「菊」の日記  
          2007年8月号

                 
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人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

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2007年08月31日

9月のプラットホーム予定

 8月17日、プラットホーム空3が開催されました。参加メンバーは、7名でした。
 今回のプラットホーム空3の例会は、とても楽しかったです。
 今まで、プラットホームの例会は、井戸端会議ということでしたが、なかなか井戸端会議にはなっていませんでした。
 毎回、いろんな人が参加してくれて、目的のある会でした。
 でも、今回は、初めて、井戸端会議という感じでした。
 本当によかったと思います。
 さて、そんなプラットホーム空(くう)03の9月の例会は、9月21日 第3金曜日 午後3時からです。
 是非、菊とご縁のある皆さんのご参加お待ちしています。

 また、そんなプラットホームの9月の予定です。

 プラットホーム空(くう)01例会 9月1日(土)16:00〜18:30 ココ プラザ702号(和室) 菊は、プラットホーム空(くう)01は休みです。でも、プラットホーム空(くう)03のメンバーは、誰でも参加できます。ただし、菊はお休みです。無料です

 プラットホーム ホロンの会 9月13日(木)18:00〜20:00  地下鉄 玉造駅  プラットホーム空3のメンバーは参加できます。無料です。

 プラットホーム空(くう)03例会 9月21日(金)15:00〜17:00  ホーミーアスカ 地下鉄今里駅  菊とご縁のある人なら、関心ある人なら、誰でも、ゲスト参加できます。無料です

 プラットホーム秋のお祭り 9月23日(日)9月23日(日) プラットホーム秋のお祭り チサンホテル新大阪  第一部 午後2時〜6時(参加費 2,000円)
第二部 午後6時30分〜8時30分(参加費 5,000円) 飲み放題、食べ放題 大立食パーティー
 菊とご縁のある人なら、関心ある人なら、誰でも、参加できます。


詳しくは、下記を見て下さいね。



 9月例会のご案内 プラットホーム空(くう)03例会
【日 時】
2007年9月21日(金)午後3:00〜5:00 
【場 所】ホーミーアスカ住環研所
 〒537−0012大阪市東成区大今里3−16−19イーズ
今里2階205号室
電話      06−6977−6768

アクセスは・・・
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/KAIJOT...


9月例会のご案内   プラットホーム空(くう)01例会
【日 時】
2007年9月1日(土)16:00〜18:30 ココ プラザ702号(和室)


【場 所】
〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-13 
TEL.06-6370-5421
青少年文化創造ステーション(愛称:KOKO PLAZA ココ プラザ)

アクセスは・・・
http://www.kokoplaza.net/access/index.html

プラットホーム秋祭り
 〜目で見るプラットホーム〜
◎プラットホームの中の仲間に出会える
◎自分たちがやっている事を見てもらいたい
◎他所でやっている事も分かる
◎口で説明しにくいプラットホームの内容が分かるので
 友達を誘って行ける

祭りをそんな場にしていきましょう

9月23日(日)
チサンホテル新大阪

第一部 午後2時〜6時(参加費 2,000円)

縁の花村まぐまぐ情報申し込みサイト
http://www.geocities.jp/ennohana/8ennohanamagmag.htm

縁の花 トップページ 
http://www.geocities.jp/ennohana/

夢のプラットホーム空3
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumeno...

弥勒 cocoさん  2007年08月31日
ありがとうございます。

こういう風に、mixiにも書いて下さると、何日やったかなぁ〜って、ダブルブッキングしなくて済みます。

助かります。

あづきさん  2007年08月31日
プラットホーム秋祭り、楽しそうですね。都合がつけば参加させていただきたいです^^

菊ん   2007年09月1日
弥勒 cocoさん、ありがとうございます。
そういって、頂けると、とても嬉しいです。
ミクシイでも、大いに、プラットホームの秋祭り、盛り上げましょうね。

あづきさん、ありがとうございます。
とても、とても嬉しいです。
お待ちしています。




2007年08月31日
9月23日 プラットホームの秋祭りがあります


岡山のタオの会のタオさんからのメッセージ来ました。
9月23日、プラットホームの秋祭りがあります。


菊は、日曜日、お仕事なので、参加するにしても夜になりますが、何とか参加したいと思います。
プラットホームの秋、祭り、大いに楽しみたいと思います。

また、日頃、菊が書いているプラットホームに関心のある人も、ご参加できます。
是非、菊と何かのご縁ある人も、参加は可能です。
これを機会に、祭り好きな人は、ご参加下さい。
参加したい人は、菊までメール下さいね。


タオさんのメッセージです
祭り
プラットホームが出来て4年目に入りました

会の数も21個、

わくわく夢の会  いのちの会01、いのちの会02 いのちの会03

宇宙の会  波の会  凛の会  幸福の会  ヒントの会01 ヒントの会02

ペガサスの会  天晴れの会  風の会  間の会  ギブの会  仮想空間の会

空の会01 空の会02  空の会03  ロハスの会  タオの会


これから立ち上げの準備をしている会も2か所あり
仲間も約250名と大所帯になったので
顔を合わせた事がない仲間の数も多くなってきました


今まで
京都の嵐山 三重の湯の山温泉 奈良の天河 
鞆の浦の仙酔島 そして今年の直島などに集まって親睦をはかってきました

会によっては
「地球交響曲」の上映会もやり
遠くから多くの仲間が駆けつけました

各会も特徴が出だし
活動も活発になってきました


私たち、こんなことをやっているのだけど
よその会はどんなことをやっているのかしら

やりたい事があるのだけど
一緒にやってくれる仲間を探せないかな
これからこんな事できないかな

一度報告会をやってみない?

仲間が集まって
お祭りみたいな事をやったらどう?


(?´∀`)??祭りだヽ(´∀`ゞ)祭りだ (*´∀`)b お祭りだ♪


毎月駅長が集まるシナプスの会で
そんな話が持ち上がりました

それって、面白そうね
いっちょやってみようか
みんなに呼び掛けてみよう
と言う事になり

話に参加していなかった駅長さんにも呼びかけてみたところ
それはいいね
やってみようと賛同してもらったので
さっそく会場を取りました




会員同士の交流の場にしてください

その場に参加するだけでも十分です



プラットホーム以外の人を誘ってくだされば

    目で見るプラットホーム
    肌で感じるプラットホーム
    これがプラットホームだ!

てな感じで、分かり易いと思います


    
9月23日
新大阪近くのチサンホテル

◎第一部 午後2時〜6時(参加費 2,000円)

  模擬店形式でアピールできる場です
  縁日みたいなもの

◎第二部 午後6時30分〜8時30分(参加費 5,000円)
  
  大立食パーティー
  飲み放題に注目!!


一人一人が主催者です
todoにも連絡先を書いています

2007年08月29日
9月9日、10日は、第4回川中島の合戦の日です。

9月9日がちかづいてきました。昔、菊が、名前を紫陽花から、菊に改名したのは、9月9日でした。菊の節句の日です。この日、宮中では、菊の花とお酒を使って、いろんな催しをしていたのです。

しかし、それだけでなく、実は、永禄4年、(1561)9月9日の夜に、川中島の第4回目の合戦が行われ、翌日の9月10日、山本勘助を始め、信玄の弟、信繁や、諸角昌と言った武将や、初鹿野忠次、油川彦三郎、安間弘家、三枝守直などの上級武将も戦死しています。

武田軍だけで、戦死者四六三0名、負傷者七五00名、上杉軍、三四七0名、負傷者九四00もの人が戦士したり、負傷したりするという、戦国時代でも例のない激戦だったといわれています。

この第4回目の川中島の戦いでは、武田軍、2万人、上杉軍、1万3千人の戦いなので、戦に参加した兵の大半が、戦死したり、負傷したりしていることになります。正直言って、この数字は、あまりにも大きすぎるので、たぶん被害は、もう少し違うと思いますが、多くの兵が亡くなったことは間違いありません。改めて、川中島の戦いで亡くなった御霊のご冥福をお祈りしたいと思います。

また、そんな川中島の戦いですが、菊は、つい最近まで、9月9日に、この合戦が始まったことは気がつきませんでした。実際に、行われたのは、八幡原で、霧が晴れ始めた午前七時半頃で、午後十時から十一時に、武田軍の別働隊が、届いたことで、決着がついたといわれていますが、合戦自体は、九月九日の夜、武田軍が、海津城から、出たことで始まるのです。

しかも、9月9日、山本勘助によって、武田家の武将に、啄木鳥戦法が説明された時、武田家の武将の中で、今日は、9月9日、重陽節句、菊の節句だということで、縁起がいいということで、指示された話もあります。十分に考えられるのです。だから、菊は、9月9日も、川中島の合戦の日だと言ってもいいと思います。9月9日と、10日が、川中島の合戦の日だと言ってもいいのです。

けれど、9月9日が、川中島の合戦の日とは、菊にとっても、何かのご縁を感じます。少なくても、菊という名前も、9月9日を、命名日にしたのも、川中島の戦いを意識した訳ではありませんが、ご縁の導きで、そうなっていたのです。

2007年の9月9日は、日曜日なので、お仕事ですが、夜は、武田家の御霊と大いに祝いたいと思います。一体、何をしましょうか。今から、楽しみです。
 
大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記
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ブルジョワ 学生さん
おお、左様でございましたか^^
天のお導きで知らされた以上、大いに御祝いなさるのが宜しゅう御座いましょう^^

ジャスミンさん
菊ちゃん、そうだったの?すごいねえ。
 貴方が武田家の済度を意識し、御霊さん達も動き出したら、更に意味のあるご縁が結ばれるように霊界が働きかけてくるようですね。
 あじさいさんも素敵だったけど、貴方はやっぱり菊ちゃんです。そうか、9日意識します。一緒にお祝いしたいところですが残念!想いはしっかり届けますから、御霊さん達と一緒に感じてね。

るうさん
そうだったんですか・・・どこか不思議な「縁」を感じます。
私も、末席からお祝いさせて頂きます。

あづきさん
9月9日は私の住む自治会の秋祭りです。田舎なので全世帯強制参加なんですが、個々の家庭で採れた野菜やお米を使ってみんなで煮炊きして食べる昔ながらの収穫祭なんです。きっと川中島の合戦の時も、こうしてみんなで収穫を祝いたかったとお祭りを楽しみにしていた御霊もいらした事でしょうね。私も菊さんと一緒に意識してお祭りに参加させていただきますね。

菊さん
ブルジョワ学生さん、ありがとうございます。
是非、よろしくお願いします。

ジャスミンさんありがとうございます。
是非、大阪と金沢で、武田家の御霊に、愛の波動届けましょう。

るうさん、ありがとうございます。よろしくね。

あづきさん、秋祭り最高ですね。
是非、静岡県、駿河の国から、武田家の御霊に、愛の波動届けてね。




2007年08月28日
天皇の真実 反天皇と反日本の正体

8月21日、天皇の真実の河内正臣先生が大阪に来られました。難波の、韓国大使館の近くのある日本料亭でお話されたのです。その時の話ですが、今まで、何回か、河内正臣の先生の話を聞きましたが、とてもよかったです。

日本全国に、天皇好きな人はいるとは思いますが、大いなる使命を持って、ここまで話される先生はいないと思います。

そんな河内正臣先生から、新しい天皇の真実の資料頂いています。
是非、お読み下さい。

 反天皇と反日本の正体
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070822.htm

 天下の一大事に今こそ目覚めよ!
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070828.htm

 真実の愛国心に目覚めよ!
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070828-1.htm

大圓さん  2007年08月28日

最近お会いした田畑俊久氏の考えと河内正臣先生はまったく同じですね。 おそらく河内先生の教えを田畑氏は伝えておられるのでしょう。 

そしてその考えは、同じく反戦のてんつくマンや中村文昭さんたちがやった、温暖化防止「TEAM GOGO 2007」3000万部号外の行動に引き継がれています。


しかし私は相変わらず異論があります。


「軍事的空白を作ってはいけない」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=531658499&owner_id=783617 

「賢人塾」代表の田端俊久氏が非戦愛国の思想を述べられました。 反戦平和主義者だが、武士道を愛し、天皇を崇敬する彼は、サヨクからもウヨクからも攻撃されています。 彼が言うには日本は財政的に破綻しているので、軍備をこれ以上持つことは日本にはできない。 ・・・・・



「9条が平和を作ったのか?」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=538922745&owner_id=783617

・・・NHKの9条についての2回のテレビ市民討論会を聞きましたが、9条があったから平和だったという議論がサヨクの理論です。 

しかし戦後9条の下で軍備がまったくなかった時はなかった。 9条はあったが常に自衛隊という軍隊もあった。 この軍隊がない状況は戦後なかった。・・・ 

2007年08月28日

第34回「真田の本懐」 8月26日 放送

 真田幸隆が、長年の真田家の本懐を遂げました。信玄も落とせなかった戸石城を見事、落としました。それで本領、真田郷を回復しました。見事です。以後、真田家の名前は、関東で知れ渡ることになるのです。

 また、その戸石城ですが、真田幸隆が落とせたのは、武田家の金、金山の力だと思われていました。信玄は、金山による、豊富なお金を、好きなだけ、真田幸隆に与えて、自由に使わせたといいます。それで難攻不落の戸石城は落ちたといわれています。真田幸隆と言う人物を見込んで、自由に手腕を発揮させた信玄公も、さすがにすごい名将なのです。

 しかし、そんな戸石城攻略に、海野家の再興がからんでいたとは知りませんでした。これは、菊も知らない説です。今までは、真田幸隆が、戸石城を落とした後、信玄に薦めて、竜芳に海野家を継がせたと思われていたのです。

でも、戸石城の前に、信玄と幸隆の間で、そんな話が出来ていた可能性があります。海野家を再興させるということであれば、海野一族だった、真田家がまとまる可能性があったからです。それで、村上義清の元にいた海野の家臣も、まとまる可能性もあったからです。本当にうまいやり方です。お金で、動かすよりも、遥かにいいと思うのです。

