いのちの風 554 
平成20年10月15日(水)発信 石黒大圓(だいえん)

 
今回のテーマ 
資本主義崩壊説/「敵兵を救助せよ!」の続き/反日運動を身を挺して食い止める

 


いつもありがとうございます。 「大阪メチャハピー祭」が一昨日に終わりました。 幼い子供たちの可愛らしいしぐさ、孫がいるようなおばさんたちが、どハデに着飾って踊るさま。 少しの時間しか堪能できなかったですが、満足でした。 知り合いの3チームの踊り子連の写真を撮って帰りました。
  
帰ってから準備して今年初めての寝袋配りを大阪駅前で夜にしました。 約100個を持って行って、ほとんどちょうど枚数が配れました。 70人くらいの野宿者がやってきて、残りは他で配ってくれる人々が必要な分だけ持って帰ってくれて、残りは2個。 今までほとんどの寝袋配りは数がちょうどで終わります。 神計らいのようです。

 

「いのちと出会う会」が明日16日木に行われます。 
「『笑み道』輝いて生きるには!」 
ロックミュージカル・ヘアーの主役も演じ大活躍されていた女優康有羅さんを襲った生死をさまよう体験から学ばれたこととは・・・日本表現協会 代表 康有羅(コウ ユラ)さん 十八時半 應典院6771-7641 千円  司会 大圓 

 

康 有羅 KOH YURA
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YURA
ブログ 
http://blog.hyogen.net/?eid=450267
   
笑み道 康有羅
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應典院・ホームページ
http://www.outenin.com
 
應典院HPのなかの「いのちと出会う会」開催予定と趣旨、過去の開催記録(第1回〜)
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html

 

 

 

【人のサガ 変わらず移ろう 世の習い】

 

昨日の日経平均株価の終値は、前週末比1171円高の9447円と暴騰。 上昇率はアメリカ同様に史上最大。 株価は下げすぎたら上げる。 自律反転が相場を作る。 実態に合わなかった暴落もする。 それが資本主義証券市場。

 

人類のサガが変わらない限り資本主義がなくなることはない。 バクチ投機資本主義と本来の資本主義を一緒くたにして非難するは間違い。 資本主義崩壊説は共産主義者を喜ばすだけ。

 

また総悲観論で資本主義崩壊を楽しんで「人類は悔い改めよ」 などと説教を垂れる御仁の思うようにはならない。

 


大恐慌となっても失業者は労働者の1/4程度とのんびりしている人もいる。 約6500万人の労働者のうち1/4は約1600万人にもなる。 その後ろには多くの家族がいる。 その人々も生活の糧を失う。
 
膨大な解雇、失業者、倒産、自己破産、自殺、 未亡人、孤児、飢え死に が生まれる。 何百万人もの野宿者が生まれるでしょう。 男だけでなく子供や女性の飢え死にの死体が街に散乱します。 今でも大阪で約5000人のホームレスのうち、100〜200人が路上で死んでいます。
 

 

自分が招いたのでもない、バクチ投機資本主義の犠牲になれ、とでも言うのでしょうか。 バクチ資本家だけがホームレスになって飢え死にすればいいのです。 他の人に罪はない。 理不尽です。 神は残酷です。 想像を絶する世界が待っている資本主義崩壊における、ちまたの惨状。 それが想像できない感性のない人々。

 

1999年、2000年問題で世界的危機が叫ばれた時に、善なる人を救出するために宇宙人の宇宙船がやってくる、という話がありました。 今もそれと同じようなことを言っている人々もいます。 

 

幻想の精神世界にハマった悲しい人です。 社会の崩壊を待ち望んでいる人は残忍です。 膨大な被害者が大したことがないかのような資本主義崩壊歓迎論や、人類の悔い改めを叫ぶ人。 バカげています。

 

 

 

【武士道に ほれて矢面 騎士道精神】

 

「敵兵を救助せよ!」の続きです。 (引用)

 

読売新聞も朝日新聞も工藤艦長に関する記事は一行もない。 産経新聞だけが恵氏の取材結果を紹介する形でこの功績を戦後60周年の連載記事中で紹介している(平成17年年9月)。

 

