勝の官能日記

       ∞「第10章 戦艦大和と沖縄」∞

 「男達の大和/YAMATO」

勝と彼女は、「男達の大和/YAMATO」の映画みました。

 でもそれは不思議でした。

何かに導かれているような感じでした。

 

その日、勝と彼女は、たまたま、平日の日なのに、お互いが休みでした。

二人は、地元にあるイオンスーパーや、隣の専門店街で買い物していました。

その専門店街には、複合映画館がありました。

勝は、彼女に、前から、「男達の大和/YAMATO」の映画見ようと誘っていました。

彼女も、見ようと言ってくれていたのです。

 

二人は、昼の12時頃、「男達の大和/YAMATO」の映画見ました。

見た人は、何と、勝と彼女だけでした。

二人だけの貸し切りでした。

勝は、正直驚いてしまいました。

「男達の大和/YAMATO」の映画は、大ヒットしている映画でした。

 いくら昼でも、貸し切りとは考えられませんでした。

 近くにはイオンのスーパーや、大きなホールもあって、人はある程度いる場所でした。

 ある程度の人は、昼間でも映画を見ていると勝は思っていました。

 何か、大富豪になった気がしたのです。

 

 「男達の大和/YAMATO」の映画は戦争の映画でした。

 戦艦大和が、米国の飛行機と戦っているシーンが、何度も出てきました。

 主人公は、特別少年兵達でした。

 彼らは、まだ、十五歳なのに日本の為、家族の為、仲間の為に必死で戦っていました。

 それを機銃射手である内田二兵曹や烹炊所の班長をしている森脇二主曹などの上官が、時には、厳しく、時には優しく見守っていました。

 でもそんな人達を乗せた戦艦大和は、圧倒的な数の航空機に、爆弾や機銃で、攻撃される中、必死で戦い、やがて多くの仲間が死に、屋久島の沖で、沈みました。

 そんな悲しい映画でした。

 

 また、この映画は、そんな大和に乗っていた男達だけでなく、残された女性達のことも描いていました。

 少年兵の母親や恋人、上官のなじみの女性も登場しました。

 戦死した人達の家族、残された人達の悲しみ、無念さも伝わってくる映画でした。

 戦争は、改めて、悲惨だと勝は思ったのです。

 

 彼女は、そんな「男達の大和」の映画に、感動したみたいでした。

十五歳の少年が、戦争で亡くなっていた事に、何かを考えさせられたみたいでした。

彼女は、途中で涙ぐんでいたのです。

でもそれだけではありませんでした。

彼女には、愛する人達が、戦争で亡くなった後の女性の悲しみが分かるようでした。

妻や恋人の、せつなさや、憤り、無念さを感じるみたいでした。

そんな女性の御霊が、彼女の背景で、何かを訴えているみたいでした。

彼女の身体を借りて、少し憑依したみたいでした。

 

彼女は、映画の後半、後少しという所で、突然、勝に、キスをしてきました。

勝に抱きついてきました。

勝の手を、彼女の胸に押し当てていました。

何度も何度も、激しいキスを求めてきました。

勝は、最初驚いてしまいました。

周りに誰もいないか、確認したのです。

 

やはり周りにも誰もいませんでした。

勝は、何故貸し切りなのか、分かった気がしました。

御霊、英霊達は、そのことを望んでいて、勝と彼女以外、誰もこの映画に入れなかったのだと思いました。

二人だけに、見て貰いたかったのだと確信したのです。

 

勝は、そんな彼女の求めに、当然応じました。

彼女に、キスで答えました。

勝は、そうする事で、彼女の背景にいる御霊に、必死で話しかけました。

愛する人を、戦争で亡くした、悲しみに包まれている女性達のことを思って、しっかり抱きしめました。

 勝は、戦艦大和で亡くなった英霊や、戦争で亡くなった英霊のことを思って、自分は、彼らを代表だと思って、彼女に激しいキスを、何度もしました。

 彼女の胸にも、手を入れました。

 それで、彼女の背景にいる女性達を、癒させて頂いたのです。

 勝と彼女は、多くの御霊の代表として、自分の身体を通して、激しい愛の波動、暖かい気持ちを届けたのです。

 

   男達の英霊と女達の英霊」

「男達の大和/YAMATO」の映画を見たその日、二人は、勝の自宅に帰ってからすぐに、戦争で亡くなった人達のことを思って、愛し合いました。

 勝は、戦艦大和に乗っていた兵士の英霊を代表して、残された妻や恋人を、彼女を通して愛しました。

 彼女は、戦艦大和に乗艦している、愛する人を亡くした女性を代表して、戦死した人達を、勝を通して愛しました。

 二人は、その時に、戦艦大和の映画に出て来た人達を思い出していました。

少年兵で生き残った神尾克己と、同級生で、原爆でなくなった恋人の野崎妙子さん、

病院から抜け出して大和に乗った内田守上官と、恋人で、呉市の芸者で、せつない一夜を共にすごした文子さん、

実家が貧しい為に、仕送りしている西さんと、そんな息子さんが、帰ってくることだけを、心待ちにしている、田舎の母親の西サヨさん、

 二人は、愛する子供や恋人や夫が、無事、戦艦大和から帰還したことを想定しました。

 二人は、愛する男が、今から、戦艦大和に乗って、戦争に行くことも想定しました。

 その時の思いは、どんなものなのか真剣に考えました。

その時、どんな事をしたいだろうかと想像しました。

勝は、男として、彼女は、女として、考えたのです。

 

