いのちの風 bT41 

平成20年5月27日(火)発信 石黒大圓(だいえん

 

今回のテーマ ミャンマー支援街頭募金/アジアへの恩返し/貧民救済は日本の伝統

 

いつもありがとうございます。 沖縄では梅雨入りしたようで、大阪ではこのところ雨が多く、肌寒くなったり夏のように暑くなったりしています。 皆様いかがお過ごしでしょうか。 

 

  6月16日に第78回「いのちと出会う会」があります。 先日の南正文先生の講演会では皆さんがミャンマー支援募金に協力してくださり感激でした。 南先生も講師料をそっくり募金してくださいました。感謝にたえません。

 

日本の自殺者が毎年3万人、異常な状況です。 日本人のメンタリティーが変わったのでしょうか、それとも不況が原因なのでしょうか。 

死なないでください 6月16日 18時半

死にたくなる気持ちに自殺防止センターのボランティアは年中無休でじっと耳を傾けています。自死遺族の会もあります。死にたい人を前にした時、あなたはどうしますか? 自殺で遺された人たちの心のケアをどうしたらいいですか。 国際ビフレンダーズ・大阪自殺防止センター 澤井登志さん

 

「いのちと出会う会」 
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html 
應典院・ホームページ  
http://www.outenin.com

 

 

貧民を 救済するは 日ノ本の道

 

二十五日の日曜日にも大阪難波、高島屋の前でミャンマー支援街頭募金を行いました。 他の都市で募金は続けられますが、ここはこの日が最後となるのは残念でした。集まっていただいた知人や在日ミャンマー女性のモモウさん、そして子どもたちもよくがんばってくれました。 子どもたちの募金箱には特にお金が多く入りました。  ありがたかったです。

 

私も陶酔したように募金支援を大声で叫びつづけていました。 陶酔してもう声がうわずっていました。 そうしていたら多くのカンパが集まった気がしました。 必死の声は人の心を揺さぶるのでしょう。 お金を入れていただいたら涙が出そうな時もありました。

 

ミャンマーの子どもたちの命を一人でも救ってください。 飢えと渇きで今も多くの子どもたちが亡くなっています。親を亡くして泣いている子どもたちがいます。 救ってあげてください。 戦後の焼け野原の日本をアジアの国々は物心両面で援助して救ってくれました。 今度は豊かになった日本が救う番です。多くのミャンマーの人々が日本からの支援を待っています。 苦難の底にあるミャンマーの人々を救ってあげてください。 お願いします」

 

道行く人々の感情に訴えるために子どものことを多く訴えました。  亡き次男のことが目に浮かびます。  声が最後は枯れていました。 今日集まったお金で少しでもミャンマーの子どもたちの命が救われたら本望です。 25日はトラの頭をかぶるのをやめました。 顔が見えないのは信用できないという批判があって、自粛してほしいと依頼があったからです。 私も多くの死者、被災者のことを考え自粛しました。

 

終わってから知人と食事して帰り、疲れて家で完全にクタクタ。 次の日もひどい疲れが残りました。 難波に行く前には釜ヶ崎でのカレーの炊き出しに参加して、大阪駅前での炊き出しと掃除を手伝ってくれている野宿者に会い、昨日、月曜日には彼らに奉仕しました。 奉仕こそ、わが命!です。

 

 

 

15日の日曜日にも多くの募金カンパが集まり、同じようにありがたくて、うれしくて涙が出そうだったという人もいました。ミャンマー女性も感激して興奮していました。 先日、添付メールで街頭募金活動をしているトラの写真を皆さんへ送りました。 それは現場へ来てくれたmixiの知人が撮ってくれたもので、彼からは蓬莱のアイスキャンディーを皆さんに差し入れしていただきました。 ありがたかったです。 

 

先週アジア協会アジア友の会の皆さんや、ミャンマーの留学生など、延べ20人ほどが参加していただけました。最初にミャンマー支援街頭募金を呼びかけた、日本人と結婚して子供さんが二人いる在日ミャンマー女性小川モモウさんが中心になって、皆が大声を張り上げていました。


  知人で
ビッグイシューを売りながらフィリピン支援をしている福森さんも参加してくれました。 知人の渡辺みさ子さん。 彼女とは應典院で初めてお会いして踊り子隊にも入って一緒に活動してきた旧知の間柄です。 彼女が小川さんを紹介してくれたのですが、彼女も一日じゅう立ってうぐいす嬢を最後までしてくれていました。

 

彼女が自宅でやっているラボ学習会のメンバーも参加してくれ、また彼女の知人の女性たちが偶然通りかかり、びっくりして大声をあげ熱い抱擁を交わしていました。先週も今週も暑くなると覚悟していたのですが、風もあり夜には半袖では寒いくらいでした。皆が交代で休憩をとり気力を回復しつつ夜まで頑張りました。  

