いのちの風 bU51―その1
平成24年3月9日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
殉難の国士・作本晃一さん/予期した死/日の丸掲げ天国凱旋
いつもありがとうございます。 前回の続きですが、2月19日の「日の丸行進」のあと、5日後に亡くなられた作本晃一さんのことを書かせていただきます。
【作本さん あなたのことは 決して忘れない】
2月23日の新聞に「コンテナ崩れ運転席直撃 運転手死亡 大阪・南港」との記事が載りました。これを偶然見つけて「この亡くなったドライバー、作本晃一さんとは日の丸行進に参加された方ではないですか」と日の丸行進へ毎月へ参加されている西谷さんから電話がかかってきました。
記事には「23日朝、南港のフェリーターミナルで、トレーラーがUターン中に積んでいたコンテナ(約20トン)が崩れ、運転席を直撃した。運転席が大破し、中にいた大阪府和泉市万町、運転手作本晃一さん(37)が死亡した。(以下略)」とありました。
その後、西谷さんが執念のように彼の情報を警察や勤め先の運送会社に当たられたが、何も得られなかった。 「携帯にかけても出ない。どうしたらいい」
と悲痛なメールを皆さんにかけられていました。 しかし結局、作本さんの携帯に電話をかけ続けて、妹さんがやっと出られ葬儀の日程などがわかりました。
25日にお通夜に参りました。 彼の寝顔を拝見させていただきました。 寝顔はきれいでした。 内臓破裂で即死だったようです。 泣きそうでした。 おつるさんは泣きじゃくっておられました。 日曜日にはあんなに元気で笑顔だった人が・・・。
彼が参加してきたデモの主催責任者たちも集まっていました。 ご家族は彼が愛国運動をしているとはまったく知らなかったようです。「本人は死んでいるとは思っていず、この近くに来ているのではないか」と皆で話合ったことでした。
西谷さんからの連絡を受けて、おつるさんが彼のことを彼女のブログで書いてくれました。 それをご家族がネットで「作本 事故」で調べていて見つけられ、彼の愛国活動の姿が初めてわかったようです。 「日の丸行進」の時に多くの方々とご縁をいただいていなかったら 彼はご家族や友人、知人にしか知られないまま葬られたかもしれないのです。
ご家族にも知られず行なっていた彼の素晴らしい活動が、私たちとのご縁でご家族にも知られることとなりました。 彼のことを家の誇りと思っていただき、そのことが家族のなかで後世まで語り継がれて行かれていただけたら幸いです。
【死期予知し 別れに来たる いじらしさ】
彼については不思議なことがありました。 「虫の知らせ」というものもあります。 亡くなる前に家族や親しい人に会いに行くという話も聞きます。 彼の場合は、まるで自分の死を予期していて、死ぬ前に多くの愛国同志との絆を「日の丸行進」の日に一気に深められたような気がします。
・ 何度も日の丸行進に参加されていたのに、2月の日の丸行進の日の朝に、「大きな日の丸を持ってきました」と 初めて私に挨拶に来られました。
・ 色々なデモに参加されていたのに、どの懇親会へも出られたことがなく、2月の「日の丸行進」の懇親会には初めて出席されました。
・
そして偶然というか、南木さんや西谷さん、おつるさん、私と同席に座られた。 隣同士に座られていなかったら、彼の死は誰も知られないままだったでしょう。
・ 彼は自分の死を予知して私たちと隣同士に座ったとしか考えられないのです。 彼の遺志を継げてもらえる人々を選んであの世に旅立ったのでしょう。 けなげな思いの人だったのです。 今も胸が熱くなります。
・ 彼は談笑が始まってから、自分の親の信仰で意見が合わずに悩んでいる、などと心のうちを私たちに語るまでになっておられました。 一人悩んで心の友を探しておられたのでしょう。
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そして5日後に西谷さんが偶然にあんなに小さな記事、彼の事故死を報じた産経記事を見つけられたのが、そもそもの始まりでした。 偶然にしてはできすぎです。
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懇親会で南木さんと西谷さんが初めて会われて名刺交換されて、西谷さんが南木MLに参加されました。
彼は作本さんの死を私たち仲間に伝えて、そのうえに参加したばかりの南木MLに初めて投稿し、全国の数百人のMLの皆さんが初めて作本氏のことを知ったのです。
・ 懇親会で西谷さんが南木さんとの出会いが彼の死の前にあったことも不思議です。 まるで事前に自分の死を知っていたかのように、彼の死を多くの人に知られるように、手配されて亡くなっていかれたようでした。
・ 2月の「日の丸行進」にはニコニコ動画をアップしてくださっている松本さん、 ユーチューブに動画をアップしていただいている田辺さん、2人が来ていただいていました。2台のカメラによって作本さんの凛々しい最後の勇姿を日本全国の方々にご覧いただけました。 2台のカメラに映って彼は死の前に最後の全国デビューを果たしました。それも不思議です。彼は幸せ者です。
(その2へつづく)