新年が間近に迫った大阪。毎年、大勢の野宿者が凍死・病死などで亡くなる路上で、野宿者に寝袋を配る活動を続けている人たちがいる。
代表は会社社長の石黒大圓(だいえん)さん(62)=大阪市中央区。かつて4歳の次男を白血病で、49歳の妻を胃がんで相次いで失った。「愛する家族の命を救えなかった分、路上で凍え死ぬかもしれない人を助けたい」。活動の底流には、妻子への思いがあふれている。
「寝袋、いりませんか」
クリスマスの夜、大阪市天王寺区の路上。石黒さんは仲間3人とともに、段ボールで作った寝床で毛布にくるまる野宿者に声をかける。「おおきに」「助かったわ」…。笑顔と一緒に感謝の言葉が返ってきた。
10月末から3月まで毎週金曜の夜、日雇い労働者の街・あいりん地区や天王寺、ミナミなどを車で回り、野宿者に新しい寝袋を無料で配布している。毎年約千個を配り、今年で9年目。寝袋の購入資金は全国から募ったカンパだ。
石黒さんによると、大阪の野宿者の数は“ブルーテント”に住む人を除いても3千人以上。多くは高度成長期を底辺で支えた高齢の元日雇い労働者だが、今は不況で仕事や住む家を失った30〜40代も増えたという。
「寝袋を受け取ると恋人のように抱きかかえ、泣き出す人もいる。決して同情や人権問題として取り組んでいるのではない。野宿者にも自己責任はある。ただ、目の前で凍え死ぬかもしれない人を放っておけない」
大学卒業後、父が営む衣料卸業の跡を継いだ石黒さんが寝袋配布を始めた原点には、愛する妻子と死別した体験がある。
平成元年8月、次男の邦之さんを白血病で失った。「僕、何も悪いことしてへんのに、なんでこんな苦しまなあかんの」。闘病中に息子が発した問いに、ともに涙を流した妻の佐知子さんも9年5月、胃がんで亡くなった。
絶望のどん底で人生の意味を考えた。2年後に「オヤジ狩り」にも遭い、悩まされた後遺症の左肩の激しい痛みが半年後に消えたとき、涙があふれた。「痛みのない体がどれだけ恵まれたものだったのか、と。天からの恵みで私たちは日々生かされていると知った」
やがて、肉親を失うなど同じ境遇の人と生と死について語る会合を重ね、その縁で知り合った野宿者の支援者から「毎年100人以上が路上で死ぬ」と聞き、妻子の姿と重なった。
「妻子の命を救えなかった分、恵まれない境遇の彼らを救おうと思い立った。こんな豊かな国で路上で死なせることは、大阪、日本の恥だと思って。私にとっては、背中に日の丸を背負った活動でもある」
石黒さんはJR大阪駅前でも週1回、野宿者におにぎり・衣料を配り、野宿者と一緒に駅周辺を清掃している。
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