勝の官能日記

 ∞「第9章 勝と彼女の武田家慰霊紀行」∞

 「武田家の旅」

 勝と黄桜さん、葉桜さん、3人は、二泊三日の「武田家/諏訪家ありがとうございます奉納の旅」をしました。

 山梨県、長野県、戦国時代で言えば、甲斐、信濃の2カ国の、武田家の領土にあった、いろんな武田家や諏訪家の名所3人で訪れたのです。

 しかし、それは不思議な旅でした。

 まず、勝が驚いたのは、黄桜さんの本当の名字でした。

前世勝頼の母、リサさんと同じ名字だったのです。

しかも住んでいる所も、東京でしたが、諏訪という地名がある所でした。

とても偶然の一致とは思えなかったのです。

でも勝がもっと驚いたのは、葉桜さんの存在でした。

 葉桜さんは、武田家の名所のある場所、良く知っていました。

 ややこしい場所でも、車の運転見事にしてくれました。

 何でも、黄桜さんと葉桜さんは、時々、武田家の名所まわりをしているという事でした。

 葉桜さん、勝と黄桜さんの案内役を完璧にこなしてくれたのです。

 武田家の英霊達は、そんな用意までしてくれていたのです。

 

 だから、3人の旅は、スムーズに進みました。

 山梨県の甲府駅で会った3人は、待ち合わせの武田家なら誰でも知っている言葉、「御旗」「楯無し」の言葉で、合流してから、最初は、信玄の父、信虎、信玄、勝頼、3代が拠点としていた、躑躅ヶ崎館、現在の武田神社に行きました。

 そこで、3人は、信玄公や長い間待ってくれていた武田家の英霊達に、「やっと来ました」とご挨拶をしたのです。

 また、勝は、信玄公や武田家の英霊達に対して、初めて心からお詫びをしました。

 というのも、勝は、前世、武田勝頼として、武田家の英霊達に、懺悔、詫びないといけないことはたくさんありすぎました。

 武田家をなかなか掌握できない焦りから、家臣が反対したのに、長篠の戦いで、織田軍・徳川軍と戦い、大敗をして、有能な家臣、多くの最強の兵を、無駄死にさせてしまったのです。

 しかも信玄公が用いた家臣や、親戚衆との関係をまとめられず、最後まで、武田家を、一つにまとめられなかったこともできませんでした。

 最後には、信玄公が亡くなってから、10年後、300年以上も続いていた武田家を、殆ど抵抗せずにあっけなく滅亡させてしまったのです。

 すべての責任は、総大将であった勝頼にありました。

 心から、いくら詫びても許されないことなのです。

 

 でも勝は、武田家の英霊にお詫びるのを目的に来た訳ではありませんでした。

 それなら、勝自身正直行きたくないですし、武田家の英霊も、そんな前世の武田勝頼を求めているのではないという確信がありました。

武田家の英霊は、何も勝、前世の武田勝頼に詫びて欲しくはないという確信がありました。

それよりも、武田家の英霊達は、今までずっと、勝を見守ってくれているという気持ちが、予感があったのです。

だから勝は、情報誌で、武田家に関して書いた号や、ありがとうございますに書いた号、情報誌の小冊子やCDを、名所の所に奉納させて頂きました。

武田家の英霊達に、勝の書いたシミュレーション小説の内容や、ありがとうございますの波動を届けようとしたのです。

 

