縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            250

    関東三国志(武田家・上杉家・北条家)

それぞれの野望、正義、性の、欲について

 

∞「武田、上杉、北条の正義、野望について」∞

 

大河ドラマ、風林火山の事で、

いろいろ書かせて頂いています。

2007年が終ったのに、

キクの心の中には、

まだドラマ風林火山があります。

どうやら、風林火山のドラマが、消えることは、

しばらくなさそうなのです。

 

 

また、キクの背景にも、

武田家の御霊さんは、ずっといてくれるようです。

まだまだ、書いてくれと言っているみたいです。

そのおかげさまで、なかなか、2008年の大河ドラマ

篤姫に入れません。

 

 

でも、それも仕方ないです。

キクは、まだまだ、武田家の御霊さんの思いで、

書かないといけないことがあります。

すみませんが、これからも、大切なことは、

書いていきます。

どうかもう少し、お付き合いお願いします。

 

 

ということで、キクが、どうしても、皆さんにお伝えしたいことは、

欲、野望、正義についてです。

何故なら、今回の風林火山のドラマの大きなテーマだったのが、

欲についてです。

武田家、上杉家、北条家、

それぞれの欲についての考え方、

正義についての違いが、鮮明に出たのです。

それが、戦になったのです。

 

 

また、その欲ですが、

武田家が、一番の悪者にされています。

武田家は、生きるために、

自分達が、天下を取らなかったら、

誰かが天下を取って、

自分達が、滅ぼされることが、

上杉謙信や、北条氏康よりも、

よく分かっていました。

山本勘助が、言うように、

天下が、誰が取るか分からない以上、

武田家が生きるためには、

武田家が取ることが、一番の道だったのです。

 

 

だから、その為に、

武田家は、信濃を得ようとしましたし、

それを返さない為に、川中島で、

必死に戦ったのです。

 

 

しかし、上杉謙信は、違いました。

上杉謙信は、欲を敵としていました。

謙信自身は、他国を攻めて、

自分が、支配しようとしませんでしたが、

越後を守るため、関東の秩序を守る為に、

戦いました。

その為に、川中島で、武田家と戦い、

関東では、北条家と戦いました。

両家と戦うのは、不利と分かっていても、

義の為に、戦うのが、上杉謙信の戦、

大義名分だったのです。

 

 

また、そんな上杉家に対して、

関東の雄、北条家にも、

有名な二代目氏綱公の五箇条の書き置きと、

いったものがあります。

これは、二代目の藩主だった、

北条氏綱公が、まだ若い、三代目の氏康公に、

伝えたものですが、

この後も、北条家の大切な家訓になっていたのです。

 

 

そしてその最初の一条には、

「昔物語にも、義を守りての滅亡と、

義を捨てての栄華では、天地各別」の違いがあるので、

「大将から侍まで、義を大切にすること」

「もし、義に違い、国を切るとることができたしとても、

後の人から、恥辱を、どんなに被ることか、

たとえ天運が尽きて滅亡するとも、義理さえ、

違えなければ、後ろ指をさされる恥辱はあるまい」

というものです。

 

 

関東を支配するという欲を持ち、

天皇も、京都も、天下を関係なく、

関東に一つの独立国家を建設する事に、

野望を持っていた北条家は、

それでも、義を大切にして、

「合戦とは勝たねばならないものであるが、

どんな卑怯な手段をとってもいいものではない、

後世の人達に、嘲られるようなことはしてはならない」

と言っているのです。

 

 

また、この事で、川中島の戦い後、

武田家と北条家は、戦をしています。

信玄公は、今川義元の後、氏真が、愚直なので、

武田家と北条家で、今川を支配することを、

提案しています。

 

 

武田家が遠江、北条家が、駿河を治めるという、

領地で言えば、武田家が、少し広いですが、

駿河の港や、金山も得られる、

北条家が、有利な条件を出して、

味方にしようとしたのです。

 

 

でも、北条家は、武田信玄の申し出を断りました。

武田家と北条家が、同時に攻めたら、

愚直な今川氏真なら、今川家は、一瞬で崩壊して、

遠江、駿河は、瞬く間に占領できることは、

誰の目にも分かっていました。

 