その上で勝と彼女は、そんな御霊の気持ちを代弁して、いろんなことをしました。

やっと生きて帰れた事をイメージして、恋人として、愛する夫婦として、激しくハグ、抱きしめあいました。

彼女は、愛する子供が戻ってきた母親として、おいしい手料理作ってくれました。

勝は、それを心から喜んで食べました。

その後、二人は、心からのセックスをしました。

二人は、愛する人が、今から戦争にいくと思って愛し合いました。

二人は、愛する人が、やっと戦争に帰ってきたことをイメージして愛し合いました。

二人は、そうする事でお互いの背景にいる男達の英霊達や、女性の英霊が持っている思い、後悔が一つでも、晴らしてあげようと思いました。

 二人の身体を通して、できるかぎりの事をさせて頂きたいと思ったのです。

 

 また、それは、戦艦大和だけには限りませんでした。

 勝と彼女は、翌日からは、大和の英霊だけで限らず、悲惨な戦争で亡くなった人や、その家族の人達のことを思ってしました。

 戦争は、戦死した人達だけでなく、生き残った人達にも、深い悲しみを与えると思いました。

 多くの後悔、せつなさ、悲しみも産むと思いました。

 今でも、戦争で亡くなった人達だけでなく、生き残った女性達の中にも、あの世に帰らない御霊さんが、いると思ったのです。

 そんな男の英霊や、女の英霊達の為に、二人は、夜は愛し合ったのです。

 それをお互いの背景が望んでいると思ったのです。

 

 そんな二人の波動、思いは、背景の御霊に伝わった感じでした。

 背景の御霊さん、とても喜んでくれている感じでした。

 彼女は、それを感じるみたいでした。

 いろんな導きがあったのです。

 いろんな不思議な縁がその後、次々と起きたのです。

 

「不思議な縁 仙酔島と戦艦大和のロケ地」

「男達の大和/YAMATO」の映画の後、しばらくしてから彼女は、福山市にいる友達と会う事になりました。

 彼女が、長年親しくしていた親友の女性でした。

 しばらく連絡が途絶えていた大切な親友でした。

 五年ぶりに、親友から、手紙が来たそうです。

 彼女は、2006年1月20日に、その親友と久しぶりに会う事になったのです。

 

 彼女は、勝ちゃんも、一緒に来ると誘ってくれました。

 親友に、勝ちゃんを紹介したいという事でした。

 勝は、彼女の親友に会う事になったのです。

しかし、目的は、それだけではなくなりました。

親友の人と彼女のやりとりの中で、福山市の隣の尾道市に、「男達の大和/YAMATO」のロケに使った実物大の大和の模型がある事を知りました。

日立造船の中に、戦艦大和のロケがある事が分かったのです。

映画が上映されている間、展示される事が分かったのです。

それは、まるで英霊達が、勝と彼女を、呼んでいるようでした。

二人は、喜んで、戦艦大和のロケ地にも 行く事になったのです。

 

それは、勝と彼女が、福山市に行く一日前でした。

突然、勝にメールが来ました。

情報誌村に入りたいというメールでした。

相手は、福山市に住んでいる方でした。

大和光さんという人でした。

内容は、「日本を素晴らしい国にしていく仲間としてよろしく。」というものでした。

勝は、驚いてしまいました。

彼女も、感動していました。

きっと、大和の英霊が、二人を祝福してくれたのねと喜んでくれたのです。

 

また、福山市で、勝と彼女は、朝、福山市の港、鞆の浦から、船で五分の島、仙酔島にいきました。

 仙酔島は、一番、最初に、瀬戸内海国立公園に指定されている島でした。

 島全体が、一つの公園になっている島でした。

 彼女の親友が、良い島だと彼女に紹介してくれました。

 恋人と一緒に楽しんだらと言っていました。

 二人は、その島を仲良く手を握って歩いたのです。

 しかも、仙酔島は、昔のイメージ、戦前のイメージが残っている感じの島でした。

 景色は、映画、「男達の大和」で出てくるシーンに似ていました。

 勝と彼女は、そんな島を英霊達のことを思って、デートしていました。

 