ですから、勝は、21箇条のありがとうございます奉納というものも用意していました。

勝は、武田家の名所の場所に、21箇条の奉納の紙も置いて行ったのです。

言葉を通しての波動で、武田家の英霊に、感謝の波動を届けたのです。

それは、勝が、必死で考えた、武田家の英霊達に対する、感謝の言葉、ありがとうございますでした。

それが、21箇条の武田家の英霊にありがとうございます奉納だったのです。

少し皆さんに紹介させて頂きますと

1、武田信玄公、山梨、信濃の誇りになって頂いて「ありがとうございます」

2、武田信玄公、武田家を日本史に残る大きな大名にして頂いて「ありがとうございます」

3、山本勘助、軍師として、武田家の為に命をかけて尽くしてくれて「ありがとうございます」

4、高坂弾正、甲陽軍艦を作成して、武田家を歴史に残してくれて「ありがとうございます」

8、山県昌景、内藤昌豊、馬場信春、高坂弾正、四天王の一人として、武田家の為に尽くしてくれて「ありがとうございます」

10、秋山信友、最後まで、勝頼の為に、岩村城を籠城して守ってくれて「ありがとうございます」

11、勝頼夫人、最後まで勝頼のもとにいてくれて「ありがとうございます」

17、松姫、信松院として、信玄や勝頼、武田家の最後まで、菩提を弔って頂き「ありがとうございます」

19、武田家の家臣の皆さん、信玄公を慕い、命懸けで戦い、戦国時代最強の騎馬軍団として戦ってくれて「ありがとうございます」

21、天目山で、武田勝頼と最後まで同行してくれて「ありがとうございます」

 といった内容になるのです。

    21箇条の武田家の英霊にありがとうございます奉納

 

 また、そんな勝の気持ちは、武田家の英霊に伝わったのか、どうかは分かりませんが、3人の旅はうまく進みました。

 武田神社、躑躅ヶ崎の館を出発した3人は、武田信玄の公の墓や、自害した勝頼の兄になる武田義信公の墓がある東光寺に行きました。

 信玄公や義信公に、勝は、前世の勝頼としていろんなことを話し、武田家を滅亡させたことを詫び、今までのことにありがとうございますと感謝したのです。

 しかもその後も、3人は、信玄が、信濃の善光寺にある本尊を強引に甲斐に移して建てた、甲斐善光寺や、信玄の六男、信貞を庇った罪で、「「心頭滅却すれば火も自ら涼しい」という有名な言葉で、亡くなった快川和尚の恵林寺も訪ねました。

勝は、ここで、善光寺の本尊にはお詫びを、恵林寺の人達には、勝頼として心から感謝したのです。

 

またその後も、今度は、3人で、武田親子や妻が亡くなった天目山の景徳院にあるお墓や、勝頼が最後に造った新府城にも行きました。

景徳院のお墓では、勝頼の妻であった年下だった若い北条家の姫、法名桂林院(けいりんいん)の墓や、嫡男の信勝に声をかけましたし、新府城では、長篠の戦いで亡くなった家臣達の墓、山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、原昌胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次、三枝守友、武田信実などの長篠陣没者慰霊塔がありまして、勝は、ここでも家臣一人、一人の墓を抱きしめて声をかけました。

勝が、知っている知識で、詫びと、武田家の忠誠に対して感謝したのです。

前世の記憶を持つ黄桜さんも、とても感動してくれたのです。

 

また、それは翌日も同じでした。

松本城から始まって、長野の善光寺、信玄と謙信の戦いで有名な川中島の戦場、川中島の戦いで討ち死にした、信玄の弟、武田信繁のお寺典厩寺や、信玄が、山本勘助に命じて造らせた海津城、今の松代城、軍師山本勘助の墓、高坂弾正の墓と行きました。

どの場所でも、勝は、前世武田勝頼としてふるまいました。

黄桜さんや葉桜さんも、それぞれのお役をしました。

 きっと、高坂弾正、山本勘助、武田信繁、何よりも、川中島の戦いで亡くなった、武田や上杉の英霊が喜んでくれたと確信したのです。

 しかも、その夜、勝と葉桜さんは、お酒を飲み交わし、昔、不仲だったという説がある武田勝頼と高坂弾正の完全な和解をしました。

黄桜さんは、前世のことで覚えている記憶を話してくれ、勝と本音で話し合いました。

勝はまったく覚えていませんが、話は理解できました。

完全な和解をする事ができて、願ってくれていた信玄公や、武田の家臣の英霊達も、きっと喜んで頂けたと思えたのです。

 

 そして翌日、今度は、3人は、武田家を離れて、諏訪家に行きました。

 諏訪家のある諏訪大社は、4つとも参りましたし、諏訪湖にあるという、勝頼の母、諏訪の姫の墓にもいきました。

 その後、諏訪から高遠に向かい、武田家の最後を飾った、信玄の息子、五男、仁科盛信がいた高遠城や、諏訪の姫様の墓が正式にある建副寺にも行きました。

 勝は、武田勝頼ではなく、諏訪家の人間、諏訪四郎勝頼として参ったのです。

 

