いのちの風 bT89
平成21年12月26日(土)発信 石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
野宿者支援への誤解/私の心の軌跡/義憤に燃えて/当たり前でない恵み/過酷な路上生活
いつもありがとうございます。 またずいぶんと送信が遅くなりました。 なお例年より早いですが、今回で今年分の「いのちの風」送信は終わらせていただきます。 今年も皆様にはたいへんお世話になりました。 ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
今年一番の寒気がやってきました。野宿者支援をしていなかったら「ただ寒いな」と思っていただけでしょう。 しかし寒い夜にふと思います。
「路上で寝ている彼らは凍える思いでこの寒さに耐えているのだろうな」と。
「北朝鮮に拉致された人々は、この寒さのなかをどのようにすごしておられるのか」 「戦争で親を亡くした子供たちに少しでも心の安らぎが与えられることを祈ります」 「病院で今も必死で病いと闘う子供たちに希望と喜びが与えられんことを」と・・・。
どうしても野宿者や子供たち、虐げられている人々のことが目に浮かびます。 歩いていて可愛らしい幼い子供に会うと、いとおしくてたまらない! 微笑みかけたくなります。 幼い子供を失っているからこそ、子供が光り輝く存在に見えるのでしょう。
失って初めてすべてのものがかけがえのない存在であったことがわかる。 私にとって路上で寝ている人々も、苦しみながらも光り輝きながら魂の修行をされている仏に見えるのです。
苦しむ同胞へ手を差し伸べる実践は「人を仏とみる」仏道修行であり、法華経でいう「すべての人に手を合わせる常不軽菩薩」の実践です。 それがひいてはその人々と共に生きる郷土、国をいとおしむ気持ちとなり国を愛する心へとつながる。 国と同胞を慈しむ国民性は国の品格を高め、わが国の安全保障ともなりうると思うのです。
【人は 誰も 魂の修行者】
なお私の野宿者支援に関しても誤解があるようですので、ここで改めて記しておきます。 私は決して彼らを「かわいそう、かわいそう」を思うだけでやっているのではありません。 私は人情派のように「かわいそう」だけ、や人権派のように「基本的人権が無視されていることに抗議」として野宿者支援をしているのではありません。
また違法なブルーテントの生活者は支援していません。 大阪でブルーテント生活者は2千人以上、路上で寝ている野宿者は3千人以上いると思います。
野宿者たちにも自分の人生を選んできた自己責任がある、と私自身は思っています。 しかし目の前で溺れている人々を放っておけない、無視できない気持ちもあります。 大和魂ある人間なら手を差し伸べるべきだ、としていつも日の丸を意識して行動しています。
心ある日本国民がこの現状を変えていくために、行政批判ばかりでなく、自ら汗を流すことが大事だ、それが国を守ることにつながる、という信念が私にはあります。
私は病いで妻子を亡くした過程で「人はこの世の人生を前世で決めてやってきた」と悟りました。 幼い次男も短い運命を前世で選んでやってきてくれて、私たち家族へ人生について考える貴重な機会を与えてくれて、あの世に旅立った進化した魂だと信じています。
同じように野宿者たちも路上で寝る生活をわざわざ選んで、この世にやってきた。 彼らはつらい人生のなかで苦行をされている魂の修行者だと思っています。
ですから寝袋を渡す時に心のなかで手を合わせています。
「僕、何も悪いことしてへんのに、何でこんな苦しまんなあかんの」という言葉を残して次男は死にました。 その言葉の意味を探る人生が私たちに課せられました。 これが今の私の活動の原点です。
妻は9ヶ月間、病院で次男とともに生活して、苦しみに耐える彼の姿や急変する病状に一喜一憂の日々をすごしてきました。 夜には病室から聞こえてくる他の子供の母親たちのすすり泣きに寝られない日々もあったことでしょう。
愛する次男への必死の看病が報われなかった妻に胃ガンが宣告されたのは平成7年末でした。 妻の父も胃ガンでした。 そして妻の実家で母と私による夜昼交替の懸命の介護を受けながら1年9ヵ月後に実家で亡くなりました。
最後の1ヶ月間は知人の紹介で来ていただいた気功の先生方の介護も受けて、亡くなる当日の昼食もするほどの元気さでした。 病院で管だらけになって苦しみながら死ぬ悲惨さからまぬがれましたとは、妻にとっては幸いだったと思います。
【義憤に燃えて 血潮湧く】
「死んだら終わりだ」「あの世はない」という唯物主義が日本に蔓延して居ます。
そのことによって逝く人も残された遺族たちをも、もうお互いに二度と会えないんだと思わされて、悲しみのどん底に突き落とされています。
そのような唯物主義、そこから生まれた共産主義に今は怒りを感じています。
それだけでない。大阪の路上で100以上も野宿者が死ぬと聞いて、そんな馬鹿なことがあっていいものか!