 

けれど、北条氏康は、その信玄の薦めを拒否しました。

三国同盟を結んでいる今川家を、侵略することは、拒否して、

武田と戦う道を選びました。

父である、氏綱公の教え、

義を捨てて得することよりも、

義を守って、損することを選んだのです。

 

 

しかし、この事が、武田家、北条家の歴史を、

大きく変えました。

もし、武田家と北条家が組んで、

もっと早く、今川家に侵攻していたら、

武田家は、すぐに遠江を手に入れ、

西に、目を向けることができました。

 

 

しかも、その頃の織田信長は、

美濃を侵略している最中で、

まだ、美濃を手に入れていないので、

領地の広さでも、武田家の方が、

勝っていました。

 

 

武田家が、北条家との同盟を守っていたら、

三河の徳川家、尾張の織田家に対しても、

越後の上杉謙信の脅威があっても、

武田家の強さがあったら、

徳川家、織田家に勝っていたと思います。

天下は、武田家が取っていた可能性が高いのです。

 

 

また、そうなれば、北条家も、生きることができました。

北条家と同盟している武田家が、天下を取れば、

信玄も、また、北条家に、関東の地を与えたと思います。

関東という、京都に遠い地にいる、北条家は、

自分達が、選んだ大名に、天下を取らせる事しか、

生き残ることができなかったのです。

それが、運命だったのです。

 

 

でも、歴史は、そうはなりませんでした。

武田家と北条家は、武田が、今川家に侵攻したことで、

戦となって、駿河の領地を争い、

貴重な年月、4年を費やしました。

その間に、織田信長は、美濃を支配し、

畿内にも勢力を伸ばして、

最早、もうどうすることもできなかったのです。

 

 

しかし、キクは、そんな武田家の欲が間違っていたとは思いません。

藩主なのに、臣下の武将に、領地を与えないで、

他国を支配しないという、上杉謙信公の正義は、

戦国時代の常識では、とても考えられないものでしたし、

北条家の氏綱公、五か条の書き置きも、

同年代の朝倉宗滴が、「たとえ、犬畜生といわれ、

そしられようとも、戦になったら、どんなに、

卑劣な手を使っても、いいから勝て」と残している方が、

戦国時代の常識だと思います。

 

 

キクは、武田家の欲、正義は、

後の世には、非難されても、

間違っていなかったと思いたいのです。

だけど、一番、欲を持っていた

戦国時代の常識で、生きた武田家は、

最初に滅亡しました。

 

 

それに対して、一番、正義を貫いた

上杉家は、本能寺の変が起きたという、

天運に恵まれ、関が原の敗戦の後も、

江戸時代、大名として、家を残せました。

 

 

また、関東の地を支配した北条家も、

豊臣秀吉によって、大軍で攻められ、

家を滅亡させましたが、

戦国時代最後まで、家を残しました。

武田家よりも、七年生き残ったのです。

 

 

 

キクは、ここから考えても、

武田家の英霊達が、今、生きている、

21世紀の日本人に伝えたいことは、

欲、正義についてだと思います。

変な欲は持たずに、

これから始まる大激動期を、

共に生きて、

一緒に生きて、

世界を、戦のない世界にすることだと思うのです。

是非、そんな意識で、

大河ドラマ、風林火山のことを思って頂けたら幸せです。

 

 

∞「欲について 上杉謙信・武田信玄・山本勘助の生まれ代わり」∞

(毘沙門天・不動明王・摩利支天)

 

前回のメルマガ、第75号で、

武田家・上杉家・北条家の欲について、

それぞれの家の正義について、

書かせて頂きました。

関東三国志として、

関東の地を争った、三国の欲、

実に面白いと思います。

 

 

しかし、この欲について、

大河ドラマ、風林火山では、

もっと深いテーマが、

実は、隠されていました。

 

 

それは、神々も、この世に生まれたら、

欲は持たないか。

戦はしないかということです。

 

 

