時代が変わる!(村長著書 ザ・智閥 連載4回目)

アルビントフラーの「第三の波」

時代が大きく変わるということを最初に言ったのは未来学者アルビントフラー博士です。博士の説によれば過去に社会の大変化が2回起きています。

1回目は狩猟社会から農耕社会へ、2回目は農耕社会から工業社会へ、そして3回目が工業社会から情報社会への社会変化です。

 

農耕社会で価値のあった「閨閥」(血縁関係で“閥”をつくり、そこに権力と富が集中する組織のこと=明治維新前の徳川時代・現代なら北朝鮮金正日一族)が工業社会では価値をなくし、新しい価値を持った「財閥」(一部の金持ち、一部の政治家、一部の官僚が、彼らにとって都合のいい法律や組織をつくり、権力と富を集中させた組織のこと)が取って代わりました。

情報社会では工業社会で価値のあった「財閥」が崩壊し、情報社会では新しい価値を持った「智閥」(心と心のネットワーク)が誕生するに違いありません。丁度そのような時期にわれわれは遭遇していると考えなければならないのです。

 

狩猟社会から農耕社会へ

一体どうして、いつ、なぜ時代が変わったかということを考えて見ましょう。

原始社会といわれる旧石器時代(数10万年前)以後、人類は「火」を手にすることによって他の動物と差別できる社会を形成し狩猟社会に入ったといわれます。

 

新石器時代(約13,000年前)の狩猟社会は、特殊な自然環境の中に逃避孤立し、小さな単位集団に分散して、単純な遊動生活を営み、弓矢、投げ槍や、打製石斧(だせいせきふ)などの武器を用い、わなや落とし穴などで獲物を獲り、野生の果実や穀類、木の実、根菜類を採取し、食料を食べつくすと移動しながら生活していました。屈強な身体と強い体力を持った者が集団を支配していた時代です。

 

やがて、人類は磨製石斧(ませいせきふ)を創り出します。磨製石斧は木を切り倒すことができました。森林伐採が可能となり、農業を知り、定住化が進み、一定の場所に人口が増加することによって文明が芽生えました。

 

磨製石斧は農耕用の鍬(くわ)としても応用できます。樹木が鬱蒼(うっそう)と茂る森は土地が肥沃(ひよく)で農耕に適します。

また、生け捕りにした獲物を柵で囲んでおくと生態系システムが働いて子供が生まれて増えていきます。

 

木を切り倒して、耕した畑に種を蒔くと穀物や果実や野菜ができます。

このような生態系が人類の生活や社会を変えていきました。

狩猟社会では、人は移動しながら生活していましたが、動物や植物の生態系によって人類は定住しても生活できることを覚えていきます。

 

一定の地域に少しずつ定住する者が増えて部落ができます。部落が増えて村になり、村が大きくなって町が誕生し、更に町が大きくなって市となり、やがてそれが都市国家となって発展していきました。

 

人類が定住し、文明が発達し、集団で生活を始めると必ず権力者が生まれます。

権力者も始めは単に世話役であったかもしれません。しかし、集団が何かをするにしても取り決め(ルール)が必要になります。みんなが勝手ばらばらに行動したのでは統制が取れないからです。

 

未成熟な社会では、ルールは権力者が決めて弱者は支配されます。時として権力は暴力となります。暴力や権力が支配するとわがままな王様が現れます。

 

イラクの首都バグダッドを東西ではさんで流れるチグリス川、ユーフラテス川の合流点(バグダッド南部の砂漠地帯)をメソポタミアといいますが、ここは人類初の文明が生まれたところです。約18,000年前のことでした。

 

メソポタミアに定住をし始めた人たちの中から権力者である王様が生まれます。王様や権力者がすることは決まっています。お城を建てシンボルとして記念碑を建てます。エジプトの王様はスフインクスを造り、ピラミッドを造りました。

日本でも駅前に銅像を建てた首相がいました。藩主は(殿様)はお城を建てました。権力者のすることは日本でも同じです。

 

