いのちの風 bU16―その2 
平成22年12月30日(木)発信 
石黒大圓(だいえん)

 
 
【今回のテーマ】 
寝袋配りが新聞記事に/思いやりを届ける「シークレットサンタ」
 
 
(その1からのつづき)
 

貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。 だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。 だが彼はまたしても試練を与えられる。 1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
 
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。 ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。 店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。 ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
 

この日はクリスマスだった。 女性は嬉しそうに礼を言った。 その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。 そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
 
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。 シークレットサンタが誕生した瞬間だった。 20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。 それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。
 

家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。 ラリーは落としてしまったと答えた。 すると妻は怒るどころか、「仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね」と微笑むだけで文句を言わなかった。
 
翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。 そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。 そしてその金額は少しずつ多くなっていった。
 
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。
 

ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。 彼は家族にも言っていなかったのだ。 彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。
 
すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えた。 以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。
 

1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。
 

一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。 そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
 
その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。 本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。
 

男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。 ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。 そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。 自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
 
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。 当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。 それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。
 

テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。 人を思いやる気持ちは健在だった。 そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
 

2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。 2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。
 
だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。 彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。 正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話します。
 

その反響は大きかった。 2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。 大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。 その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。 そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
 
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。 それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。 生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。 今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。』
 

「シークレットサンタ」
http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-10738234727.html#main
 
シークレットサンタ1
http://www.youtube.com/watch?v=9z3fltB_3uM 
シークレットサンタ2 
http://www.youtube.com/watch?v=hrgMZOnwjTc&feature=related 
シークレットサンタ3
http://www.youtube.com/watch?v=WgDYfrJ9Fw8&feature=related
 

(完)
 

【リンクのホームページ】
 
インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加し閲覧し、自分のブログ日記を作成することはできません。 
参加無料。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617&from=navi 
ここには「いのちの風」用の下書きの文章をたくさん書きためています。
  ↓
・氷河期に向かう地球―2011年から気候寒冷化
・「私もあそこで寝ていて寝袋をもらったのですよ」と電話
・今日は天長節、今上天皇のお誕生日、そして昭和23年にはA級戦犯が処刑された日
・野宿者たちが寝ている横で寝てダンボール棺おけでの野宿体験をした
・人生何が起こるかわかりません
・尖閣と皇室は関係ある!?
・民族対立の裏に移民問題あり
・【3K移民】モスクワ大暴動、スイスの悲劇、ドイツの移民政策の失敗
・難波駅前での尖閣署名で絶叫していた大圓
・幸福の科学・大川総裁の離婚騒動、妻を悪霊呼ばわり
・今晩から大阪・御堂筋の豪華イルミネーション点灯
・・・・・
 
(以下略)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
石黒大圓
メールアドレス gytkm947@ybb.ne.jp 


(縁の花情報)

          いのちの風通信  縁の花支縁サイト

          縁の花 トップページに戻る