それを、大河ドラマでは、

軍師、山本勘助が、

「神が、この世に生まれても、

戦をする」ということで、

欲を持つ事は、決して悪いことではない。

この世に生まれたら、自然なことだというように、

表現しているのです。

 

 

そして、キクは、それは本当、

正しいことだと思っています。

 

 

何故なら、上杉謙信公が、

自分が、北方を守護する、戦の神様

毘沙門天の再来だと、かたく信じていたことは、

広く世間に知られています。

上杉謙信は、自分は、毘沙門天の

生まれ代わりだと、信じていたというのです。

 

 

しかし、今の時代、それを、皆さんの中で、

信じている人いないと思います。

上杉謙信は、戦は強い、正義感のある武将ですが、

毘沙門天の生まれ代わりであるわけが

ないと思っているのです。

 

 

ですが、キクは、上杉謙信公は、毘沙門天の再来だと思っています。

謙信公が、家臣達に、信頼される為に、統率する為に、

毘沙門天の生まれ代わりだと、本人自身、信じていないのに、

そういっていた可能性もありますが、

真実は、違うと、キクは確信しています。

上杉謙信公の性格から言っても、

本当に、自分は、毘沙門天だったと、確信していたと思うのです。

少なくても、そう思える根拠が、謙信公にはあったはずなのです。

 

 

また、キクは、それは、上杉謙信公だけでなく、

武田信玄公も、軍師山本勘助も、同じだと思います。

武田信玄公は、不動明王、

山本勘助は、摩利支天の生まれ代わりだと、思うのです。

 

 

何故なら、大河ドラマ風林火山でも、

信玄公が、不動明王を拝んでいるシーンが、

何回も出てきますし、

山本勘助も、摩利支天を深く信仰していたことは、

知られているのです。

その上に、武田家では、山本勘助の縦横無尽の活躍に

「摩利支天」のようだと畏怖していたと言います。

 

 

キクは、そこから考えても、

信玄公にしろ、山本勘助にしろ、

謙信公のように、自分は、毘沙門天の生まれ変わりだと、

心から、心底、信じていないとしても、

何かを感じていたはずです。

自分には、何か、特別な使命が、

あると思っていたと思うのです。

 

 

では、そんな毘沙門天や、不動明王、摩利支天が、

何故、あの時代、戦国時代に、

武田家、上杉家として戦ったということですが、

その理由は、キクにも分かりません。

どうして、神々が、生まれ代わって、

戦をする必要があったのか、

キクにもわからないのです。

 

 

 

ただ、キクは、神々といえども、

修行をしないといけないと思いますし、

神々は、戦国時代に生まれたら、

戦をしないといけないことは十分承知で、

この世に生まれ代わって、

敵、味方として戦ったと思うのです。

 

 

しかし、キクが、こんなことを、

書いたら、皆さんの中で、

反発すると思います。

神々が、戦をするはずがない。

たとえ、戦国時代に生まれたとしても、

戦はしないと思うと思うのです。

 

 

でも、キクは、そうは思いません。

神々といっても、この世で生まれたら、

ご飯も食べないといけませんし、

お金も必要です。

その上に、陰と陽、

プラスとマイナスで、

異性を求めようとする心も生まれます。

 

 

キクは、それは神々も同じだと思います。

神々といっても、

この世に生きている以上、

どうしても、欲とか、嫉妬、保身、

恐怖の心が生まれます。

戦を生み出す心が、生まれてしまうのです。

 

 

だから、武田家と上杉家、

不動明王と摩利支天は、毘沙門天と戦ったと思います。

武田家と上杉家の川中島の戦いは、

神々の戦いだった。

いえ、おそらく、信玄公や謙信公だけでなく、

織田信長公や、毛利元就も、神々だったのかもしれません。

きっと、大きな天の意志、目的、

神々の魂の修業の為に、人として、生まれ代わって、

大いに戦い、生きて、あの世に帰ったと思うのです。

 

 

だけど、神々は、それでいいとしても、

その神と共に生きて、戦った多くの人の中には、

魂の修行として生まれたはずなのに、

いろんな欲や執着が生まれて、

戦をして、亡くなっても、

あの世に帰れなくなった、

御霊さんが、たくさんいると思います。

 