 戦前、日本は、軍事政権でした。

 鬼畜英米ということで、西欧の文化は、否定されていました。

 男女は、結婚していても、手を握って、堂々と町を歩ける時代ではありませんでした。

 そんな事をしたら、世間から袋叩きされる時代でした。

今の平和で、解放されている世の中とは、まったく違っていたのです。

 でも、そんな時代でも、男女は、愛し合っていました。

 今の時代よりも、もっともっと深くつながっていました。

 そんな男女には、いろんな思い、夢がありました。

 それは、今の時代からみたら、何気ないことでした。

 

 でも、本当に大切な事でした。

生前の男女は、愛する恋人や夫と、愛する人や妻と、手を握りながら、町を歩きたかった。

 死ぬまでに、愛する人とデートとしたかった。

 愛する人を、力強く、抱きしめたかった。抱きしめて欲しかった。

 愛する人と、激しい、忘れられないセックスをしたかった。

 一度は、愛する人とセックスをしたかった。

 愛する夫が、帰ってきたら、こんなおいしいものを食べさせてあげたかった。

 こんなこと、あんなことをしてあげたかった。

 いろんな思いがありました。

 そんな思いが、満たされずに、多くの人は亡くなっているのです。

 兵士として亡くなった人達だけでなく、女性達にも、多くの悲劇があったのです。

 

 勝と彼女は、そんな背景にいる御霊さんの為にも、仙酔島で、仲良くデートしました。

 海の浜辺を恋人として、夫婦として歩きました。

 山の道を、手を握って仲良く歩きました。

 二人は、仙酔島の時間を楽しく過ごしたのです。

 また、二人は、戦艦大和のロケ地でも、同じ思いでした。

 戦艦大和は大きかったです。

  さすがは、全長二百六十三メートル、世界最大の戦艦でした。

 勝と彼女は、模型の戦艦大和の艦上を、手を握りながら歩いていました。

 勝は、そんな彼女に、戦艦大和のすごさを説明してあげました。

 戦艦大和の大きさ、主砲のすごさ、性能、愛する恋人や妻に説明したかった英霊の代わりに、話しました。

 彼女も、真剣に聞いてくれたのです。

 しかしこの時の二人は、再び、英霊達に、呼ばれるとは夢にも思っていなかったのです。

 

   「戦艦大和と三千柱の英霊」

勝は、小学校六年生の頃から、何故か、太平洋戦争に関心ありました。

日本が造ったゼロ戦や、戦艦大和が大好きでした。

ちなみに宇宙戦艦大和も大好きでした。

日本が、米国相手に、互角に戦ったことに、子供心に感動していたのです。

そんな日本人に誇りを持っていたのです。

 

戦艦大和は、日本が造った、当時、世界最強の戦艦でした。

主砲は、46センチ砲で、英米の40センチ砲よりも、遙かに遠い距離から、威力のある砲弾を撃てました。

満載排水量は、7万2809トン、当時、どの欧米の戦艦よりも、ダントツでした。

攻撃力、防御力、どちらも世界一の戦艦だったのです。

 

 しかし、戦艦大和とは、不思議な名前でした。

 大いなる和、およそ戦争の軍艦につけられる名前ではありませんでした。

 もっとも戦争にふさわしくない名前でした。

 また、戦艦大和は、その名前の通り、戦争ではまったく活躍できませんでした。

 時代は、日本軍の真珠湾の奇襲やマレー沖海戦で、航空機の時代になっていました。

 戦艦は、海の王者の地位をなくしてしまいました。

 空母に、その地位を譲ったのです。

 

 でも、戦争がなかったら、戦艦大和は、まだまだ活躍できたと言われています。

 時代は、まだ、戦艦が、海戦の主役だと考えられている時代でした。

 欧米に、戦艦大和の誕生が分かったら、ものすごい脅威を与えると言われていました。

 そんな戦艦大和や姉妹艦の武蔵を持っている日本に、欧米も戦争を仕掛けないと思われていました。

 戦艦大和は、平和を守る為に誕生するはずだったのです。

 

 でも戦争の間、大和は一度も、活躍しませんでした。

 撃った主砲の数は、あわせて、二百弾にもなりませんでした。

 沈めた船もありませんでした。

 マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦でも、大きな活躍はしませんでした。

 大和は、殆ど活躍する事なく、日本海軍の象徴としてだけ存在していました。

 沖縄には、日本人、一億人の先駆けとして、片道の燃料で、突入したのです。

 

 しかも、そんな大和は、戦争中は、大和ホテルと陰口をたたかれていました。

 何故なら大和は、その当時、一億八千万という膨大な予算をかけて建造されました。

 今の金額で言えば、二千六百億円です。

 その額は、大和一つで、東海道新幹線全線が完成できる金額でした。

 日本政府の国力をかけて造られたのです。

 でも活躍できませんでした。

 無用の長物と言われていたのです。

 でも戦後、大和を造った日本の数々の技術は、大きな花を咲かせました。

 日本の造船業は、戦後、日本の花形産業になりました。

 トヨタ自動車のかんばん方式にもいかされました。

 その測量技術は、双眼鏡など民生用光学機器の生産に転じ、終戦3年後に造り始めたのが「ニコンカメラ」でした。

 大和を造った技術は、日本に、奇跡の復興をさせたのです。

 

