いのちの風 特別号 
平成20年11月17日(月)発信 石黒大圓(だいえん)

 


いつもありがとうございます。
今回は今、話題となっています田母神俊雄・前航空幕僚長の論文
「日本は侵略国家であったのか」全文を取り上げました。 
1回の送付では長すぎるので2日に分けてお送りします。

 

明日は私の誕生日、この論文を取り上げさせていただく光栄に感謝します。

 


田母神氏の論文は日本の歴史教科書にしてもいいくらいすばらしいものです。
この内容に反対するものは、真の日本の歴史を知らず、アメリカ占領軍や日本左翼に
洗脳され、東京裁判史観、左翼史観、マルクス主義史観に毒されて、魂を去勢され、
奴隷根性となった哀しい輩です。

 

「中国などアジア諸国の反発が高まることは必至だ」などと言うマスコミは「中韓北」
相手の太鼓もちのようなもの。
反日国家へご注進して日本への非難を待ち望んでいる畜生根性の持ち主です。

 


【田母神氏支持はネット調査で7割】

 

田母神氏が「Yahooでは58%が私を支持している」 と国会答弁したことが話題となっているが、
同日に実施されたライブドア(リスログ)での投票結果(有効投票数2,000以上)では、
Yahoo!
を上回る約72.4%の支持を獲得。

 

Yahooネット調査では約1万人の投票の結果、まったく問題ない46%、ほとんど問題ない
13% 合計59%が支持。
とても問題あり32%、少しは問題あり10%、合計42%が不支持。

 

国民の方が健全な判断をしている。
祖国を犯罪人扱いして自衛官が国防の任につけるのか!

 

以下は昨日の「三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼三十八周年慰霊祭」での講演で教えていただきました。 

 


(引用)
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幕僚長の論文発表 まったく問題なしが46
Yahoo
意識調査
航空自衛隊トップの田母神俊雄・前航空幕僚長が歴史認識に関して政府見解に反する論文を公表。
幕僚長という立場で、政府見解に反する論文を公表したことに、問題があったと思いますか?
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=2909&wv=1&typeFlag=1
 

 

「田母神氏支持」、ネット調査で7割
2008
11121350 / 提供:livedoor
11
日の国会質疑において、政府見解と異なる歴史認識の論文公表で更迭された
田母神俊雄 前航空幕僚長が
Yahooでは58%が私を支持している」と答弁したことが話題となっているが、
同日に実施されたライブドア(リスログ)での投票結果(有効投票数2,000以上)では、
Yahoo!
を上回る約72.4%の支持を獲得した(1112日現在)。
http://news.livedoor.com/article/detail/3896956/
  
http://lislog.livedoor.com/r/16607
 

 


(引用)
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【日本は侵略国家であったのか】
田母神俊雄氏 (防衛省航空幕僚長 空将) 全文
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
 

 


アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。

 

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。

 

現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 


この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

 

これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936
年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。

 

我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 8 15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようちょうし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 

 

 

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。

 

「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

 

日中戦争の開始直前の1937 7 7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。

 

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。

 

 

 

満州帝國は、成立当初の1932 1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。

 

侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。

 


朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。

 

戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 


我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。

 

道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。

 

なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

 

 

 

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。

 

戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。

 

またその1 期後輩には金錫源キンソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。

 

もちろん創氏改名などしていない。

 


中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。

 


李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。
李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。

 

しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。

 

この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。

 

因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥傑フケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 

 

 

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。

 

イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

 

一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。

 

第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 


(明日に続く)

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