いのちの風 bU71―その1
平成24年11月8日(木)発信
石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
紀伊田辺での講演/工業立国日本/体調不良/おわび/英霊来世の曲「矜持」
いつもありがとうございます。 昼夜にしろ、晴れ雨の日にしろ、寒暖の差が激しい季節なので体調が崩しやすいです。 皆様いかがお過ごしですか。 私は体調が完全に狂いました。
【若者よ 日本に目覚め 奮い立て】
11月2日、紀伊田辺へ行き田辺工業高校で生徒さん500人以上の前で講演をさせていただきました。 テーマはいつも通りの「いのちに導かれて〜妻子の死から野宿者支援へ」でした。 高校の文化祭の第一日目として、新体育館のこけら落としの始めての行事として私の講演を組んでいただきました。 すごく光栄でした。
生徒さん全員の前で圧倒されました。 しかし前もって書いた原稿を読むことが多かったためでしょうか、その文字もよく見えて、生徒さんの表情もよくわかるくらい落ち着いていました。 過去10年以上、よくここまで来れたな、と自分ながら感慨無量でした。
この高校の人権部長・吉田耕司氏が、保守系の「新しい教科書をつくる会」の会員で、人権講演として私の体験と野宿者支援の話を推薦してくださりました。
そして講演を終わってから父上の吉田啓堂氏にお会いしました。 啓堂氏のことが和歌山県のHPに載っていましたので読んでみてびっくりしました。お父上の方がよっぽど人権問題の講師にふさわしいと思いました。
啓堂氏は会員数3、5万人、日本最大の愛国団体、日本会議の和歌山・京都の顧問をしておられます。 左翼の平和、平和と唱えるばかりの「赤い坊主ども」とよく議論もされていたそうです。 氏は興禅寺の元住職で、寺の境内隣接地には日本一の白いだるま座像があり別名「だるま寺」と呼ばれています。
戦没者の遺骨収集やカンボジアの孤児への支援活動などに尽力されてこられた上富田町の
興禅寺前住職の吉田啓堂さんと仁坂知事との対談。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/meijintaidan/221223/221223.html
ほとんどの学校での人権講演は部落や在日問題についてです。 日本最大の人権問題である「北朝鮮による日本人拉致」について日教組は無視です。 私の野宿者支援は人権に当たるので講演許可が下りやすかったのでしょう。 しかし私は野宿者支援より日本支援が大事と思ったので講演のなかで何度も「日本」を出しました。
ひとつは「ボランティアとは本来は義勇兵という意味。 アメリカの作家、ヘミングウェイーは戦前にスペイン戦線へ志願した義勇兵した。 身も心も他人のために捧げる行為です」。
そして前に通信にも書きました藤原正彦さんの講演からも引用して伝えました。
藤原さんは「日本人は弱い者へのいたわりの心と言うべき『惻隠(そくいん)の情』や慈悲の心を失ってきている。 その心が本当の日本の武士道精神なのに! と歎かれておられました。 ホームレス支援は武士道なのかと思って、うれしくなりました」
藤原正彦氏 惻隠の情
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%AD%A3%E5%BD%A6+%E6%83%BB%E9%9A%A0%E3%81%AE%E6%83%85&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
毎年大阪では主にホームレス、100人以上が路上で亡くなっています。 「そんなバカのことがあっていいのか! 大阪の恥、日本の恥ではないか」と義憤に燃えて血潮湧く思いで活動を始めました。 彼らも同じ日本人同胞ではないか。 義を見てせざるは勇なきなり。 これこそ「もののふ」の道でしょう。
そして講演の最後にはお願いということで再び「日本」を出しました。
「工業立国の後継者としての皆さんにお願いです。 日本はかって、そして今も世界に冠たる工業国です。 その後継者たる皆さんには誇りをもって今後の仕事に励んでいただきたい。
日本の戦国時代の鉄砲の数は世界一でした。 村の多くの鍛冶屋が鉄砲を作る技術を身につけていました。
戦前は世界最大の戦艦大和や世界最高のゼロ戦をつくりました。 戦後は敗戦国であったために戦争の武器となるものは飛行機製造さえアメリカによって禁止されました。 しかしその代わり自動車のトヨタ、日産は世界を席巻しました。
ソニーなどの電気製品、ニコンなどのカメラ、そして世界でもっとも安全な新幹線をつくりました。 ロケットもH2ロケットまでつくりあげました。 皆さんは工業立国の後継者として、そして日本人として誇りをもって勉学に励んでいただきたいと思います。 ご清聴ありがとうございました」
田辺行きの前の週末には食あたりで2日間寝たり起きたりの状態で、田辺講演の準備ができるのか、と心配でした。 しかしちょうど前日までに、しゃべる原稿ができあがりほっとしました。 いつも色々な活動がきっちり間に合ってできるのは、それこそ妻子の「いのちに導かれて」いるものと感謝しています。
講演が終わって緊張が一気に取れたためでしょうか。 今週月曜日の炊き出しの夕方から風邪となり、また寝たり起きたりでした。 それと「いのちの風」講演会情報作成を今回の通信から作らなくしましたので、よけい気が楽になって緊張がゆるんだのでしょう。
(その2へつづく)