いのちの風 553
平成20年10月7日(火)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ
大阪メチャハピー祭/敵兵を救助せよ!/戦場のラストサムライ・工藤俊作少佐
いつもありがとうございます。 もう10月になりましたね。 1年が過ぎることの早いこと、早いこと。 「大阪メチャハピー祭」のことを前回の通信に載せるのを忘れていましたので、急きょ通信を早くお送りします。
10月13日(月・祝)開催 10時〜19時半 会場大阪城ホール(メイン会場) 入場無料
他の会場 OBP(大阪ビジネスパーク)内パークアベニュー、大阪城公園駅前、京橋駅前ひろば、ラブリータウン古川橋会場、枚方会場、大阪国際会議場会場
「子どもの笑顔、日本一へ!」を合言葉に、踊りを通した青少年健全育成を目的に開催されます。 90余チーム、約4000名の踊り子(18歳以下は約3000名)がよさこいソーラン踊りを繰り広げます。 倫理法人会や天分塾などの団体が当日ボランティアとして支援しています。
大阪メチャハピー祭
http://mechahappi.com/
「大阪メチャハッピー祭」いのちの風385号
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro2006/enisiguro385.htm
御堂筋kappo
http://www.osaka21.or.jp/heartosaka/kappo/index.html
私は最近、踊り子としては参加せずに、見物がもっぱら。
今年も行く予定です。 しかしこの日は祝日で大阪駅前炊き出しは中止なのですが、この日を今年最初の寝袋配布として100個を駅前で配ります。 その寝袋がこの日に届きます。 それを受け取るまで家を出られないので、どれだけ祭りを見られるか。
またこの日は御堂筋パレードにかわるイベントとして、ハート大阪 秋まつり「御堂筋kappo」12日(日)「中之島は大きな帆船」12日〜13日・12時〜16時に開催されます。 歴史・文化・環境・国際交流・観光・福祉・共生・ステージ交流などのテーマで大阪の元気を発信する多くのイベントが路上で行われます。
知人の小野さんの日本ウクライナ文化交流協会は着物バンクを出展します。 お時間がありましたら、どちらかにでもご参加ください。
旧暦の10月(新暦の11月)は神々が出雲大社に集まって一年の事を話し合うため、諸国を留守にする月「神無月(なんなずき)」と言われ、出雲では逆に「神在月(かみありづき)」と言われます。
今月から来月にかけて「神様がいないのか」と思われる事態が次々起こってくるのでしょうか。 サブプライム問題は、予想通りにアメリカで修正案が可決されたのに株の暴落は止まりません。 このままどこへ行くのでしょうか。 祈るばかりです
中山成彬氏が辞任されました。 言うべきことを言って責任をとっていわば切腹された。
特攻として自決された。 潔い始末のつけ方です。 地位に汲々としてしがみつく多くの政治家と異なり、武士道精神の鏡というべき方である。 いつ死んでもいいという「もののふの魂」をもつ方である。
未だに抗しがたい左翼勢力に支配された日本に対して特攻精神で突撃された方である。
すばらしい政治家でした。 彼が残して行かれた教育基本法改正、学習指導要領改正によって、これから左翼教育亡霊どもは抹殺されていく運命をたどるのです。
彼こそ日本古来の祟る霊、生霊として日本の運命を変えて行っていただけると信じます。
前回の通信で「桂三枝の師匠は桂米朝」と書きましたが、間違いでした、桂文枝が師匠です。 知人からこのことなどで指摘があり「よく確認せずに書くのはおかしい」と言われました。
それで上方落語協会へ質問状を送りました。 まともな返事は返って来ないでしょうが。
【武士道とは紳士としての道を歩むもの】
前に「トルコ軍艦エルトゥールル号」の100年の歳月を超えた恩返しの美談をご紹介しました。 これと勝るとも劣らない大東亜大戦中の美談があります。 沖縄在住の元海上自衛官、恵隆之介氏の「敵兵を救助せよ!」(草思社刊)に書かれた史実です。 ネットから検索したものなど3つを合作してお伝えします。
「戦場のラストサムライ」
平成15年10月19日の海上自衛隊観艦式に、ある元イギリス海軍士官が参列した。 彼は戦後スウェーデン大使を務め84歳という高齢で心臓病を患いながらも来日したサムエル・フォール卿だった。 サーの称号を持つ彼にはどうしても日本を訪れたい理由があった。
案内された艦内で、サー・フォールはしみじみと65年前の壮絶な真実を語った。それは、戦後の長きに渡り日本人の誰もが知らなかった奇跡の話だった。