 それに、実際の歴史でも、幸隆の弟の常田隆永や、妹の忍芽が、真田幸隆に嫁いでいる河原隆正も、真田家に下っています。後に、真田家は、幸隆の元に、兄弟や親戚は団結して、戦国時代生き残っています。裏切りものは出なかったのです。

 だけど恥ずかしながら、菊自身、海野家のことはしりませんでした。信玄の次男、目の見えない竜芳(海野二郎信親)が、海野家の再興を果たしたことはしりませんでした。不明を恥じるばかりです。

 でも、信玄が、昔敵だった、海野家を復興する為に、盲目だった竜芳と、海野家の娘を嫁がせるなんていうすばらしいことをしたとは思います。きっと、武田家を憎んでいた海野家の御霊も、その信玄の行為には感謝したと思います。恨みを、忘れてくれたと思いたいのです。

 しかも、武田家は、勝頼が天目山でなくなった後、竜芳は、法入明寺で自殺してなくなっていますが、その子息の武田信道は生き残り、いろんなことがありましたが、甲斐武田家嫡流の命脈を保ち続けてくれました。その子孫は、高家武田家となって、江戸時代も栄えたのです。

 この信道の母親が、海野家の娘なのか、どうかは分かりませんが、海野家の娘だった可能性が大きいです。ということは、海野家の血も、武田家と同じで、残ったのです。本当にご縁とは、不思議だと思います。

 また、武田家は、次男の竜芳と、七男の信清の系統で今も続いていますが、これは、心から感謝したいです。特に、その中でも、竜芳の系統は、竜芳が盲目だったから、織田家の激しい残党狩りを逃れたからだといわれていますが、信玄が、海野家に対して行った行為が、後に、武田家が存続する事になったのではないか。菊は、何となくそう思います。神仏が、海野を復興させた武田家に対して、今度は、武田家を、ずっと存続させてくれたのです
「甲斐源氏 武田家は、天目山に滅びず」なのです。

蔦さん  2007年08月28日

大名としての武田家と、名家武田家とは区別すべきなのでしょう。
天が、信玄公以降に大名家としての武田家を残さず、しかし甲斐源氏の名家武田家の血統を残したのは、後世に生きる我々に、必ずしや意味のある事なのではないでしょうか。

現世でも、風林火山の御旗が必要なのかもしれません。

菊さん   2007年08月28日

蔦さん、ありがとうございます。
大名としての武田家と、名家武田家は、もちろん違いますね。
でも、天が、何故、そうしたのかは分かりません。
だけと、武田信玄や勝頼が、天命を生きた証かも知れませんね。



2007年08月28日

第32回 「越後潜入」 8月12日放送

 山本勘助は、越後の上杉謙信の元に潜入しました。実際の山本勘助が、上杉謙信にあったことがあるのか、ないのかは分かりませんが、浪人時代にあっていたらいいと思いますし、まだ、上杉家と武田家が、敵対していない時に、お忍びで、密かに会っていた可能性もあると思います。

その時、山本勘助が、上杉謙信を、どう評価していたか、分かったらとても面白かったと思いますが、前にも書きましたが、上杉謙信との戦は、絶対に避けるべきだったと思います。上杉謙信が、強いと分かっているのに、それでも戦を仕掛けたこと、これが、山本勘助や、信玄の大きな失策だと思うのです。でも、それは今からみれば分かる事で、その当時は、なかなか分からなかったと思います。

 さて、今回のドラマでは、信玄が、最後に経験した、一番大きな敗戦、戸石崩れが起きています。信玄は、この戸石城の戦いで、再び、村上義信に敗れていますが、約千名の兵を亡くしているのです。

 しかし、何故、敗れたのかは、はっきりとは分かっていません。高梨城を攻めていると見せかけていた村上義清の策に乗ってしまったとか、いろいろ言われていますが、やはり最大の失策は、信玄のおごりだったと思います。その前の戦で、戦わずに。小笠原氏を、中信の林城から追い出して、少し調子に乗っていたのです。それで、難攻不落の戸石城を攻めて、攻め落とせない内に、村上勢が来て、戦線が崩れてしまったのだと思います。

 だけど、これで信玄は、戦に関しては、おごりがなくなりました。大きく勝利した後の慢心を持つことはなくなったのです。それを、井沢元彦さんが、山本勘助と信玄のことを書いた野望という題名の小説では、再び、信玄が、おごりから、戦で敗戦することは、戸石城でなくなった千名の御霊が許さないと、軍師、山本勘助に言わせています。信玄は、千名の兵を、自分の失策で、失ったことで、もう二度と、戦で勝利しても、おごることがない、真の名将になれたのです。

 そうしないと、亡くなった武田家の御霊が許しませんでしたし、信玄自身も、板垣信方や甘利虎泰や、戸石崩れでなくなった御霊を思い出す為に、自分を自戒したのです。きっと、神仏だけでなく、信玄と武田家の御霊の間にも、本人以外には理解できないすばらしい関係があったと思います。

 だから信玄は、「戦の勝ちと言うものは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とするのだ」という名言を後に作っています。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵」と匹敵する信玄の名言です。信玄は、敗戦によって、強くなったのです。是非、そんな信玄の活躍を、これからも楽しみにしたいと思います。

2007年08月25日
第31回「裏切りの城」 8月5日

 大河ドラマ、風林火山の主役は、武田信玄と山本勘助ですが、その次の主役といえば、間違いなく真田幸隆になると思います。

 また、この武田日記を読んで頂いている方や、縁の花の読者でも、真田家のファンはたくさんいますし、真田家の御霊も動いている感じです。前世、真田家とご縁があるという人達も、菊の前世の仲間の中にもいるのです。

 しかも、この真田家ですが、武田家が滅んだ後も、武田家の戦略、信玄公の軍略を継いでくれたのは、真田一族だと、菊は、心から感謝しています。何故なら、長篠の戦でなくなった、真田幸隆の後を継いだ真田信綱に代わって、真田家の当主となった、三男の昌幸は、小信玄と呼ばれて、信玄から直接、軍略を学んだといわれています。信玄の弟子でもあるのです。

 その上に、昌幸は、信玄公を終生敬っていて、武田家が滅んだ後、信玄公の墓を、領内に持ち込もうとしましたし、最後まで、武田家に尽くしてくれました。滅亡する運命だった武田勝頼を、岩櫃城で庇おうとしてくれました。信玄が、真田家にしてくれた恩を忘れていなかったのです。

 その上に、軍略家しても優れていて、徳川に、二度も戦って勝っていますし、領内を、見事に治めています。民衆と一緒に、暮らし、戦ったのです。まさしく信玄の思いを継いでくれた、跡継ぎは、真田昌幸であり、その息子の幸村です。きっと、武田家が滅びた後も、武田家の御霊達は、真田昌幸などの真田氏を応援していた気がしますし、主家を無くした真田家が、その後も、難しい難局を乗り越えて、江戸時代まで、真田家を繁栄できたのも、武田家の御霊のご加護もあった気がするのです。

 また、そんな真田幸隆は、忍者を使い、謀略の天才だったのも知られています。信玄が、大軍で囲んでも落とせなかった戸石城を見事に落としていますし、その後も西上野で活躍しています。ただ、そんな真田幸隆ですが、ドラマであったように、村上勢を、松尾城に引き込んで、討ち取ったのかどうかは分かりません。

 でも、真田家もまた、戦で、平蔵の父になった矢崎のように多くの兵を殺していることは間違いありません。真田家の戦いで、亡くなった多くの御霊のご冥福を祈りたいと思います。


大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記
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2007年08月25日
第30回「天下への道」 7月29日放送

 いよいよ、上杉謙信が、大河ドラマ、風林火山で、全面的に登場しました。信玄のライバルとして、立ちふさがることになるのです。


 また、信玄自身も、天下取りを、山本勘助に言われて、宣言します。「勘助わしには、もう迷いはない。天下を取り、都に孫子の旗を立て、仏法、王法を守り、天下の規範となる政を行いたい。それがわしの目指す道だ」信玄は、本気でそう思っていたと思います。

 しかし、信玄がいつの頃から、天下取りを目指したのかは、まだはっきりとは分かっていません。一説によれば、信長の上洛を見たときからだといわれていますし、足利義満から、信長を倒して、上洛するように、うながされた時だという説もありますが、菊自身としては、もっと早い時期だと思いたいです。それによって、信玄の天下取りの器量が決まります。

 武将の子として生まれたのですから、信虎を追放して、家督を継いだ時から思っていて、ドラマと同じように、塩尻峠の戦いで勝利して、信濃を獲得する目処がついて、自信を深めた時には、目指していたと思いたいのです。

 そしてそんな信玄の天下取りの最大の障害になったのが、上杉謙信の存在でした。天下取りの道は、上杉謙信によって、塞がれたのです。何故なら、歴史にもしはありませが、もし、上杉謙信という存在が、越後にいなかったら、信玄は、間違いなく天下を取れたと思います。

 というのも家督を継いだ天文十一年(1542年)から天文二十二年に(1553年)、村上義清を、北信から追放して、11年の年月をかけて、信濃の大半を領地にした信玄ですが、その後、越後に上杉謙信がいなかったら、二、三年、どんなに遅くても、四年から五年で領地化できたと思います。

 その当時の越後は、上杉謙信がいなかったら、まだ統一できていないはずですし、謙信の兄、長岡晴景は、病弱で、国内をまとめるとはできません。長岡晴景ではなく新たな国主が、登場していたとしても、甲斐、信濃で、およそ60万石を領地として持っている武田に対して、越後は、40万石で不利です。今川家、北条家との背後を固めていた信玄は、余裕を持って、越後と戦えたと思うのです。

 そして越後を、領地としたら、100万石の大名です。しかも、甲斐、信濃、越後という日本でも有数の強兵を動かすことができます。その後、北陸から、越中、能登、加賀と進む事もできますし、得策ではありませんが、駿河の今川と対決することもできます。

 また、そんな事をしている内に、永禄三年、(1560年)に今川義元が、桶狭間の戦いで、敗れたら、すぐに行動を起すこともできました。信濃を統一してから7年の年月があったら、信玄なら、越後だけでなく、越中も治めていた可能性がありますし、信濃の木曽を降伏させて、美濃に進行して、東美濃を治めていたと思います。

 その時に、今川義元の敵と言うことで、兵を尾張に向けたら、やっと、尾張を統一できたばかりの織田家では、信玄に勝てるはずはないです。領地で言えば、150万石、3倍の差があったら、織田信長が、歴史に登場することはなかったと思うのです。

 でも天は、そうさせませんでした。上杉謙信を、越後に誕生させました。もし、信玄や、山本勘助が、上杉謙信の力量を、早くに掴んでいて、北信の村上義清と妥協して、少し領土を残したまま、越後の侵略を諦めて、目を西、木曽を降伏させて、西を目指している今川義元と対立しても、美濃に向けていたら、面白かったと思いますが、そうはなりませんでした。

 信玄は、統一したはずの信濃で、川中島の第4回の戦いまでで、9年の年月をかけ、その後の西上野の戦いを含めると、14年の年月、上杉謙信に対して、注いでいます。その時には、もう気がついたら、信玄は、四十六歳になっていたのです。あまりにも、長い年月を、上杉謙信の為に、費やしてしまったのです。

 菊は、それが、残念です。上杉謙信がいなかったら、信玄公は、天下を取っていたと、今でも確信している多くの武田家の御霊と、その事を思いながら、酒でも飲みたいと思います。

 
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2007年08月24日
板垣信方と甘利虎泰、二人の御霊

 第29話、逆襲で、板垣信方と甘利虎泰の御霊が、登場しました。実際に、霊として、一人は、晴信、もう一人は、信玄の母、大井夫人、お北様の前です。それぞれの背景にいて、これからずっと見守っているのだと思いますが、菊としては、実際に亡くなった人達が、御霊として出てくるシーンがあったことに驚きました。きっと、武田家の御霊の導きだと思いました。

 また、この中で、板垣信方の御霊が、ドラマの最後のシーンで、トンボの姿を借りて、晴信の前に現れ、「人は石垣、人は掘・・・・」を歌いながら、武田節を踊るシーンカッコよかったです。思わず、武田節かと感心してしまいました。守役として、最後まで、晴信を支えて亡くなった、板垣信方です。今後も、晴信が、困ったことがあったら、背景から、「若」と言って、励ましたことだと思います。

 しかし、もう一人の甘利虎泰が、何故、大井夫人のもとに、登場したのかは分からない人もいると思います。まるで、風林火山のドラマでは、二人は愛し合っているように描かれていて、真相はどうなのといった感じです。これには、菊自身も分からないのです。

 だけど、大井夫人が、信玄の父、信虎と結婚した時、甲斐国内は、統一されず、激しく争われていました。甲斐の国主、武田家といえども、下克上の波に飲まれて、甲斐国内の有力な一族や武将達と激しく争っていました。後に信虎の家臣になった小山田氏だけでなく、岩手、栗原、油川、板垣、曽根、駒井、甘利、今井、秋山、飯富、穴山、武川、教来石といった多くの武将が、時には、味方、時には、敵となって、激しく戦ったのです。

 そしてその中で、大井信達も、今川家の後ろ盾を得て、信虎に反旗を翻したものの、敗れて、人質として娘を差し出しています。信虎は、その娘を正室として向かえて、信玄、信繁、信廉の男、三人や、娘を産んでいるのです。

 だけど、もし、負けなかったら、大井夫人は、別なところに嫁に行っていたと思いますし、その中に、甘利虎泰が入っていた可能性も高いと思います。身分と言うもので考えたら、大井夫人が、結婚する話がある相手は、同じ、甲斐の一族、武将の可能性が高いからです。

