情報社会は構想力が重要である
戦後における経営の変遷
昭和20年(1945年)8月敗戦により平和が戻ってきましたが、日本のほとんどの都会は空襲で焼きつくされ焦土と化していました。
もちろん目立った産業もなく外地から引き揚げてきたものの仕事はありませんでした。
それでも戦後復興のため人々は混乱のなか懸命に働きなんとか戦後の混乱期を乗り切りました。
ようやく落ち着きを取り戻したのは20年代の半ばごろでした。
それまで日本の産業は混乱期時代で物さえあれば何でも売れました。
ですから、当時の企業は売るものをいかにして手に入れるかが勝負でした。
要するに物さえあれば儲かった時代です。品質は関係なしです。
ようやく20年代の後半は「安かろう悪かろう」から、品質管理が重要になってきました。
アメリカからデミング博士がやってきて、日本企業の品質管理を指導し、品質管理が良い企業にデミング賞というプライズを授与しました。
大手メーカー企業はこれによって品質向上に努力したものです。
品質だけでなく、企業の質(社風)や従業員の質の向上なども併せて熱心でした。
昭和30年「もはや戦後ではない」といわれるまでに成長し、ヨーロッパを追い越せ、アメリカに追いつけと日本産業界は頑張りました。
そのころ、導入されたのが大量生産、大量販売というシステムです。
工場はオートメーション化し、事務の合理化運動なども進められました。
年には公団住宅が建設され、規格化された商品がたくさん出回りました。
当時もてはやされた三種の神器は、洗濯機、冷蔵庫、テレビで「電化元年」などと言われた時代です。
昭和39年には東京オリンピックが開催され、新幹線が東京、岡山間に開通しました。
昭和40年代、日本は高度成長期を迎え、日本列島改造論で発展していきます。
昭和50年代は差別化の時代、企業はいかにして高付加価値をつけるか、サービスに、品質競争に、価格競争に躍起となりました。
多品種・少量販売システムなどはその典型的な現われです。
現在もその延長線上で激烈な企業間の競争が続いています。
しかし、アメリカでは1980年代にはSIS(戦略情報システム)が導入され、企業の激しい生き残りをかけた戦いが進行していました。
1980年、アメリカには航空会社が123社もありましたが、アメリカン・エアラインのSISによって次々に食われ、現在(1994年)では遂にわずか3社系列にまでなってしまいました。
あの巨大な世界一の航空会社パン・アメリカン(パンナム)でさえも倒産に追い込まれました。
そのSISとは一体どんなシステムなのか?その本質を知らずして企業は生き残りが難しくなっています。
日本でもSIS企業が存在するように言われていますが、本当のSISではありませえ。では秦のSISとは何でしょうか?(つづく)