第二次世界大戦が勃発した翌年の昭和17年2月28日、ジャワ海スラバヤ沖で物語は始まった。 当時の戦況は日本が圧倒的に優位で、イギリスを始めとする連合国艦隊は連日猛攻撃を浴び、フォール中尉の乗った駆逐艦・エンカウンターも3隻の戦闘艦に包囲されていた。
エンカウンターは攻撃を受け、エンジンが停止し乗員達は脱出するしかなかった。 3月31日午後2時、全員が救命ボートで脱出し、エンカウンターは海に沈んだ。
だが本当の地獄はここからだった。 船から流出した重油で多くの者は目が見えなくなった。 近くには沈没した他の船の乗組員を含め400名以上が漂流していた。
8隻の救命ボートでは不十分で、漂流しながらしがみつくのがやっとだった。
しかしフォール中尉は、沈没する前に打ったSOSの信号を受信できる距離に味方のオランダ軍基地があったため、すぐに救助が来ると思っていた。
しかしいつまでたっても救助は来なかった。 怪我をした足を魚につつかれ、不安の中でサメに襲われたとパニックに陥る者達も多かった。 諦めそうになる者も多かったが、フォール中尉は「家族を思い出せ、生きて故郷に帰ろう」と励まし、自分にも言い聞かせた。
漂流から20時間が経ち、絶望感から自殺しようとする者も現れた。 その時、フォール中尉達の前に船の姿が見えた。 しかしそれは日本海軍の駆逐艦「雷(いかずち)」だった。 フォール中尉はこの時いよいよ機銃照射を受けて最後を迎えると覚悟した。
「雷」は乗組員220人の小型の軍艦ではあるが、数日前の海戦では連合国軍の船3隻を撃沈するなど、その威力を見せていた。 指揮をするのは艦長・工藤俊作少佐、身長185cm、体重90kgの堂々たる体格の猛将。
雷の乗組員が多数の浮遊物に気づいた。 工藤少佐は、潜水艦の潜望鏡が見えないかどうか確認するよう、航海長の谷川清澄中尉に指示した。
この2ヶ月前にアメリカの潜水艦から魚雷攻撃を受けていた上、前日には日本の輸送船が敵の潜水艦に撃沈されたばかりだった。 油断できない海域だったため、戦闘用意が指示された。 しかし浮遊物が敵のイギリス兵らしく、400名以上いることも伝えられた。だが念のため潜望鏡がないかさらに確認するように指示が出た。
戦場に情けは無用。 事実、前年には日本の病院船の救命ボートが攻撃され、158名が死亡するという悲惨な出来事も起こっていた。
工藤の船は漂流者を射程距離に捕らえた。 この時工藤が見たのは、ボートや瓦礫に捕まり、必死に助けを求めるイギリス兵たちの姿だった。 いつ潜水艦に襲われるかわからない危険海域で、艦長に全ては委ねられていた。 フォール中尉たちが最期の瞬間を覚悟した時だった。
工藤艦長は、敵兵を救助するよう指示を出した。 駆逐艦には、救難活動中を示す国際信号旗が掲げられた。
兵士達は、自分たちより数の多いイギリス兵を助けることに戸惑った。 しかし、海軍兵学校の頃から教育されてきた武士道、それが工藤にこの行動を取らせた。 敵とて人間、弱っている人間を相手にフェアな戦いはできないのだ。 兵士達もこの考えに従うことになった。
世紀の救出劇が始まった。 まずは自力で上がれる者に縄梯子などを差し出したが、イギリス兵たちは病人たちを先に救助するよう求めた。 日本兵達は病人達を担いで雷に引き上げた。 また、イギリス兵達は最後の力を振り絞って雷に向かって泳いだ。だが、21時間の過酷な漂流ですでに限界を超えていた。
自力で上がれる者がほとんどおらず、救助の手はとても足りなかった。 すると工藤は、一番砲だけ残し総員敵溺者救助用意を命じた。 最低限の人間を残し、全員で救助活動に当たることになったのだ。 ここで兵士達はいつ敵潜水艦の攻撃を受けるかわからないと覚悟を決めた。 ただ工藤は220名の命を預かる艦長として気を緩めることはなかった。
イギリス兵たちの救助は続いた。これは、壮絶な救助行動だったようで、救助活動中は敵も味方もない懸命な活動だったという。 だが体力の限界を迎えていた彼らは自力でロープも棒も掴むことができなくなっている者もいた。 そんな彼らを、命令に背き日本兵達は海に飛び込んで抱えて救助した。
敵も味方もなかった。 救助活動を見ていた工藤は、魚雷搭載用のクレーンでも何でも、使えるものは何でも使って救助するように指示した。 通常なら反乱を警戒してここまでは救助しないのだ。
【敗れたりとは言えど勇者としてたたえる】
「雷」の甲板は救助されたイギリス兵で埋め尽くされた。 そこで英海軍将兵を感動させたのは、汚物と撃沈された際に流れた重油で真っ黒になった英海軍将兵を、小柄な「雷」乗員たちが嫌悪することなく介護する姿だった。
血の一滴とも言える貴重な真水とガソリンで、優しく一人ひとりの体にまとわりついた重油をふき取り、飲料水や食料を惜しみなく与え、シャツと半ズボンと運動靴も支給され、熱いミルクと、ビール、ビスケットの接待がなされたという。
