大変革がそこまで来ている

今の世の中を見ますと、どうやら「近代資本主義」「工業社会」が崩壊するのは時間の問題と思われます。「マルクス経済主義」はすでに崩壊しました。

それと同じことが自由主義経済の中で起こりつつあります。

 

19902月にバブルが崩壊して既に20年目を迎えています。

この間、政府は次々と不況対策を打ち出しますが景気は回復しません。

ほとんど恐慌状態といったところです。とても深刻です。

ここ当分景気の回復はしないと考えておくべきでしょう。

 

一体どうなってしまったのでしょうか?

船井幸雄先生は「今は非常時、大変革点到達直前」と言っています。

ここ数年のうちにとんでもない大変革が来るのはほぼ間違いないようです。

次に来るのが「本物時代」というのが船井先生の考え方です。

 

日本における平常時の代表は徳川時代で、非常時の代表は戦国時代です。

明治維新のころが非常時で大正時代が平常時です。

昭和時代は恐慌のあった昭和初期から戦後の混乱期が終わるまでが非常時で、それ以後、昭和30年代の半ばから昭和の終わりころまでが平常時といえます。

 

このように平常時と非常時を繰り返してきたわけです。

平常時になると世の中の構造はほとんど変化しません。

平和と安定は誰もが望みますから、そういう時代の人たちは大きな変化を嫌います。親の後を子が継ぐといったことが多くなります。政治家に二世、三世議員が多いのはずっと長い間平常時だったからです。

 

政治や経済など、社会構造上で変わったことをしてはいけないのが平常時で、それゆえに平常時は文化が発達します。女性が強くなり、ファッションが流行り、グルメブームになります。

 

これらは人間が生きていくという基本条件で見ますと、どうでもいいことばかりですが、これが平常時の特徴です。生きていくうえで、ファッションやグルメはどうでもいいのです。どうでもいいことが興味の対象となり、うわさ話などが人々の話題の中心になります。

芸能人の結婚問題や不倫騒動など、他人にとってはどうでもいいことなんですが、そういう話題が週刊誌やテレビをにぎわすのです。

 

しかし、そういった風潮が文化の花を開かせます。世界の歴史を見ればこのことは明白です。これが非常時になりますと、文化は絶対といっていいくらいに花が開きません。

 

日本の非常時の代表は戦国時代だと上智大学教授の渡部昇一先生は言っています。戦国時代には武田信玄のように自分の父親を放り出したり、織田信長は弟を殺し、義弟の浅井長政を攻め滅ぼしました。

真田家のように親子兄弟が敵味方になって殺しあっても非難されません。

何をやっても認められるといっていい弱肉強食の時代なのです。

 

平常時と非常時の考え方をもう少し詳しく近代日本に当てはめて説明しますと、次のようになります。

室町時代1336~1568年)の末期から、徳川政権が安定する三代将軍家光のころ1623年)までは混乱期でした。

 

それ以後の徳川時代はペリーが来て1853年・嘉永6年)開港を迫るまでの日本は230年にもおよぶ長い長い平常時でした。しかし、ペリー来航を機に一転して非常時に入りました。

幕末の動乱を経て、明治維新があり、次いで西南の役(明治10年)

世の中どっちに向くか分からない混乱した時代です。

 

日清、日露戦争が終わったころ非常時が終わりました。

大正時代は平常時で、大正文化の花が咲きました。

それが昭和に入って1927(昭和2年)に大きな金融恐慌が起きました。

昭和4年には世界大恐慌に巻き込まれ、昭和6年に満州事変が始まり、昭和7年に上海事変、昭和12年には支那事変が勃発します。

 

そして昭和161281941年)ついに日本は真珠湾を攻撃し、大東亜戦争に突入していきます。

昭和20815日に敗戦、そのあとは戦後のどさくさで「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれるようになった昭和30年代前半までは近代日本における二度目の非常時でした。

 

この期間の日本は、今振り返ってみてもまさに大混乱の時代であったことが分かります。したがって、文化の面では見るべきものはほとんどありません。

こういうとき文化は生まれません。

 

生死に関わる非常時だと理解すれば人は自ら身を守ります。

戦国時代も、明治時代も、昭和初期も人の生死にかかわる非常時でした。

ですので国民はそれなりに覚悟も持てたし、自ら身を守ることもできました。

 

平成時代は非常時であるにも関わらず大部分の人は非常時と認識できません。

確かに戦争をやっているわけではなく、食糧をはじめ必要なものは何でも手に入り、生活水準も上がりましたし、遊ぶことにも事欠きません。

なので平成時代が非常時だと認識することは政治家も一般国民もできず、いわゆる平和ボケしてしまいました。

 

デジタル時代の到来は明治維新(産業革命)に勝るとも劣らない時代変化が起こる非常時だと認識しなければいけないのではないでしょうか。(つづく)