賢者は歴史に学ぶ

情報社会(デジタル時代)に乗り遅れたらどうなるか?

時代は大きく変わろうとしています。2010724日 地デジ化)

要するに間もなく工業社会から情報社会(デジタル時代)へ移行します。

明治維新は農耕社会から工業社会へ移行したときの出来事です。(産業革命)

今回の時代変化は「明治維新に勝るとも劣らない」ほどの時代変化と捉えなければならないと思います。

 

1853年、黒船が日本に来航しました。

黒船はタービンで動いているまさに産業革命の象徴でした。

産業革命によって富を得た先進列強国は、黒船で世界中を回り、産業革命に乗り遅れた国を片っ端から植民地化して、その国の国民を支配していきました。

 

つまり、間もなく工業社会から情報社会(デジタル時代)へ変革しようとしていますが、情報社会への対応が遅れて、工業社会のまま取り残されることは、あたかも植民地になるのと同じことといっても過言ではないと思います。

 

日本は世界中で最も遅れて産業革命に成功した国です。

遅れたとはいえ、産業革命に成功したため植民地にはなりませんでした。

ことの良し悪しは別として、日本は逆に産業革命に乗り遅れた国を植民地化していきました。

 

産業革命に成功した日本は、いわゆる帝国主義国家の仲間として、富国強兵策をとりました。

当時の先進諸国はすべて富国強兵策をとり、どの国も植民地を支配しました。

産業革命に成功した国家は植民地なしでは満足できなかったのです。

 

あの時、植民地を持つような悪い国にならず、逆に植民地にされたほうが良かったのかというと決してそうではありませんでした。

 

現在、世界中を見てみると、当時、植民地支配を受けた国々は、まだその痛手から立ち直っていません。

そのため、近代国家にはなり得ていないというのが現状です。

 

巨大な力を秘めていると思われるインドにしても、ムガル帝国(インドのイスラム政権として16世紀から19世紀までインドを代表した帝国)崩壊と植民地化によって、現在も植民地時代に制度化されたカースト制度や宗教体質が尾を引いて、必ずしも近代国家にはなり得ていないという悲劇が残っています。

 

当時、植民地にされた多くの国々が、いまだにデモクラシーが育っていないということもご存じのとおりです。

 

日本においては、江戸末期から明治初期にかけて、農耕社会から工業社会に移行することができましたが、今回のように工業社会から情報社会に変わるとき、もし、欧米に10数年も遅れるようなことがあったら、かって植民地にされ、いまだに困っている発展途上国と同じようなことになってしまいます。

 

情報社会になれば飛躍的に科学技術や最先端技術が進歩します。

工業社会はハウツー社会です。

ですので、他人の成功を参考とし、それを見習って頑張れば、何とか追い付き追い越せるのが工業社会の特徴です。

 

情報社会はそうは参りません。

先行逃げ切りが原則です。

先にどこかが成功したら、後から追い付こうとしても到底追いつくことができません。アメリカン・エアラインのSISがいい教訓です。

 

この工業社会のままで取り残されれば、1000年の悔いを残すことになるということをぜひとも知っていただきたいと思います。

1853年、黒船が来航した時、日本がなぜ植民地にならなかったのか?

ということはあまり教えられていません。

それは古い体質の農耕社会を打ち破った(徳川幕府を倒した)からなのです。

(つづく)