時代変化はどういう意味を持つのか?
時代が大きく変わっていくということが、われわれ日本人にとってどういう意味を持つのか、また、どんなインパクトを与えるかというと、かって明治維新の時に経験した社会変化、また、昭和20年(1945年)敗戦によって大きな変化を経験しましたが、それに匹敵するような大きな社会変化が地球規模で起ころうとしています。
早い遅いはその国々の事情によって多少のズレがあるとしても、大変革をこの日本社会も経験せざるを得ない大きな世界的規模の時代変化のうねりの中にわれわれはいるということを知らなければなりません。
このように時代は大きく変わろうとしていますが、これはわれわれが過去において経験したような単なる変化ではなく、いま時代が変わることは「尋常ではない」ということが大問題なのです。
そして変わる内容と、どのように変わっていくのかという予想と、変わることへの自覚と、柔軟に対応する心構えが必要です。
この時代変化の波を乗り切れるか、時代変化の波に飲み込まれるか、われわれのこれからの人生に、あるいは勤務している会社、経営者であれば自己の企業においても大変革への対応が要求されるのです。まさに死活をかけたサバイバルです。
薩長土肥に学ぶ
幕末において時代が大変化し、先進欧米諸国の産業革命という近代化に遅れた日本、列強による植民地支配が日本にもおよぶと憂えた幕末の志士たちがいました。
薩摩、長州、土佐、肥前といった各藩では、日本も産業革命を急がなければならない、「国(幕府)が近代化しないなら、わが藩だけでもしなければならない」というわけで、薩摩藩主、島津斉彬(しまづなりあきら)は、開国貿易策を唱え、洋学を奨励し、西洋砲術を習わせ、集成館を設け、ここで大砲、地雷、水雷、ガラス、陶磁器、砂糖、樟脳などを製造、和欧文活字の制作、写真の研究、洋式紡織機などに手をつけ近代化を図りました。
長州で有名なのは松下村塾を主宰した吉田松陰です。
松下村塾から多くの志士たちが輩出されました。塾生として有名な人は伊藤博文(初代内閣総理大臣)高杉晋作(奇兵隊を創設)山形有朋(陸軍元帥・総理大臣を歴任)木戸孝允(参議・内閣顧問)などがいます。
肥前の国、佐賀藩主、鍋島閑叟(なべしまかんそう)は、陶器、石炭などの産業を興し、反射炉、造船所をはじめ、洋式軍事工業を起こし、長崎警備の藩として海防の急務に応じ、維新に際して雄藩として活躍しました。
後に佐賀藩製造の大砲は戊辰(ぼしん)戦争などで優秀な成果を上げることになります。また、大隈重信、副島種臣、江藤新平などを維新政府に送り込んだことでも有名です。
土佐藩で有名なのは坂本龍馬(才谷梅太郎)です。龍馬は文久2年(1862年)脱藩して幕府の軍艦奉行勝海舟の門に入り、神戸海軍操錬所の設立に尽力しました。
文久3年の政変以後、幕府および土佐藩の政情が反動化すると、勝海舟の紹介で西郷隆盛と知り合い、同志近藤長次郎らと薩摩藩の援助を得て亀山社中を創り、海運・貿易に従事しました。これが後の海援隊です。
慶応2年(1866年)龍馬は薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允との間を斡旋して薩長連合密約を結ばせ、帰藩して土佐藩重役後藤象二郎とともに藩主山内豊信を動かし大政奉還建白を実現させます。(つづく)