恵氏の著書からは、日本海軍がいかにイギリス海軍と近い関係にあったかが分る。 それが日英同盟の礎だったのだろうが、第一次大戦後アメリカの力がどんどん強くなるにつれて、アメリカが日本をアジアでの最大の脅威として、日英同盟を破棄させた経緯が書かれている。

 


この記述は、先に公表された富田メモで昭和天皇が日独伊の三国同盟を嫌う様子がうかがえたが、日英同盟を日本のリベラル派がいかに重視していたかを著している。 工藤艦長の救助劇は、恐らく世界の歴史の中でもまれなことだ。この事実を日本国民が知ったのなら、どれだけ励まされたか分らない。

 

戦後すぐでももちろんそうだろうが、10年後20年後30年後でも同様だ。 それが60年を経過後も日本のマスコミと出版界に一切登場しなかったというのは、たまたまではないはずだ。 日米関係にとって面白くない話は極力避けられる風潮が今でも日本にあるという事を物語っている事例だ。

 


フォール卿「1人、2人を救うことはあっても、全員を捜そうとはしないでしょう。たとえ戦場でもフェアに戦う。 困っている人がいれば、それが敵であっても、全力で救う。 それが日本の誇り高き武士道であると認識したのです。」 「勝者は驕ることなく敗者を労り、その健闘を称える。」 これぞ武士道です。
 
さて、天皇皇后両陛下がイギリスを訪問したのは10年前の平成10年5月だった。 イギリス政府と国民は歓迎の意を表し、天皇陛下はエリザベス女王と馬車に乗ってロンドン市民の歓迎にこたえた。

 

しかし、このパレードには抗議の意味でわざと背を向けた人たちがいた。 彼らは、第二次世界大戦中日本の捕虜になり、その時の扱いに抗議し、日本政府に賠償と天皇陛下に謝罪を要求したのだった。

 

この抗議行動に、イギリス政府は「遺恨が日英関係を支配してはならない」(ブレア首相)と呼び掛けるなど、両陛下及び日本政府に異例の配慮を見せた。 (読売新聞)当時、日本の財界はイギリスに積極投資するなど、日英関係は経済面で新たな親密度を見せているときだった。 ブレア首相の発言は当然だったかもしれない。

 


しかし、イギリス国民の感情は二分された。 戦時中の捕虜に対する非人道的な扱いを非難し、日本政府と天皇に謝罪を要求するものから、個人的に戦争に関わっていない現在の天皇に謝罪を要求することへの疑問、さらには、元捕虜に対する賠償問題は退役軍人にちゃんと年金を払わないイギリス自体の問題だなど、様々な意見が噴出し、両陛下のイギリス訪問が反日運動を起こすきっかけになるのではないかとの不安が巻き起こった。
 
そんな怪しい空気を一掃するようにフォール卿は、この戦時中の体験をタイムズ紙に投稿し、英国の読者に感銘を与えた。 「友軍以上の厚遇を受けた」と敵兵救助を決断した日本の武士道を賛美し、 そして対日批判に対して勇気をもってわが国を弁護してくれ、その国の元首を温かく迎えようと国民に呼びかけてくれたのだった。 同誌には反日派の元捕虜の文章も同列に掲載されていたが、生彩を欠くこととなった。

 


そればかりでない。 昭和62年5月、東芝ココム違反事件が発生し、日米関係は特に緊迫していた。

 

東芝ココム事件とは、対共産国輸出統制委員会が輸出禁止にしていたスクリュー製造精密機械を、東芝の子会社がソ連へ不正に輸出し、ソ連原潜の能力を飛躍的に向上させた、というもの。 

 

冷戦下で米ソが対立しているなかで日本非難が高まり、対日貿易赤字の拡大も加わり、反日運動が広まっていた。 

 

  その時に米海軍の多くの提督たちは帝国海軍を引き継いでいる海上自衛隊を高く評価し、日本擁護に立ってくれたのです。 なぜならこの年に米海軍の機関紙にフォール卿が「騎士道」という題で、工藤艦長の救出劇を賞賛した論文を載せ、評判になっていたからです。 
  

 

フォール卿の日本人に抱く印象に影響を与えた彼の武士道。 尊敬と感謝の念を今も抱いている、とフォール卿は話された。 工藤元艦長の残した真の武士道の姿は、今も多くの人の心に生き続けている。 

 

