いのちの風 bU60―その2
石黒大圓(だいえん
【今回のテーマ】
寛仁親王ご薨去/皇族への不敬な言葉使い/NHK「平清盛」/ひうらさんの思い出
(その1からのつづき)
【尖閣占領は 日本侵略の 前哨戦】
「6月3日 護れ尖閣! 石原都知事を支持する国民大行進in大阪」のデモに参加してきました。 この日は曇り空の下、涼しいなか90余名の愛国者が集まられました。
「日の丸行進」は連続10回も雨にたたられず、この種の別のデモに昨年以来3回参加した時にも曇りか晴でした。 連続13回です。 日本の神様に護られています。
台灣建國應援團の田邊様が撮影された、当日の動画
http://ilha-formosa.org/?p=18011
集合場所および沿道で募金活動を行ない、40370円集まりました。 東京都による尖閣諸島購入寄付は6月6日現在で、件数は7万4千余件、総額は10億7千円以上となっています。 わずか1ヶ月ほどでもうじき11億円になります。
寄付口座は、
みずほ銀行 東京都庁出張所(店番号777)
普通預金 口座番号 1053860 口座名「東京都尖閣諸島寄附金」
そして新たに以下が加わりました。
ゆうちょ銀行
口座記号番号 00110−9−386056 加入者名「東京都尖閣諸島寄附金」
6月分東京都尖閣諸島寄附金の募金報告
http://kyokasho.info/info/20120604.html
【それでも 俺たちは 国民を護る】
私はこの日の集会で以下の「ひうらさん」の内容をお知らせし「国民と政府が尖閣という領土と拉致被害者という国民の命を守るという硬い決意のない現状が、今の日本の惨状を招いている」と演説させていただきました。
【No!
Hegemonism of China】護れ尖閣!石原都知事を支持する国民大行進 in大阪(3)
(石黒の演説は最後にあります)
http://www.youtube.com/watch?v=iq9HTy5MxcU&feature=relmfu
この内容はネットで検索して知りました。
「無法地帯・天皇(天皇の価値)9月24日(火) 国民を護るということ」
のなかの「ひうらさんの思い出」
『「日本人拉致問題」
当然、さらっていった北朝鮮は悪いのは当然ですが、何十年も放置したあげく、フタを開けたらほとんど死んでいたという結果を出してしまった日本。 政府や外務省への不信が生まれるのは当然だと思います。
そんな中、ふと、こんな話を思い出しました。 タイトルは「ひうらさんの思い出」 筆者は年配の方のようで、文体が古く読みづらいです。なので、今回は読みやすいように手直ししてご紹介しましょう。
「大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗り込んで北洋漁業に従事していた、ひうらさんは、突然旧ソ連の警備船艇に拿捕され、乗組員一同、ウラジオストックに連行、抑留されました。 そこでの取り調べは惨たらしいもので、ありもしない犯罪の自白を強要され、半殺し状態で再び日の目を拝めるかと思った程でした。
次の日、再び鉄格子の中から引き出されました。 いよいよ殺されると半ば覚悟した途端、何故か旧ソ連官憲の態度が手のひらを返すように豹変し、ロシアンティーまで振る舞われて、にこやかに釈放されるではありませんか。 捜査は打ち切られ、無罪放免となった彼等は施設の外に出ました。
彼等は「ともかく港へ向かおう」とふらつく足を海に向けました。 その瞬間、何故、助かったかが判りました。
(ここからは、本文をそのまま引用します。)
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ
「陛下の赤子にかすり傷だに負はせなば、ウラジオストックそのものを消滅させん」ばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです。 旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。
皆、感泣しました。 鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥。
こうして彼等は無事、日本に帰ることができました。
取るに足らない漁船の、わずかな人数の乗組員の為に、大国相手の戦争も辞さず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖国日本に報いる為、と、その後、ひうらさんは一層仕事に励んだそうです。
野蛮だという人もいるでしょう、軍国主義の危うさをいう人もいるでしょう、なぜ話し合いで・・・という人もいるでしょう。 たかだか数人の為に大国と戦争になりそうな行動をとるなんて・・・と批判する人もいるかもしれません。
「それでも俺達は国民を護る」と、行動してくれた昔と、何十年も放置されていた今と、国民にとって、どちらが幸せなんだろうかと、考えてしまう話でした』