 また、そんな大和に乗っていた兵士は、三千三百三十二名と言われています。

 でも、映画で言う内田守二兵曹を入れると、三千三百三十三名になります。

 はっきりとした数字は、今でも分かりませんが、三千三百三十三名にちかい人達でした。

 その中で、生き残った人達は、三百人ぐらいでした。

 約三千人の人達が亡くなったのです。

 その人達は、死ぬ覚悟がある兵士達でした。

 大和が、沖縄に行く事は、乗組員は、誰もが分かっていました。

 死ぬことは分かっていました。

 その中には、一人息子で、申請したら、大和に乗る事を免除される人達もいました。

 しかし、多くの人は、日本を守る為に、愛する家族を守る為に戦いを選びました。

 戦艦大和も、特攻をしていたのです。

 

 そんな大和は、戦後、時々、復活していました。

 戦艦大和は、戦後も、日本海軍の象徴でした。

 漫画でも、宇宙戦艦ヤマトとして復活しました。

 悲劇の戦艦として、日本人の心の中で、ずっと生きていました。

 日本人が、おかした失敗、科学を軽視し、精神主義に走った日本人を思い出させてくれました。

 日本の国や、家族を守る為に、戦った人達がいたこと、今の日本人が失っている心を思い出させてくれました。

 ずっと、何かのメッセージを、今の我々に与えてくれていたのです。

 

 そして戦後、六十年後、大和の英霊達は、再び復活しました。

「男達の大和/YAMATO」の映画で、蘇ったのです。

 それは、偶然ではないのかもしれませんでした。

 六十年以上も前に決まっていたことかもしれませんでした。

 亡くなった後、魂で計画されていた事だったかも知れないのです。

 いえ、天が決めていたことだったのです。

 

 少なくても、勝と彼女は、そう信じていました。

 二人は、戦艦ヤマトに乗っていた3千人の人達は、その名前通り、日本が、戦後大和、大きな和で、二度と戦争をしないでもいいように、尊い礎になってくれたと信じていました。

 3千人もの人達は、英霊となって、仏教用語で言う、三千世界、すべての世界が平和になることを願って今も、天国や、この世で見守ってくれていると確信していました。

 天が、数字や名前で、それを、今の日本人に教えてくれているとしか思えなかったのです。

 いえ、それはもちろん、大和の英霊達だけではありませんでした。

 大和の英霊達だけでなく、大東亜戦争で亡くなった何百万人という膨大な英霊達も同じでした。

 大和の英霊達は、その代表でしかありませんでした。

 日本は、英霊達の尊い犠牲で、戦後、60年間、一度も戦争をしないですみました。

 文字通り、終戦、日本は、戦争を終わらせました。

 二度と他国を侵略しないと言う、9条の平和憲法も生み出しました。

 他国に対して、弾丸も1発も撃たないですんだのです。

 

 それはすべて、大和の国の英霊達のおかげでした。

 しかも日本が、戦後、自由で、豊かになったのも、あの戦争で、結果的には、負けたからでした。

 日本は、負ける事によって、日本に取り憑いていた軍事政権を崩壊する事ができたのです。

 その上に、日本だけでなく、アジア諸国も、欧米の植民地から、解放されました。

 日本が、目の前で、白人に勝ったことは、アジア人民に、力を与えました。

 黄色人種は、白人に、同じ武器を持ったら、負けないということを証明しました。

 日本の英霊達は、結果的に、世界史に残る大事業をしました。

 それは必ずしも望んでやった事ではなかった事かもしれませんが、魂では分かっていました。

 勝と彼女は、改めて、大和の英霊達のおかげで、そのことを認識しました。

 心から戦艦大和の英霊や、日本の多くの英霊達に「ありがとうございます」と感謝することができたのです。

 

 

      「不思議な縁 再び」

 勝と彼女が、再び、仙酔島に行ったのは、4ヶ月後でした。

 勝と彼女が参加しているドリームステーションで、年に一度の合宿が行われました。

 ドリームステーションに参加している、全国のメンバーの中で、希望者が集まるのです。

 その合宿全国の中で、選ばれたのは何と、仙酔島でした。

 あるメンバーの方と、仙酔島にある宿の女将とが、非常に親しかったのです。

 これには、勝も、彼女も驚きました。

 二人は、合宿にまったく関与していませんでした。

 神様が、天が、選んだとしかいいようがありませんでした。

 大和の英霊達が、勝と彼女を再び呼んでいるとしか思えませんでした。

 二人は、何かの運命を感じて、ドリームステーションの合宿に参加したのです。

 