 しかも、そんな話がなくても、甘利虎泰が、昔から、同じ武将の娘、大井夫人を知っていた可能性も高いですし、大井夫人も知っていた可能性があります。だから、甘利虎泰は、ずっと前から大井夫人を知っていて、密かに好いていたのかもしれません。大井夫人が、信虎の正室になってからも、信虎の使えながらも、大井夫人を心の中で愛していたのです。いえ、もしかしたら、二人は、ずっと相思相愛で好きあっていましたが、戦という時代の流れに流されて、添い遂げることが出来なかったのです。

 菊は、あのドラマのシーンを見てそう思いました。実際には分かりませんが、少なくても、大井夫人は、信玄を見事に育てたことでも分かるように、頭のいい、教養のある女性です。あの信虎が、勝利した後、無理やり正室にしたぐらいですから、なかなかの美人だったのかもしれないです。

 だから、菊自身、甘利虎泰の御霊が、晴信ではなく、心から愛している大井夫人の前に現れたこと分かる気がしますし、他にも、大井夫人を愛していた、武将達、たくさんいたかもしれないです。菊自身、もし、背景にツクとしたら、男の御屋形様よりも、愛していた女性について、応援すると思うのです。今は、そんな二人の御霊に、心から感謝したいと思います。


ブルジョワ学生さん   2007年08月24日

自分のお世話になってる先輩の一人に武川衆の末裔がいます(≧▽≦)ゞ

あづきさん
私が去年高天神城へ行った時、帰ろうと車を駐車場から出そうとした瞬間数え切れない程のとんぼが渦になって目の前でぐるぐる回りだしました。
私びっくりしてしまって車を止めたんです。
そしたら地面に落ちていた竹の枯葉が竜巻で舞い上がったのだって気がつきました。
竜巻を見たのは初めてだったけど、そのとんぼのような枯葉がゆっくり大きく空へ舞い上がって消えていったのには驚きました。武田家の御霊の思いだったのかもしれないですね^^

菊さん   2007年08月24日

ブルジョワ学生さん、そうですか。
武川衆ですか。馬場信春さんですね。

あづきさん、ありがとうございます。 2007年08月25日

高天神城か。
ちかくにあるのですね。
前世、勝頼としては、そのトンボは、高天城で殉死した武田家の御霊達だと思いたいですね。

ブルジョワ学生さん   2007年08月31日

武川衆教来石景政ですね@@
長篠までにかすり傷一つ負わなかった「不死身の鬼美濃」@@;

武田の名を落とさぬ為に、今川家宝を焼却した逸話が素敵ですね^−^

菊さん  2007年09月01日

馬場信春さんは、長篠の戦でも、武田勝頼を最後まで守る為に死んでくれています。大勢の織田軍を少数の兵で、一時は蹴散らしたことも語り草ですね。馬場信春さんの御霊には、前世、武田勝頼としては、申し訳ないという言葉で一杯です。




2007年08月24日
第33話「勘助捕われる」 8月19日放送

 勘助捕われる、本当に面白かったです。上杉謙信が、鉄砲商人に変装した、山本勘助を、武田家の軍師と見抜いて人質にしてしまう。勘助が、鉄砲商人に変装して、上杉謙信の器をみるまでは、新田次郎の原作にありましたが、人質となって、上杉謙信の人物を描く、原作者の人に拍手したいと思います。本当に、見事です。

 また、このドラマの中で、最後に、勘助は、晴信が、根来寺に頼んで、急遽、工面した鉄砲が、百丁届くことで助かりました。まさしく、勘助を救ったのは、晴信になると思いますが、晴信と、謙信の考え方の違いが出ていて、本当に良かったです。

 そして、そんな人質になった山本勘助と上杉謙信は、川中島で、実際に戦う前に、お互いの心で、戦うことになりました。激しい心の刃で、戦ったのです。

 というのも、晴信は、諏訪だけでなく、信濃を得ることで国を豊かにしようとしていますし、上杉謙信のいる越後に、目を向けているのも、海と越後の領土を得て、圧倒的な力を持つ為です。他国が、武田に侵略しないだけの力を得ようとしているのです。

 しかし、謙信は違います。謙信は、欲というものを、とても嫌います。晴信の、他国を侵略してまでも、国を富国強兵にする考えは、ただの欲深い武将としか写らないのです。

 しかも領主としての考え方も違います。晴信も謙信も、神仏を敬う気持ちは同じですが、晴信は、あくまでも、領主になった自分が、神仏に任されて、あくまでも人として、民を治めようとしているのに対して、謙信は、あくまでも、神仏でしか人を治められないと考えています。神仏、北の守り神、毘沙門天が、いざという時には、自分に乗り移って、化身になると考えているのです。それで、どこが違うのか、皆さんに聞かれたら、菊自身も答えられませんが、神に対する考え方が、少し違うのです。

 ですが、その違いの為に、二人は、激しく戦うことになります。妥協ができませんでした。まさしく、二人の戦いは、竜虎の戦いでした。途中で、和議を結ぶと言う訳にはいかなかったのです。最後まで、一度は、決着つくような激しい戦いが必要だったのです。

 でも、そんな晴信と謙信ですが、川中島の激戦が終った後、山本勘助が死んだ後、お互いを理解するようになります。意地があって、最後まで、和解した訳ではありませんが、お互いの考えは理解するようになります。それが、証拠に、晴信は、自分が亡くなった後、勝頼に、自分が死んだ後は、謙信を頼るように遺言しますし、謙信も、北陸では、越中、能登、加賀などの領地に関しては、信玄と同じように、自分の領地にして、家臣に分けているのです。謙信も、大きく変わっていたのです。

 だから、菊自身も、信玄と謙信が、一度、会って、ゆっくりお互いを語ることができたらと思うと、残念で仕方ありません。たぶん、意外と分かり合えたかもしれませんね。たぶん、霊界に戻ったら、二人は語り合ったと思いますが、どうだったのでしょうか。そのことを、皆さんと考えながら、これからの川中島の戦いのシーン注目したいと思います。


大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記
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縁の花村まぐまぐ情報申し込みサイト
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縁の花 トップページ 
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蔦さん   2007年08月24日
両者の考え方の違いは、神仏と人との距離ではないでしょうか?
信玄は、そこには厳然と埋められない距離が存在し、煩悩・欲求が普遍的にあるもので、人が治めんとするならば、むしろその人たらしめている煩悩・欲求をある時は利用し、ある時は集約させ、治世を司る事に邁進させたのではないかと思います。

一方、謙信は、その距離は埋まるものと考え、煩悩・欲求を出来るだけ排除させることで、神仏のご加護がある清らかな国に出来ると、自らを律して神仏の代人として国を治めようとしたのではないかと、思います。

言うならば、帝の代人として関白になり、治めた秀吉と、帝から統治権を委譲してもらい、征夷大将軍として治めた家康との違いに似ているかもしれません。どちらが、良い・悪いではなく。

菊さん    2007年08月25日
蔦さんありがとうございます。両者の違いは、神仏と人との距離、その通りですね。
いろいろ勉強になりました。ありがとうございます。



2007年08月24日
プラットホーム空(くう)03の新メンバー紹介


 マヒさんが、菊が、駅長させて頂いている、プラットホーム空(くう)03に参加してくれました。まーちゃんのご紹介です。バーチャル・オフィスでの名前は、マヒさんです。菊とは不思議なご縁のある方です。

 プラットホーム空(くう)03に参加してくれていた、こまらさんと、偶然、ご縁があって、ミクシイのマイミクになっていたのは驚きました。

 しかも8月のプラットホーム空(くう)03でお会いしたなぎさんとも、すでにご縁のあるということ、本当に不思議です。マヒさんは、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂くご縁なんだと思ってしまいました。

 マヒさんは、インドにも行ったことのある、精神の高い人です。是非、フレンドになって下さいね。

2007年08月21日

 ∞「女、武田信玄公との出会い」∞

 海の済度が終った後、久しぶりに、夜、済度をしているある先生の講演会で、話を聞いて、済度のある人の家に泊めて貰いました。というのも、つい最近、縁の花をずっと読んでくれていた人の中に、済度のご縁のあるKさんがいて、そのKさんの妹さん、Iさんが、前世、武田信玄公だといわれていることを教わりました。

 今回の目的は、海の済度に参加することと、もう一つは、前世、信玄公に会うことだったのです。まさか、長年、探していた前世、信玄公の魂を持っている人が、女性だとは夢にも思いませんでしたが、菊は、それだけに、確かめる必要が、どうしてもありました。それで、4時間、ちかく、Kさん、Iさん、姉妹といろんな話をさせて頂いたのです。

 しかし、結局、その女性が、信玄公か、どうかは、菊には分かりませんでした。何しろ、菊自身も武田勝頼としての記憶がまったくありませんし、Iさんも、記憶があるわけではありません。Iさんは、菊の前世の武田家の仲間が、武田家の記憶が、少しあることに、びっくりしているぐらいで、菊が、期待していた、前世の信玄公の話は、聞くことはできなかったのです。

 

それに、霊媒師の人に、正式に見て貰ったということでもないそうです。だから、何とも言えないというのが、正直な気持ちです。お互いに、話しても、親子というような、特別な感じも受けなかったのです。しかもIさんは、武田家の歴史に詳しいということではないので、武田家の話で、弾んだという訳でもなかったのです。

 だけど、Iさんは、つい最近まで、前世、武田信玄公だと意識したことがなかったのに、何故か、大学生の頃、「人は石垣、人は掘の・・・」武田節を踊っていたそうですし、風林火山の本も、持っていたそうです。それに、山梨県とも、ご縁があったそうです。

 ですからまったく武田家のご縁がないということでもありません。戦国時代に、関心のない女性の人で考えたら、本当に不思議なのです。確かに、変わっています。ご縁があるのです。でも、ここで面白いのは、Iさんが、前世の信玄公の魂を持っている人なら、今世の信玄公は、戦好きでないということです。日本史は好きで、詳しいそうですが、何故か、戦国時代と大東亜戦争の頃は好きでないそうです。何故か、戦争は、受け付けないそうなのです。

 

だけど、そんな武田家のことを外したら、Iさんは、すごい人でした。ものすごくエネルギーがあって、今までも、いろんなご縁を持っています。済度のご縁もがんばっている人でした。そちらでは、意気投合しました。さすがは、信玄公という感じだったのです。

 しかも、中国や韓国、北朝鮮に関心があって、日本と中国や、韓国、北朝鮮の友好の、アジアの架け橋になりたいそうです。菊は、そんな途方もない夢には驚きました。信玄公は、中国の孫子好きで分かるように、中国との関係もあります。中国や韓国の御霊を済度することで、日本と中国、韓国の真の友好関係を築きたいといわれたら、できるだけ応援するというしかなかったのです。今世の信玄公、そんな途方もないことを考えている女信玄公だったのです。

 だから、これから、武田家の済度をする事になるか、ならないかは分かりませんが、菊自身は、何かの特別なご縁を感じています。他にも、菊の地元、和泉市に住んでいる人で、一緒に大阪から車で行った人が、Iさんのご縁があって、済度の縁についたとか、考えられないご縁があったのです。少なくても、ご縁の神様は、そうだと教えてくれているのです。

 ですから、菊自身、Iさんは、前世信玄公かもしれないし、信玄公でないかもしれない。菊と同じで、前世の判断はできないのです。ただ、菊自身、前世の記憶よりも、もっともっと大切なことは、実際に、今、武田家の御霊のことを願い、済度する事だと思っています。武田家の御霊のことを思ってあげる真心が、大切なのです。


 何故なら、御霊さんには、嘘は通じないからです。御霊には、なんでも波動で分かるので、自分の考えていることが、すべて伝わるのです。ですから、前世、いくら、信玄公だとしても、今世で、何も願わなかったら、前世の意味は何もありません。今世、前世の記憶をもって生まれた意味は、まったくないのです。

でも、反対に、たとえ、前世、武田家のご縁がなくても、Iさんや、菊が、前世、武田家と関係があると、心から信じて、武田家の御霊のことを願ったら、その願いは、武田家の御霊に伝わります。武田家の御霊にとっては、前世が、どうだというよりも、今世、何をしてくれるかの方が、もっとも大切なのです。

 

だから、菊が、今までそうしていたように、後は、それを済度を実践して、その実践によって、いろんな結果が、出るのを待つしかないのです。それで、Iさんが、前世、信玄公だったら、きっと、記憶が戻らなくても、御霊達が、いろんな不思議なご縁で、その事を教えてくれると思います。あくまでも、大事な事は、今、どれだけ武田家の御霊の事を思うかで、前世自体は、そんなに意味はないのです。


 ただ、それでも、前世、信玄公かもしれない人が登場したことはすごいことです。何しろ、武田家の当事者、親方様です、このIさんや、前世の武田家の仲間と、いつかは川中島の戦場や、志賀城に行って、多くの戦でなくなった御霊や、さらし者にされた志賀城の三千の首にご縁を持ちたいと思いますし、上田原の戦場で、板垣信方や甘利虎泰にも会いたいと思います。是非、皆さんも、そんな新しい武田家の済度に期待して欲しいと思います。


蔦ん   2007年08月21日
この世でお会いするすべての方々は、前世、前々世何がしかご縁のあった人々だそうです。

信玄公とお会い出来たことは、やはり凄い事だと思います。

イルカさん   2007年08月21日

鳶さん。
そう私も思います。
PC買ってインターネットに繋いだのも
縁があってこそ、
家は裕福でわ有りませんが、何かの必要性を感じ
繋ぎました。

2007年08月21日
∞「バーベキューと岩村城済度」∞

また、そのバーベキューを食べている時、菊は驚くことが起きました。その一つは、菊は、何も言っていないのに、済度の人が、川中島につい最近、行ったという話をしたことです。これには、やはり、武田家のご縁が動いていると菊自身、キタ、キタと思ったのです。

