日本の経済力を叩く

アメリカにとって日本の経済力は目の上のたんこぶでしょう。

アメリカの対日貿易赤字は年々増加するばかりで改善の兆しは全くありません。

アメリカとしてはどの様にして日本の経済力を叩くかということが戦略となります。

 

当時アメリカが採った戦略は日本の歴史にこれとよく似た現象を見ることができます。

元クリントンアメリカ大統領は、さしずめ徳川家ということでしょうか。

日本は豊臣家ということに当てはまります。

 

秀吉亡きあと豊臣方に経済力がどれほどあるのか徳川方には分かりません。

徳川方には政治力と軍事力があります。そこで家康は豊臣方の秀頼の補佐役、大阪城中で会計経済を任せられていた筆頭家老(首相に相当)片桐且勝元を駿府に呼びつけ、戦乱で痛んだ神社仏閣150か所の修復をするように命じたところ、片桐且元は素早く修復を終わり、早速駿府の家康に修復終了の報告に行きます。

 

家康は且元があまりにも簡単に修復を済ませてしまったので、更に追加150か所を修復するように命じます。

且元は畏まって大阪へ帰り、再び追加の150か所を難なく片付けてしまいます。

家康は如何にして豊臣方の経済力を弱くするかいろいろなことを考えるわけですが、そんな事とは且元は全く気付かず家康のご機嫌ばかりを伺います。

 

家康は豊臣家の経済力を弱めるため、いろいろ思案しますが、秀吉がやった三大事業をもう一度やらせようかと考えます。

 

秀吉の三大事業というのは、@聚楽第の建築、A大阪城の築城、B大仏殿の建立です。

先ず聚楽第はどうでしょうか?

聚楽第は秀吉が関白の位を朝廷から授かるため、朝廷工作のために建築したものです。秀吉は関白の位を授与された後、すぐに聚楽第を取り壊しています。

これは政治力をつけることにつながるので家康は許しません。日本がODA予算をもうこれ以上増やさなくてもよいということと類似します。

 

大阪城の築城はどうでしょうか?

これは軍事力をつけることにつながります。現在、日本は世界でもトップクラスの軍事力を持っています。これ以上の軍事力はアメリカも望んでいません。また、1989(平成元年)当時の自民党金丸信防衛庁長官(副総理)が米軍に対して「思いやり予算」ということで62億円を計上しましたが、この金額は既に2,000億円を超えており、日本の国家予算を圧迫しています。

 

三沢基地の米軍住宅は大変豪華だそうです。将校クラスはメイドを雇い、給仕まで雇ってぜいたくな生活をしていると聞いています。同じ三沢基地の航空自衛隊の住宅は雨漏りがするようなところもあるそうですが、これが事実なら米軍住宅と差があり過ぎです。これはもう思いやりを通り超して、思いやりが思いやりでなくなっています。もうこれ以上は必要ありません。

 

大仏殿建立はどうでしょうか?

かっては刀狩りをして大仏殿を造りました。もう豊臣方には軍事力はないので刀狩りはできません。これなら豊臣方の資金を使わせることができます。

家康は亡き豊太閤の供養のために大仏殿を造れと命じます。

 

日米構造協議でアメリカが430兆円を使って「日本国民のために公園や道路、下水道を整備しなさい」と言っているのと同じですね。430兆円は日本国民の税金だということを忘れないようにして欲しいです。アメリカが経費を出してくれるのであればいいけれど。

 

片桐且元は命令通りに大仏殿を完成させます。ところが釣鐘に彫刻した文字に因縁をつけて“開眼供養はあいならん”と申し渡します。

「君臣豊楽」「国家安康」の文字が気に食わないというわけです。

豊臣家の主君と家臣が豊かで楽をし、「家」と「安」をバラバラにして毎日念を込めて打つのはけしからんというわけです。鐘ですから打つのは当たり前と思うのですが。これは言いがかりというものです。

 

且元は駿府に申し開きに行きますが、家康は面会してくれません。何回も何回も行きますが会ってくれません。

遂にあきらめて大阪へ帰りますが、亡き豊太閤の供養のためと言って大仏殿を造ったのに、開眼供養ができないとあっては作って魂入れずということになり、淀君に対しても、家臣に対しても申し開きができないと、且元は夜逃げをしてしまいます。大名で夜逃げをしたのは後にも先にも片桐且元が初めてで終わりです。

 

これで豊臣方にナショナリズムが起こり、浪人どもが続々と大阪城に集結、それが大坂夏の陣、冬の陣となって豊臣方の血は一滴も残らず絶やされてしまうのです。どんな場合でもナショナリズムを起こしてはなりません。対米配慮も歴史に学べばこうなるのでしょうか。(つづく)