いのちの風 bU21
平成23年2月28日(火)発信 石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
チベット支援デモ/内モンゴル植林に抗議/いのちと出会う会/一片のパンを幼いマリコに/焼き場の少年
いつもありがとうございます。 東京では先週に「春一番」が吹き、大阪でも突然暖かくなってきました。 路上で凍死する人もいなくなって私たちの寝袋配りも終盤期になってきました。 しかし3月末まで続けます。
最近忙しいのと体調がすぐれないため、最近会った野宿者たちの実情を書いた下書きはあるのですが、まとめる時間がありません。 次回にさせていただきます。
● チベット支援「Free Tibet in
大阪」デモ行進が、3月12日・土に行なわれます。 尖閣諸島をはじめとした領土を中国に狙われている日本にとって、チベットの悲劇はひとごとではありません。 1959年のラサ蜂起記念日3月10日に合わせて行ないます。
12日・土 13時集会開始
14時デモ出発(大阪市西区靱公園靱公園〜御堂筋〜難波駅近辺で解散、約2km)
主催:CP&JAPAN(中国民族問題研究会の殿岡先生や中国問題に絞って活動する若手中心の団体)
主催:CP&JAPAN
http://cpandjapan.sakura.ne.jp/
●
昨年私が抗議したてんつくマンたち主催の「地球に緑と笑顔が増える『ハッピー内モンゴル植林フェスティバル☆2011』大阪」が、今年もこりずに行なわれます。
3月13日・日 13時〜19時 大阪・豊中市民会館大ホール06-6864-3901(阪急曽根駅より東へ3百m)
出演者は、てんつくマン氏(「107+1〜天国はつくるもの」映画監督)、大嶋啓介氏(「居酒屋甲子園」初代理事長、居酒屋てっぺん代表)、田中優氏(未来バンク事業組合理事長)、南ぬ風人まーちゃんうーぽー氏(西表島の三線アーティスト)、など。
今年も再度、「モノ申す」の抗議のチラシ配布を会場前で行なう予定です。
中共による内モンゴル民族抹殺政策に加担して植林しようする媚中、親中派に抗議します。
中共による内モンゴル民族大虐殺に関心をもたず、死者への慰霊もせず、日の丸は掲げず、中共の五星紅旗を振り回して悦にいる売国奴どもに鉄槌を加えます。
ご賛同・協力いただける方は会場前に12時にご参集ください。
昨年は2人だけで決行しました。 詳細は次回に。
「〜地球に緑と笑顔が増える〜『ハッピー植林フェスティバル☆2011』大阪」
http://happy-fes.kajipito.net/2011/
● 私が所属しています倫理法人会から送られてくる「職場の教養」には、一ヶ月分の日々の朝礼に使うのにちょうどいい文章が載っています。
2年前ほどの4月30日号には、以下の『一片のパンを「幼いマリコに」』の要約が載っていました。
「軍事評論家=佐藤守のブログ日記・家族や国を思う気概(写真付き)」(2007-11-06)に、同じ内容が詳しくまとめて書かれていましたので転載いたします。
(前略)
今朝の産経新聞「やばいぞ日本」には泣かされた。 元ハワイ州知事だったアリヨシ氏(81)からの手紙がその主題である。 アリヨシ氏は、終戦直後の1945年秋に進駐軍の一員として東京の土を踏んだが、最初に出会った7歳の「靴磨き少年」の話題である。
「靴磨き」とか「浮浪児」という言葉さえ今の少年達は知らないだろうが、この少年が両親を失い、妹と二人で過酷な時代を生きていかねばならないことをアリヨシ氏は知ったのである。
「少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えをしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。 彼(アリヨシ氏)は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。 持ち出しは禁止されていた。 だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。
少年は『有難うございます』と言い、包みを箱に入れた。 彼は少年に、何故箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。 少年は『おなかはすいています』といい、『3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです』と言った。
アリヨシ氏は手紙にこのときのことをこうつづった。『この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した』と。
・・・アリヨシ氏の手紙は『荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思い出す。 それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ』と記されていた。 今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。
『幾星霜が過ぎ、日本は変わった。 今日の日本人は生きるための戦いをしなくて良い。 ほとんどの人々は、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。
全てのことは容易に手に入る。 そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。 義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ』」
一枚のバターとジャムが塗られたパンを分けて食べる、この兄妹の姿が浮かぶ。 どんな会話を交わしたかも・・・
【弟を 荼毘に付す 兄哀れ】
● 更に2面には、米海軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が、長崎市浦上川周辺の焼き場で撮った、亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている「焼き場の少年」という題の次の写真入りで、オダネル氏の回想文が紹介されている。
「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。 小さな身体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。 少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。 (略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。 わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。 (略)私は彼から目をそらすことができなかった。 少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。 私は彼の肩を抱いてやりたかった。 しかし声を掛けることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」
私はこの写真が掲載されたグラフを持っているのだが、弟を荼毘に付すわずか10歳の兄の心情はもとより、多分亡くなったであろう彼の両親の真情を思うと涙が止まらないのである。
親として、これほど気がかりな「別れ」はあろうか!残したわが子の生き方を思うとき、親としては死んでも死に切れない気持ちであったろう。
靴磨きの少年は私の1歳年上、そして写真の彼は4歳年上である。 御存命なのかどうか・・・そして今の同じ世代(7歳や10歳)の少年達との違いは「何からくるのか」と深く考えさせられるのである。
アリヨシ氏は、「今日の日本人は生きるための戦いをしなくても良い」存在だと書いた。 その恩恵は一体誰から受けたものか、今生きている我々は想像したことがあろうか?
戦後の廃墟をとらえた写真集が手元にある。 講談社発行の「週刊YEAR BOOK・日録・20世紀」と、朝日新聞社発行の「週刊20世紀」である。 その中から終戦前後の写真を掲載するが、こんな惨めな時代があったことなど、今の若者には理解できまい。
この廃墟から両親たちの懸命な努力で立ち上がって、今の「豊かな」生活があることを、21世紀を生き抜く青少年達に再認識してもらいたいものである。
今朝の産経の「やばいぞ日本」は、「厳しい時代に苦闘と気概の物語」があったことを思い出させてくれた。これが今の日本人が「忘れてしまった大切なもの」であることは確かであると私は思う。
(写真付き 「焼け野が原の東京」「空襲に耐える市民」「終戦」「引き揚げ」)
(完)
【リンクのホームページ】
● インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加し閲覧し、自分のブログ日記を作成することはできません。
参加無料。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617&from=navi
ここには「いのちの風」用の下書きの文章をたくさん書きためています。
↓
別のグループによる「寝袋いりませんか」
・寝袋はいりませんか? 石黒大圓さんに同行しました
・生活保護を拒否するホームレス
・西村眞悟先生からお米のカンパ、「國の支え」に私の論文掲載、今年はついている!
・ブータンにおける民族浄化と人口の1/5が難民となる
・西村眞悟先生の時事通信に私のことを書いていただいた
・昨夜は長尾和宏先生と一緒に寝袋配りへ
・氷河期に向かう地球―2011年から気候寒冷化
・「私もあそこで寝ていて寝袋をもらったのですよ」と電話
・今日は天長節、今上天皇のお誕生日、そして昭和23年にはA級戦犯が処刑された日
・野宿者たちが寝ている横で寝てダンボール棺おけでの野宿体験をした
・人生何が起こるかわかりません
・尖閣と皇室は関係ある!?
・民族対立の裏に移民問題あり
・・・・・