「寝袋カンパ支援のお願い」
この寒空に老人がダンボールのなかで震えています
皆様のご支援をお願い申し上げます
寝袋配りを今年も路上で生活している野宿者(ホームレス)たちへ行なっています。 全国の皆様からいただいたカンパで1個1000円の寝袋、約1000個を毎冬、路上で寝ている野宿者たちに配っています。 10月から翌年3月まで7年間で合計約7000個を毎週金曜日の夜に配りました。
釜が崎や大阪駅、天王寺駅、四天王寺、市内の商店街の軒下などの、路上でダンボールにくるまって寝ている人々を訪ねて配っています。 大阪全体では約5000人以上が野宿を強いられています。
そして毎年100以上が路上で亡くなっています。 冬は凍死が多いのです。 私がいる商店街でも昨冬に凍死者が出ました。
このようなことがない大阪をつくるために私たちは活動しています。 寝袋を受け取ると皆が満面の笑みを返してくれます。 「わっ! 助かった。ありがたい」と恋人を抱きしめるように寝袋をかかえてくれる人。「タダです。使ってください」と渡したら、「ワー」と泣き出した人。 土下座して喜んでくれた人。 寒さがよほどつらいのでしょう。
ダンボールだけ、毛布だけ、着のみ着のままの人、さまざまな姿で路上で寝ています。 ぐっすり眠っていて起きない人がいました。 「風邪引くで! 上から寝袋を開いて、かけたるわ」と寝袋のチャックを開け始めたら、とたんに胸が熱くなって涙が出そうになりました。 単純に可哀想という感覚ではないのです。
何がこうさせるのか。 このような人々に奉仕させてもらっている有難さか。 いや、もっと深いところで、神仏が彼と私のそばにおられる。 「ごめんな、こんな目にあわさせて、許してな」という神仏の慈悲の思いが、私を刺し貫いているのではないか。 その悲哀の感情が涙をふきださせるのでしょうか。
病と闘いつらい思いをしていた亡き妻と、5歳で病死した次男の姿とが、色々な事情によって路上で寝ざるをえない人々の姿とが重なるのでしょうか。 二人への感情が野宿者の姿から乗り移るのでしょう。
また私たちは毎週月曜日の夜九時からJR大阪駅前御堂筋南口市バス停前で、野宿者たちにおにぎりや衣類配布をしています。 それが終わったら大阪駅前周辺の清掃を野宿の人々と一緒にしています。 寝床にしている大阪駅前の清掃をすることで、社会への報恩感謝の気持ちを持ってもらえたらと思っています。
清掃を共にすることで野宿の人々との心の交流も深まりました。 そして2年前の冬からトラの着ぐるみを私が着て掃除をしています。 野宿者が掃除をしてくれていることを道行く人々に知ってほしいからです。 大阪駅前周辺でそのでかい黄色いトラッキーに気づかれたら頭でも叩いてください。
最近ある70歳くらいの老婆が掃除を手伝ってくれています。 阪急の高架下で40歳代の男と一緒にいつもダンボールハウスで寝ている人です。 先日彼女に声をかけました。 私「いつも男の人と一緒に寝ているね」。 おばあさん「赤ちゃんの時に死んだ私の娘と同じくらいの年の子や」と。 いつもニコニコしているこの人にもそんな悲しい過去があったのか。
そのあと掃除していて道路のそばに1歳くらいの小さな小さな靴が片足落ちていました。 涙がこみ上げてきました。 おばあさん、次男。 一気に目の前が曇ってしまいました。 寝袋配りをしていると毎年こんな胸がつまる思いになります。
そしてそれが魂の糧になります。 もったいないことです。 感謝です。 路上には目には見えない宝が満ち溢れています。 もので豊かな人には、それが見えないと思うのです。
不遇な境遇におちいることは、誰もが人生のいつかには直面することです。 少しでも温かい手を皆で差し伸べて、寝袋の中で暖かい夢を見ていただき、明日を生きる活力にしていただきたいと思っています。
私たちの活動を通して自立された野宿者もおられます。 私たちはただ物を渡すだけでなく、心も渡して自立への手助けをしたいと思っています。 夏はクーラー、冬は毎晩風呂へ入れる日常の当たり前の生活に、活動を通して感謝できるようになりました。
毎年3月まで寝袋配りをしますが、もしよろしければご浄財をお願いしたいのですが。よろしくご配慮のほどお願い申し上げます。
【大阪駅前炊き出しの会】
「すこしでも善意の寝袋カンパを」
なお男性もの、防寒衣料、厚手のセーター、靴下、下着、ズボン、スニーカー靴など、タンスの奥で眠っているものがありましたら送っていただけないでしょうか。 古いものでいいです。 女性ものはまだありますので要りません。
背広も要りません。 路上で生活している人々に渡します。 ブルーテント生活者へは渡しません。