しかも体調が悪くて救急車で病院へ運ばれて結局亡くなる人が毎年700人くらいいる。 全部で1千人くらいが死んでいる大阪の現実。
貧しい人々が生きる、たった1キロ四方の釜ヶ崎は世界トップクラスで肺結核が多い場所です。 豊かな大阪、日本でそんなことがあっていいものか!と、このことにも義憤に震えました。
アフリカ難民でさえ、そんなことをしている日本を非難している。 お年寄りは世界のどこでも大事にされている。
そのような年老いた人々を路上で死なせるなんて、なんと恥知らずな日本人だ、と貧しいアフリカ人にまで言われる。
これは大阪の恥でないか、世界の人々が知ったら日本の恥ではないか、と怒りに駆られて野宿者支援をやっています。 日本を立派な国にしたい、誇るべき国にしたい。
その活動のためにもやっています。
【当たり前でない 恵みに 生かさせて】
妻が亡くなって2年ほどしてから、目の前の商店街の路上で夜半にオヤジ狩りに会い殺されかけました。 その時には財布を取られて終わったのですが、それだけでは済みませんでした。
そののち左肩の痛みの後遺症がひどく、苦しみつづけウツにもなりかけました。
しかし半年たったある日、その痛みがここ1時間ほど無いやないか、と気づいた時どっと涙があふれました。
痛みのないのが「当たり前」のように暮らしてきた。 その前の痛みのない日々がどれだけ「恵み」に満ちたものだったことか。 妻子がそばにいる、家がある、毎日食事ができる、仕事がある、目が見える、体が自由に動く。
当たり前と思っていたことが「当たり前」ではなく、「天から恵み」そのものであると腹の底から悟ったのです。
それらがなくなった時どれだけつらい思いになるか。 昨日不渡りを受けていたら気は動転しています。 家族が危篤だったらじっとしていられません。
大地震が今あったら押しつぶされて死んでいます。 何もいま困ったことが起こっていない、日々の一瞬一瞬が恵みそのもの。
その「当たり前でない恵み」のなかで私は日々生かされている、と知ったのです。
一方で恵まれていない人々を放っておけない気持ちが、たまたまご縁があった野宿者支援につながりました。 これとご縁がなかったら病院で闘病している子供たちを支援する活動に参加していたと思います。 妻が亡くなる間際まで日記を書いていました。
「元気になったらお世話になった方々にお返しをしたい」と。
私の活動は亡くなった妻子が生きている間にいただいていたご恩に感謝して、また天からいただいている恵みへの恩返しを、本人だけでなく他の人々へも妻子に代わって行なっていくものです。 古いかも知れませんが、昔から言われている報恩感謝の行だと思っています。
妻と次男の命を救えなかった分、路上で死に行く人々を救いたい。 彼らに限らず、恵まれない人々を放っておけない気持ちなのです。
私の背中をいつも押してくれ導いてくれている二人に代わって、彼らの分までこの人生を輝かせて生きて行きたいと思っています。
私は寝袋配りをしていて、どぶ板の上で死んでも本望です。
亡き二人がすぐに光の世界から迎えに来てくれます。 「来世は光輝く世界だ」という古来からの霊的信仰を再び日本に復興させたい。 そのためにこの命を捧げることを二人は望んでいること信じています。
【命救えた喜びが 今日も心支える】
先日、大阪駅前炊き出し現場で、腹膜炎で腸がはみ出ていた野宿の老人を救いました。
その老人はいつも上着にネクタイ姿で何年も前から大阪駅前炊き出しに並んでいました。 そしてもらっていくのはカッターシャツだけ。
その人が「救ってほしい」と哀願してきた。
よく見るとおなかが腫れて腸がはみ出ている。 皆で救急車を呼んで、その老人を病院へ搬送させました。
結果は、十二指腸潰瘍で腹膜炎となっていてすでに腐っていた。
ここ10日ほど痛みで路上の寝床で七転八倒して地獄の苦しみだったといいます。 もう数日遅れていたら死んでいた末期症状だったそうです。