 だけど圧巻は、その後でした。菊のちかくに座っているある女性が、大きな一升瓶に入ったお酒を提供してくれたのですが、そのお酒の名前は、女城主というものでした。菊は、それを飲ませて頂いて、何気なくビンを見たら、岐阜県の岩村で製造しているお酒でした。それで、意味が分かったのです。

 というのも、岩村には、戦国時代、女城主が住んでいました。信長の叔母にあたるおつやの方、戦で亡くなった遠山影任の未亡人です。それが、信玄が、信長と戦になった、三方ヶ原の戦いの少し前、信玄の家臣である秋山虎繁(信友)に攻められて、降伏して、秋山虎繁の正室になりました。大変な美貌の持ち主で、一説には、秋山虎繁が、一目ぼれしたといいます。その時、おつやの方は、岩村城で、女城主として必死に戦っていましたが、信長は、徳川家康の救援で、手一杯で、助けることができず、おつやの方は、家臣や、兵を守る為に、とうとう自分の嫁になるという、秋山虎繁のむちゃくちゃな条件を承知して、秋山婦人となったのです。


 しかし、そんな秋山婦人を信長は許しませんでした。織田一族の裏切りものです。おつやの方に預けている五男の御坊丸も、武田家の人質になっているので、なおさらでした。だから、信玄が、病死した後、長篠の戦で、勝頼が大敗すると、早速、難攻不落の岩村城を攻めました。岐阜の領内にある岩村城は、目の上のたんこぶだったのです。

 けれど、そんな岩村城を、長篠の戦で敗れたばかりの勝頼は、救うことができませんでした。結局、信長の大軍に包囲された秋山虎繁は、信長の出した和議で、降伏したのです。でも、信長は、秋山虎繁、おつやの方を捕らえると、その和議を放棄して、美濃にある長良川に連行すると、そこで逆さ磔の極刑に処したといいます。秋山夫婦を騙したのです。

 

その上に、約束を破って、秋山虎繁の多くの家臣も殺しています。信長のことを良く知る、秋山虎繁、おつやの方は、信長が、絶対に、二人を許さない事は分かっていたので、約束しても、自分達を、信長を絶対に許さないことは分かっていたけど、家臣を守る為に、降伏したのですが、信長は、家臣の多くも処刑しているのです。

 だから、女城主は、武田家、勝頼とは、本当にご縁のある名前のお酒です。そんなお酒を、わざわざ、遠く離れたところで、金沢で、海の済度で飲むことになったのです。これには、菊自身、驚いてしまったのです。海とお酒、本当に不思議です。

 その上に、そのお酒をくれた人は、名古屋の済度の人でした。秋山虎繁、おつやの方を磔にした織田家の土地の人です。その時、菊は、確信しました。これは、霊界、天からのメッセージで、武田家の済度を十分にしていることを、このご縁を通して教えてくれたと思ったのです。

 ですから、菊は、前世、武田勝頼として、見殺しにしてしまった秋山虎繁や、おつたの方、秋山家の家臣に、心の中でお詫びしました。そうするしか出来なかったのです。「本当に、あの時に助けにいけず、見殺しにしてしまってごめんなさい」

 また、そんな菊を、天国で、今でも、仲良く暮らしている秋山夫婦が、許してくれたか、どうかは分かりませんが、菊としては、許してくれたと思いたいです。秋山虎繁と、おつやの方の仲は、いろんなことがあっても、大変仲が良かったといわれています。戦国時代のおしどり夫婦です。きっと、霊界にいて、わざわざ、海の済度に参加した菊に、そのことを伝える為に、出てきてくれたと思いますが、そんな不思議な事があったのです。

 

ですから、菊は、女城主のお酒を、済度の先生や、多くの済度の仲間と一緒に飲みました。背景に、武田家の武将、秋山虎繁や、おつやの方がいることを意識して、一緒にお酒を飲んだのです。それだけでも、今回、金沢に来た意味、本当にあったのです。

 


2007年08月21日
∞「マリンジェットといろんなボート」∞

 しかも海の済度は、海を感じるだけでなく、本当に楽しいです。それを済度の人達は、7月から、9月頃まで、毎日、海の済度をしています。殆ど、病気といいぐらいです。中には、済度の先生のように、全身が真っ黒という人もいます。紫外線など、関係ないという感じです。日焼けしていても、毎日、参加していたら、女性でも真っ黒になるのです。

 

それは、行ったことのない人には、なかなか、イメージできないと思いますが、本当にすごいことです。特に、そんな済度をしている中心の先生は、今年で、60歳の還暦だそうですが、本当に頭が下がります。マリンジェットを運転したり、ヨットを操縦したり、いろんな事をして、済度に参加する人達を、本当に喜ばせてくれるのです。

 だから海好きな人には、本当にたまらない世界です。それで、 参加している人達が、心から楽しんで、喜びの波動、遊びに中で、多くの御霊、海に何かの縁がある多くの御霊を救っているのです。


 ただ、そうは言っても、女性の人の中には、マリンジェットや、バナナボートに乗るのは怖いという人もいますが、それが、慣れると実に楽しいです。海に因縁、海でなくなった前世があるなんていう人は、なかなか乗れませんが、それを克服するのも済度の一部です。毎日、何十人という人が、マリンジェットや、バナナボートや、モット怖いボートに、悲鳴を上げながら乗っているのです。それで、海を、御霊達と一緒に、楽しんでいるのです。

 だから菊自身も、マリンジェットやヨットにも、久しぶりに乗せて頂きましたし、バナナボートや、恐怖の二人乗りの丸ボートにも乗せて貰いました。特に、丸ボートでは、相手の人は、菊の直感では、本願寺、武田家とは少しご縁のある人なので、何か不思議な気もしましたが、大いに、死ぬかと思ったとを体験したのです。

 その上に、海から、上がると、皆で食べるバーベキューをご馳走になって、食事の済度もしました。何故なら、御霊になると、人が当たり前だと思っている、食べるということができません。肉体がないので、味わうということができません。それで、多くの人と、楽しく食べることで、御霊を意識することで、御霊にも、忘れている食事をする喜びを届けてあげるのです。それが、済度なのです。

 
2007年08月21日

∞「武田家と海の済度」∞
 
 しかし、菊が、こんなことを書いたら、武田家と、海の済度、一体、どんな関係があるのと皆さんの中には、疑問を持つ人もいると思います。大体、甲斐や信濃、今の山梨県や長野県には、海はないのではないかと思うと思うのです。

 でも、そうではありません。いえ、海がないからこそ、武田家の人達にとっては、海は、生まれた時からの憧れの存在でした。それは、風林火山のドラマを見ている皆さんになら分かって頂けると思います。

 何故なら、戦国時代、活躍している大名にとって、海は、どうしても手に入れないといけない存在でした。海がないと、新しい武器、鉄砲も手に入りませんし、いろんな交易もできません。塩一つ、謙信が、信玄に送ったことで分かるように、得ることができません。その上に、陸地で、交易をしようとすれば、いろんな関所などを通らないといけないので、多くの利益を取られてしまうのです。海なら、直接、堺でも、どこにでも行けます。

 だから、武田信玄にとって、海は、どうしても手に入れないといけない存在でした。海のある港を得ることによって、いろんな武器を仕入れ、貿易をして、海のない甲斐、信濃をもっともっと豊かにしたかったのです。

 それで、信玄は、風林火山のドラマでは、海を得る為に越後を手に入れようとして、上杉謙信と死闘を繰り返すことになりますし、それを残念すると、今川義元のなくなった今川家に目をつけて、三国同盟を破棄し、反対する嫡男、武田義信公を殺してまでも、駿河に侵攻して、とうとう海を手に入れました。武田信玄にとって、港を得て、交易することは長年の悲願でした。海を得ていない時から、船の模型、軍艦の模型さえ持っていたのです。多くの家臣と、海を得ることを夢見ていたのです。

 しかし、それは、武田信玄だけの思いではなく、家臣や、多くの兵達の思いでもありました。だって、この当時、甲斐、信濃の人達にとっては、海は、憧れ以外の何物ではありませんでした。国内を出たことのない多くの人達にとっては、海は、生まれてから、一度も見たことのない存在でした。

 海は、どれだけ広いのか。どんな匂いがするのか。海水は、塩辛いというが、どれだけ塩辛いのか、なかなか想像することさえ出来なかったのです。ただ、ただ、海は、甲斐、信濃の人達にとっては、憧れの存在だったのです。

 だから海のない武田家の兵達は、一目、海を見たかったです。海を感じたかったです。その為に、信玄の元で、駿河に侵攻したのです。そして、今川家を滅ぼして、海を得た時には、心から感動し、その手にした海を守るために、北条氏や今川氏と必死で戦いました。すべては、海を完全に得る為だったのです。

 それで、菊は、今回、そんな武田家の御霊のことを、願って海の済度に参加しました。多くの武田家の御霊と、一緒に、一緒に、単純に海に行きたかったのです。あの広い海を一緒に見たかったのです。海の中に入って、冷たい海水に触れたかったのです。海の匂いや海水の塩味を感じたかったのです。それだけでも、武田家の御霊には、本当に嬉しいことですし、感動したことだったのです。
 
 ですから、菊は、久しぶりに、海の済度、武田家の御霊と楽しみました。70人ちかくの済度の仲間と、海を楽しみことで、世界中の海を通して、御霊を願う、慈悲の波動、光を届けたのです。本当に参加してよかったです。きっと、多くの武田家の御霊も、満足してくれたと思います。


2007年08月21日

∞「2007年8月18日、8月19日 

 武田家海の済度に行ってきました」∞

 8月18日と19日、盆休みをかねて、金沢の海岸に行って、海の済度に参加してきました。たぶん、7、8年ぶりのことです。21世紀になってからは、まったく行っていないので、菊自身、本当に久しぶりです。きっと、ご縁の神様、霊界から導いて頂いたのだと思います。縁の花の読者になってくれている二人の済度の女性に、導かれて、行く事になったのです。

 また、その海の済度、楽しかったです。いろんな不思議な事が起きました。天、霊界からのサインも来ました。多くの武田家の御霊さん、救われたと確信しています。

 というのも、菊自身、2007年、NHKの大河ドラマが、始まってから、ずっと、武田家の済度ということで、武田家一年日記を書かせて頂いています。今回の風林火山のドラマは、、500年ぐらい前に、活躍した、武田家や諏訪家など、戦国時代に活躍した多くの御霊が、実は、今、原作者の人達などに、思いを届けている作品として、一話ごとの、菊なりの解説書を書かせて頂いているのです。

 それで、武田家や諏訪家の御霊の視点で、ドラマを見て、その当時の御霊の思いを、縁の花で、日記形式で書くことによって、それをご縁のある皆様に読んで頂くことによって、あの当時の多くの御霊達の供養をさせて頂いています。

 武田家は、何故、滅びたのか。信玄公は、どんな名将だったのか。山本勘助は、どんな人物だったのか。板垣信方、甘利虎泰は、どんな思いでなくなったのか。そんな事をイメージして、武田家や諏訪家の御霊に教わりながら、書くことによって、思いを形にすることによって、供養させて頂いています。思いを消しているのです。多くの読者の皆さんとの、共同作業なのです。

 しかし、菊自身、それで、武田家の御霊が、どれだけ霊界に帰してあげられているのか、どうかは分かりません。何しろ、目には見えない存在の話です。菊自身、何ともいえないのですが、今年一年は、武田家の御霊のためなら、何でもしてあげたいというのが、本音です。その中で、不思議なご縁で、海の済度に、参加したというわけなのです。

というのも、海の済度とは、金沢の済度の人達が、夏の間だけしていることですが、海を通して、多くの人や生物は、たくさん死んで、眠っています。昔は、海難事故で多くの人は死んでいますし、海戦もありました。多くの人は、海を墓場にしてなくなっているのです。

しかも、生物の殆どは、海でなくなっています。そんな亡くなった人達の御霊や、生物の御霊を供養してあげることが海の済度というものなのです。

 しかし、海の済度と行っても、何も、特別なことをするわけではありません。何かのお経を、海で唱えるわけでもありません。ただ、多くの済度のご縁の人達が、海に集まって、ある先生を中心として、マリンジェットやヨット、バナナボートなどを使って、楽しみながら、皆と、御霊に、慈悲の波動を送っているだけだからです。成仏することを願っているのです。ですから、たぶん、そのご縁から離れている人達から見たら、毎日、ただの遊んでいる変な集団としか見えないと思います。実際に、周りの海岸にいる他の人達は、毎日、多くの人が、海で遊んでいて、この人達は、よほど暇だけど、儲かっているのかなとしか思っていないのです。

 だけど、実際は、それで、多くの御霊の供養をしています。海水に入ることによっての水の感触、海の匂いや、海の塩味、いろんなものを五感で感じることによって、波動で、海で亡くなったり、海に憧れたまま、亡くなったりした御霊に、届けているからです。何かのお経をあげるよりも、そのほうが、御霊にとっては、遥かに嬉しいことなのです。

だって肉体がなくなった御霊さん達には、五感はなく、人があたり前だと思っていることさえ、得ることはできません。海に触れたり、海の匂いや、海の塩味を感じることもできないので、代わりに、届けてあげるたりすることで、忘れている海を感じて貰って供養するのです。それが、済度のご縁の人達がしている海の済度というものなのです。


2007年08月15日
風林火山 第29回 「逆襲!武田軍」 7月22日放送

 上田原の敗戦で、板垣信方、甘利虎泰などの重臣を失った武田軍にとって、その半年後に、起きた塩尻峠の戦いでの勝利は、実に大きかったです。この勝利によって、信濃の武田軍の覇権は、決まったと言ってもいいぐらいです。武田晴信は、この後、再び、村上義清に、戸石崩れという大きな敗戦をしていますが、信玄の有利は覆りませんでした。小笠原氏を破ったことで、信濃の中信を得たからです。兵の数では、北信だけの村上義清に対して、甲斐、諏訪、中信、南信を得ている武田軍の方が、圧倒的に有利だったのです。

