いのちの風 №661―その2
石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
第十一回日の丸行進の報告/大塩平八郎の乱/映画「三島自決」
(その1からのつづき)
【決起せよ 救民愛国 のぼり立て】
それと台湾建国応援団の動画で教えていただきましたが、うつぼ公園付近は江戸時代に「救民」の旗印をかかげて決起した大塩平八郎の終焉の地でした。
大塩平八郎は19世紀の天保大飢饉の際に大阪の民衆が飢餓にあえいでいることに心を痛め、幕府や豪商に対して、彼の私塾門人や民衆と共に武装蜂起する、世にいう大塩平八郎の乱を行った。
これは明治維新のさきがけとなり、倒幕勤皇の志士の目指すところとなったのです。
大塩平八郎の乱
http://homepage2.nifty.com/bu-ra-ri/oosio-ran.htm
うつぼ公園は私の活動にとってふさわしい場所です。 当時も今も無能な政権に対して「異議あり」とこぶしを挙げなければならない。 行き倒れの人々に手を差し伸べることも大事、日本を護ることも大事です。
両方を行なうことで日本の国家主権は守られる。 国民の生命・財産だけではない、領土・歴史・伝統・文化、そして日本人の名誉と尊厳を守らねばならないのです。
大塩のことも「いのちの風」№558に「『救民』の旗印をかかげて決起」として以下のように書きました。
「いのちの風」№558「『救民』の旗印をかかげて決起」
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro553/inotinokaze558.htm
『カレーの炊き出しに並ぶ1000人近い膨大な人々。「人のために死ぬことによって 永遠に生きることができるからです」
という「平和の使い」(アッシジの聖フランシスコによる)の歌詞で胸が熱くなり、目の前の野宿者たちの姿に、義憤がふつふつと起こってきた。
江戸時代に大阪で「救民」の旗印をかかげて決起した大塩平八郎の檄文はどんなだったのだろうかと、ふと思った。
「大塩平八郎・檄文(口語)の冒頭の文」
「天から下された村々の貧しき農民にまでこの檄文を贈る。 天下の民が生前に困窮するやうではその国も滅びるであろう。 政治に当る器でない小人どもに国を治めさして置くと、災害が並び起るとは昔の聖人が深く天下後世の人君、人臣に教戒されたところである」』
大塩平八郎・檄文(口語)の冒頭の文
http://nezu621.blog7.fc2.com/?mode=m&no=302&photo=true
私たちの行進は日の丸を侮辱する左翼に対する決起であり、日本をおとしめている民主党革命政権に対して反旗をひるがえす草莽崛起の国民運動のさきがけと思いました。
この行進が全国に広がり愛国の志が全国に広がれば、戦後GHQや左翼がめざした日本弱体化を打破でき、祖国再興は成就できると確信しています。
ご参加の皆様、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
行進が終わって近くの元町公園にゴザを敷いて懇親会を行い、25名が3時間以上歓談し、政治談議に花を咲かし、軍歌も歌って多いに盛り上がりました。
一方、体を鍛え上げてマッチョであるはずの三島の肉体が、他の盾の会の若者に比べて見劣りしていた。 サウナで盾の会が議論するシーンが多かったためによけいそう思った。
三島役の井浦新は筋肉を鍛えあげて役に取り組むべきだった。 森田役の満島真之介に比べて演技も見劣りしていた。 意図的にミスキャストにしたのだろう。
内容的にも、三島由紀夫は森田や亡霊、左翼に追い詰められて決起した感じがして、彼の姿をおとしめる魂胆があるような感じがした。
三島作品をあまり読んでいない素人の私としての発言ですが、三島を知らない世代には「憂国の志に命を捧げた人物」としてよくまとまっている映画ですが、愛国保守が見るべき映画としては、敢えて「駄作」だ、断定します。
左翼監督がつくり、北朝鮮を礼賛する異端の右翼、鈴木邦男が企画協力する映画ならこんなものでしょう。 大阪では7月に入っても上映しています。
(つづく)
(完)
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