情報をないがしろにするととんでもないことが起こる
古い話で恐縮ですが1989年8月19日を何の日かご存知でしょうか?
日本人はあまりこのことを知っている人は少ないようです。
「欧州ピクニックの日」です。
これはハンガリーの首都ブタペストで行われたことについて「欧州ピクニックの日」という名前が付きました。
「欧州ピクニックの日」を主催したのは“市民による欧州会議”です。
ハンガリーといえばオーストリアとともに、かっては帝国主義国で、これらの国が第一次世界大戦を引き起こしたことで知られています。
20世紀末初めごろまで、ハップスブルグ家がヨーロッパを支配していたことはみなさんもよくご存じのことと思います。
実は欧州会議の議員であるオットー・ハップスブルグがこの「欧州ピクニックの会」を企画しました。
「欧州ピクニックの会」というのは“1989年8月19日15時から東欧と西欧が一つになって1時間30分だけ広場に集まって会議を開こう”というものです。
これは「平和な市民が集うピクニック。ヨーロッパは一つ。一人ひとりが参加することに意義がある」という趣旨のポスターをハンガリー各地にドイツ語で印刷して掲示しました。
当日はドイツ人が広場に集まり1時間30分に1,500人のドイツ人が脱出しました。
この「欧州ピクニック」の意味の重大さに気がつかなければならなかったのが東ドイツのホーネッカー議長です。これはハップスブルグ議員とホーネッカー議長の戦いでした。
ホーネッカー議長の悲劇は、彼が持病のため欧州ピクニックの報告書を読まなかったことです。このことが引き金となってベルリンの壁の崩壊へとつながりました。
1989年8月19日は東西冷戦構造に穴を開けた記念すべき日になりました。
東ドイツから脱出することは当時としては命がけで強制収容か銃殺でした。
欧州ピクニックのために開けられていたゲートは僅か2メートルほどだったといわれます。そこから1時間30分に1,500人もの人が次から次に脱出しました。これでベルリンの壁の意味がなくなってしまったのです。
ハップスブルグ議員は選ばれた議員ではなくボランティアです。
欧州ピクニックは一人の市民として企画して実行しました。
創造して実行することが重要です。実行した結果、信じられないようなすごいことが起こってしまいました。
ハンガリーと東ドイツは同盟国でした。
当日のピクニックにはハップスブルグ議員の娘が出席して「あと90分で自由への門が開かれる」という議員のメッセージを代読しました。これでベルリンの壁は崩壊し、東西冷戦終結のきっかけとなりました。
欧州ピクニックは民間団体の企画でハンガリー政府の許可を受けて開催されました。個人の企画力・創造力が重要な役割を果たしています。このことは単に評論家や批判家であってはならないことを教えています。
いたずらに言葉に縛られてはならないと思います。
しゃべる暇があったら創造し、行動することです。
評論したり批判したりすることは自由ですが、言葉に縛られると言葉の言霊(ことだま)が働いて動けなくなってしまいます。
今の日本も評論家や批評家より行動する活動家を求めています。(つづく)