 だから、晴信自身、北信の村上義清と戦う前に、小笠原氏を倒していたら、上田原の敗戦は、なかったかもしれません。少なくても、互角で戦うことはなかったと思います。もっと、有利に戦えたのです。

 でも、その敗戦も、塩尻峠の勝利で、補うことができました。もし、この塩尻峠の戦いの勝利が、上田原の敗戦の後、すぐになかったら、武田軍は、折角手に入れた諏訪内でも、反乱が起きて、信濃から追い出された可能性がありました。信濃の人達にとっては、甲斐の武田家は、よそ者だからです。信濃の人達に、結束されたら、危なかったのです。そうなったら、たぶん、甲斐、22万石の2倍、ちかくの40万石を支配する信濃を攻略することは、長い年数が必要だったと思います。武田信玄は、とても名将になれなかったのです。

 しかし、塩尻峠の戦いで、晴信は勝てました。兵の進軍をわざと遅らせて、油断させたことが大きかったです。七月の暑い時期、一気に、騎馬隊を率いて、奇襲攻撃したことが成功したのです。それが、山本勘助の策か、晴信が考えた策なのかは分かりませんが、見事です。武田軍の逆襲、天晴れといいたいです。

 しかも、この上田原の敗戦と、塩尻峠の勝利で、晴信は、その後、ますます強くなりました。奢る気持ちがなくなって、慎重に戦を進めるようになったのです。その上、板垣信方と甘利虎泰の重臣を失ったことも、若手の家臣を登用することで考えたら、武田家にとって、益になりました。晴信は、有能な家臣だった、馬場信春などを、抜擢することもできました。家臣の穴を埋めることができたのです。武田晴信、信玄は、ある意味で、ツイテいたと思います。

 だけど、これに比べて、武田勝頼は、まったく不運でした。長篠の戦の後、織田・徳川に対して、挽回することはできませでした。勝頼に、山本勘助のような軍師はいませんでしたし、たとえいたとしても、織田信長、徳川家康相手では、挽回することは難しかったと思います。そり上に、長篠の戦で、あまりにも、多くの重臣を亡くしすぎました。敗戦が大きすぎたのです。

でも、それは、まだ先の話です。今は、多くの武田家の御霊達と一緒に、塩尻峠の戦いの勝利を祝いたいと思います。武田軍の逆襲に乾杯です。

2007年08月08日
2007年8月7日 花の日

昨日は、菊にとっては、花の日でした。8と7で、はなです。でも、それだけでなく、縁の花村が、誕生した日でもあります。その記念すべき日でしたが、実は、何も決まった予定がありませんでした。前までは、この時期、ありがとうございます祭りがあったのですが、今は、あるのか、ないのか、情報も入ってきません。

それで、夜、何かおいしいものとビールを買って、目には見えませんが、菊の背景にいる御霊さん達と、大いに祝おうと思いましたが、それを朝見た、千の風になったドラマスペシャル「ゾウの花子」が変えてくれました。昨日は、菊にも、千の風が吹いたようです。

それで、朝から、久しぶりに、ドラマの内容を書いていました。密かに、記念すべき、縁の花村の創村日に、天は、何をさせてくれるかなと思っていましたが、千の風になった、目に見えない存在のことを書かせて頂く、済度の日でした。菊らしい、すばらしい一日だったと思います。本当に感謝です。

また、「ゾウの花子」は、縁の花 第241号としても、すぐに掲載したいと思います。是非、読んで頂きたいと思います。

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2007年08月07日
 親子二代の飼育された 
ゾウの60歳、還暦の花子さん


でも、そんなゾウの花子さんが、再び、お客さんの前に登場する時は、大変でした。再び、外に出た「花子」を歓迎したのは、殺人ゾウということで、石をゾウに投げる人達だったからでかす。

しかし高野さんは、そんな観客の前でも、ゾウの花子を守りました。自分の顔に石が当たって、けがもしても、逃げませんでした。そんな高野さんの必死の行動に、石を投げた人も止めてしまったのです。

こうして再び、ゾウの花子は、人気ものになりました。きっと、初代ゾウの花子や、ジョン、トンキーだけでなく、他にも、戦争で死なないといけなかった、ゾウや多くの猛獣と呼ばれた動物が、千の風の御霊になって、「花子」を助けてくれたのだと思います。少なくても、菊には、「花子」を心配した千の風になった初代「花子」達が、群れの仲間である、今を必死で生きている「花子」を助ける為に、高野飼育員を呼び寄せた気がしたのです。

しかも、石を投げられている花子を庇っている、高野を、母親と遠くから見ている存在がありました。高野の一人息子の小学生の洋介でした。まだ小さい洋介は、自分や母親ではなく、ゾウの花子にばかりに夢中になっている父親に反発しながらも、気になって、見に来たのです。それで、石を多くの人に投げられている父親の姿にショックを受けていたのです。

しかし、高野自身も、そんな洋介に対して、話し合ったりして、愛情を注ごうとはしませんでした。孤独だった頃のストレスも影響して、歳をとるごとに、歯がなくなったりして、食べ物がなかなか食べられなくなったゾウの花子の世話に頭が一杯で、妻の話や、子供の話も、聞かない駄目な父親で、ますます、息子の洋介からは反発されて、家にもなかなか帰らなくなっていたのです。

だけど、洋介は、そんな父親に反発しながらも、中学、高校生になると、密かに、動物園に行って、父親の仕事をしている姿を見ていました。家庭には見せない父親が、ゾウの花子に接する姿、笑い顔を見ていたのです。

でも、洋介は、その事は父親に言わず、高野親子の関係は修復できないまま、高野は動物園を、定年で退職して、後輩の沢木祐二に任せると、西岡に教わったように、花子に、別れを悟られないように、いつもと同じように接して、姿を消しました。それ以後、二度と花子の前に姿を見せなかったのです。

こうして、他の飼育係にも、自分も高野さんのような飼育係になりたいと、本当に尊敬されていた、飼育係の鏡だった、高野敬介さんは、動物園を去っていったのです。

しかもそんな高野は、退職以後、癌になっていて、すぐになくなりました。妻や息子にとっては、ゾウに捧げた父親の人生は、一体なんだったのだろうと思う人生でしたが、高野さんも、千の風になって、吉岡さんや、多くの飼育仲間や、動物が住んでいる、平和で、戦争のない天国に帰っていったのです。

でも、そんな高野さんにとって、千の風の御霊、ゾウの花子達は、すばらしいことを用意してくれていました。それは、息子の洋介さんのことでした。洋介さんは、家族よりも、ゾウに夢中な父親に対して、最低だと反発しながらも、男としては、とてつもなく命を燃やせる仕事を持てる親父は、すごいと思っていたそうです。千の風になったゾウの花子達は、二代目の花子だけでなく、高野敬介や、子供の洋介も、きっと守っていたのです。

それで高野洋介さんは、父親と同じ、「はな子」を飼育係として、親子二代で世話をする職を選びました。そうすることで、父親の背中を追いかけながらも、今もたった一匹で生きている、60歳になった「ゾウの花子」を見守っているのです。

そしてそんなゾウ花子の物語は、洋介さんが、2006年9月に、父親が愛した「ゾウの花子」という本を出版したことで、再び多くの人が知ることになりました。

最後に、この物語は、二代目のゾウが来ることのきっかけになった手紙を、新聞に投稿した、今は老人ホームで暮らしている和夫さんが、看護している人に連れられて、ゾウの花子を見ながら、妹の花子に見せたかったというシーンで、千の風になった妹の御霊と一緒に見るシーンで終りました。本当によかったです。

2007年08月07日

くさりに繋がれた花子

しかし、そんなゾウの花子ですが、吉岡さんや、高野さんと別れることになりました。7年後の昭和29年、はな子は武蔵野市の井の頭自然文化園に移されることになることになったからです。

また、その事は、吉岡さんの上野動物園での飼育生活の終りも意味していました。他の動物園に移動する事になったのです。しかも、吉岡さんは、ゾウには、普段どおりに接しないで大げさのことをしたら、別れるということがわかると静かに、去っていきました。

というのも、自分が、上野動物園に来て、もう一匹のゾウの前に顔を出したら、ゾウは、自分が帰ってきたといって、勘違いするというのです。それで、吉岡さんは、顔見せようとはしませんでした。それでは、新しく任された、高野さんが、やりにくいことがわかっていました。ゾウにとっては、新しい飼育係が、すべてではないといけないと教えて、去っていたのです。

でも、もう一人のゾウと別れて、新しい飼育係の元で、井の頭自然文化園に移った花子には、たった一人で、孤独だということでかかえるストレスで、むしばれていました。吉岡さんが、心配していたことが当たりました。

というのも、寂しがりやの花子は、新しい動物園で、人気者なりましたが、たった一匹で、仲間がいない重圧で、夜になってからもなかなか寝られなくなっていました。

そんなゾウの花子を、千の風になった初代花子達の御霊は、慰めようとしていましたが、駄目でした。それで、移ってから二年後、酔っ払って、ゾウのおりに入った男を殺してしまいました。殺人ゾウになってしまったのです。

しかも、その時には、酔っ払った大人の人が悪いとなっていた世論も、続いて、飼育係の人も、ちょっとしたトラブルで、殺してしまったことで、一気に非難されるようになりました。ゾウの花子だけでなく、すべてのゾウにも非難が出て、ゾウを猛獣として殺したことも評価されるようにもなっていたのです。

その上に、ゾウの花子は、くさりに繋がれて、檻の中で、閉じ込められて、外に出られなくなりました。お客さんの前に出ることはなくなったのです。

でも、それだけでなく、同僚である飼育係を殺された、動物園の飼育係にとっても、厄介な存在になりました。誰も、ゾウの花子の世話を志願する人はいませんでした。タイの国から、友好で、送られた「花子」は、このままでは死ぬしかなかったのです。

しかし、それでは、戦争で、ゾウを、自分達の都合で殺した時と同じではないかと思っている飼育係の人がいました。その人が、誰も志願しないゾウの花子の飼育を志願して、他の動物園を辞めて、来たのです。それが、高野でした。高野は、動物園の園長には、おりの外から飼育して欲しいといわれていたことを無視して、くさりを外すと、吉岡や、自分がしてきた飼育方法、愛情で接する方法で、花子を育て始めたのです。
 
また、一度通った道は、ずっと一生覚えているという記憶の力のいいゾウの花子が、そんな高野のことを覚えていたか、どうかは、ドラマでは分かりませんが、徐々に、人間不信になっていたゾウの花子も、そんな高野や、もう一人の飼育係、沢木祐二の心を傾けていきます。

高野は、自分の家族、妻や一人息子のこともかえりみずに、必死で育て、ゾウの花子は、やがて、立ち直りました。まさしく高野の一生は、ゾウの為に捧げた一生だったのです。


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2007年08月07日
ゾウの花子が戻ってきました

そんな上野動物園(上野恩賜動物園)に再び、ゾウが来たのは、戦後すぐでした。そのきっかけを作ったのは、ずっと動物園に来ていた、飼育係の人たちからは、ねずみといわれていた小さな子供、和夫少年でした。その和夫は、吉岡のことを、ゾウにいちゃんと呼んで慕っていましたが、実は、病弱ですが、名前が、「はな子」という妹を大切にしていました。

それで、妹と同じ名前の、ゾウの花子がお気に入りで、何度も、動物園に来ていました。一度、妹に、ゾウの花子を見せると約束していたのです。しかし、残念ながら、その妹に、同じ名前の「ゾウの花子」を見せたいと思いながらも、戦争と、妹の病気のために、それができないうちに、ゾウの花子は殺されてしまったのです。

それで、戦後、新聞社に、「ぼくのいもうとはぞうをしりません。この10円でぞうをかってください」という投書を、和夫少年は、新聞社に書き、それが新聞に掲載されたことで大きな話題になりました。それで、いろんな人々が動いて、ついに、タイの国から、子ゾウを1匹貰えることになって、日本中の子どもたちの夢がふくらみました。いえ、子供達が、動物園から、ゾウを取り返してくれたのです。

それで、その子ゾウの世話を、上野動物園の園長は、吉岡さんに任せ、吉岡さん自身も、ゾウを餓死させたことで、悩みましたが、他の飼育係からも励まされて、再び、担当する事になりました。

しかも、名前も、お客さんから募集したところ、小象の花子のことを、覚えていて、「花子」の名前がダントツでした。日本人は、戦争でなくなった花子の事を、ずっと忘れていないことが良く分かったのです。それで吉岡さんは、餓死せざるを得なかった花子の分も、いつまでも続く平和な時代に長生きして欲しい、という願いが込めて、再び、その花子という名前で、ゾウの飼育をする事にしたのです。

でも、残念ながら和夫少年は、妹に、新しいゾウ、花子をみせられませんでした。病弱な妹は、ゾウの花子が、動物園で披露される前になくなってしまいました。和夫少年と、妹の花子さんは、常に「ゾウの花子」を見たかったという思いを持って、和夫少年は行き、妹、花子さんは、千の風の御霊になったのです。

また、そんな吉岡さんに、しばらくしてから、部下の新しい飼育員・高野敬介(北村一輝)が出来ました。吉岡は、この高野に、最初は、ゾウに甘すぎるといわれながらも、本来、群れで暮らすゾウにとって、愛情を注ぐ事の大切さを伝えて、花子と話しかけながら育てることを教えました。戦後、飼育係も、8時間勤務になっても、飼育係の仕事は、それでは勤まらない。常に、24時間、ゾウと接していて、遠くから、足跡が聞くだけで、分かって貰えるようにならないといけない。