 しかもこの旅の間、不思議なことがたくさんありました。

 諏訪大社では、御祈祷として貰う人がいて、遠くからですが、一緒に御祈祷して貰えました。

 諏訪湖にあるお墓では参っていた時に、木の枝が、勝に近付くというすごいことがあったそうです。

 高遠の城では、鳥たちが、鳴き声で、3人を祝福してくれました。

 本当に楽しかったです。

 英霊達は、前世、武田勝頼だった勝や、黄桜さん、葉桜さんを大歓迎してくれたのです。

 

 しかし、勝には、一つだけ何かが足りないと思っていました。

 それは、亡くなる前に来世を誓い合った、北条家の姫、勝頼夫人存在、桂林院(けいりんいん)存在でした。

 勝は、まだ、北条夫人と巡り会えていませんでした。

 来世、誓い合った約束を果たせていなかったのです。

 だから勝は、武田家の英霊達に、お詫びや感謝の波動を送れても、ラブ、愛の波動は届けられませんでした。

 勝は、それが、とても済まない気持ちで一杯でした。

恥ずかしい気持ちがしていました。

 武田家の家臣や、英霊達に、情けない気持ちで一杯でした。

 40歳にもなって、まだ、パートナーさんが見つけられない自分が恥ずかしかったのです。

 いえ、勝は、武田家の為に、愛する妻や子供と別れて戦って、戦死した多くの英霊に、男女の調和のエネルギー、勝頼と、優しい北条の夫人、桂林院の愛のエネルギーを、本気で届けたいと願っていました。

 武田家の英霊が、本当に求めているのは、勝頼に求めている事は、反省させることでも、詫びさせること、感謝させることでもなく、最高の男女の幸せの波動を貰う事のような気がしていたのです。

 

 ですから勝は、早く、武田家の英霊の為にも、来世を誓い合った北条夫人を捜したいと思いました。

  北条夫人と、二人で、武田家の慰霊はしたいと願っていたのです。

いえ、そんな北条夫人、パートナーの女性を見つけられないと、再び、武田家の英霊達に、姿を見せられないと思っていました。

北条夫人とも、そんな約束をしていたという気がするのです。

 でも、そんな相手は、勝にはいませんでした

 いくら求めても、この一年半駄目でした。

勝には、今まで、そんな事を分かってくれる女性は、一人しか現れませんでした。

彼女しかいませんでした。

 だから勝は、もし彼女がいたらと、思いましたが、彼女との御縁はなくなっていました。

 それが本当に、あの頃残念だったのです。

 

 

       「勝と彼女の武田の旅 長篠の戦」

 毎年、武田家の本拠地、甲斐では、4月の初旬、桜が咲く時期に、信玄公祭があります。

 しかも、2006年の信玄公祭は、今年の1月8日に、朝日テレビで、風林火山の特別大河ドラマが放送されたり、来年のNHKの大河ドラマが、風林火山に決まったこともあり、大いに盛り上がっていました。

 山梨県民あげて、盛り上がっていたのです。

 

 また、4月に何故祭があるかと言えば、信玄公の命日と関係があるそうです。

信玄公の命日412日を中心に山梨県内の各地では、信玄公の遺徳を偲ぶさまざまな「信玄公祭り」が執り行わるそうです。

その信玄公祭りのメインは「甲州軍団出陣」です。

 

これは、武田の領国各地から1,600余名の軍勢が甲府駅前広場に集結し、川中島に向け出陣します。
 もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。(雨天決行)
 今年は、4月7日、8日に、甲府駅前にある舞鶴城公園で、武田信玄公と騎馬部隊による戦勝祈願祭と行進(市中見回り)が行われました。

 信玄公役や山本勘助役を芸能人の人、諏訪夫人、湖衣姫を前夜祭で選ばれた一般の女性が、毎年務めますが、総勢1,600人による時代行列やパフォーマンス等が展開されるのです。

 