 

 
  多くの募金をいただけましたが、しかしながら何万人もの人々が高島屋前を行き来するなかで、募金していただける人はわずかでした。 情けない思いもありました。 悲しくも思いました。 昔、日本が戦後すぐに焼け野原で苦しんでいた時に、アジア諸国は日本に食料などの支援をしてくれました。 今こそその時のお礼をする時なのです。 受けた恩に感謝をもって報ずる義務が日本にはあります。 恩知らずの日本人にいつの間になり果ててしまったのでしょうか。 

 

日の本の 道義を求め 道に立つ

 

豊かな日本人はノーブレス・オブラージュとして貧しい人々を救う義務があります。 貧民救済は日本の伝統として昔からあるのです。 聖徳太子、僧・行基、光明皇后、和気広虫姫、佐倉惣五郎、大塩平八郎、二宮尊徳など、西洋よりはるか昔から窮民救済の精神は豊かでした。  

 

西洋では旅の途中で病に伏せった人々を救う施設をホスピスと呼びました。 病院のホスピタルもホスピス同様に、孤児院、老人ホーム、行き倒れ人々の収容施設を意味しました。 

 

20世紀に入り、治療の当てがなく、余命いくばくもない患者の最後の安息に満ちた時間をケア(ターミナルケア)する施設としての近代ホスピスがイギリスやアイルランドから始まったのです。 しかしこのホスピスが最初に出来たのはアイルランドで18世紀になってからでした。

 

 

しかし我が国では6世紀の聖徳太子の時代にすでに四天王寺に悲田院や施薬院といったホスピスのような施設を完備していました。 

 

聖徳太子

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90+%E6%82%B2%E7%94%B0%E9%99%A2+%E6%96%BD%E8%96%AC%E9%99%A2&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 

   

        

僧・行基は7世紀の僧侶で関西地方を中心に貧民救済や墾田開発、築池、治水、架橋などの社会事業に活動し、東大寺の大仏造営にも協力し日本最初の大僧正の位を贈られました。

 

僧・行基

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%83%A7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%9F%BA&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 

光明皇后は8世紀の聖武天皇の皇后。仏教に篤く帰依し、東大寺、国分寺の建立を夫に進言し、天平文化は光明皇后の存在なしでは、あり得なかったといわれます。夫の死後、遺品などを東大寺に寄進し、それが元で正倉院が創設され、さらに興福寺など多くの寺院を創建された。また病人や孤児のために施薬院や悲田院を設けるなど社会福祉事業にも積極的に乗り出され、千人の病人の体についた垢を自ら洗い落としたり、癩病患者の膿を口で吸い取ったりしたという慈悲深い皇后の逸話が残されています。

 

光明皇后

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%85%89%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 

和気広虫姫は、8世紀に弓削の道鏡が皇位を奪おうとした野望を阻止した和気清麻呂の姉。 姫は戦乱で生まれた多くの孤児を養い、日本で最初の孤児院を設立されました。

 

和気広虫姫

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%92%8C%E6%B0%97%E5%BA%83%E8%99%AB%E5%A7%AB&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 

佐倉惣五郎は江戸時代に天災・飢饉の続く千葉県成田の名主でした。佐倉藩の重税に耐えかねた農民を代表して藩の役人や江戸の役所に困窮と減税を訴えて、租税は軽減されたが、惣五郎夫妻は磔刑、子供たち4名も死罪に処された。この逸話は己の命を賭して民衆の危機を救った百姓一揆の英雄譚として「佐倉義民伝」などの芝居や歌舞伎の演目として親しまれてきました。恨みを残して処刑されたこと、その惣五郎の霊が祟りを起こし、佐倉藩堀田氏を滅ぼしたとして、人々は彼の霊を鎮めるために平将門にあやかり祀ったと伝えられています。崇徳上皇の怨霊は天皇家に祟り、菅原道真は藤原氏に、平将門は朝廷に、佐倉惣五郎は江戸幕府に、そして西郷隆盛は明治政府に祟った、という伝統も日本にはあります。

 

佐倉惣五郎

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BD%90%E5%80%89%E6%83%A3%E4%BA%94%E9%83%8E&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 

大塩平八郎は19世紀の天保大飢饉の際に大阪の民衆が飢餓にあえいでいることに心を痛め、幕府や豪商に対して、彼の私塾門人や民衆と共に武装蜂起する、世にいう大塩平八郎の乱を行った。これは明治維新のさきがけとなり、倒幕勤皇の志士の目指すところとなったのです。

 

