いのちの風 561
平成21年1月9日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ
年賀状/「ついてる」で不思議と人生よくなるよ/シンクロ/捻挫 猫 頭のケガ
明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。
以下は例年通りの縦書きの平成二十一年度年賀状です。 このような字ばかりの年賀状を数年続けています。 「はがき道」の坂田道信先生に習って、昨年の私の現況と新年の決意を書くようになりました。 明日死ぬかもわからない人生で言い残しておきたいことや、皆さんへの感謝を、年に一度生の声で書くことは人生の一里塚として有意義だと、坂田先生に習いました。 心だけは若い「青年の主張」です。
送信が遅くなって、7日過ぎたら本来は「寒中お見舞い」となるですが、年賀状のままでのご挨拶となりましたこと、ご了承ください。
年賀 明けましておめでとうございます。 旧年中は色々お世話になりありがとうございました。 我が家では長男は昨春から東京で働き始めています。 野良猫の子二匹(亡き妻子の名前をつけた佐知子と邦之)との三人の生活に再び戻りました。 昨春より「ついてる 感謝してます しあわせ ありがとうゆるします」という言葉を唱え続けています。 奇跡的なことが身の回りに起こり始めています。 大阪の路上で寝ているホームレスへの真冬の寝袋配りも八年間で約八千個を配りました。 ネット通信「いのちの風」で全国に呼びかけて、いただいたカンパ金で買わせていただいています。 物としての寝袋ではなく心を野宿者へ届けたいと思っています。 今年も三月まで続けます。 寝袋配りでも不思議なことが続いています。 善循環が起こっているようです。「変化の年」今年はこの「ついてる」で乗り越えていこうと思っています。 そして私が生きている間にこの世が少しでも良くなるように祈り、結果を次の世で妻子に報告します。 今年も奮闘します。本年も皆様にとりより良き年でありますようお祈り申し上げます。
平成二十一年元旦 石黒大圓・敏之
【運がいい ついてる ついてる ついている】
年賀状にも書きましたが、この斉藤ひとりさんから教わった「ついてる」の聖句を唱えていたら不思議とシンクロニシティが続いています。 「この言葉を1日49回以上言うと不思議と人生よくなるよ」と斉藤さんは言われる。 それで寝入る時、朝起きてボーとしている時、車に乗っている時、歩いている時など、忘れていても思い出したら、すぐに唱えています。
ほとんど毎朝に行っている倫理法人会の早朝セミナーでモーチベーションも常にあがっています。 だから忘れても思い出してすぐする習慣がついています。 倫理でも「気づいたらすぐやる」を教わり、それを身につけようとしています。
「気づき」は内なる潜在意識からの呼びかけと思います。
よき方向へ向かわせようとしてくれる直感。 内なる魂、ひょっとしたらそれは妻子の守護霊からのお告げかもしれない。 それに従うことでスピリチュアルな感性が研ぎすまされる。 天佑神助かもしれない感性に信頼を寄せる。 気づいたことをすぐ実行していたら、直観力がどんどん磨かれてくると思うのです。
昨年初めに倫理法人会で成功哲学の講話がありました。 そこで聖句「私は運がいい ついてる ついてる ありがとう」を教えていただきました。 しかし私は斉藤ひとりさんの言葉の方を選びました。
斉藤さんは化粧品、健康食品を販売する会社「銀座まるかん」の社長。 ダイエット食品「スリムどかん」のCMで有名です。 斉藤さんは毎年いつも全国上位高額納税者で、多くの著書も出版されている。 この人の「ついてる」について行こうと思いました。
妻が亡くなって、心ここにあらずの時にも、小林正観さんに教わった「ありがとう」を唱え続けていました。
パンクしたタイヤに空気を入れるように、気の抜けた体に気を充満させていました。 体の中にプラス言葉を押し込めていました。 それで心が少し軽くなり、私を元気してくれる多くの出会いと機会がどんどんと現れてきました。
「大阪メチャハピー祭」「いのちと出会う会」「いのちの風」通信の始まりは、「ありがとう」から生まれたと信じています。
法華経の読経を数時間する人もいるといいます。 短い言葉の繰り返しは精神を鍛錬してくれるようです。
ウツや悩みを楽にして乗り越える気力を与えてくれます。 このプラス言葉の繰り返しは、魂を踏み固めて強固にしてくれる作用があるのではないでしょうか。 プラスの想念で心を満タンにして充実した人生を歩ませてくれる。
そしてプラス言葉はシンクロをどんどん呼び起こし、善循環の人生へ導いてくれる気がするのです。
目標を常に心に抱き一途に邁進していたら、宇宙大生命というべきものの導きがやってくるのではないか。 偶然の人との出会い、人からの良き導き、「ぴったりうまくいった」という不思議。 出会いは人生を決めるとも言われます。 頻発する偶然としか思えない出会い、導き。