やることはやったと思っていた兵士達だったが、工藤はさらに他の漂流者を残らず救助するように指示した。 遠方に一人でもいたら船を停止し救助した。全員を救助し終った時、その数は日本の乗組員の倍近い422名にのぼった。
サー・フォールは、全員を救おうとした工藤艦長のフェアな態度こそ、日本の誇り高き武士道なのだろうと感じたという。 救助活動が終ると、イギリス海軍の21人の士官が集められ、工藤艦長が端正な挙手の敬礼をした後、流暢な英語でスピーチをし「諸官は勇敢に戦われた。 いまや諸官は日本海軍の名誉あるゲストである」と伝えた。
そして彼らに士官室の使用を許し友軍以上の処遇を行った。 フォール卿はこれは夢ではないかと何度も手をつねったという。 同時に日本人へ抱いていた偏見が霧散していった。
名誉ある442名は翌日、ボルネオ島の港で日本の管轄下にある病院船に捕虜として引き渡された。
終戦後、サー・フォールは家族と恋人の待つ祖国イギリスに帰国し、サーの称号を与えられるほど有能な外交官として勤め上げた。 フォール卿は、この工藤艦長の功績をアメリカ海軍機関紙に寄稿した(昭和62年)。またジャカルタで行なわれたジャワ沖海戦50周年記念式典(平成4年)でも称えた。
平成8年、彼は自らの人生を「マイ・ラッキー・ライフ」という自伝にまとめた。 その冒頭には「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と書かれている。さらに2年後の天皇皇后両陛下の英国訪問時にもタイムズ紙に工藤氏の実名を上げて投稿した。
自分が死ぬ前に工藤艦長に会いたくて心臓病を患いながら、3年前に「人生の締めくくりに」と来日し、工藤氏の墓参と家族への感謝の気持を伝えたかったようだが、分らず離日した。 その際、のちに「敵兵を救助せよ!」を著した恵隆之介氏に墓と遺族を探してくれるように依頼したようだ。 恵氏はその約束を果たし丹念に工藤氏の足跡を辿った。
実は工藤が別の船の艦長になった昭和17年、雷は撃沈され乗組員全員が死亡した。 工藤はそのショックからか戦後は戦友と一切連絡を取らず、親戚の勤める病院を手伝いながらひっそりと暮らした。
そして昭和54年1月4日、77歳でこの世を去った。 自らのことを工藤は語らなかったため、サー・フォールが来日しなければ誰にも知られることはなかった。
惠氏は工藤元艦長の家族にも取材をしたが、この救助劇は工藤氏の夫人にも話されていなかったことで、誰もこの話を知る人がいなかったという。 戦争で部下達を失った悲しみが、彼の口を閉ざしたのだろうと感じたという。
工藤氏のあとをたどるうちに「雷」の乗組員のうち2名が存命であることが分り、このときの様子が再現された。 救助活動に加わった元航海長の谷川氏は、当たり前のことをしただけだと工藤元艦長なら言うだろう、と話す。
工藤氏が敗戦後は自衛隊関係の仕事に着くことなく、静に語らず、この事実を公にしなかったことも不思議だが、最大の不思議は、一生恩を感じて生きたフォール卿が何度も工藤艦長の功績を公にしながら、日本のマスコミが一度も取り上げなかったことだ。
特に両陛下が訪英されたときのタイムズ紙の投稿には当然気付いていたはずで、わざと取り上げなかったのではないかと思うほどだ。
戦場のラストサムライ
http://blogs.yahoo.co.jp/tero19632001/46510220.html
下記にテレビ「アンビリーバブル」の感動的な【動画】あり。
「敵兵を救助せよ!」―第二次大戦中、敵である英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
enjoy korea
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=tbook&nid=3147&start_range=3138&end_range=3195
(続きは次回、天皇皇后両陛下、訪英の際のフォール卿の恩返しの美談です)
(完)
【リンクのホームページ】
@「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
【552まで更新されました】
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 552までのバックナンバーを更新・掲載)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
↓
いのちの風552 いのちと出会う会/アメリカ金融安定化法案、否決/桂三枝は在日帰化人?
