いのちの風 bU54―その2 
石黒大圓(だいえん)

 
 
【今回のテーマ】 
いのちと出会う会/映画「マーガレット・サッチャー  鉄の女の涙」/焼き場の少年
 
 
(その1からのつづき)
 
 
官邸に偉大な指導者として「サッチャーの肖像画」が飾られることとなり、その除幕式に彼女は呼ばれることになった。 しかし彼女はその前夜に自分の思い出をすべてゴミ袋に入れ、式典には出ないと返事したところで、この映画は終わる。 名誉欲のある俗人政治家なら除幕式に喜び勇んで出かけたことでしょう。 サッチャーはそれだけでも賞賛に値する。 
 
英国はサッチャーによって大英帝国復活の夢を一時的にも味わえた。日本にもサッチャーのような政治家が出現してこそ栄光ある「大日本帝国」は再興して世界を救える国家たりうるのです。 多くの拉致被害者さえ奪還できない日本にとってサッチャーは理想の政治家です。 
 
 
彼女は引退したのち老いてからは亡夫の幻影の姿がいつも部屋に出てくる。 ユーモラスな夫は首相時代にも、彼女の陰となり日なたとなり彼女を支え続けていた。 その夫婦愛のすばらしさ。 
 
そして亡き彼と対話する姿と、若かりし頃から首相となるまでの一人の愛国者としてのストーリー展開が重なり、また妻を失った自分とも重なって私は何度も胸が熱くなりました。 名女優メリル・ストリープの老け顔のメークと彼女の演技がすばらしいです。 
 
 
ぜひご覧になってください。大阪・東京では4月19日(木)まで上映中です。 「国を思うとはどんなことか」と、この映画によって思い至ります。 日本にも「鉄の女、サッチャー」が必要です。いつかDVDを買って、日の丸行進のため気持ち高揚のエネルギー源にします。 
 
 
 
【凛とした 姿生みだす 日本の誇り】
 
 
 
以下は「いのちの風」bU49「一片のパンを幼いマリコに」の続きです。
 
 
「焼き場の少年」(3つの記事から合作して引用します)
 
『終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。
 
 原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。 素足が痛々しい。 オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学学館発行)でこう回想している。
 
 
 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。 小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。 少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。 (略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。 わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。
 
 
(略)私は彼から目をそらすことができなかった。 少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。 私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。 私は彼の肩を抱いてやりたかった。 しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」
 
 
私はこの写真が掲載されたグラフを持っているのだが、弟を荼毘に付す僅か10歳の兄の心情はもとより、多分亡くなったであろう彼の両親の真情を思うと涙が止まらないのである。親として、これほど気がかりな「別れ」はあろうか! 残したわが子の生き方を思うとき、親としては死んでも死に切れない気持ちであったろう。
 
 
 靴磨きの少年は私の1歳年上、そして写真の彼は4歳年上である。 御存命なのかどうか・・・そして今の同じ世代(7歳や10歳)の少年達との違いは「何からくるのか」と深く考えさせられるのである。
 
 
アリヨシ氏は、「今日の日本人は生きるための戦いをしなくても良い」存在だと書いた。 その恩恵は一体誰から受けたものか、今生きている我々は想像したことがあろうか?
 
 
戦後の廃墟をとらえた写真集が手元にある。 講談社発行の「週刊YEAR BOOK・日録・20世紀」と、朝日新聞社発行の「週刊20世紀」である。 その中から終戦前後の写真を掲載するが、こんな惨めな時代があったことなど、今の若者には理解できまい。
 
 
この廃墟から両親たちの懸命な努力で立ち上がって、今の「豊かな」生活があることを、21世紀を生き抜く青少年達に再認識してもらいたいものである。
 
 
 今朝の産経の「やばいぞ日本」は、「厳しい時代に苦闘と気概の物語」があったことを思い出させてくれた。これが今の日本人が「忘れてしまった大切なもの」であることは確かであると私は思う。
 
 
戦争は武力の戦いである。 武力で負けることは恥ではない。 戦いに負けても、こういう毅然とした、しかも思いやりに満ちた態度で外国人の心を揺さぶる少年達がいた。 このような少年達を生み出したかつての我が国を誇りに思う。 そういう国家を再び取り戻すことは、困難ではあるが、不可能ではない。
 
 
苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛・・・。 こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。 それは自らの努力と気概、そして米軍放出やララ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。
 
 
当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。 日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。
 
 
こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる』
 
 
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20071106/1194316281  
2007-11-06 家族や国を思う気概 (写真付き)
 
JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■
 終戦時の二人の少年 
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/wing1364.html 
 
いのちの風bU21
チベット支援デモ/内モンゴル植林に抗議/いのちと出会う会/一片のパンを幼いマリコに/焼き場の少年
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro600/inotinokaze621.html 
  
 
                   (完)
 
 
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  ↓
・賛否両論が映画「サッチャー」にはあります
・電気が止まったら「ざまあ、見ろ!」と言おう
・大阪にニューヨークのようなセントラルパークを!
・帝国主義(軍国主義)がうかがえる、童謡「すずめの学校」  はーあー?
・40年前のニューヨークでの私の思い出
・「国内発」の日本をおとしめる謀略に知らず知らずに手を染めている「わずかの放射能でも恐い」派
・神国日本の土壌は放射能を浄化する偉大な力をもつ
・ 「放射能に愛は必要ない」と思われるのかどうか
 
 
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