織田信長の奇襲戦法

日本の歴史の中では少ない兵力で大軍に勝ったという戦いがありますが、それが有名な織田信長が勝利した桶狭間の合戦です。田樂狭間の戦いとも言います。

 

これは永禄35月(1560年)今川義元は25,000の兵で沓掛に進み、清州城を望み、中央突破を企図し、田樂狭間で休息していました。

信長は3,000の兵で抗戦しましたが、鳴海に向かう途中で吉本の動きを聞き、田樂狭間に進出し、暴風の収まるのを待って義元の虚を突き、今川軍本隊の横腹を急襲して倒し、今川義元の首を取りました。

この戦いは奇襲戦法の典型とされています。

 

こんなことが知識として頭の中に残って居ると、どんなことが起こるかと言いますと、同じような地形だったら、日本の将校は記憶力がいいから奇襲戦法の典型を覚えていて、みんな同じような戦法を採用します。

 

コンピューターから見れば馬鹿の一つ覚えです。そうであれば日本の将校がどんな戦法をとるかが読めるわけで、アメリカ軍としては日本軍はこの地形ではどう来るか、コンピューターに聞けば、日本軍は信長のやったような戦法をとるだろうと予測します。

 

陽動作戦についても同じです。日本軍は本体がいるような振りをして、見せかけの動きを見せますが、実際には本体は山陰に隠れています。

アメリカ軍はコンピューターで日本軍の動きが読めていますから、本体が隠れている山陰に照準を合わせて砲弾を撃ち込み、本体が伸びきったところを横腹からついて全滅させることができるというわけです。

 

日本の将校はあまりにも記憶力が良いため覚えたことは忘れません。

忘れないため同じことを何回も繰り返しやって、コンピューターに見抜かれてしまったということです。それだけで日本がアメリカに負けたというわけではありませんが、そんなこともあったということです。

升田幸三将棋名人の「新手一勝」

視点を変えて囲碁将棋の世界で説明します。

升田幸三という将棋の名人がいました。

彼の座右の銘は「新手一勝」という言葉です。どういう意味かと言いますと、毎回対局では新しい手を考えること、つまり「Thinking」するということです。

 

ものを考え、新しいことを創造することが、いかに大切かということを教えています。

コンピューターに将棋を教え込みます。そのコンピューターとプロの棋士2段程度の方が対局しますと、何回やってもコンピューターの方が勝ってしまうそうです。

 

未だプロになりたての2段程度の方は先輩たちの譜面を覚えている時なんです。先輩たちがどんな将棋を指したかということを。

要するに、日本の将校たちが戦術戦法を覚えこむのと同じように記憶しているわけです。

 

そういう時期の方がコンピューターと対局すると記憶の面では、はるかにコンピューターの方が優れていますから、100回対局しても100回ともコンピューターが勝ってしまうのです。

 

ところが、八段、九段、名人、王将といわれる、Aクラスの棋士とコンピューターが対局すると、これがまた、100回やって100回コンピューターが負けてしまうという結果になるそうです。

 

コンピューターは、過去のデーターの記憶力は優れていますが「新手一勝」という新しい手に出会うと「Thinking」ができないから負けてしまいます。

記憶するだけのコンピューターは弱いということです。

 

建築設計家の丹下健三先生は「これからの新しい時代の建築設計家は、漫画家のような感覚と才能を持った人がよろしい」と言っています。

評価はいろいろありますが、東京都庁を設計したのが丹下健三先生です。

あの建物は実にユニークで素晴らしいと思います。

 

丹下先生の弟子、黒川紀章先生は、ほぼ同じ時期に沖縄県庁を設計しました。

沖縄県庁も立派な建物に違いありませんが、都庁に比べるとデザインのユニークさ、面白さの点では一歩譲ることになります。

黒川先生の方が若く、丹下先生の方がはるかに高齢であるにもかかわらず、丹下先生の方が斬新なデザインなのです。

 

どうしてそうなのかと考えますと、丹下先生が以前から言っている「漫画家のような感覚と才能がこれからの建築家に求められる」ということに表現されています。

 

一級建築士の方は設計に当たって構造計算を重視します。特に地震の多い日本では構造計算は重要です。

そんな知識は建築設計をする方の頭にはいっぱい入っています。

特に良い大学と言われる所を卒業した方々の頭の中は知識が充満しています。そんな方が設計を設楽まず無難なまっすぐした安全な建物を建てようとするでしょうし、それが構造計算のうえでも最も安定します。

 

もし、建築設計の知識のない漫画家に設計デザインをさせたらどうなるでしょうか?構造計算は頭の中にありません。だから周りのことも考えて、もしかすると斜めの危なっかしい建物を設計デザインするかもしれません。

漫画家は構造計算を知りませんから、かなりユニークな建物を考えることでしょう。

 

たとえ、斜めの危なっかしい建物であっても、構造敬さんはコンピューターにやらせれば良いことなんです。漫画家が考えたような建物が本当に立てられるかどうかはコンピューターに計算させればいいことであって、コンピューターが強度も十分大丈夫と判断したらその段階で建てればいいことです。

 

建築設計家は少なくとも最初からピザの斜塔を建てようとは考えません。

あのピサの斜塔も始はまっすぐ立っていたのですが、地盤の関係で傾いてしまったのです。傾いても何とか倒壊せずに今でも無事に建っています。

 

最初からあんなものは立てようとしません。特に優秀な建築設計家ほどあのようなものは建てようとは思わないでしょう。でも、漫画家なら考える可能性を持っているかもしれません。そこに斬新なデザインが生まれるということです。

 

賢明な読者には理解していただけたと思います。

知識をたくさん詰め込んでおく時代は終わりました。これからは知識を詰め込むのはコンピューターに任せて、人間は物を考える方向に行かなければならないと思います。

 

記憶力が優秀であっても「Thinking」する能力に欠ける方を会社が採用したら会社が危なくなります。国家がお役人として採用したら国家が崩壊してしまうかもしれません。

 

戦時中の日本軍の将校の戦術について一例を書きましたが、日本の軍隊は陸軍も海軍も陸軍士官学校や海軍兵学校の卒業期や成績のいい順番で出世をしました。

 

今の自衛隊でも防衛大学をいかに優秀な成績で卒業したかということが出世の順番を決めて行きます。これは格所長のキャリアでも同じことです。学歴が九閥が権力を握っています。

しかし、これからの時代はそうであってはならないと思います。(つづく)