 合宿は、最高でした。

 ドリームステーションらしく、楽しいセミナーもありました。

 しかも仙酔島のいろんな施設も最高でした。

 江戸風呂から始まって、美人風呂、展望風呂、世界一露天風呂などのいろんなお風呂がありました。

 勝と彼女は、ドリームステーションのみんなと、それらを楽しんだのです。

 その上に、みんなと泊まった宿は、人生観が変わる宿、「ここから」という面白い名前の宿でしたが、勝の花とは、深い御縁のある宿でした。

 仙酔島には、歴代の天皇や皇族の人が、良く来ている島でした。

 経営者が変わる前に、この宿には、美智子様も、泊まったことがあるとの事でした。

 今でも、勝の花を、座布団や部屋の名前につけていて大切にしていました。

 勝にとっては、居心地のいい島だったのです。

 

 また仙酔島は、神が宿る島でした。

 何の為に生まれてきたのか気付かせてくれる島という事で、売り出していましたが、それは本当でした。

 龍も上空にいるとの事でした。

 宿の女将さんから、そんな話を聞かせて貰えたのです。

 だから、勝と彼女は、この島が好きになりました。

 まるで、天が、勝と彼女を、祝福している気がしたのです。

 その上、ドリームステーションのみんなも、勝と彼女の事、大いに歓迎してくれました。

 二人に、祝福の言葉をくれました。

 天が、みんなを通して、祝ってくれている気がしました。

 彼女も、今度は二人で、いつか行きたいねと言ってくれたのです。

 

 翌日、勝と彼女は、ドリームステーションのみんなと、昼前に別れて、呉市にある大和ミュージアムに行きました。

 福山駅から、呉駅に行くには、三原駅から、JR呉線に乗り換える必要がありましたが、何と、一時間に一本しか電車は走っていませんでした。

 だから早めに行く必要があったのです。

 その甲斐あってか、何とか大和ミュージアムにも行く事ができました。

 大和ミュージアムは、大和を建造した呉市にある博物館でした。

 呉市は、戦前には、呉海軍工廠が設置され、東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の町と栄え、戦後も、世界最大のタンカーを何隻も製造していました。

 だけど、今は、そんな繁栄ありませんでした。

 大和ミュージアムは、戦艦大和だけでなく、そんな呉市の歴史、造船の技術を残している博物館でした。

 戦艦大和は、その象徴として存在していました。

 戦艦ヤマトのロケ地ではなく、これからもずっと永久に残される建物でした。

 きっと大和の英霊は、ここにいると思える場所でした。

 勝と彼女は、この大和ミュージアムに、感動しました。

大和ミュージアムの中にある実在した戦艦ヤマトの、十分一の大きさの戦艦大和に会う事ができたのです。

ですから、二人は、大喜びだったのです。

そして二人は、呉市で、一泊すると、愛し合いました。

彼女が、そうしたいと言ってくれました。

戦艦大和の英霊達や、残された女性の御霊の事を思って、心からのセックスをしたのです。

 

 

「六月二十三日 沖縄の慰霊」工廠

 勝と彼女には、その後にも不思議な事が、何度も起きていました。

 ドリームステーションのメンバーの中に、澤本頼雄と言う、海軍大将で 呉の鎮守府の指令長官もしている人と、御縁があるという人が、いることも分かりました。

この澤本頼雄大将は、日米開戦については反対、避戦の立場をとり、嶋田海相に強硬に進言していた、勇気ある大将でした。

敗戦後、開戦時の陸・海軍両者の政策担当局長以上のポストにあった六人のうち、東京裁判で五人は逮捕、起訴されたが、澤本大将のみ除かれています。

そんなすばらしい大将がいた事、勝は知りませんでした。

そんな情報も入ってきたのです。

しかも、米軍が沖縄に上陸した四月一日には、彼女は、沖縄に行く話がありました。

彼女と親しい沖縄の神人さん、神の声が聞けるというシャーマンさんに、呼んで頂いたのです。

それで、彼女は行く気になりました。

その時に、彼女は、沖縄に行きたくても、撃沈されて行けなかった大和の霊達が、行きたがっていることを直感したそうです。

彼女は、大和の英霊達を、沖縄に二人で連れて行ってあげようと、勝を誘ってくれたのです。

 

というのも、去年、彼女は、沖縄に行っていました。

そこで、彼女は、神人さんに、浜比嘉島というすばらしい島を案内して貰い、感動したそうです。

そこの海が格別美しくて、・・・・ 、再会する前の勝にも沖縄のきれいな海を見せてあげたいと思っていたそうなのです。

彼女は、その時に、沖縄の素晴らしい自然は、この地球の・・・私達の財産だと思い、いつか、

恋人と、その海とその島にある拝所に行く夢も見ていたというのです。

 だから、勝は、その浜比嘉島に関心持ちました。

 インターネットで調べて、沖縄の神話も、日本の神話とよく似ている事知りました。

日本の神話にあるイザナキ・イザナミの話と同じように、沖縄では、アマミチュー、シルミチュ

ーの二神は天帝に国づくりを命ぜられ、琉球の島に降りてきたと言います。

 その最初に降りた土地が浜比嘉島だと言うのです。

 勝は、そんな浜比嘉島を、彼女と一緒に行きたいと思ったのです。

 でも、もっと驚いたのは、彼女が予定した日、六月二十三日が、沖縄の慰霊の日だという事でし

た。

 

