済度人「キク」
自転車済度
和泉府中・泉大津ルート
済度人キクとして
仕事の行き帰り、自転車済度させて頂いていますが
金沢の河内晢先生とお会いして
直接、エネルギーを頂いている時は
帰り、2つ別ルートで、一度ずつ
行くようにしています
その一つは、黒鳥山公園済度
黒鳥山公園食事済度が終わると
隣の黒鳥墓地によって
済度、先生の光を届けさせて頂きます
というのも、俺は、「千の風になって」の歌にあるように
済度の先生が、言っているように
御霊さんは、誰もいない、草葉の陰にいたいとは
思わないので
墓地にいないと思いますが
俺が、済度の先生の光を届ける
その日だけは違うと思っています
俺を、来るのを心待ちしてくれていると
信じています
なので、黒鳥墓地に、知人がいる訳ではありませんが
済度させて頂いているのです
また、その後は、信太山自衛隊を通って
いつもの本ルートとは離れて
帰りのルートとは違いますが
和泉府中にある泉井上神社に
行くことにしています
ここで、済度させて頂くのです
しかも、この泉井上神社は
本当に由緒のある神社です
泉井上神社のホームページで
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/izumiinoue.htm
紹介していますが
「神功皇后が三韓より
帰還した西暦200年4月
一夜にしてわき出したといわれる
和泉清水史跡が境内にあります
また、これを瑞兆として霊泉とよび
宮としておまつりされたので、
それで、「和泉」の国名がつけられたのだそうです
その上に、河内国から分離した和泉国の国府となり」
と書いていることで、分かるように
和泉の国、泉州地域
(堺市、高石市、和泉市、泉大津市、忠岡町、岸和田市
貝塚市、泉佐野市、熊取町 泉南市、田尻町、岬町 )
の中心の国府があった所が、泉井上神社なのです
しかも、霊泉ということで
霊界から泉が出たということで
俺の勝手な解釈ですが
和泉の国は、日本神話で言う
黄泉の国だったのではないかという
根拠にもなっているところです
その上に、泉井上神社の傍らに建立した総社に
大鳥、穴師、聖、積川、日根野の神を勧請し
和泉大社・和泉五総社と呼ばれたものがあります
これは、昔、和泉の国では、国司が着任すると
最初の仕事は国内の全ての神社を巡って
参拝することであったのですが
それでは、大変なので、和泉の国を代表する
5つの神社をまとめたもの和泉総社に
お参りすることにしていたそうです
文字通り、和泉の国の中心の土地だったのです
だから、泉井上神社は、もっと済度しないといけない
重要な土地ですが
帰りの関係で、そんなに行くのは難しいです
でも、済度の先生から、直接光を頂いた時だけは
俺は、真っ先に、必ず、済度の先生の光を
この土地に届けることにしています
泉井上神社と和泉五総社を
済度させて頂けることで
和泉の国全体、泉州地域に光を届けているのです
また、その後は、和泉五総社の一つでもある
泉穴師神社にも行っています
この泉穴師神社は、泉州二ノ宮ということで
堺の鳳神社の次に大きい神社です
しかも、奉っている神々は
農業の神であらせらる 天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)
紡織の神であらせらる 栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)
の御夫婦二柱の神ですが
繊維、毛布の町である泉大津市にとっては
紡織の神は、大切です
その上に、この泉穴師神社には
本当に、いろんな神々がいます
なので、俺も、必ず、すべての神に
光を届けるようにしているのです
そして、その後は大津神社です
http://www2.osk.3web.ne.jp/~wkm8mg/shome/
この大津神社は、泉大津駅の近くにあって
「大津(おおつ)」は、もともとは
「小津(おづ)」と呼ばれていたそうで
小津の意味としては、国津・国府津から転じたものといわれ
和泉国の国府の外港という意味があるそうです
しかも、「小津(大津)の泊まり」は、現在の大津神社の鎮座する
ところであったといわれているそうです
なので、和泉国としては、国府のあった
泉井上神社と繋がっている大切な場所です
ちなみに、大津神社、泉穴師神社、泉井上神社は
自転車で、一直線なので、きっと昔は
結ばれていたと思います
だから、この大津神社も
大切な場所です
泉大津市の中心にもなる土地なので
しっかり済度させて頂いているのです
また、その後は
泉大津市にある大きな墓地と
慰霊塔に行って
済度させて頂いて
このルートは、終わりです
時間は、30分ぐらい
いつものルートよりは
かかると思いますが
本当に遣り甲斐があります
喜び一杯でさせて頂いているのです