前の週の炊き出しの時にそのことを訴えてくれたら こんなことにならなかったのに。 我慢強い人でした。
炊き出し現場の衣類配布でもらうのもカッターシャツだけ。 誰かの世話になるのが申し訳ない、という思うほどの人格者だったのでしょう。
衣類も自分ではなくて他の人に回してあげてほしいと思うほどの慈悲あふれた人だった。
実はその老人は、昔は船場で3代続く老舗の社長だったそうです。 バブルの時に息子にはセルシオを買ってやり、娘は大金持ちが住む芦屋へ嫁がせた。
しかし息子といさかいがあり、妻も娘も死んで12年前に家を一人出た。 家の中の処分はすべてクロネコ運輸の運転手に任せた。
その12年前のその日付、時間も覚えているという頭脳明晰な人でした。
安全のために、お金や妻の遺影、銀行通帳など必要最小限のものは駅前のロッカーに毎日入れている。
77歳なら生活保護を確実に受けられるのに、受けていなかった。
おそらくお上のお世話になるのを躊躇する真面目な日本人魂をもった人だったのでしょう。 こんなすばらしい日本人がいることに日本人の一人として誇りを感じました。
このような人々がもっと野宿者のなかにもいるはずです。 その人々のお世話をすることに栄誉を感じました。
また先週金曜日夜、寝袋配布をしている時に天満橋に近いエルおおさかビルの下で寝ている老人を救いました。 体が震え体調がすぐれない。 隣に寝ている野宿者が「この人このまま放っといたら死ぬで」と言うので救急車を呼びました。
20年前まで産廃業者の会社で勤めていてその後はずーと路上で寝ていた。 ブルーテントは違法なのでブルーテントに住むことはなかった。 その律儀さに胸が熱くなりました。
今は生きるか死ぬかの状態で集中治療室に入っておられます。 私たちが動いていなかったらエルおおさかの前に凍死体が次の朝には横たわっていたでしょう。 妻子が彼を救うように導いてくれたと思っています。
この晩一緒に寝袋配りに初めて参加していただいた若者2人のうちの一人が「今回はいかに路上生活が過酷であるかというのを実感する大変良い機会となりました」とメールをくれました。
【党派越え 支援すべきが 狂気あり】
11月25日の産経新聞朝刊に「ホームレスに寝袋を!」という記事が載っていました。 また12月15日にもテレビのニュース特集の一部として「ホームレスに寝袋を配る男たち、不況の冬、凍死しないで!」と放映がありました。 これは私たちの活動の紹介ではなく、もう一つの寝袋配布グループ「ろくな者じゃの会」でした。
この会のリーダーHさんは共産党シンパです。
最初私は彼の思想を知らずに参加しましたが、私と思想が違うということで1年後に排除されて、9年前から私独自で寝袋配りを始めました。
彼の会は日本共産党や左翼弁護士会で支援されたり表彰を受けたりしています。
愛国保守で野宿者支援をしているのは堺の西村眞悟先生(前衆議院議員)や私などほんのわずかです。
善意の野宿者支援カンパのご協力をお願いいたします。
振込は左記へお願いいたします(良彦が本名)
三井住友銀行船場支店 普通1858882 石黒良彦
郵便振替番号 00990-8-110746 石黒良彦
また男性ものの防寒衣類のカンパもお願いいたします。
送付先は左記へお願いいたします。
541‐0056大阪市中央区久太郎町3―4―18
石黒大圓 090-1146-7351
(完)
【リンクのホームページ】
@ インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加し閲覧し、自分のブログ日記を作成することはできません。
参加無料。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/list_diary.pl?from=navi