いのちの風551 「日本捕虜志」英の騎士道精神/米と左翼の罪悪感洗脳/弱者へのいたわりのまなざし
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いのちの風544 倫理講演/衣類カンパ/ミャンマー支援/新型インフルエンザの猛威/釜ヶ崎暴動
● 小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿
http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html
● 知人の松江隆明さんのHPに載せていただいた9月20日の阿倍野高校での私の講演会。いつも通りにトラの着ぐるみの頭を着て登場して挨拶を始めている場面。
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10049664067.html#cbox
● 同じく松江さんのHPのなかのURL。
あいりん地区(釜が崎)で炊き出しのお手伝いをしました。
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041525376.html#cbox
あいりん地区で炊きだし
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041433704.html#cbox
おにぎりを作っています
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041435938.html#cbox
カレーを配ります
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041445687.html#cbox
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離
の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」
釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
http://www.noseh.com/
B 應典院HP「いのちと出会う会」(石黒司会の應典院での年9回開催の名物イベント行事)
應典院
http://www.outenin.com/about/index.html
「いのちと出会う会」と過去の開催記録(第1回〜)
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html
mediaXから配信しているインターネットTV『Tv−Woo(http://tv-woo.jp/)』で應典院での「いのちと出会う会」が映されています。
画面のずっと下の方の、お勧め番組「Tv−Woo」「ケースケ講演する 前編・後編 第66回 いのちと出会う会にて」をクリックしてください。
2時間のビデオが放送されます。 最初の視聴には上の黄色い部分をクリックしないと映像が出ないかもしれません。 紺の作務衣姿の司会者の私が動き回っているのが映っています。
C 大阪メチャハピー祭 (毎年10月8日の体育の日・祝日に開催)
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、鳴子を鳴らして踊るよさこいソーラン踊り系踊り祭。 昨年で7回目、大阪城ホールなどに7000名が参加する子供中心の踊り祭で子供たちに夢と希望を与えようという大阪の一大イベントに成長)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs
D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります。
この着ぐるみを着て大阪駅前で野宿のオッチャンたちと掃除もしています)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html
トラッキーの掃除屋さん(別のところで宣伝マンをしている姿です)
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-281.html
F インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加して内容を閲覧することはできません。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617
(縁の花情報)