メソポタミアの王様は天まで届くような高いバベルの塔を建てることを希望しました。 塔を建てるには煉瓦が必要です。メソポタミアには良質の粘土があり、当時は日干し煉瓦でした。日干し煉瓦は天日で乾燥させ1年くらい時間をかけて造っていました。

 

王様は1日も早くバベルの塔を完成させようと考えましたが、日干し煉瓦ができるまで長時間を要します。それを待っておれず火で煉瓦を焼いて造ることを命じます。そこで磨製石斧で木を切って燃料とし、莫大な量の焼き煉瓦を造りました。

 

その結果、森は見る見るうちに裸同然となり、水脈が切れ、メソポタミアは砂漠化し、人が住めなくなって人類初のメソポタミア文明は滅んでしまったのです。このことは誤った道具の使い方をすると人類は滅ぶという教訓です。

 

すなわち、磨製石斧は木を切ることができる道具であり、磨製石斧によって人類は定住して生活することができるようになり、磨製石斧によって人類は狩猟社会から農耕社会へ移行することができました。

 

しかし、バベルの塔を造るために焼き煉瓦を必要とし、煉瓦を焼くために木を切って燃料としたため、森林がなくなり、水脈が切れて砂漠化してしまったのです。そうなれば人類は住むことができなくなってしまいます。

 

このようにしてメソポタミア文明は崩壊しました。便利な磨製石斧も使い方を誤まると両刃(もろは)の剣です。このようなことは歴史に学んでおかなければなりません。道具も使い方で大変なことになってしまうという教訓です。

 

これを現代に当てはめるならば工業化が進み、自由主義による競争が激化し、人類がより快適でぜいたくな生活をすればするほど、地球環境が破壊され、このままの状態で推移すると、空気、水がますます汚染され、自然が消滅していくことは明らかです。バベルの塔を教訓としなければなりません。

 

また、農耕社会のもう一つの特徴は、血縁で権力と富を譲る制度があったということです。日本でも江戸時代までは農耕社会でした。士農工商という身分制度があり、藩主の子は藩主、武士の子は武士、農民の子は農民になるということが当然でした。

 

血のつながりが最も優先される社会は農耕社会の特徴です。

すなわち「閨閥」(けいばつ)が権力を持ち、富を得ていた時代です。

未だに血縁で権力と富をわが子に譲るという国があるようですが、まさに農耕社会の域を脱していないといったところです。

 

磨製石斧という道具の発明によって時代は狩猟社会から農耕社会に移行しました。これがアルビントフラー博士が位置づけた「第一の波」です。(つづく)


ザ智閥 時代は変わる 完結しました

原先生が、1999530日、近代文芸社より発刊した拙著「ザ・智閥」より抜粋し、

若干の修正加筆をして連載していたザ智閥 時代は変わる

200932255号「何か良いビジネスはないか!」で完結しました

皆様には、長い間のお付き合い、心から感謝しますし

原先生にも、御苦労さまとお礼を言いたいと思います

 

また、原先生のザ智閥 「時代は変わる」の記事はこれで終わりですが

原先生の智閥 造りの活動は、今、本格的に始まっています

しかも記事の最後は「何か良いビジネスはないか」ですが

もうそれは、実現の方向に向かって走り始めています

2011724日、テレビの地上アナログテレビ放送の停止によって

本格的に、日本もデジタル時代をスタートさせることになりますが

その準備に向けても、着々と動いています

もうすぐ、すごいことが始まりますよ

 

しかも、時代が、10年前に、原先生が

予測していたように、動いていることは

皆さんも、記事を読めば分ると思います

もう残された時間は少ないです

2009年には、もう縁とチャンスもないと思います


しかし、残念ながら、ホームページでは

皆さんに、これ以上はお知らせできません

伝えたくても、伝えてもいけない事になっているのです

 

 

だから、是非、皆さんの中で何かを感じたら、ぜひ、私までご連絡下さい

2009年の原先生の活動をご説明したいと思います

本当に大切なことです。よろしくお願いします

岩谷正

ennohanakikusakaeru@ybb.ne.jp

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです。
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