今なぜ非常時なのか?
昭和30年の中ごろ「もはや戦後ではない」と言われたころから日本はまた平常時になりました。それから約30年間、昭和60年過ぎくらいまでが平常時でした。
私のような人間もファッションにこりました。背広にワイシャツ、ネクタイ、靴、ベルト、カフスボタン。身に着けるものの配色とかデザインとかにこだわり、グルメ通にもなりました。
私だけではありません。世の中全体がそういう風潮に染まったのです。
そうして戦後の日本人はさんざん贅沢し、文化を楽しみましたが、1986年(昭和61年)ころからまた非常時に入りました。
先ず皆さんに理解していただきたいのは、非常時には非常時特有の社会現象が現われてくるということです。
ペリー来航以後の日本社会、昭和の初めから昭和10年くらいまでの日本社会、これらの時代を調べてみればすぐわかることですが、非常時に入ると先行きどうなるか、さっぱり読めなくなるのです。つまり目先不透明ということです。
今また「非常時に入った」というのは、目先が不透明になってきたからです。4~5年前に土地とか株がこんなに下落すると思った人は誰もいません。
口では言った人がいるかもしれませんが、実感としてそれを確信した人はほとんどいなかったはずです。
だからみんな土地や株を買いまくったのです。ところが思いがけずに土地の値段が急落しました。株価もガクンと下がりました。みんな資産デフレに四苦八苦しています。
とにかく今は先が読めません。目先不透明になっています。
ベルリンの壁があんなになくなるとはだれも思っていなかったのに、あっという間になくなってしまいました。
ソ連崩壊なんてもっとひどい。あの国が潰れると誰が思っていたでしょうか?
こういう風に目先何が起こるか分かりません。これが非常時に入った時の特徴なのです。
二つ目の特徴として旧勢力のあがきというのがあります。
明治維新の時、世の中が混乱したのは潰れる側の徳川幕府勢力というか、封建制度が悪あがきをしたからです。
昭和の初めには、明治維新以後に勃興した独占資本主義勢力が軍部と手を組んで最後の悪あがきをしました。それが敗戦によってつぶれたわけです。
非常時にはいつも旧勢力がつぶれます。今度の非常時、平成の非常時で何が潰れるかと言いますと、私は「近代(工業社会)が潰れる」と見ています。
近代というのは、いま私たちの社会体制や政治体制、価値観を支えている世の中の仕組み一切のことです。
日本は明治維新を経て近代になりましたが、ヨーロッパではそれに先立つこと200年前から近代に入っていました。18世紀の産業革命がヨーロッパの近代の始まりです。アメリカは約100年遅れました。日本はさらに100年遅れた計算になります。
従って、近代というものはヨーロッパで約300年、アメリカで約200年、日本で約100年の歴史があるわけですが、それが今揃ってつぶれそうなのです。
明治の初めに非常時になったのは日本だけです。昭和20年に非常時だったのは戦争に負けた日本とドイツくらいです。
今度は世界中が全部非常時に入って目先不透明になっています。
6000年の人類の歴史の中で、世界中が揃って非常時になった例はありません。それだけ今度の非常時はスケールがとてつもなく大きくまた変化も著しいと思います。
近代というものをもう少し見ていきますと、簡単にいえば「エゴ」(自分が何より大事だ)という価値観が支配していることが分かります。
自分中心主義が近代の一大特徴なのです。ただこれには大きな障害があります。人間は社会を形成して集団で生きていかなくてはなりません。
そこへ各人が「自分が何より大事だ」という思想を持ち込んだら、エゴとエゴがぶつかって社会秩序が成り立ちません。そこでエゴを守りながら世の中をうまくまとめていく便法として「自由、平等、博愛」というのが出てきたのです。
これはフランス革命のキャッチフレーズであり、近代の思想にもなっています。つまり、近代は「自由、平等、博愛」を旗印に「エゴを大切にする」ことを実現しようとしました。
しかし、エゴと博愛というのは初めから矛盾していてエゴを生かしきれません。
それで博愛は理性や良心の努力目標として内に仕舞いこんで近代はスタートしたのです。
近代の先頭を切ったイギリスやフランスは何をしたのでしょうか?