しかし実際の信玄公祭は、それだけではありません。

信玄公の命日412日には、山梨県内の各地では、信玄公の遺徳を偲ぶさまざまな「信玄公祭り」が執り行われます。

武田24武将騎馬行列、恵林寺信玄公忌が行われますし、翌周の日曜日、4月16日の日曜日には、川中島合戦戦国絵巻も行われます。

戦国史に残る、武田信玄公と上杉謙信公の信州川中島での合戦を、史実に基づいて再現する戦国祭りです。

両軍合わせて700名の甲冑武者が入り乱れて戦う様子は迫力満点、特に三太刀、七太刀の名場面 は圧巻だというのです。

 

その上に、4月23日の日曜日には、甲州市ふるさと武田勝頼公祭りも行われました。

この祭は、武田家最後の武将勝頼公の最期を迎えた地、甲州市(旧大和村)で、武田一族の遺徳を現代に伝えるお祭りです。

勝頼公と嫡子信勝、勝頼夫人を中心に、信勝環甲の礼、出陣の儀など、勝頼公出陣絵巻が披露されます。

4月は、山梨県では、全県民あげて、地元の英雄、武田信玄を称える祭が行われるのです。

 

 勝は、彼女と、4月23日、そんな武田勝頼公祭に参加しました。

 以前、黄桜さん、葉桜さんと、3人で武田の旅をしてから2年後でした。

 1月8日の風林火山のドラマを、勝と一緒に見ていた、彼女が、その時に行きたいといってくれていたのです。

 何故なら彼女は、勝と再会する前に、情報誌のHPで、勝が書いてくれていた武田家の号、全部、熱心に読んでくれていました。

 勝の魂の一部が、武田勝頼かも知れないと言う話も、信じてくれていました。

 彼女は、それに感動してくれていました。

 そんな勝の活動に、暖かい目を向けてくれていたのです。

 しかも、彼女は、勝の恋人になってくれてから、武田信玄や武田勝頼の本も読んでくれていました。

 勝頼の妻だった、北条家の若い姫、桂林院に関しても、小説なども読んでくれていました。

 それに涙を流してくれていたのです。

 その上に、彼女は驚く程、武田家に詳しく成っていました。

 女性なのに、黄桜さんと同じぐらい武田家の話ができる珍しい女性になっていました。

 勝にとって、それは本当に嬉しい事でした。

 勝は、彼女といつでも武田家の話ができる、恋人の関係になっていたのです。

 まるで、五〇〇年前の勝頼と勝頼夫人のようだったのです。

 

 だから彼女は、2006年の2月頃、武田勝頼公祭に、勝ちゃんは、行かないのと誘ってくれました。

 彼女は、武田家のこと、いろいろ調べていました。

 それで、武田家の慰霊の祭に参加したら、武田家の英霊達も、喜ぶよと言いました。

 きっと武田家の英霊達、勝ちゃんを待っているよと言ってくれました。

 私も、勝ちゃんと一緒に行きたいと言って、勝を感動させてくれたのです。

 だから勝は、そんな彼女の言葉がとても嬉しかったです。

 彼女の前世が、勝頼夫人か、どうかは分かりませんでしたが、勝は、もしかしたら、彼女は、北条家の姫かもしれないと思ったのです。

 

 しかし、勝は、それはまったく関係ないと思いました。

 前世、北条家の姫でなくても全然構わないと思いました。

 勝自身が、勝頼なのかもはっきりとした記憶がある訳ではありません。

 大切な事は、武田家の英霊達を意識してあげる心だと信じていました

 武田家の事を、ちゃんと理解している彼女なら、その資格は十分にあると確信していました。

 ですから勝は、彼女と、武田勝頼公祭に行きたいと心から願いました。

 多くの武田家の英霊達に、愛の波動、夫婦の波動を送りたいと思いました。

 やっと、勝は、武田家の英霊達に、自信を持って会えると思いました。

 行くなら、是非、彼女に、勝頼の妻だった、北条家の姫のお役をして欲しいと頼んだのです。

 

 彼女は、勝の申し出に心から喜んでくれました。

北条家の姫役、喜んでするねと約束してくれました。

武田家や北条家のこと、もっと勉強するねと喜ばせてくれました。

どうせなら、武田勝頼公祭だけでなく、他のいろんな所にも慰霊にいきましょうと、勝をますますやる気にさせてくれたのです。

 