吉岡は、後輩の高野さんに、そんな思いを伝え、人間の都合ではなく、ゾウの視点で考えて育てることを教えました。高野敬介さんも、そんな吉岡さんを尊敬するようになって、二人は、一緒に最大限の愛情ではな子を飼育し、芸を覚えさせて、はな子は一躍上野動物園のスターになったのです。

しかも、吉岡さんにとっては、初代のゾウの花子は、今も心の中で生きていました。ずっと、千の風になって、吉岡さんや、今のゾウの花子を、目には見えなくても、見守っている存在になっていました。

このドラマの一番のポイントですが、幼い時、高野さんの母親が亡くなって、いつも泣いていた時、父親に、ずっと母親は、見守っているよと教えて貰った言葉です。それを吉岡さんに伝えて、吉岡さんは、ずっとその事を覚えていました。

だから吉岡さんは、餓死させた花子の償いの気持ちもあって、新しい花子に、初代の花子の分まで、心血を注いで育てました。常に、亡くなった初代花子や、ジョン、トンキーが、今のゾウの花子を、あたたかく見守っていると思いながら育て、その思いは、高野敬介さんにも、引き継がれていたのです。



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2007年08月07日

ゾウの花子達は  千の風の御霊になりました

それで恩賜動物園で、人間の都合で、勝手に猛獣にされた、動物達は、昭和16年、8月に、次々と殺されることになりました。9月4日には、国民に、この事を知らせる為にも、殺した動物の慰霊祭までする命令が来て、それまでに殺せということだったのです。しかもそれは、銃殺などして、音が、周辺に聞こえたら、まずいので、毒殺という指令が出ていました。毒殺で、殺されることになったのです。


しかし、この当時の毒といっても、動物達に分からずに、すぐに死ぬことができるという毒薬はありませんでした。最初に殺された熊とか、ライオンにしても、毒の入っているえさを食べて、ものすごく苦しむことになりました。動物園では、その記憶を残していて、くまは、22分間分ちかく苦しみましたし、ライオンの何故か、名前がカンスケは、毒薬ではなかなか死なず、飼育係が、心臓を竹やりでついて殺したそうです。

そんな悲しい出来事が、戦中に起こりました。それ以降、日本中で、同じように多くの動物が毒薬で殺されているのです。しかも、虎は、毒が入っているのが分かって、食べようとしなかったので、5人の飼育係の人が、誘い出して、ワイヤロープで、首を絞めて、5人係りで殺しているのです。

それは本当にかわいそうです。人にしろ、動物にしろ、最後に、どんな死に方で亡くなるかが大切だといわれています。その時に、痛かったり、苦しかったら、その時の思いは、ずっと残って消えることはありません。動物園の動物達は、昨日まで、ずっと愛情を注いでくれた愛する飼育係の人達に、突然、訳も分からず、苦しみながら殺されたのです。

でもその中で、一番、悲惨だったのは、最後に残ったゾウでした。賢いゾウは、毒の入っているえさは、決して食べようとはしなかったのです。その上に、ゾウの皮膚は強く、馬に注射するものでも、針が通りません。殺すことが、出来なかったのです。

結局、その中で、役人の命令で、ゾウは餓死させることになりました。水も、えさも与えずに、殺すことになったのです。これは、本当に残酷なことでした。もし、人間なら、水を飲みたい、食べ物を食べたいという思いを持ったまま、死ぬことになるので、我鬼霊になってしまいます。いえ、日本は、ガダルカナル島や硫黄島なので、実際に、多くの兵士を、餓死しさせています。なのにゾウ達は、銃殺は駄目というので、そんな死ぬ方しか許して貰えなかったのです。

しかし、それは、飼育係の人達にとっては、本当に辛いことでした。ゾウには、何故、自分達に水やえさが貰えなくなったのか分かりません。泣き叫んだら、水やえさを貰えると思っています。必死で、芸をしたりしたのです。

だけど、えさを貰えることはありませんでした。結局、ゾウのジョンが、8月29日に、先に死に、その後、花子は、何故か、アメリカ同時多発テロ事件と同じ9月11日、トンキーは、9月23日に、餓死で死にました。弱っているゾウは、一度倒れたら、自分で起き上がることができません。ずっと立ったままだったのですが、耐えられなくなって、倒れてしまったのです。

でも、そのゾウ達は、人間を、最後まで恨みませんでした。何故、突然、えさをくれにくにった事は理解できなくても、その事で、飼育係の人達が悲しみ、仲間のゾウ達が死んだときは、悲しんでいたことは理解していました。そんな中で賢いゾウは、自分達は、死ぬ運命だということは分かりながら、最後まで、必死で生きようとしたのです。

だから、人間とは違って、何の憎しみも、恨みも持たない3匹のゾウは、間違いなく、千の風の御霊になれました。血の繋がりはなくても、3匹のゾウは、動物園では、とても仲良しで、御霊になっても、一つの群れとして暮らしていたのです。いえ、他の動物園で、同じように殺されたゾウ達とも親しくなって、楽しく、空を飛んで、霊界に帰ったり、この世に遊びに来ていたのです。


しかし、そんなゾウや、他の動物の御霊の姿を、飼育係の人たちには見えません。いくら、自分達は、恨んでいないよと伝えても、飼育係の人には、聞こえませんし、分かりません。それで、動物園の人達にとっては、愛する動物を、殺したことはずっと一生消えない苦しみになりました。

 自分達が、ずっと愛着を持って育てていた動物を殺す為に、飼育係や、動物医になったわけではありません。一体、何のために、飼育係や、医者になったのだろうと思いながら、ずっと心の中で、苦しむことになりました。今まで、酒を飲めなかった、吉岡亮平さんも、酒が飲めるようになったのです。

そしてその中で、吉岡さん達の飼育係の人達は、自分達の殺した動物達のことを思いながらも、その後も飼育係として、残った動物達の、世話にしながら、長い、戦争が終るのを待っていたのです



2007年08月07日
ゾウの花子  戦争の悲劇

物語は、今から、60年以上も前の戦前の話になります。大東亜戦争で、日本が、米国を中心とした世界と戦っていた時の話です。上野恩賜動物園では、戦争が始まっても、見てくれるお客さんがいるかぎり、動物園はしめないという園長の方針の元で、ずっと開園されていました。虎とか、熊、ライオン、チーター、蛇、ゾウなどもずっと飼われていたのです。

しかし、それは飼育係の人達にとっては、大変なことでした。時代は、急速に悪化して、国民の生活も配給制になりました。動物のえさも、魚や、生肉なども入らないようになっていて、飼育係の吉岡亮平(反町隆史)などは、生ごみを、密かに漁っては、動物に与えていたのです。それで、憲兵隊に追われたこともあったので、命がけでした。

でも戦争は、そんな飼育係の人達や、日本の国民にも、もっと予想もしない現実を呼びました。おそらく日本国民で、海軍や陸軍の軍人の中でも、今度の戦争は、日清戦争や日露戦争などの局地戦争、限定戦争ではなく、総力戦の全面戦争になるとは思っていなかったと思います。第一次世界大戦までとは、根本的に違いました。戦争は、日本国内だけでなく、本土もまきこまれることになったのです。

また、その中で、日本の戦線が悪化していくと、日本の役所から、動物園に、猛獣といわれる動物、ライオンや虎、熊、蛇などを殺すような命令がきます。飼育係の人達が、恐れていたことでした。もし、本土が、急襲されて、動物園に、爆弾が落ちて、檻が破壊されて、猛獣が逃げて、人間を襲ったら、どうするかということです。その前に、猛獣は、殺してしまえということです。

しかも、その猛獣のリストに、ゾウも入っていました。どんなに、人間になれているゾウでも、一度、興奮したゾウは、ライオンよりも手に負えないということで、殺しなさいという命令がきました。それで、動物園では、二足で立ち上がる芸をする小ゾウの花子や、ジョン、トンキー、なども殺さないといけなくなりました。人間の都合で、自然界から切り離して、檻の中にいれて、今は、自分達の都合で、勝手に猛獣扱いにして、殺そうとしているのです。

でも、飼育係の人たちや、園長はどうすることもできませんでした。それに抵抗して、命令をきかなかったら、逮捕されて、どちらにしても、動物は殺されてしまうのです。その中で、飼育係の人達は、猛獣といわれている動物達を、仙台市などに、子供と同じように、疎開することも計画しましたが、役人の了解は、得られずに残念しました。

上野恩賜動物園の猛獣は、それでいいとしても、他の動物園の猛獣達も、その動物園で引き受けられるのか、仙台で空襲があって、猛獣が、仙台市民を襲っても、いいのかといわれたら、何ともいえなかったのです。


2007年08月07日
千の風になった 「ゾウの花子」

 8月になってすぐに、21世紀になってから、毎日放送の昼ドラマ、「永遠の1/2」や、「ラブ・ファイト」「太陽と雪のかけら」などを通して、不思議なご縁を頂いた、共同テレビの鈴木伸太郎プロジューサーさんから、おはがきを頂きました。それで、鈴木伸太郎さんが製作した「ゾウの花子」という番組が、2007年8月4日、土曜日、フジテレビで、夜の9時から、放送されていることを知りました。

何でも、フジテレビ、千の風ドラマスペシャル、第2弾だそうです。そんなことを、フジテレビが企画しているとはまったく知りませんでした。しかも、第3弾として、「はだしのげん」前編・後編も放送されます。夏のこの時期、お盆前に、こういった番組が、8月3日、4日と8月10日、11日に放送されること、すばらしいです。何か、天からの大きな願いがあると思います。

また、この「千の風ドラマスペシャル」とは、フジテレビさんによると「秋川雅史の歌声とともに大ヒット曲となった「千の風になって」(日本語訳・作曲=新井満)の世界観をテーマに、“生と死と命”を描くスペシャルドラマ3本を4夜にわたって放送するそうです。各々のドラマは、すべて実際のエピソードをもとに制作いたします。『千の風になって』の精神を共有するそのエピソードは、「死者を悼む想い」だけでなく、「残された人間と故人との生前の出来事」、「そこにあった背景」、「亡くなられた後の出来事」、そして『千の風になって』に出会った後の「残された人々の想い」(エピソードによってはこの歌を知らずとも、その世界観を投影した実話)を描いていきます。」

「過去から現在まで時空を超えて、人間であればいつの時代にも直面する故人と残された者による想いを、丁寧に綴っていきたいと考えております。そして、感動的なエピソードを映像化する事で「千の風になって」の思想をより多くの視聴者にお伝えする事が出来れば、と思っております。」

「第1弾は全国から寄せられた、実際に体験されたお話をもとに映像化するドキュメンタリー・ドラマを8月3日(金)に放送する。そして第2弾が8月4日(土)に放送する、この『ゾウのはな子』。第3弾は、戦争物語の古典ともいえる名作『はだしのゲン』を初のテレビドラマ化。出演は中井貴一、石田ゆり子ほか。放送は8月10日(金)・11日(土)の二夜連続で送る。」とのこと、すばらしいです。菊は、まったく、こんなすばらしい企画があるとはしらなかったのです。

しかも、この「千の風になってとは」日本だけではなく、世界的な話です。世界的な規模で、ずっと語られているのです。2年前、大きな話題になった、本田美奈子.さんのアメージング・ストリーと同じなのです。

というのも、再びフジテレビによれば、「もうご存知の方も多いかと思いますが、曲の原詩である「a thousand winds」は作者不詳の詩です。長い年月を経た今も、世界各国で話題になっており、米国同時多発テロの追悼式では、テロで亡くなった父親を偲び11歳の少女がこの詩を朗読し、改めて大きな反響を呼びました。」

 「この作者不詳の詩は、77年に映画監督、ハワード・ホークスの葬儀で俳優のジョン・ウェインが朗読したという話や、87年、女優マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたという話もあります。言葉の発祥としては、19世紀末に米国に渡った英国人が残した詩という説や、米国先住民から伝承された詩など、諸説があります。」

「そして日本では、芥川賞受賞作家として著名な新井満さんがこの「a thousand winds」と出会い、2001年に日本語訳詞及び作曲をして、わずか30枚の私家版を友人のために制作し発表しました。メロディを加え、一層心に響く音楽として誕生したのです。03年8月にこの詩が朝日新聞の天声人語で紹介されると問合せが殺到、同年11月に『千の風になって』というタイトルで詩集とシングルが発売されるに至りました。」

「その後、様々なアーティストのカバーが登場し、その中で昨年の紅白に出演された秋川雅史さんが大きくクローズアップされました。現在では、秋川雅史さん、新井満さんはもちろんのこと、中島啓江さん、新垣勉さん、スーザン・オズボーンさん、加藤登紀子さん、また宮本隆治さん(元NHKアナウンサー・朗読バージョン)が発表。プロ、アマチュアを問わずさまざまな歌唱、演奏を合わせると全国各地で50バージョン以上の『千の風になって』が存在し、大きな風となって日本中を席巻しています。」

菊は、恥ずかしながら、2007年の夏、そんな千の風が、日本中に吹いているとはまったく知りませんでした。それが、ゾウの花子が、放送されたときは、残念ながら、仕事で見られないので、DVDに録画していて、2007年、8月7日の今日、菊の記念すべき日、縁の花村が誕生した、花の日に、自宅で見て、感動して、インターネットで、いろいろ調べてやっと知ったのです。ひの時には、何かの大きな大きなご縁を感じました。もうテレビを見なくなった菊に、多くの御霊が、鈴木伸太郎さんを通して教えてくれたのだと思うのです。

何故なら、「千の風になって」という番組は、菊の大好きな、多くの亡くなった御霊達と、今も、その人達の事を、意識して、その人達のことを願って、一緒に生きている人達の番組、一言で言えば済度の番組です。だから菊も、8月7日、記念すべき日に、大いに、「ぞうの花子」のことを、縁の花で書かせて頂いて、菊のお役を果たさせて頂きたいと思います。
 2007年8月7日



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2007年08月07日
ルカ画伯、支縁サイト 更新しました。

