは、たった8ヶ月の滞在期間だった。 吉田松陰がわずか29歳で処刑されて亡くなるまで松下村塾で教えて、明治維新の志の炎を若者の心に植えつけたのは、たった1、2年の間のことだった。
この世をすばらしいものにしたいという思いや志を、相手に伝え、それがその人の血となり肉となる。 それを人に伝えるのが私の経営です。
(完)
(縁の花情報)