それで、勝は、そんな彼女と、4月21日から、2泊3泊で、いろんな武田家の旅をする計画を練る事になりました。

お互いに有給をとって、金曜日、休む事にしました。

本格的な武田家の旅、慰霊の旅が始まったのです。

それは、勝頼にとっては鬼門の場所、長篠の戦いの戦場も含まれていました。

武田家は、長篠の戦いで、1万2千人もの死傷者を出したと言われています。

織田軍、徳川軍が待ちかまえている陣地に、騎馬隊で突っ込んで、3千丁の鉄砲で撃たれ、殆ど、全滅したと言われています。

彼女は、そんな大敗した、後々の武田家の運命を決めた長篠の戦場に行きたいと言ってくれたのです。

 

何故なら、長篠の戦いは、勝頼と北条家の姫の運命も大きく決めた出来事でした。

敗戦した勝頼は、織田家、徳川家から、武田家の勢力を盛り返す為に、関東の雄、北条家との本格的な同盟を考えなくてはならなくなりました。

武田家の四重臣の中で、唯一生き残った高坂弾正は、そのことを勧め、32歳の勝頼は、信玄と並ぶ英雄だった、北条氏康の六女だった、北条家の14歳の姫を正室と迎えたのです。

それで、武田家は、しばらくは持ちこたえることができました。

関東の北条家と同盟する事で、東の脅威がなくなり、何とか、織田軍、徳川軍に押されながらも、国を守ることができたのです。

北条家の姫は、武田家、北条家の絆の象徴、二人の結婚は、政略結婚だったのです。

でも、北条の家の若い姫は、そんな事は関係なく、勝頼を心から慕い、愛してくれました。

信玄に有名な風林火山の旗を贈った快川国師は、気高く美しい慈愛に満ちた夫人を、自然に人を感化するとして、「芝蘭」にたとえています。

勝頼も、そんな18歳も若い北条夫人を心から大切にしたのでした。

 

だから、彼女も、長篠の戦いで亡くなった武田家の英霊に、一緒にご挨拶したいと言ってくれました。

勝と一緒に、武田家の英霊達に、一緒に詫びてくれると言いました。

武田家の為、勝頼の為に、命がけで戦ってくれた家臣や、兵達に、一緒に感謝したいと言ってくれました。

二人を結びつけて頂いたことに、英霊達に一言御礼を言いたいと言ってくれたのです。

だから勝自身、一人では、とても辛くて、行く気になれなかった長篠の戦場も、彼女とならいけると思いました。

二人は、長篠の戦いで亡くなった英霊達の為に祈り、勝は、前世、武田勝頼として、素直に間違いを認め、しっかり謝り、武田家の為に戦ってくれたことに、心から感謝し、最後に長篠の戦いでなくなったすべての兵達の冥福を祈りました。

勝は、土下座までして大変だったけど、何とか彼女のおかげでやり遂げられたのです。

その時に、何故か大きな風が吹いたのです。

 

また彼女は、そんな勝を励まし、力を与えてくれました。

時には、敗戦の重みで、辛い勝の手を握ってくれました。

正直、長篠の戦いで亡くなった英霊達に、ラブは送れませんでしたが、武田家の英霊達の為に、慰霊させて頂けたのです。

そしてその後、勝と彼女は、長篠の戦場の、近くの場所に泊まり、一杯一杯愛し合いました。

戦で死にたくなかった。

妻や、愛する人がいるふるさと甲斐に帰りたかったと思いながら死んだ、多くの、無名の兵の為に、二人は、愛を届けたのです。

しかも勝と彼女は、長篠の戦いで亡くなったまま、今もその土地に自縛したまま、自縛霊になっている武田家の霊達を、背景に背負って、甲斐の国、武田領に帰らせてあげることにしました。

それが、武田家の英霊達が、本当に求めているものだと信じていたのです。

 