 この慰霊の日(いれいのひ)は、1945年6月23日沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで沖縄県が毎年6月23日と定めた記念日でした。

毎年この日には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれます。

沖縄県内の地方自治体では公休日とされ、役所・学校等は休日となるそうです。

また、この日は、陸軍司令官牛島満大将をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結した日でもあったそうです。

 沖縄県では、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った

冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよ

う、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、

6月23日を慰霊の日と定めたというのです。

 

勝は、そんな事、一つも知りませんでした。

 沖縄県では、県あげて、戦死している人達を慰霊してくれているなんて、聞いたこともありませんでした。

 本土を守る為に、犠牲になって、民間人もたくさん死んでいる沖縄県人が、そんなに暖かい人達

とは考えもしませんでした。

 勝は、心から感動しました。

 六月二十三日は、是非、沖縄に慰霊に行きたいと想いました。

 彼女と一緒に、沖縄で慰霊したいと心から願いました。

 戦争を知らない勝と彼女が、沖縄で亡くなった英霊達に、果たして慰霊できるのかどうか分かりませんが、勝や彼女しかできない事があると想いました。

 戦争で亡くなった人達に、慰霊するだけでなく、愛、幸せの波動を届ける事なら、二人でできるのではないかと想いました。

気持ち的には、勝と彼女が、アマミチュー、シルミチューの二神になったつもりで、一杯、愛の

波動を届けたいと想いました。

 それで、六月二十三日は慰霊して、翌日の二十四日、二十五日は、英霊達を意識して、二人で、浜比嘉島から始まって、いろんな観光地をデートしたいと思ったのです。

しかも、戦艦大和は、沖縄を守るために、出撃しましたが、途中で沈んでいます。

沖縄に行けずに、今でも自縛している大和の英霊達もいると思います。

二人は、そんな大和の英霊達を、行きたかった沖縄に、連れていってあげたいと願いました。

二人が、大和心になって、背景に英霊達にツイて頂いて、平和の沖縄を見せてあげようと思ったのです。

 

 

    「いざ、沖縄へ」

今、沖縄が危ないです。

日本国内では、同州制というものが、改革派の人達から言われ出しています。

六百六十兆円もの借金のある日本政府の権限をなくして、地方に権限を譲るという考えです。

その為には、県や府では、単位が小さすぎるので州単位、近畿州、関東州というようにしようい

う案です。

実際に、北海道では、同州制の実験が始まります。

もし、それが採用されたら近い将来日本も、何州かに分かれることになるのです。

そうなったら、沖縄も、一つの州になると言われています。

九州と沖縄は、距離的に離れています。

九州の中に、沖縄が参加するのは無理があるのです。

 

しかし、それを待ち望んでいる外国があります。

中国です。

沖縄は、明治時代、清国と争っていました。

それが、清国は台湾、日本は沖縄と決めたのが、西郷隆盛の親友大久保利通でした。

大久保利通が、清国と、難渋しながらも、交渉して平和的に、決めたのです。

でも、今の中国政府が、それに納得しているかは、分かりません。

同州制を採用して、日本国から、沖縄が、自治権を持ったら、そんな沖縄に圧力をかける可能性

あります。

 勝は、それを本気で心配しています。

 尖閣諸島や、東シナ海ガス田問題を見るまでもないのです。

 その上に中国は、排他的経済水域と、日本と中国の中央ではなく、沖縄トラフまで求めています。

 清国の領土だった台湾を取り戻し、争った沖縄も手に入れようとしているのです。

 核兵器で脅したら、日本政府は、渋々従う可能性があるのです。

 

 しかも、それを日本国内で密かに応援している人達がいます。

 中国のエージェントになっている政治家や官僚、マスコミです。

 そんな連中が、国内にいて、中国に操られています。

 中国の言うとおりに、動こうとしているのです。

だから沖縄は、同州制になったら、彼らによって、うまく、中国に取られる可能性があります。

本当に危ないのです。

 

 また、今、もう一つの危機として、米国と中国の争い、戦争の心配があります。

 21世紀の覇権をかけて、中国と米国は争うとしています。

 中国は、今、軍事費をどんどん増やしています。

 経済的には、後、何十年か経過したら、米国を抜くと言われています。

 でも、米国は黙って、それを許す国ではありません。

 米国も、そんな中国に脅威を感じて、警戒を強めています。

 米国と中国が、戦争する可能性は、十分あるのです。

 