大塩平八郎

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 

二宮尊徳も19世紀に大飢饉で農村が疲弊しきっていたころ、多くの農村や藩を貧困から救った偉人。内村鑑三著「代表的日本人」の中でも「日本人の中にも、これほど素晴らしい人物がいる」と苦難の時代を救った偉人として尊徳翁は紹介されています。しかし戦後教育では薪を担いで読書する尊徳の銅像は封建道徳の姿だとして日教組などは取り壊してきたのです。

 

二宮尊徳

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 

 

いまや窮民には知らん顔して、わが身の楽しみのためには何万円も浪費する日本人。 日本伝統の救民、利他の精神はどこへ行ってしまったのでしょうか。 そのような現代日本人は祖先の栄光から縁なき衆生となり果てました。

 

日本人は中・韓・北朝鮮には膨大な支援をして、しかも謝罪までして妾のように気を使っている。 しかし他のアジア諸国には冷淡です。 左翼の洗脳でアジアとはこの3国のことしか頭にないのでしょうか。 馬鹿げています。しかし多くの募金をしていただいた方々、おじいさん、おばあさん、若者たち、子供たちには、心から感謝申し上げます

 

また2日間集まって支援活動に協力していただいたアジア友の会の皆様、ミャンマーの方々、多くの知人に感謝いたします。毎日新聞が取材に来てくれて19日の朝刊に載せていただきました。 またテレビ局も取材に来てくれて、30日の朝7時15分からの関西テレビ「めざましテレビ」に載ります。 ご覧ください。

 

(完)

 

 

【リンクのホームページ】

 

● 小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿

http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html

 

● 知人の松江隆明さんのHPに載せていただいた9月20日の阿倍野高校での私の講演会。いつも通りにトラの着ぐるみの頭を着て登場して挨拶を始めている場面。
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10049664067.html#cbox

 

● 同じく松江さんのHPのなかのURL。

あいりん地区(釜が崎)で炊き出しのお手伝いをしました。

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041525376.html#cbox

あいりん地区で炊きだし

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041433704.html#cbox

おにぎりを作っています

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041435938.html#cbox

カレーを配ります

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041445687.html#cbox

 

 

 

@「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト

bT38まで更新されました】  

(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT38までのバックナンバーを更新・掲載)

http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

                
いのちの風538  上映大成功/5月2日にテレビに/いのちと出会う会/長野聖火の惨状
いのちの風537  3月23日抗議デモの動画/「1/4の奇跡」上映会/北京五輪ボイコット/善光寺へ電話を/天台宗声明文
いのちの風536  映画「1/4の奇跡」應典院上映/日本の恩人チベット/チベット国旗を掲げよう
いのちの風535  チベット騒乱/中核派・大阪府女性職員/すべては自分の反映/日本熊森協会
いのちの風534  いのちと出会う会/映画「1/4の奇跡」上映会/今野華都子さん講演
いのちの風533  いのちと出会う会/再度の寝袋カンパのお願い/豊かさの中の心の貧しさ
いのちの風532  映画「明日への遺言」/中共の反日プロパガンダ映画/平和な当時の南京市内
いのちの風531  映画『南京の真実』第一部「七人の『死刑囚』」/西村眞悟氏の叫び
いのちの風530  カレーお待たせしました/日の丸パレード/ありがとう呼吸法/私たちは運がいい

 

A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。 

美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離

の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 

釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。

http://www.noseh.com/

 

B 應典院HP「いのちと出会う会」石黒司会の應典院での年9回開催の名物イベント行事)

 

應典院

http://www.outenin.com/about/index.html

「いのちと出会う会」と過去の開催記録(第1回〜)

http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html 

 

 

mediaXから配信しているインターネットTV『Tv−Woo(http://tv-woo.jp/)』で應典院での「いのちと出会う会」が映されています。画面のずっと下の方の、お勧め番組「Tv−Woo」「ケースケ講演する 前編・後編 第66回 いのちと出会う会にて」をクリックしてください。 2時間のビデオが放送されます。最初の視聴には上の黄色い部分をクリックしないと映像が出ないかもしれません。 紺の作務衣姿の司会者の私が動き回っているのが映っています。

                 
C 大阪メチャハピー祭 (毎年10月8日の体育の日・祝日に開催)
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、鳴子を鳴らして踊るよさこいソーラン踊り系踊り祭。 昨年で7回目、大阪城ホールなどに7000名が参加する子供中心の踊り祭で子供たちに夢と希望を与えようという大阪の一大イベントに成長)    
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/

 

「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs

 

D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります。 

この着ぐるみを着て大阪駅前で野宿のオッチャンたちと掃除もしています)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html

 

トラッキーの掃除屋さん(別のところで宣伝マンをしている姿です)
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-281.html

 

 

F インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加

(知人の紹介がないと、ここへ参加して内容を閲覧することはできません。 参加ご希望の方はご連絡ください)

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617

 


    

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