植民地をつくりました。彼らの植民地政策は基本的には搾取であり、博愛とはほど遠いものでした。
では、自由と平等はどうでしょうか?この二つも矛盾します。
自由は平等を保障しません。平等は自由を束縛します。つまり自由であったら平等ではありません。平等であったら自由ではないのです。
平等より自由が好きだという人たちのつくったのが資本主義体制で、自由より平等が好きな人たちのつくったのが共産主義体制です。
エゴのために資本主義をとるか、同じくエゴのために共産主義をとるか、二つに分かれて喧嘩をしていたのですが、今度は非常時に入ってから、あっという間に共産主義体制は潰れてしまいました。
いま残っているのはエゴのための資本主義、いわゆる自由だけです。
あと数年くらいはたぶんこのエゴと自由が目立つのではないかと思われます。
従って、冷戦が終結しても世の中はちっとも落ち着きません。これからますます混とんとしてきます。
エゴが前面に出てきて紛争や裁判沙汰がどんどん増えます。
自由、自由と声高に叫ばれて、自由化要請がますます強まります。
それがどんなに正しく見えようとも、みんな非常時における旧勢力のあがきともいえるのです。
これから世界はエゴ化と自由化、こう考えておけば体制を見誤ることはないように思います。
非常時に入った時の特徴として一つは目先が不透明になる。
二つ目は旧勢力が悪あがきをするといいましたが、三つ目は複雑化ということが起こります。
ガンでも末期になると症状が非常に複雑化します。
もうだめかと思っていると急に元気になったりします。そしてまた突然悪くなるといった具合に複雑でどうにもならなくなります。
非常時に入った世の中も同じようにどんどん複雑化していきます。
たとえば、しっかりした経理スタッフを抱えた大企業でも、税理士や公認会計士のお世話にならないと税法上の対処ができません。次から次へと複雑な税法が出てくるからです。
このような複雑化現象は随所に見られます。
小売店でも商品を買って現金だけ払っていれば簡単ですが、後払い制度(クレジット)ができて、延べ払い制度(リボルビング)ができて、前払い制度(プリペイド)おさいふ携帯なども出てきました。
店の経営方式でも、直営店だけなら分かり易いのですが、フランチャイズ、ボランタリーなどややこしくなってきています。これから先、何が出てくるか全く予測ができません。
ビジネスマンの世界も分かりにくくなっています。
名刺をもらうと書いてある肩書きが良く分かりません。「あなたは何をやっているんですか?」と聞かないとわかりません。
部長代理と部長心得、課長補佐と課長心得。代理、補佐、心得をつけだす会社は危ない。
複雑化は死ぬ直前の現象なのです。横文字のなんだかさっぱりわからない社名や肩書き、人に説明しないと分からないような肩書きの会社はダメになる可能性が多いのです。
ともかくこれから数年、世の中の特徴は目先が見えず、近代資本主義(工業社会)は最後の悪あがきをし、世の中は複雑化し、人々はますますエゴ化し、自分のことしか考えなくなり、みんながあらゆる面での自由化を求める。そういう時代になっていくと思います。
そのような時代の中でポイントになるのは、やはり旧勢力というか、現秩序と言いますか、近代資本主義の支配層の動向です。
なぜかと言いますと、彼らにとって都合の悪いことばかり起こってくるからですが、いくら火消しに必死になっても、事態はますます彼らにとって不利になっていくと思えます。
近代資本主義制度(工業社会)は「物質的なモア・アンド・モア」の追求の上に成り立っているからです。
有限な地球資源を浪費すればするほどこの制度は発展します。
それは一日も早く地球を破滅に追い込む制度と言い換えても良いのです。
今は非常時ですが、非常時は前期と後期の二つに分けて考えられます。
これまで非常時の特徴としてあげたのは非常時前期の特徴です。
目先不透明、潰れるであろう勢力の悪あがき、複雑化現象、これらはみんな非常時前期に起こることです。そしてある時決め手が登場します。
それによって以前主流であった体制は完全に潰れ、新しい世の中の建設が始まります。それが非常時後期です。
だから決め手が何かは大変興味が深いものです。
皆さんもこれに注目していただきたいと思います。
明治維新の時、非常時前期と後期を分ける決め手になったのは西南の役(明治10年)でした。
既に徳川幕府という旧勢力は潰れていましたが、武士の魂の余燼が残っていました。それがあるうちは新しい時代の建設の障害になります。
その時、西南の役が起こり、武士が農民出身の軍隊に負けてちょんまげ時代が終わりました。
それから昭和20年の敗戦では二発の原爆が決め手になりました。
日本が負けることは決定的でしたが、どう負けるかが問題でした。
潰れるべき勢力が悪あがきをしていたからです。
そこへ原爆が落とされて彼らは完全に潰れました。
これらは日本に限定された地域で起きたことですが、今度の非常時は世界で同時に進行しています。
今のようにわれわれ人間が有限な地球上で勝手気ままなことを続けていると地球は滅びてしまいます。
化石燃料はあまり燃やしたくありませんし、原子力エネルギーは間違いなく危険なものです。と船井幸雄先生は「これからの10年、本物の発見」に書いています。
この世界規模の非常時を変える決め手になるのは何かということですが、私は光ファイバーの敷設によって、マルチメディア(デジタル時代)が到来し、第五世代コンピューターとコヒーレント光通信、モバイル端末機(iPhone)やMFT-ROBOT(多機能パソコン)などの道具が高度情報社会を引き寄せ、工業社会から情報社会へ大きく時代を変える一つの大きな決め手になるものと考えています。
アメリカにおいては既に「情報スーパー・ハイウェイ構想」が1993年からスタートしており、マルチメディア関連産業が活発に動き始めています。
日本でも遅ればせながらデジタル化が進められており、数年後には日本社会のあらゆる面に、特に産業界、流通業界に大きなインパクトを与えることになるでしょう。
企業経営者は言うに及ばず個人も今から対応しなくてはいけません。(つづく)