 しかも、日本は、そんな米国と中国の戦いに巻き込まれる可能性があります。

 中国は、核兵器を持っています。

 下手に戦ったら、自国に、核兵器が撃ち込まれる可能性があります。

 だから、米国は、中国と日本を戦わせることを狙っています。

 日本も、中国と戦うことになるのです。

 特に、その中でも、沖縄が、再び、大きな戦場になる可能性があります。

 中国は、米軍がいる沖縄に攻めて来る可能性が高いのです。

 

 勝は、そんな事を心配しています。

 沖縄が、再び、戦場になることだけは、絶対に防がないといけないと思っています。

 日本が、中国との戦いに、再び、巻き込まれることは、絶対にあってはならないと願っています。

 日本に再び、核が落ち、何千万人もの人が、死ぬことは許されないのです。

 世界平和の為にも、核戦争は、防がないといけないのです。

 しかし、日本の一国民である勝一人では何もできません。

 そんな力は、情報誌にも、とてもないのです。

 

 でも、勝と彼女がいれば、沖縄を守っている英霊に、お願いする事ができます。

 沖縄を再び、戦場にしたくないと願っている英霊達に、二人で、癒しや、愛の波動を送ることができます。

 勝と彼女は、それを心からしたいと思いました。

もし、沖縄を守ってくれる存在がいるとしたら、沖縄にいる英霊達しかいない、勝はそう確信していました。

 それで、沖縄にいる英霊達が、どれだけ喜んでくれるか分かりませんが、二人の願いが、どこまで通じるか分かりませんが、二人は、やれるだけのことはしたいと思いました。

 日本人として、二人でできる事をしたいと思ったのです。

 

     「沖縄の英霊達と一緒に一緒に」

 沖縄の戦争は、日本軍が、75000名以上戦死したと言われています。

 指揮官は、牛島満中将でした。

 本土を守る為の時間稼ぎ、1億人の先駆けとして戦われました。

 後の米軍に、同じ装備でたたかったら、日本軍が勝っただろうと言わせるぐらい善戦しているのです。

 米陸軍戦史は『 沖縄における日本軍は、まことに優秀な計画と善謀をもって我が進攻に立ち向かった 』と述べているのです。

 しかしこの戦争は、悲惨でした。

民間人の犠牲者は、9万人から12万人だと言われています。

直接、一般人を巻き込んだ地上戦で、これだけの被害を受けたのは、沖縄だけです。

牛島中将の「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」という命令、降伏も停戦もせず、最期の一人まで戦えという命令がなかったら、ここまで、民間人は犠牲にならなかったと今でも言われているのです。

正直、戦死者が、どれだけいるかは、いまでもはっきりとは分からないのです。

また米軍の被害は、戦死者7613名、死傷者、31807名と言われています。

戦闘神経症等など、後に精神病になった人も、26211名もいました。

20万人以上もの人がなくなったり、その後も精神がおかしくなったりして苦しんでいたのです。

 

6月23日、沖縄では、最も激戦となった、南部の摩文仁ヶ丘に造られた国定公園、平和記念公園で、県主催の慰霊祭が行われます。

平和記念公園の中には、沖縄の為に戦った人達を、県別に分けた、1府30県の慰霊塔があって、慰霊祭が行われるのです。

勝と親しい天皇の真実の河内正臣先生が、初めて沖縄に行った時、この摩文仁ヶ丘の丘に立った時、多くの英霊達を感じたそうです。

勝と彼女は、その摩文仁ヶ丘で、多くの人達と一緒に、平和の誓いをします。

「もう二度と、民間人を巻き込むような悲惨な戦争はしないように努力する」と約束します。

「沖縄を二度と戦場にさせない」と約束します。

 二人は、平和の為に、努力することを約束するのです。

 また、勝と彼女は、多くの英霊に、心から感謝をします。

 沖縄や硫黄島の戦いで、米兵の多くの人が、死傷したから、本土侵攻はなくなりました。

 連合軍、米軍だけで、百万人もの犠牲が出るという試算が出て、中止されたのです。

 だから、沖縄の英霊達、日本人や米軍の人達は、本土の日本人、1億人を救ってくれた事になります。

多くの犠牲によって、日本本土の侵攻が中止されたことに、心からのありがとうございますをしたいと思ったのです。

皆さんの犠牲は、日本兵、米兵関係なく、大きな意味のある事だったという事を伝えたかったのです。

二人にとって、平和記念公園は、真っ先に行く場所だったのです。

 

しかも勝と彼女は、その日は、映画でも有名なひめゆりの塔など、沖縄の戦場になったところを、まわることを計画していました。

ひめゆりの塔とは、縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人の人達、ひめゆり部隊と呼ばれた人達の慰霊の塔です。