工藤は自らのことを何も語らずに亡くなったが、生前、一度だけイギリス兵について話したことがあるという。 彼がいつも持っている黒いバッグがボロボロだったため、姪が「なぜ新しいのに替えないの?」と聞いたところ、「イギリス兵にもらった大切なバッグなんだ」と語ったという。 

 

フォール卿は敵をうやまう武士道の心をもった日本軍人を、子供や孫たちにも話したという。 いつか世界中の人たちが仲良くなれるきっかけになることを祈って。  (引用終わり) 

 

戦場のラストサムライ
http://blogs.yahoo.co.jp/tero19632001/46510220.html

 

「敵兵を救助せよ!第二次大戦中、敵である英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
(テレビ「アンビリーバブル」の感動的な【動画】あり)
enjoy korea
  
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=tbook&nid=3147&start_range=3138&end_range=3195
 

 

敵兵を救助せよ
http://www.bushido-seishin.com/recommend/recommend01.html

 

「敵兵を救助せよ!」が物語る別の真実 
http://kishida.biz/column/2006/20060804.html

 

「雷」工藤艦長 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%B5%E5%85%B5%E3%82%92%E6%95%91%E5%8A%A9%E3%81%9B%E3%82%88-%E2%80%95%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E5%85%B5422%E5%90%8D%E3%82%92%E6%95%91%E5%8A%A9%E3%81%97%E3%81%9F%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%E3%80%8C%E9%9B%B7%E3%80%8D%E5%B7%A5%E8%97%A4%E8%89%A6%E9%95%B7-%E6%83%A0-%E9%9A%86%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/4794214995

 

 

 

【美しき 誠の精神 子々孫々へ】

 

過去にあった先人のすばらしい行為を見て美しいと感ずることがいかに大事か。 教育勅語のなかの忠とか孝とか悌とか信とかの徳目は、人を感銘させる行為が過去にあったから生まれた。 そのよい徳目が発揮された話を、読んだり聞いたりして、人は感激し、共感し、それは心のどこかに残る。 

 

工藤艦長のような献身的な実話を知って、美しいと思う、心が明るくなる、ということを育むのが道徳教育です。
 
日本にはそのような歴史的実例が実に豊富です。 それを子々孫々に伝えれば、子供たちは心浮き立ち、目は輝いてくる。 こういった話を道徳の教科書に載せて学校や家庭で教えてやってほしい。 

 

世界中の美しい話、よい話、そして特に日本人の行った素晴らしい歴史的実話を子供に伝えるのは私たち大人の責任です。 その日々の教育的実践が日本を誇りと思い、美しくと思う心に変えていくのです。 

 


敵であろうと「ここで見捨てて置かりょうか」と軍歌「戦友」にもある如く、日本将兵たちの勇気ある姿は永遠に日本の誇りとして伝えなくてはいけないのです。 そしてその美談を口外しなかったその士官の日本人らしいつつしみ深さ。
そして日本古来の「惻隠の情」ともいえる自他一如、平等、無差別の心もち。 人の苦しみを自分のことのように心を痛める「思いやりの心」を多くの日本軍人も持っていたのです。

 


その日本士官の騎士道精神にも劣らぬ日本武士道精神を讃えて、英国での反日運動を身を挺して食い止めてくれた、救助されて恩義と敬意を感じていたイギリス人海軍士官の恩返しの行動のすばらしさ。 日英の間に虹をかけてくれた2人の姿に感銘します。

 

それにひきかえこのような日本軍人の美談を一切報道しない日本のサヨクマスコミは空の虹を隠そうとする。

 

現在でも日本には軍人すべてを批判的に見る反軍史観が存在しています。 日本を醜いと自虐的に教えてきた日教組や左翼による教育が日本をどれだけ醜くしてきたことか。 中山大臣が「日教組は日本のガンだ」と言った意味がこれです。 

 


今年10月フォール卿は来日し、多くの日本国民とともに工藤艦長墓前で顕彰祭を行われます。 フォール卿が戦後六十三年抱き続けた工藤艦長への思いはここに達成されるのです。 
 
【参考】
かって日英同盟が破棄されたとき、在日イギリス海軍武官達は泣いた。 それは、将来イギリスと日本が戦わなければならなくなった、と言うことを意味したからだ。 彼らは日本や日本海軍を敬愛していたので、そのことが耐えられないほど悲しかったのです。

 

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