ここには「いのちの風」用の下書きの文章をたくさん書きためています。
↓
・中国国家主席は中国人民をどれだけ弾圧、虐殺に成功したかによって選ばれるようである
・中国は習近平の天皇陛下への謁見をあきらめていた
・来夏「聖将、今村均将軍」について「先人に学ぶ人間学塾」で語る
・昨日は今上天皇のお誕生日そして昭和23年にはA級戦犯が処刑された日
・着ぐるみトラッキー掃除屋が大阪駅前に出没
・レーの炊き出し現場で英語のクリスマスソングという不釣合い
・今年最後の釜ヶ崎でのカレーの炊き出しへ行って来ます
・【動画】小沢一郎のソウル国民大学での演説
・小沢一郎「日本人は寄生虫、害虫」
・【未来空想シュミレーション】対馬を韓国から解放する小沢解放軍司令官
・今日は赤穂浪士の討ち入りの日、そして亡母の誕生日
・天狗の正体は古代イスラエル人だった
・オバマ大統領は平和ボケの大統領ではない
・大阪御堂筋にも光のトンネル、ルミナリエ登場!
・鞍馬の祭りはユダヤの祭り
・真意がわからない蒋介石の心
・アメリカの容共派の将軍や国務長官が共産中国を生み出した!
・蒋介石は日本にとって善意の人だった?
・戦後の連合国による分割統治に猛然と反対した蒋介石?
・昨日は大東亜戦争開戦の日
・武装せる日本国家神道
・大東亜戦争は無謀な戦争だったのか?
・共産党別働隊、川田龍平は「みんなの党」入党で左傾化を狙う
・名曲「東京だョおっ母さん」は巡礼の道
・寝袋配布体験ツアー&釜ヶ崎ナイト体験ツアー
・【再度】中国少数民族留学生支援のための生活用品カンパのお願い
・ある会で感動していただいた私の3分間自己紹介スピーチ
・「日本人はいずれ憲法改正をするに決まっている」とアメリカ人は見ていた
・自分のためでなく人のために死ぬことが尊い
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A「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
(毎月3回知人300人へ送信している、国を憂う志、野宿者支援、いのちについて書き綴っている通信。政治的には愛国保守の内容です。最新のbT86まで更新されました)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
↓
・石黒大圓さんの自己紹介文
【冬もの衣類カンパのお願い】
いのちの風586 いのちと出会う会/今年最初の野宿者への寝袋配り/国家意識なき赤いエリート
いのちの風585 不動明王/いのちと出会う会/日本の守護神、中川氏/外国人参政権反対デモ/地震予知
いのちの風584
寝袋カンパ/いのちと出会う会/鳩山不況/排出ガス25%削減/夫婦別姓法案
いのちの風583
デモのトラッキー大圓/講演「お盆と日本」/般若心経・治る 治る きっと治る
いのちの風582
いのちと出会う会/民主党へ抗議街宣/選挙違反/原爆投下へ抗議/京都NHKへ抗議デモ
いのちの風581
民主大勝/いのちと出会う会/もう選挙はこりごり/バカにするな!/日本消える
いのちの風580 トラッキーの桃太郎/改革クラブと平沼グループ・応援/小児がんの子ら富士登山
B 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り
越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」
釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
http://www.noseh.com/home3/royalnews.htm
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石黒大圓
(縁の花情報)