     「武田勝頼と北条家の姫」

長篠の戦いで大敗した武田家が、崩壊の道を選んだのは、上杉謙信が亡くなった後の、跡目争い、景勝と影虎の戦いに巻き込まれたからでした。

景勝は、上杉謙信の姉の子供です。

影虎は、北条氏康の子供で、どちらも養子でした。

勝頼は、北条氏正の要請で、影虎を支持して、景勝と戦いましたが、北条氏正の戦意のなさに呆れて、景勝と和議を結びことになったのです。

仕方がなかったのです。

運命の流れには逆らえなかったのです。

それで影虎は、破れて、景勝に殺されてしまったのです。

 

しかしこの事で、武田家は、織田家、徳川家だけでなく、北条家も敵にすることになりました。

戦国最強と言われていた武田家は、滅亡の危機を迎えたのです。

勝頼は、そんな中で、自分を心から愛してくれる若い北条家の姫を、実家の北条家に帰そうとしましたが、彼女は、最後まで拒みました。

兄氏政の情け容赦のない行動に怒りを感じ、実家と決別し勝頼と生涯を過ごそうと決意するのです。

しかも彼女は、勝頼の為に、神仏に必死に祈ってくれていました。

武田八幡社(韮崎市神山町)に願文を奉納し祈願していています。

「ここに不慮の逆臣が出て、国を悩ましております。その為に勝頼は運を天にまかせ、生命をかえりみず敵陣に向かいました。・・・どうぞ、霊神力を合わせて勝頼を勝たしめ、敵を四方に退けてください・・・・」

 という文章が、今も残っているのです。

 

 そして勝頼夫人、北条の姫は、武田勝頼が、親族である、穴山氏、木曽氏、小山田氏などから次々と裏切りにあい、天目山に落ちていった時も、最後まで勝頼と一緒に共にしてくれました。

 勝頼は、何とか、勝頼夫人を、北条家に帰そうとしましたが、夫人は、拒否しました。

 しかも天目山で死ぬ前、柏尾大善寺に宿泊した勝頼夫人は、寺の本尊が、薬師如来と聞いて、勝頼に「来世を祈りましょう」といったと伝えられていますし、いよいよ天目山に追いつめられて最後という時に、再び、ここからは相模は近い、家臣に送らせるからと、北条家に戻ることを勧めた勝頼に、「これは意外なお言葉、相模をあとに契りを結んだ以上、ひとつ蓮の台の縁と思っております。帰るなど思いもよりませぬ」ときっぱり断り、短剣で突っ伏したと言います。

 勝頼が、そんな北条家の姫を介錯したのです。

 

 勝と彼女は、長篠の戦場の後、甲斐の国に入ると、そんな勝頼と北条家の姫のかかわったところを、一緒にまわりました。

 武田家の発祥の地、武田八幡社から始まり、武田勝頼が、造った新府城、柏尾大善寺、天目山へと進みました。

 二人は、勝頼夫人、親子が落ち延びたルートを歩いたのです。

 また、翌日は、武田勝頼公祭に、二人は参加しました。

 甲斐の国の人達、山梨県人に、勝頼は長い間、信玄公が築いた武田家を滅ぼしたという事で、人気がありませんでしたが、今は違っていました。

 勝頼は、駄目な二代目から、悲劇の二代目になっていました。

 山梨県人の人は、勝頼を許し、暖かく見守ってくれていたのです。

 勝と彼女は、そんな県民がしてくれた武田勝頼公祭に感動しました。

 心から、手を握って、ラブの気持ちで、祭を楽しんだのです。

 多くの武田家の英霊達と一緒に、祭を見ていたのです。

 たくさんの武田家の為に、戦で亡くなった兵士の為に勝と彼女は、愛の波動を送ったのです。

 

 また、この武田家の旅でも、いろんな奇跡がありました。

 不思議な事が一杯ありました。

 しかし、ここでは、残念ながら、皆さんには秘密にすることになりました。

 話せない事があって、彼女もそうした方がいいと言ってくれたのです。

 だけど、彼女は、また一緒に、武田家の英霊に会いたいねと言ってくれました。

 武田家の祭に二人で参加しようねと言って、勝を喜ばせてくれました。

 今度、黄桜さんやリサさんなどの前世、武田家と御縁のある人と、一緒にいろんな武田の名所も、祈りに行きたいねと言ってくれました。

 勝は、そんな彼女や、黄桜さんやリサさんとむ、毎年、一回は、武田巡りに行きたいと心から思いました。

 勝と彼女の幸せな波動、夫婦の波動の波動を届けようと思いました。

 それが、武田家の英霊達が、一番望んでいることだと思ったのです。

 