最初は、ひめゆり部隊は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました、

従軍看護婦として、兵士達と一緒に、戦線を転戦して活躍しましたが、戦局が絶望的になると、解散を命じられ、置き去りにされ、多くの人が亡くなりました。

少女達が、たくさん死んだのです。

彼女は、是非、そこに行きたいと言っていたのです。

同じ女性として、ひめゆりの御霊達に会いたかったのです。

 

そして翌日、勝と彼女は、浜比嘉島から始まって、いろんな沖縄の観光地を、背景の多くの御霊、沖縄の英霊達と一緒に楽しむつもりでした。

沖縄の英霊に、23日に、そう伝えるつもりでした。

一緒に、デートを楽しもうと呼びかけるつもりでした。

だから二人は、二日間、沖縄の英霊達と、大いにデートを楽しむつもりでした。

植物館や、世界一の水族館、行くつもりだったのです。

 

何故なら、英霊達を慰霊することは大切です。

英霊達は、戦争で苦しかっただろうと、その気持ちを分かってあげることは大切です。

英霊達も、本当は、戦争をしたくなかっただろうと、その気持ちを理解してあげることも大切です。

英霊達に、二度と戦争をしないと誓うことも大切です。

日本や沖縄の為に戦った英霊達に感謝する事も大切です。

英霊達に、日本や沖縄の平和をお願いする事も大切です。

でも、それだけでは、いけないと二人は信じていました。

英霊達は、慰霊だけでなく、本当は愛、ラブも求めている気がしていました。

慰霊の少し暗い気持ちだけでなく、愛のある明るい気持ちを、本当は求めていると確信していました。

霊達は、60年間、ずっと慰霊だけされても、楽しくないのではないかと思っていたのです。

英霊に、いくら慰霊しても、遺族や、参加している人達の思い、暗い気持ち、波動しか届かないと思っていたのです。

 

だから二人は、思い切りデートをするつもりでした。

60年後の、発展した沖縄を、英霊達と一緒に楽しむつもりでした。

愛する人と、手を握りながら、沖縄の美しい浜、浜比嘉島を歩きたかったという英霊の思いを叶えてさせて頂くつもりでした。

沖縄の綺麗な海を、愛する人と、一緒に泳ぎたかったという思いも、実現させて頂くつもりでした。

多くの人が、浜辺でエンジョイしている姿を見ながら、平和のすばらしさ、大切さを一緒に感じるつもりでした。

今の科学が産んだ最新の水族館なども行って、科学の発展を共に、喜ぶつもりでした。

大きな植物館にいって、自分達でなく、英霊達も、一緒に花達に、癒して貰うつもりでした。

二人は、英霊達と、一緒に一緒に、楽しみたい事がたくさんあったのです。

英霊達も、そんな二人が来るのを、楽しみにしてくれていると確信していたのです。

 

また、二人は、本土に帰る時は、生まれた場所、本土に帰りたいと思っている霊達を、一緒に帰してあげるつもりでした。

二人の背景に抱えて、帰るつもりでした。

行きは、沖縄に向かったまま沈んだ戦艦大和の英霊を、自分達の背景に抱えて一緒に沖縄に行き、帰りは、本土で生まれた英霊達で、本土に帰りたがっている霊達を帰してあげるつもりでした。

摩文仁ヶ丘や、ひめゆりの塔にいる、土地に自縛している英霊達を、動かしてあげたい、日本に帰国させてあげたいと思っていたのです。

それが、二人が、初めていく、沖縄の旅だったのです。

誰にも分からないだろうけど、二人だけでする慰霊の旅でした。

これからの沖縄の将来、未来が、平和であることを祈る旅でした。

天から任された、二人でしかできない、大きな大きなお役の旅だったのです。

勝と彼女は、そのお役を与えられたこと、心から、天に感謝したのでした。

終わり。

では、皆さん、情報誌第220号「勝の官能日記」本当に作品読んで頂いてありがとうございます。

2006年6月3日

 

 

追伸、勝の官能日記、長らく読んで頂いてありがとうございます。

正直、まだまだ書きたい事ありますが、きりがないので、第10章で、終わりたいと思います。

第10章、10は完成を意味する数字なので、ちょうどいいと思うのです。

しかも、この官能日記は、実は、勝が、実際に、6月23日、沖縄に慰霊に行くので書きました。

沖縄の霊達に、奉納する為に書きました。

誰と行くのかは秘密です。(^-^)

その意味で、目的は、果たせたと思うのです。

だけど、官能日記自体は、再び、御縁があったら、書いてみたいと思います。

たぶん、勝の背景の御霊達が、再び書きたがると思います。

また、書いている間、皆さんから、暖かい感想頂けたこと、心から御礼を言います。

もし、皆さんから、非難されたらどうしようと思っていました。

皆さんのあたたかい言葉で、書く事ができたと、心から感謝しているのです。

本当にありがとうございます。

    終わり