いのちの風 bU37―その1
平成23年10月1日(土)発信
石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
日の丸行進/いのちと出会う会/旧真田山陸軍墓地/シベリア抑留/伊藤忠商事へ抗議
いつもありがとうございます。 皆様いかがお過ごしでしょうか。 「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いますが、朝晩が少し涼しくなりました。 夜には秋の虫の声も聞えます。 今年は特に早く、最低気温は10度台となりつつあり、本格的に秋到来です! 今年は寝袋配りを少し早く10月中旬から開始します。
●「10月16日(日)開催 『第四回日の丸行進』
今回から「自衛隊の皆様 ありがとう」の看板は、はずして「日本唱歌を歌う日の丸行進」一本で行ないます。 最初から「自衛隊ありがとう」は3回やると決めていました。 6月、8月、9月とやりました。
しかし幟やプラカードは圧倒的に「自衛隊の皆さん ありがとう」で占めたままで年中行ないます。
【集会開始】13時(今月はいつも通りになりそうです)
【集合場所】「新町北公園」(元・大阪厚生年金会館の南隣)
(第5回は11月20日(日)開催。原則として第3日曜日開催。12月は18日開催)
●「10月20日(木)第108回『いのちと出会う会』
『娘の自死が教えてくれた親子の絆』
一人娘を自死で亡くした高杉さんは親子の心の絆がいかに大事かを痛感されて、助産師として子育てに悩む母親たちの支援をされています。お産は女性が命をつなぐ女神様に変わる素敵な瞬間です。親が笑えば赤ちゃんも笑う。お産を通して家族の絆が深まり、ひとつのいのちを通して、家族が結束し、互いに支えあって成長していく。そんな日本本来の家族の原点に戻るお手伝いをされています。
高杉千代子さん(カヌシャガマ高杉助産院院長)
十八時半 千円 應典院6771-7641
●「10月10日(祝・月) 『第12回大阪メチャハピー祭』開催」
(大阪城ホールなど、10時20分〜19時半)
子どもたち中心に5000人の踊り子たちが集まる「大阪のよさこいソーラン祭」には、私は今年もトラの着ぐるみを着て場外参加します。体の前後に「祭」のポスターをつけて、サンドイッチマンをしてきます。また子どもたちに食らいつかれて無茶苦茶にされるでしょう。
【明治の世 命捧げし 人を偲びぬ】
前回の通信で「旧真田山陸軍墓地」について少し書きました。 今回はその詳細です。
「8月15日、お盆の日=終戦記念日に、忘れられた墓標にローソクを捧げたいと思っています。 私たちは約1千柱に献火します」というイベントありました。
主催者は9月の「日の丸行進」の新聞写真に写っておられ「NPO法人大楽小楽」の石黒一氏です。 JR環状線・玉造駅の南西へ徒歩5分の所にあります真田山陸軍墓地で行なわれました。
戦後、旧日本軍人は侵略兵士として見なされ、打ち捨てられる風潮になってしまって、さぞや無念の思いで草葉の陰で泣いておられることでしょう。 戦没者将兵慰霊の習慣がなくなった現代こそ、戦没者顕彰の催しに集い、今は亡き英霊に感謝と追悼の意を捧げたいと思い参加しました。
大阪市内の真っ只なか、住宅街のすぐそばの広さ4500坪の大墓地には四角い柱の膨大な数の墓碑が林立してその異様な光景に驚かされます。 この墓地は明治4年に創建され、今日でも戦前の面影を最も多く残している日本最大の旧陸軍墓地です。 昔は入口に陸軍軍人が門兵として立って厳かな雰囲気だったそうです。
ここには主に明治の西南戦争や日清・日露戦争で戦病没者した兵士や下士官約5300名を祀っています。また「馬丁」「鍛冶工」など兵士でない人々、日清戦争に従軍した軍役夫の墓が皆と同じ大きさの墓で並んでいます。 兵士でない人々も一緒に祀られているのです。
そしてここに埋葬された者は、戦死者だけではない。軍隊内の病死、事故死、自殺者、清国兵、ロシア兵などの捕虜の墓標もあるのです。 戦地から大阪の病院へ傷病兵として日本へ送られてきて亡くなった外国の方も多い。 日本将兵でない人々にも同様の扱いをしていた明治の人々の思いが伝わってきます。
夕方に墓地の集会所で陸軍墓地のいわれの説明を受け、墓地内をめぐりながら案内説明を受けました。 そして暗くなってから全員で集会所の隣にある約1千柱の墓の前に設置したローソクに献火しました。
この日の恒例として近所のお寺の住職や檀家の方々が、残りすべての墓標にローソクを供えておられました。 私たちの一部参加者もそれに協力しました。 数千もある苔むした、今にも崩れそうな墓に、夜になって真っ暗のなかロウソクの灯明をともすのです。 まるで京都・化野・念仏寺の千灯供養のようなおもむきでした。
この日本の、大阪のアーリントン墓地とも言える、雑草ぼうぼうの膨大な墓群の前にひれ伏して「今まで存在を知りませんでした。非礼をお許しください」と涙が出そうでした。
ここに眠る祖国のために命を捧げられた方々のことが、今の日本の繁栄のなかで完全に忘れ去られていいのでしょうか。 イベントの最後に、集会所のそばで鎮魂の歌曲「海ゆかば」「ふるさと」「涙そうそう」を参加者全員で涙ながらに合唱して解散となりました。
(その2へつづく)