   「100歳ボランテイアクラブ」

 大変なことになりました。

 信じられないことになりました。

 まさか、こんなことになるとは、夢にも思いませんでした。

 こんなことになると分かっていたら、彼女を連れて来なかったのにと思いましたが、後の祭りでした。

 勝は、ただ、ある恩師の先生を、彼女に紹介したいだけだったのです。

 勝の長年の付き合いがある、恩師の先生に、彼女を紹介するつもりだったのです。

 それで、恩師の先生や、仲間の御縁のある人達が来るというので、勝も、初めて彼女を連れて行ったのです。

 

 恩師の先生は、最初、そんな勝の幸せを喜んでくれました。

 美人の彼女の存在に驚いていていました。

 これは、まさかという坂だねといって、喜んでくれました。

 よかったねと、祝福の言葉をくれたのです。

でも恩師の先生は、その後、とんでもないことを、居酒屋の席に座っている、何人かの仲間に言いました。

 勝が初めて聞かせて頂く話でした。

 

 恩師の先生は、「男性と女性の年齢が、二人会わせて、合計100歳を越えたが人が、合意してセックスするのであれば、妻子がいても、それは不倫とは言わない。ボランテイアだ」という話をしたのです。

 その瞬間、勝はハットして、彼女の顔を見ました。

 彼女が、その話に、非常に関心を持ったのが分かりました。

 彼女の目が、その瞬間、とても輝いているように見えました。

 勝には、彼女が、何を考えているのか、分かってしまいました。

 今、100歳の年齢から、自分の年齢を引いた計算していると思いました。

 彼女は、何歳の男性なら、ボランテイアが可能なのか、考えていると思ったのです。

 

 勝は、これは天にはめられたと思いました。

 天が恩師の先生を通じて、このことを、彼女に伝えたのだと直感しました。

 これは運命、この話を聞くことは決まっていたことだと観念したのです。

 

 また、勝の予想通り、彼女は、その恩師の先生の話に食いついてきました。

 いろいろ質問しました。

 どうして不倫ではなく、ボランテイアになるのか知りたいみたいでした。

 彼女は、それをどうしても知りたいみたいでした。

 

 恩師の先生は、そんな彼女の質問に答えました。

 恩師の先生は、まだまだ元気ですが、高齢です。

 その中で、今も、いろんな年齢の人達とおつき合いがあります。

 人間は、50歳から60歳になったら、いろんな事があるそうです。

 ずっと独身の人がいれば、未亡人になった人もいます。

 離婚した人もいれば、夫や妻と、うまくいっていない人も多いです。

 セックスをもうずっとしていないセックスレスの人もいれば、奥さんや夫以外の人としてセックスしている人もいます。

結婚して、何十年も経過したら、いろんな事があって当然です。

 今も、ずっと伴侶とうまくいっているという人の方が少ないのです。

 

 でもそれは、人の生き方としては、寂しいそうです。

 元気がないそうです。

 生き生きとしていないそうです。

 恋をしていないそうです。

 特に、女性の人は、生きがいをなくしている人が多いというのです。

 

 それで、恩師の先生は、何人かの人と、「100歳ボランテイアグループ」を造っているそうです。

 条件は、一度は結婚している男女なら、後は二人の年齢が、合計100歳であったら、御縁があるのなら、何の問題ないそうです。

 二人が合意して、他の人に迷惑かけないのなら、妻子がいても不倫とはいわないそうです。

 ボランテイアなのです。

 

 実際、恩師の先生が参加しているグループの人達は、それで活性したそうです。

 70歳、80歳の女性でも、生き生きしてきたそうです。

 誰もが目が輝いてきたそうです。

 そのボランテイアする、しないは関係なく、その話をするだけでも、どんな人でもやる気になる、失った生きがいを取り戻すことができる。

 恩師の先生は、そう彼女に説明したのです。

 別に、恩師の先生は、それを特別に実践しているという訳ではないのです。

 

