いのちの風 bU65―その2
石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
原爆の日は左翼の祭典/もう一つの平和宣言/兵隊さん仇をとってくれ
(その1からつづく)
【仇とって 叫びし子らの 無念に涙】
そしてわが国の核廃絶主義者達は、「原子爆弾は中華民族の尊厳」と公言する中国に対しても、核攻撃能力を日々強める北朝鮮に対しても、驚くほど静かです。 反面、すべての核兵器保有国が行うはずの未臨界実験では、実験を公表する米国にだけ非難の矛先を向けています。
彼らは米国オバマ大統領のプラハ演説のレトリックに欣喜雀躍はしても、今年の米国国防報告における中国の記述が昨年よりも極端に減少してその危険性に目が閉ざされ、融和的に変質した意味を理解できないのです。
それは、北朝鮮の核能力とミサイル性能が向上するにつれて米国が北の核兵器保有を黙認する政策に転じたように、中国の軍事力増大に対しても、米国がその身勝手な行動を抑制する意思を減退させたことを示しています。 韓国の核武装発言もこの文脈の中の出来事だと見なければなりません。
憲法平和主義の自縄自縛に陥ったわが国は、一日も早くこのように冷厳な現実に目覚めて、あなた方の示された強い精神と行動を取り戻さない限り、私たちの主権と独立が侵害されても身をやつすしかありません。
平和主義こそがわが国の平和を脅かしているとは、何という皮肉でありましょうか。 学校で「平和教育」を受けてから幾星霜、私たちは国際情勢の現実を認識するほどに、それが幻想であったことに気づきました。 そしてあなた方が備えられていた志が、いかに貴重であったかを知りました。
ひと頃盛り上がりを見せた反核運動が、社会主義国の核兵器の善悪を巡って争い、そして分裂したことからは、その運動が本当にすべての核兵器を廃絶させるためのものではなく、見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない悪弊に陥っていたことがわかります。
彼らは、わが国が取るべき方策を妨害しこそすれ、肝心の核兵器を開発、保有する外国を自らの主張に沿わせたことがあったでしょうか?
旧ユーゴや南スーダン、エリトリア、東チモールなど、現代世界は一つ国家の内部で価値観を共有する民族が集結して分離独立を求めて争い、分割国境が確保されたときに安定化するという事実が現出してきました。
国家は統合されるどころか分裂し、数は逆に増えているのです。
この状況の何処に「世界市民」などが存在するのでしょうか。広島平和公園の碑文に刻まれた「あやまち」が「世界市民」のあやまちだ、との主張は詭弁でした。
犠牲になったあなた方の、誰一人としてあやまちなどを犯してはおられません。
当時の国際法を見れば、誰が戦争犯罪者かは明らかです。 だれが原爆投下を命令したのか、その名前も私たちは知っています。 戦勝国に、不当な根拠で罪科を問われた日本人は、東京、横浜を始めアジア各地で1000名有余が処刑されたにも関わらず、彼の地では誰も処罰されることはありませんでした。
死に臨んで、刀をくれと叫んだ少年の気持ちを、兵隊さん仇をとってくれ、と懇願された人の気持ちを、黙々と復興への努力をし続けた人々の思いを、志を、私たちは受け継ぐことをここに誓います。 占領時代に恣意的に作られた物語には左右されません。 絶対に・・・。
(完)