物事は偶然には起こりません。 その後ろにはサムシンググレートとしか言いようのない目に見えない存在があると思います。 それがもたらしてくれるシンクロニシティは人生を加速度的に良い方向に変えてくれていくようです。
シンクロの波に乗ってこれからも人生を楽しもうと思います。
【自分から 発して戻る 自分へと】
昨秋からはこのシンクロの連続、連続、連続。 たとえば何年も会っていない旧知の知人と偶然に道でばったり出会うことが頻発して、びっくり仰天ばかりです。
そして寝袋配りでも出会う野宿者の数と寝袋の数がいつもぴったり同じ。 今期はすでに15回以上配布していますが、ほとんどがぴったりの数となって「神ごと」のようだと体が震えます。 さらに年末には大難が小難となる事件が3つも起こりました。
年末最後の寝袋配りで「グキッ!」と捻挫をしてしまったのです。 すでに私たちは1000個ほどの寝袋を配布しているので、めぼしいところでは全員が寝袋で寝てくれています。 しかしいつも同じコースをまわっても寝袋をもっていない新しい野宿者に出会います。
釜ヶ崎の商店街の店の閉まった商店の前でわずかなダンボールを体の上に乗せてジャンパー姿で寝ている人。 声をかけたらまだ30歳代くらいの若い男性。 こんな若い身で路上で寝ざるをえない、何か事情があるのだろう、起こしてすぐには身の上話を聞くには気が引けました。 しかし久しぶりに胸が熱くなって涙がこみ上げました。
そして次に行った恵比須町駅で捻挫。 終電が出たあとの路面電車の駅のプラットホームにはいつも30人ほどが寝始めます。 2車線のプラットホームには全員がダンボールで周りを囲ったり、箱型の棺おけ状態のなかで寝袋と毛布で寝ています。
寝袋を渡して線路へ降りて帰ろうとした時に足を踏み外して倒れ、グキッ!とやってしまったのです。 さいわい思ったほどの足首の腫れはなく、動き出した時だけ強い痛みがあるだけで、一晩でおさまりました。 知人の整体師にも「心配することもない」と言われました。痛めた当初は、年末年始は動けないと覚悟したのに、助かった。
しかしそれだけで終わらなかったのです。 あい前後して大事にしている猫の邦之(次男と同名、クー君)が行方不明に。 捻挫したその前日頃から我が家のあるビルのなかで姿が見えなくなった。
家のなか、倉庫のなかにもいない。 窓から外へ出てしまったのか。 もう3日ほど経ったので死を覚悟していました。
しかし警備会社から「最近、夜中に警報がよく鳴るのです」と言われた。 「猫が2階でうろついているのかもしれない。 2階のどこかにいる!」と目の色が変わりました。
捜索開始。 「いた!」 部屋の一番隅の物陰にじっとしていた。 「うれしい、生きていてくれて、ありがとう。」
しかし「クー君、クー君」と言ってもおびえて出てこない。 大きな愛らしい目をして、ふだんなら誰にでもなついて、月参りのお坊さんにも挨拶にいく奴なのに。 怖くて孤独だったのだろう。
2階が異臭で臭くなっていて、どうも猫の小便の強烈な臭いらしい、と2階の業者も調べようとしていた時でした。 死体になって現れずに本当によかった。
一度死んだ次男の「邦之」がまた死んでしまっては可哀そう。 しかし彼の2度目の死も覚悟のうえでした。
人も動物もいつかは100%死ぬ。 次男、妻、父母、4人も見送って、執着は今の私にはありません。 人にも動物にも来世がある。 また一緒に暮らせる次の世がある。 涙も一時のもの。
人はいつか自分が決めた日に、この世から「おさらば」する。 どのような死も決して非業の死ではない。
すべて決まった日に、人も動物も死んでいく。 猫の邦之も、発見されて寿命が少し先に延びただけ。
いつかまた別れの時が来る。 晴れやかに別れの儀式をしてやろう。 しかし逆に私がしてもらうこともあるだろう。 それも必然の運命におまかせ。家族が欠けることは本当につらい。
横に昨日いた一人が今日はいないことのつらさ。 仏壇で感謝の祈りをしました。
さらに彼を探している時には家具の角で頭をゴチンと強打、血が流れた。 捻挫、猫、頭の怪我、一気に来ました。 何故こんなことが起こったのか。
倫理法人会では偶然に理由もなく物事は起こらないと教えられています。すべてには原因と結果がある。 すべて意味があって起こってくる。 意味なくして物事は起こらない。 その原因と意味を知ることが大事。 そしてすべては自分が原因であって自分が招いている、と。 それを知って気づきを深めさせ、自己の魂の向上をはからせるために物事は起こってくる。
この3日間ほどのドタバタも、すべてが天からの、そして我が内からのメッセージ。 ありがたいお告げでした。
あることをしようと計画している時に起こったので「計画を中止しろ」との何らかのメッセージだったと思いました。 そしてそれを気づかせてくれるサムシンググレートに、私は「ついてる」でついていこうと思うのです。
シンクロはますます続く、以下は次回。
(完)
(縁の花情報)