産業革命時代のエピソード

欧米に遅れをとった日本は、短期間に産業革命を進めなくてはならないことに気が付きます。

そこで産業革命の先進地ヨーロッパに人材を派遣して研修に当たらせるわけですが、人材の選考に当たっては東京大学卒業の記憶力の優れた人たちが選ばれます。

 

これは当然のことであって、研修で多くのことを学び、多くのことを記憶して帰ってきてもらわねばならないからです。

特に明治初期のころは、記憶力の優秀な者が評価されたのです。

 

ある研修生が、フランスの石鹸工場に研修に行って帰国後、早速日本に石鹸工場をつくりました。

出来上がった石鹸をフランスに送ると、香りも品質も包装もフランスと全く同じものだったので、フランスでは日本の製造技術の素晴らしさに驚き、日本に工場の見学にやってきました。

 

そして、日本の工場を見て“ゴミ箱”の置いてある位置までそっくりだったということで、またまた驚いたという逸話がエピソードとして残っています。

 

日本が欧米に追い付くには、産業革命を急いで進めなければならないというわけで、銀行・製鉄所・造船所が必要だと言って国がこれをつくります。

そして作っては次々に民間に払い下げて行きました。

十八銀行、七十七銀行、百四銀行など、未だに名称に番号が残っているのはつくった順番に付けた名前のその名残です。

 

アメリカは「Thinking」優先主義

アメリカでは比較的柔軟な考え方を取っているようです。

60年前の大戦でもその例を見ることができます。

第一線の戦線で活躍した二人の優秀な将軍がいました。

ヨーロッパ戦線でアメリカの戦車軍団を率いたパットン中将「パットン戦車軍団」という映画がありました。

 

海軍では太平洋で暴れまわった「太平洋機動艦隊」のハルゼー中将です。

この二人は刺青(いれずみ)将軍といわれました。

パットン将軍も、ハルゼー将軍も陸に海に実際に第一線で大活躍しましたが二人とも腕に刺青をしていました。

アメリカでも日本でもまじめな人はあまり刺青をしていません。

 

この二人は学生時代あまり勉強が好きではなかったようです。

学校の成績もお粗末だったそうです。

しかし、戦争で戦術を考える能力は抜群でした。

陸のパットン、海のハルゼー、刺青をしていたり、学校の成績もお粗末であった、この二人が、60年前の大戦で活躍したことを考えると、学校の成績ではなく「Thinking」する力がいかに大切かということが分かります。

 

デジタル時代(情報社会)になったら今の学歴社会の中で優秀な方、すなわち、記憶力だけが優秀な方は必要ではなくなり、逆に邪魔になってしまうのではないかと思われます。