 いつもすばらしいイラスト、絵で楽しませてくれるルカ画伯のイラスト、5月号、6月号、7月号、掲載させて頂きました。毎回、すてきなイラストです。しかも、今、菊のご縁のプラットホームの仲間の人で、ルカ画伯のイラストを、携帯の壁紙に使っている人がいます。少し流行っています。本当に、すばらしいことだと思います。

 また、菊自身、掲載させて頂く度に思う事ですが、本当に、ルカ画伯はすごてと思います。一つの絵に、どれぐらいの時間をかけているのかは分かりませんが、なかなかずっと続けられないと思います。心から、ルカ画伯に感謝して、皆さんにご紹介したいと思います。

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2007年08月04日

縁の花 第139号 縁の花第140号 
誕生しています。


 縁の花 第139号 原裕一郎先生と水口清一先生の縁結び
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/239ennohana.htm

 縁の花 第140号 プラットホームの説明会
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 二つの作品が誕生しています。7月20日のプラットホーム空(くう)03の例会から始まり、7月22日のプラットホームの説明会の出来事を書かせて頂いています。

また、この三日間で、「なんでんかんでん村」の原裕一郎村長と、「プラットホーム」の水口清一の縁結びも出来ています。幕末の世界で言えば、勝海舟と吉田松陰が、対面したようなものです。このご縁には、14年から15年前の、高度情報科学セミナーで共に学んだ同志が、何故か活躍してくれています。

 しかもプラットホームの説明会の内容も、とても、とてもすばらしいです。プラットホームの頭脳、シナプス会のリーダーの萩原先生には、e-japanとか、u-japan ユビキタスのことについても話して頂きました。今、日本政府が、何を考えているか、ITの専門家としての意見聞かせて頂いています。

 またその後、原裕一郎先生にも、得意のアルビン・トフラー博士の第3の波の話や、プラットホーム空(くう)01の小松良行駅長にも、プラットホームの体験談を話して貰いましたし、水口清一先生にも、プラットホームの構想、話して貰いました。是非、少し長いですが、読んで下さい。これから、大変な時代になること、きっと分かって頂けると思います。

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2007年08月03日
追伸

 プラットホーム空(くう)03が主催させて頂いた、プラットホームの説明会のこと、あれこれ書かせて頂きました。菊なりの思いをあえて、含めて書かせて頂いたので、正確でないところもあるかもしれませんが、大筋では間違っていないと思います。何しろ、原裕一郎先生にしろ、小松良行先生にしろ、水口清一先生にしろ、与えられた時間は、そんなに多くなかったので、まとめる菊としても大変でした。ご理解願います。

 また、水口清一先生の説明が終った後、質問の時間があって、菊が嬉しかったのは、原先生から、「なんでんかんでん村」にしろ、水口清一先生のプラットホームにしろ、他のところでも、同じように、これから高度情報社会、ユビキタス革命が起きることを理解して、活動をしようとする人達のグループが集まりますが、将来的に結合、共生で共にやっていくことは可能ですかという質問があり、水口清一先生が、明確に可能ですという返事をくれたことです。

 水口清一先生に構想では、3年後には、プラットホームにしろ、「なんでんかんでん村」にしろ、まだ、分かりませんが、他の同じような志を持っている人達にしろ、結合して、一つの大きな智閥、智恵の場になるみたいです。それが、プラットホームの進化した状態になるのだと思います。

 それは、菊が望んでいることですし、それを願って、原裕一郎先生に、頼んで、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって貰えたので、菊自身、正直嬉しかったです。何とか、原裕一郎先生にも、プラットホームの構想を理解して貰えて、菊のお役は果たせたという感じです。今後、プラットホームに、原裕一郎先生の力も貸して貰えたら、水口先生の言うように、鬼に金棒になると思います。

 それと、菊からは、プラットホームには、席代として、1ヶ月間に、1200円必要とか、バーチャル・オフィスの説明とか、今回はしなかったですけどとお尋ねしたら、もう、今は、ミクシイなども存在して、ある程度、分かるので、それぞれの紹介者が説明したらいいので、あえて、説明しませんでしたということでした。

 それなので最後に、菊が一言言えば、プラットホームに参加して頂くには、席料として、1200円は必要です。これは、例会に参加する、しないは関係なく、必要ですが、それ以上は、駅長にならないかぎり必要ありませんし、退会して頂くのは自由です。誰も引きとめないので、すぐに辞められるので、ご安心して欲しいと思います。

 是非、菊と何かのご縁のある人や、プラットメンバーのご縁のある人は、プラットホームに参加して頂いて、一緒に、これからの面白い時代を共に、大いに楽しんで頂きたいと思います。よろしくお願いします。

縁の花村まぐまぐ情報申し込みサイト
http://www.geo」cities.jp/ennohana/8ennohanamagmag.htm
縁の花 トップページ 
http://www.geocities.jp/ennohana/

2007年08月03日
水口清一先生の説明2

 また、プラットホームは、生物系のシステムをとっていて、今までのピラミット系のシステムではありません。これは、例えば、誰かが、いなくなったとしても、必ず、他のメンバーが補うことができるそうです。生物の身体は、脳でも、他の部分でも、一箇所が壊れたら、他の部分に、回路が繋がっていて、そこから情報がまわるようになっているそうですが、これが、従来の会社などのピラミット組織ではできません。

 会社の社長とか、会長といった頂上だけでなく、部長、課長といったところでも、そこのキーパーソンの人が倒れたり、いなくなったとしたら、組織に情報が伝達されなくなって、停滞してしまいますが、生物系のシステムだと、必ず、誰かが補うようになっていると教えてくれたのです。菊自身、本当にすばらしいと思います。

 そして水口先生の話を聞いていて、菊が思ったのは、プラットホームでは、メンバーの人は、誰もが頭、頭脳になる必要はないということです。何故なら、生物を構成している細胞は、すべて脳細胞で構成されるわけではありません。胃の細胞や、手の細胞、髪の毛の細胞などいろんな細胞が、共生で協力してやっています。そこにどの細胞が偉いというわけではありません。一見、必要ないという細胞でも、生物全体から考えたら、必要なのです。

 だからプラットホームは、生物系で組織を作っているということは、プラットホーム全体は、一つの生物として考えているということになります。どのメンバーも、プラットホーム全体で考えたら、必要なのです。

 しかも生物系で考えるということは、誰もが、脳細胞、頭脳になる必要はないということです。これは、今回のプラットホームの説明会では、萩原先生によって、あまり関心のない人には、難しいIT関係の話、これから起こる未来の社会の話をして貰いましたが、それが理解できない、関心のないという人でも、プラットホームでは問題ないということです。

 その人は脳細胞ではない、別な細胞、お役をしたらいいからです。いえ、生物の世界でも、脳細胞になるのは、ごく一部です。すべての細胞が脳細胞になったら、頭ばかり重くなって、生物は動くこともできません。誰もが、脳細胞を目指す必要はないのです。

 ですからプラットホームでは、それぞれの人が、自分のしたいこと、やりたい夢をしていたらいいのです。例会で、好きな話をしていたらいいのです。

 ただ、それでは、今回の説明会で、何故、プラットホームの説明会で、プラットホームのシナプス会のリーダー、脳の一人である萩原先生に話して貰ったかということですが、それは、プラットホームは、何もしない組織のように見えていますが、全体で見れば、ちゃんとすばらしい頭脳もありますし、メンバー全体の夢を叶え、これから起こる高度情報社会、ユビキタス時代を、メンバーの人達と、共生で乗り越えていくという意志もあるということを、分かって頂く為だと思います。その情報、意志だけは、すべてのメンバーに分かって貰う必要があるのです。

 でも、それさえ分かって貰えたら、難しい話を、メンバー全体の人が、完全に理解する必要はないと思います。それよりも、もっと大切なのは、信頼だからです。プラットホームは、こういったことを考えていて、自分は、そんなプラットホームを信頼して貰えたら、十分だと思うのです。言い換えるなら、萩原先生の話は、私は全然分からないけど、そんなプラットホームの人達の考えを信頼して、メンバーになるという意志で、参加して貰えたら、大歓迎なのです。

 何故なら、プラットホームを信頼して貰えたら、バーチャル・オフィス一つで考えても、協力して欲しいことがあるからです。それは、お金が必要なことではなくて、例えばプラットホームのソーシャル・ネットワーキング、バーチャル・オフィスに書き込む、プロフィールを、詳しく書いて欲しいとか、顔写真を掲載して欲しいということです。

 というのも、バーチャル・オフィスは、ミクシイなどとは違います。参加できる人は、プラットホームのメンバーか、プラットホームに関心のある人だけです。だから、招待できるのも、メンバーになれば誰でも招待できるのではなく、駅長になる人達に限られています。参加しているメンバーも、まだ、何百人で、千人になっていないのです。

 でも、それだけに、ミクシイなどとは違って、顔の見える人達の集まりですし、ミクシイではとてもできない機能もあります。それは、機能の問題ではなくて、信頼関係の問題です。例えば、プロフィールを一つとっても、バーチャル・オフィスでは、メンバーの人達が、自分がプロとしてできることを、全部書いて貰うことで、自分ができないことは、一流のプロの人達に応援して貰うことが可能です。プロフィールを検索することで、自分の求めている能力を持っている人を探すこともできるし、協力して貰うことも可能なのです。

 それを、プラットホーム空(くう)01の駅長、小松良行駅長の一言で言えば、プラットホームの目的は「ひとりひとりの夢の実現」。あるときは協力する人になろう。そして、あるときは、誰かに協力してもらおう・・・ということになりますが、水口清一先生によれば、人が、誰かに仕事を依頼する時は、顔が分からない人に頼まないでしょうということになります。

 そういったことを理解して、バーチャル・オフィスにも、まだまだプロフィールに、殆ど書いていない人もいますが、書いて欲しいと水口清一先生も説明会の時に言っていましたし、これからの時代には、お金よりももっと大切な信頼感を大切にして、プラットホームは、激動の時代を、メンバーの人達で、乗り越えていくことになります。是非、ご縁があれば、プラットホームのメンバーになって頂きたいと思います。水口清一先生の話を、菊なりにまとめさせて頂きました。よろしくお願いします。


2007年08月03日
水口清一先生の説明1

 原裕一郎先生、小松良行先生の話の後、最後に、水口清一先生が、プラットホーム構想について話をしてくれました。それを、菊なりにまとめさせていただきますと、水口清一先生は、プラットホームの構想を、今から、3年前に、東洋思想の元で、生物系のシステムで、6作られているということです。

 というのも、まず、水口清一先生が、話してくれたのは、今の時代は、東洋的に見て、大変革期にあるという事です。それが、数々の周期、数霊理論です。今、時代は、東洋と西洋が交互に、交代するという800年周期説とか、100年ごとに覇権国が変わると言う100年周期説がありますが、水口清一先生は、もっと大きな1万2千年説を紹介してくれました。

 実は、人類は、1万2千年前、一つの間氷河期を迎えていたといわれています。それが終って、今の人類の文明が誕生しているのです。でも、その前の、人類の文明が、どうだったのかは、良く分かっていません。つい最近、水口清一さんも含めたプラットホームの仲間達と、氷河期以前の日本の先住民、カタカムナ人の人達の磐座を保存している伊藤さんの家を訪ねてきましたが、人類の歴史は、1万2千年の周期によって、大変革しています。

 インターネットで調べたら、、アトランティスとか、ムーといった文明も、滅んだといわれていますが、これも2万4千年前だといわれています。はっきりとしたことは分かりませんが、人類の歴史は、天の見えない周期によって動かれているのです。

 また、水口清一先生は、その1万2千年周期で、もうすぐ人類は、大きな、大きな大変革を迎えると考えていて、その人類をリードするのは、800年の周期が終った、今までの西洋文明ではなく、東洋文明で、しかもその東洋文明をリードするのは、中国ではなく、日本だと教えてくれました。日本が、次の時代をリードするというのです。

 しかし、それは意外なことでした。以前、日本が、米国に変わって、世界の覇権国になるという説もありましたが、目覚しい、中国の発展で、今や、その説は、言われなくなりました。日本を素通りして、中国に行くという説が大きくなっているのです。

 それを、水口清一先生は、日本、インド、中国と、菊自身も意外なことを言ったのです。
 しかし、では何故、そうなるかということですが、今回のプラットホームの説明会では、予定よりも、時間が短いこともあって、水口清一先生自身、はっきりとは言いませんでしたが、菊の推測では、次の社会、高度情報社会、ユビキタス革命を起せるのは、日本だけだからだと思います。日本の最先端の携帯端末の技術、日本人の思想、日本の経済力があってこそ、ユビキタス革命、高度情報社会は、後3年後には本格的に始まるのです。

 そしてこのプラットホーム構想は、そんなユビキタス時代に、これから人類の未来をすばらしい社会にする為に、考えられています。その為の、今の会社といった組織で代表される、ピラミット型の組織ではない、生物型の組織で、構成されているのです。

というのも、今までの組織は、お金や権力で、まずは、リーダー、社長やオーナーなどの頭が誕生して、その人が組織をつくり、大きくしているのです。でも、水口清一先生は東洋思想に基づいて、生物系をモデルにして、このプラットホームを作っているのです。

だから組織の頭になる部分も、プラットホーム構想では、一番遅くに作ることにしたと教えてくれました。人間の赤ちゃんにしろ、他の生物にしろ、最後に頭、頭脳はできるそうなのです。それと同じように、今、プラットホームの頭脳部分、バーチャル・カンパニーが誕生して、萩原先生が、話してくれていますが、これも前期の三年計画の最後、今やっとできた頭脳だといったのです。

では次に、何故、そんなことをしたかといえば、それは、心と心の部分、信頼関係を重要視していたからです。というのも、どんな部分でも、最初に頭が出来て、それでビジネスでも、ボランティア活動でも行われます。だけど、そうしたら、特にネットビジネス関係で言えば、必ず、お金儲けなどに走って、人と人の信頼関係が壊れてしまいます。いろんな人が出てきて、人の信頼関係より、ビジネスに走るので、組織はお金で結ばれても、信頼は生まれないのです。