 また彼女は、その説明に納得したみたいでした。

 それが、真実だと確信したみたいでした。

 今まで、自分がやってきた事は、間違いなかったという自信ができたみたいでした。

 勝と同様に、その恩師の先生を、尊敬したみたいでした。

 大好きななったみたいでした。

 勝も、その恩師の先生の話を初めて聞いて、二一世紀、時代は、確かに変わり初めていることを痛感したのです。

 

 しかし、彼女は賢いのか、恩師の先生に、それ以上、みんなの前では聞いてきませんでした。

 勝をたててくれていました。

 後は、普通に話を聞いていたのです。

 みんなと楽しいお酒を飲みながら、ボランテイアの話や、他のビジネスの話、気の話で盛り上がっていたのです。

 

 でも、帰りの電車の中で、二人になると、彼女は聞いて来ました。

 恩師の先生と勝の関係、縁についていくつかの質問をしました。

 恩師の先生はすばらしいと絶賛していました。

 恩師の先生を紹介してくれてありがとうございますと、勝に感謝してくれました。

 その上で、恩師の先生は、何歳ぐらいで、どんな先生なのとしつこく尋ねてきました。

 最後には、勝ちゃんは、恩師の先生が、好きなのと、目を輝かせて聞いて来たのです。

 

 勝は、そんな彼女の言葉に来たなと思いました。

 止めても無駄だと思いました。

 内心、覚悟を決めたのです。

 

 彼女は、そんな勝に、恩師の先生は、立派な会社を経営していたのに、それを他の人にあげてまで、世の中を良くしようとしているのはすばらしいと言いました。

 高齢なのに、志と夢を持っている、恩師の先生は、現在の志士だねえと誉めていました。

 しかも、勝のことを大切にしてくれていることが、何よりも嬉しいといってくれました。

 勝ちゃんを評価してくれる立派な先生がいて、私も、本当に感動したと言っていたのです。

 

 その上で、彼女は、恩師の先生は、今でも十分に幸せだろうけど、もっともっと、世の中の人達に、認められるべきだと言いました。

 恩師の先生には、もっともっと、世の中の為に、ガンバって欲しいと言いました。

 たまには、若い女性のエネルギーを貰って、若返ることはいいことだと言いました。

 きっと神様は、恩師の先生に、一杯愛を直接、注ぎたいと思っていると言いました。

 彼女は、私、恩師の先生とボランティアしてみたいと言ったのです。

 

 勝は、苦笑いして分かったと答えました。

 恩師の先生には、勝からメールすると言いました。

 独身だけど、ボランティアグループに入れたらいいねと答えました。

 恩師の先生をよろしく、とお願いしました。

 勝は、正直それはいい事だと思いました。

 恩師の先生は、そんなことまったく望んでいないことは分かっていましたが、彼女が、そうさせて欲しいのなら、したらいいと思いました。

 きっと、それは、彼女にとっても、恩師の先生にとっても、マイナスにはならないという自信ありました。

 プラスにしか成らないと思いました。

 年齢など関係なく、魂同士で考えたら、恩師の先生の魂と彼女の魂が、この世で結ばれることも、きっとあの世で帰ったら、すばらしい意味のあることになると言う確信があったのです。

 

 だから、勝は、彼女と恩師の先生のボランテイア承諾しました。

 彼女は、とても喜んでくれました。

 後は、彼女自身で、恩師の先生と御縁を持ってくれました。

彼女は、神様の代わりに、勝の代わりに、しっかり恩師の先生を愛してくれました。

女性の癒しのエネルギーを注いでくれました。

ますますのやる気、元気の若い女性のエネルギーを注いでくれました。

無限の無限の幸せという快感を与えてくれました。

それは、勝にはできない事でした。

 

勝は、そんな彼女は、本当にすばらしいと思いました。

そんなすばらしいボランテイアなら、世の中の為に、どんどんしたらいいと思いました。

勝は、彼女は、恩師の先生だけでなく、これから、二人の合計が100歳になる、高齢な人で、すばらしい意識の高い先生達、心から尊敬できる人とは、ボランテイアするのだろうなあと思いましたが、すべては、彼女に、自然に任せようと思いました。

天の意志に任せようと思ったのです。