だけど、プラットホームは、ビジネスをすることが目的の組織ではありませんが、ビジネスの必要性もわかっています。多くのプラットホームのメンバーがやれるビジネスモデルは、みんなの夢を叶える為にも、必要なのです。

それで、1ヶ月に1度、例会では、井戸端会議形式で、集まることで、目には見えなくても、信頼と言うものを育ててきました。何もテーマがないだけに、メンバー一人、一人の持っている性格が出やすいですし、何もしないのですから、ビジネスだけが目的な人は、参加しても、すぐに離れてしまいます。そういった人は、自分で、自然に退会するのです。

しかもプラットホームでは、2年以上もかけて、組織の頭部分を作りました。それが、各プラットホームの駅長と、特殊な技能や、能力を持った人が参加するシナプスの会とか、ビジネスをするバーチャル・カンパニーというものです。このバーチャル・カンパニーは、プラットホームの中で、ちゃんとビジネスが分かる、信頼できる人で構成されていて、プラットホームの中で出てくる。ビジネスの話に、冷静に判断し、応援できることがあれば応援し、メンバーに紹介できるいいものは、紹介してくれる部門です。

これがあれば、プラットホーム内で、変なビジネスが入ることもありません。メンバーの中で、紹介したいビジネスがあれば、バーチャル・カンパニーを通して、メンバーに伝えることもできるからです。個人的に、いろんなメンバーに、マルチ的なビジネスでお誘いする人がいたら、バーチャル・オフィスを紹介して、そこを通して下さいと注意することもできるのです。

しかも一つのプラットホームも、ある程度時間をかけて信頼関係が出来ていたら、後で、変な人が参加しても、最初に入っている人達が、結束して、おかしいことには流されません。そんな目には見えませんが、プラットホーム自体が、変な方向に行かないシステムを、水口清一先生は、考えてくれているのです。それが、何もしない、何のテーマもない、例会をする目的の一つなのです。


2007年08月02日

プラットホーム空(くう)01小松良行駅長の話

 原裕一郎先生の次に話してくれたのは、プラットホーム空(くう)01の小松駅長でした。小松良行駅長は、プラットホームの先輩駅長として、今までの体験談を話してくれたのです。

 それを菊が、一言で言えば、心と心のネットワークのいう言葉の中の、心と心の部分でした。というのも、プラットホームが、何かと言えば、菊は、心と心のネットワークのある組織だと思っています。

 というのも今、ネットワークといえば、やっとこの頃になって、皆さんにも少しずつ分かってきました。メールで一度に何十人の人に送る事も可能ですし、ブログのように、不特定多数の人に、日記も読んで貰える事も可能になりました。しかもミクシイのように、会員制のソーシャル・ネットワーキングサイト、参加している人しか、見ることもできないサイトも現れました。今、ミクシイは、一千万にも人が、この3年間で、あっと言う間に参加しているのです。

 また、これは今までの人類の歴史にはなかったことです。今、全国の人と、インターネットを通して、多くの人が、ご縁を持てるようになりました。ミクシイのように、波動が合う人達のグループが出来ているのです。

 しかし、ネットワークが出来たからと言って、それで、次の世の中が変わるかと言えば、それは難しいと思っています。もし、それで世の中が変えられるのであれば、ミクシイでは、会員は一千万人もいるのですから、世の中を変える動きが、少しは見えて来ていると思うのです。

 でもそうはなっていません。肝心な心と心の部分がないからです。それがないかぎり、ただのネットの組織にしかすぎないのです。でも、プラットホームには、その心と心の繋がりがあります。それが、例えば、一つのプラットホームは、駅長と、最大24名の人しか参加できないとか、参加できる人は、駅長とご縁のある人の友人までで、基本的に駅長と波動の合う人しか参加できないのかという、プラットホームの制度にあります。

 しかも、プラットホームのすごいところは、この21世紀の時代に、昔ながらのご近所の、井戸端会議を仕組んでいることです。どんどんネット世界が、進むと、この井戸端会議というものが、本当に大切になってくることを、水口清一先生は、理解していたのです。

 だから、2年前に誕生したプラットホーム空(くう)01では、小松良行駅長が中心になって、何のテーマもない、何しないという例会というものを、1ヶ月間に1度、ずっと新大阪駅から歩いて5分の距離のココセンターというところでしていました。

 ここで、毎月、1回、土曜日、プラットホーム空(くう)01の例会をしていたのです。しかも、2年前に始めた時から、1年間ちかく、プラットホーム空(くう)01は、本当に何もしない会でした。ただ、1ヶ月間に一度集まって、各自が好きな話をしていただけだったのです。

 でも、その事によって、プラットホーム空(くう)01は、いろんなことを体験しながらも、少しずつ段階を超えていきました。参加メンバーも、小松良行村長の好みと言うか、怪しい人がどんどん集まってきて、気の達人とか、音楽家、画伯、・・・・・などなど、一人、一人、変な人が集まって、いつも24人で一杯のプラットホームになっていました。

 小松良行駅長は、そんなプラットホーム空(くう)01で体験してくれたことを話し、そんなプラットホーム空(くう)01が、一杯になったこともあって、サーシャ駅長が始めた、プラットホーム空(くう)02や、菊がはじめたプラットホーム空(くう)03が、誕生したいきさつをうまく説明してくれ、今、全国にそんなプラットホームが、北海道から、九州までで、全国で25個以上あると言ってくれたのです。


2007年08月02日
「なんでんかんでん村」原先生の話2

では、そんな原先生が、講演で、何を話してくれたのかといえば、第3の波でも有名な、未来予測のアルビントフラー博士の話です。何故なら、20年前、アルビン・トフラー博士の本、第3の波の本から、社長業ではなく、たった一人で活動する、原裕一郎先生の新しい今の人生が始まったからです。

 というのも、原裕一郎先生は、20年前は、福岡でも有名な事務機の販売の会社のオーナーでした。キャノンとか、リコー、プリントごっこで有名な印刷機のメーカー、理想科学工業の代理店として、コピー機や印刷機、FAXの機械などを販売していたのです。しかも九州では、本当に大きな販売店でした。一番に、いつも表彰されていたのです。

 しかしそんな原裕一郎社長が、第3の波の本を読んで、これからは、情報社会になる事を知ったことで、原裕一郎社長の人生は、大きく激変することになりました。最初、第3の波を読んで、この当時、社長としてお金儲けに燃えていた原裕一郎社長は、これからは、情報社会になる事を知って、しめた、これでますますコピー機やFAXの機械が売れると勘違いして、どんどん社員を増やして、原事務機の規模を大きくしたというのです。
 
 でも、いくら社員を増やして、売り上げを増やしても、原事務機の経営は、かえって悪くなっていたそうです。表面とは別に、むしろ、会社の経営は、苦しくなっていったそうなのです。それで、何かが違うと感じた原裕一郎社長は、東京に、アルビン・トフラー博士が、講演に来ることを知ると、講演会場の、一番前の席に座り、一つの質問をしました。

「それは、アルビン・トフラー博士が、第3の波にイメージしているものは、どんなものですか」ということで、それに対して、アルビン・トフラー博士は、一つの明確な答えをくれています。

「海岸の砂浜で、砂で何かを作ったとします。そこに大きな波が来たら、どうなりますか。砂で作ったものは、波に流されて、しばらくしたら跡形もなく消えてしまいます。」こう教えてくれると、具体的な説明をしてくれたそうです。

 それは江戸時代、少なくても、270年間、その当時生きていた人々が、ずっとあたりまえだったと思っていた制度、士農工商とか、ずっと存在すると思っていた藩とか、幕府といったものが、明治維新、産業革命によって、跡形もなく、消えてしまったという事実でした。これと同じことが、もうすぐ起こると教えてくれたのです。

 原裕一郎社長は、それで、これから日本や世界に何が起こるかわかりました。今から考えたら、分かることですが、情報社会とパソコンなどの情報機器の販売とは、関係がないことを悟ったのです。

 でも原裕一郎社長のすごいところは、変人なところは、その後の行動です。これから始まるアルビン・トフラー博士の言う社会を研究して、高度情報社会という言葉や、智閥という言葉を作ると、何と、自分がオーナーとして作り、苦労して、育てた会社を、他人に、ただ同然で譲ってしまったのです。

 すなわちある課長だった社員を、社長に大抜擢すると、株を全部、額面の値段で渡し、会社をその人に渡したのです。それは、偶然、取引先の一つだった、理想科学工業で勤めていて、原先生の会社の名前だけは、知っていたプラットホーム空(くう)01の駅長だった小松良行さんが、良くご存知です。

小松良行駅長は、今でも、九州でも一番と言われている会社で、ほっておいてもこれから楽ができる立場だったのに、それをあっさり譲ってしまうことに、アンポンタンとしか言えないと少し呆れて教えてくれたのです。正直、菊自身も、その会社の事を良く知る小松良行駅長から聞かない限り、信じなかったと思いますが、原裕一郎先生は、何十億円と言う売り上げがある会社をあっさり捨てられるような人なのです。まず、今の常識ではありえないと思います。菊自身が、立場が同じだったら、絶対にできないと思います。

 では、次に、会社を譲って、平成4年頃から、原裕一郎先生が何をやっていたかと言うと、ご縁のあった高度情報科学セミナーで、ボランティアで講師をしたりしてくれていまいましたし、高度情報科学セミナーが変になった後は、DDNの専属講師として、「時代は変わる」という題名の講演を続けていました。終始一貫、これから高度情報社会が、始まるということを伝えてくれていたのです。今、そんな原裕一郎先生の話を聞いた人は、何百人といるのです。

 しかし、時代がまだ時期になっていないのに、経営していく為に、どうしてもお金が欲しかった経営者は、表面的なことは理解していても、原裕一郎先生の言っていることの真実は理解しようとはせず、金儲けに走ってどちらもうまくはいきませんでした。高度情報科学セミナーは、消滅しましたし、DDNさんは、今も立派に存続していますが、時代を動かせる存在には、なりえなかったのです。

 だけど、原裕一郎先生自身は、まったく諦めていませんでした。2002年頃からは、「なんでんかんでん村」を、インターネット上のバーチャルな世界で作って、なんでんかんでん村の村民に、無料で「なんでんかんでん村」情報をメルマガ方式で発行して、村民募集に入りました。今、700人以上の村民がいるのです。

 しかも、智閥にするには、ビジネスモデルが必要と言うことで、ご縁のある人達と、いろんなものを開発する事にかかわります。原裕一郎先生は、実践が大事だということで、仲間と地道な活動を続けていたのです。
 やっとそれが実って、今、原裕一郎先生のご縁の人達の中で、今の科学では理解でくないものがいくつか現れています。

それが、インターネットの不特定多数の人には紹介できませんが、「神と科学と奇跡の水」という不思議な水であったり、火山灰からフリーエネルギーが取り出せるといったものですし、インターネットでも、誰もが持てるというインターネット放送局とか、ドコモの携帯から取り出せる、何にでも効果のあるという「音の薬」とか、人の心が分かるといったDNAエンジンといわれるものです。そういったものを、原裕一郎先生は、簡単ですが、説明してくれて、講演を終えてくれたのです。


2007年08月02日
「なんでんかんでん村」原先生の話1

 萩原先生のこれから始まる高度情報社会、ユビキタス革命の話が終ると、その後に話してくれたのは「なんでんかんでん村」の原裕一郎先生でした。しかし、それは、当初の予定ではなかったことです。でも、昨日、原裕一郎先生と会った水口清一先生や、萩原先生から、「原先生も同じような考えを持って、活動しているすばらしい先生だから、30分程度で申し訳ないけど、話して貰ったら」とご提案いただきました。
 
 これには、菊自身、本当に嬉しかったです。きっと長年、高度情報社会を夢見て活動しているもの同志、お互いに対する尊敬の思いが生まれたのだと思います。それで早速、原先生に、30分間ですが、お話をお願いしました。原裕一郎先生にとって、30分では、とても話が短いと思いますが、快くお受けしてくれました。原裕一郎先生にも、急遽話して貰ったのです。

 また、その原裕一郎先生の最初の言葉は、「先程、萩原先生から、すばらしいお話を聞きましたが、まさしくそうです。いうことはありません。大変、勉強になりました」というものでした。菊は、それを聞いて嬉しかったです。

 何故なら、萩原先生が話した話は、まさしく今から、14年から15年前に、高度情報社会セミナーで、菊や原裕一郎先生が、勉強していた世界でした。それが、長い年月を経て、今、やっと始まろうとしているのです。しかも後、3年で、すべてが決まってしまいます。現在の明治維新に乗れないことになります。はっきりいって高度情報社会、ユビキタス時代の波に乗り遅れたら、今までの苦労が全部終ってしまうのです。

 それを水口清一先生も、萩原先生も理解しています。だから原裕一郎先生は、きっと、萩原先生の話を聞いて、プラットホームの人達とは、同志として一緒にできる。やらないといけないと、直感的に判断して頂けたと思います。菊は、縁結びは、成功したことを確信したのです。

 しかも、その後に話してくれたのも良かったです。それを一言で菊が、まとめさせて頂くと、原裕一郎先生の、今までの活動の実績になります。

 というのも、原先生の経歴は、本当にすごいです。お歳は、77歳ですが、そんな年齢など関係なく、実にいろんなことを経験しています。それを、原裕一郎先生自身、長いプロフィールとしても、ご紹介しているので、是非、見て下さい。菊は、ここまで、詳しくプロフィールを書いている先生は、なかなかいないと感心しているのです。
原裕一郎先生の自己紹介
http://www.geocities.jp/ennohana/nandenmura/nandenzikosyokai.htm

人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

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