 

それが、キクの言う武田家や、

上杉家、諏訪家の御霊さん達です。

戦国時代の御霊さん達です。

こんな御霊さんは、信玄公や上杉公の

家臣として戦った、武将よりも、

足軽といった、身分の低かった、

百姓などの一兵卒が多いのかもしれませんが

そんな兵達の御霊が、

戦国時代にたくさんある気がするのです。

 

 

そして、今、そんな御霊さんたちを、

あの世に、帰してあげる為に、

済度する為に、

再び、神々は、この世に生まれたり、

あの世から、済度のお仕事を、手伝ったり、

していると思います。

 

 

それが、キクが、

縁の花で、武田日記などを書いて、

済度している理由ですが、

キクは、そんな気がします。

是非、これからも、応援して欲しいと思います。

よろしくお願いします。

 

 

∞「上杉謙信公と女性の愛について」∞

 

 

武田家、上杉家、北条の家、

三家の大名の欲についてや、

不動明王や、摩利支天、毘沙門天

などの神々の欲について、

書かせて頂きました。

キクが、風林火山のドラマを通して、

どうしても書きたかったことなのです。

 

 

また、その欲について、

もう一つ、キクが、どうしても書きたかったことは、

武田信玄公のライバル、上杉謙信公の欲、

異性に関することです。

 

 

というのも、上杉謙信公は、

戦の神様、毘沙門天に、

常に戦に勝利する為に、

女性、異性との縁を持たないことを、

誓ったとされています。

毘沙門天信者として、妻帯禁制を守っていた

生涯不犯だったというのです。

 

 

ただ、それは、本当だったのか、

どうかは分かりませんが、

謙信公が、正室だけでなく、

側室も持たなかったことは事実ですし、

戦国大名として、跡継ぎの子供を、

生まないといけなかったのに、

それを持とうとしなかったことも事実です。

 

 

しかも、その為に、上杉謙信公には、

当然、自分の子供はいなくて、

謙信の実姉の仙桃院と長尾政景に生まれた景勝と、

北条氏康の七男、景虎を、養子にしていますが、

二人は、謙信がなくなった後、

後継者を巡って戦っています。

子供がいないということは、

子供を持とうとしなかったことは、

戦国時代、考えられないこと、

常識外のことだったのです。

 

 

しかし、その理由は、はっきり分かりません。

一説では、上杉謙信は、男性でなく、女性だったという、

上杉謙信女性説さえ、あるぐらいなのです。

 

 

でも、その真相は、キクに分かるはずはありません。

もしかしたら、突拍子もないことですが、

女性だった可能性もあるからです。

だけど、女性だったとしても、子供は、持てるはずです。

気に入った男性とセックスして、

自分の子供を、持つことはできたからです。

 

 

ただ、キクは、もし、上杉謙信公が、

男性だったとしたら、

いえ、男性だと考えるのが、

常識ですが、

そのときは、謙信公は、女性とも愛し合った経験があって、

その上で、特定の正室、側室を、

持たなかったと思いたいです。

 

 

何かの理由があって、

小さい頃、僧だったので、

毘沙門天に誓いをたてたので、

女性を毛嫌いしていたので、

色恋は、当主として判断を間違えるので、

女性とのご縁を、持たなかったとは、

思いたくないのです。

 

 

何故なら、昔から、

僧の人達が、修行ということで、

女人禁制を貫いた人達がいますが、

キクは、そんな人達ほど、

亡くなっても、あの世には帰れずに、

御霊になってしまうと思っているからです。

強い色情因縁になってしまうと思うのです。

 

 

だって、この世に生まれた以上、

男性と女性は、

陰と陽、プラスとマイナスのエネルギーです。

求め合うのが、愛し合うのが、当たり前です。

それが、自然なのです。

 

 

だから、それを、自らの行為で、

禁欲で、断ち切っていたことは、

不自然の行為です。

そんなことをしていたら、

亡くなったとき、異性の対する欲望、

女性と恋を一度はしたかった。

女性と愛し合いたかったという思い、

欲望、執着といった思いから、

離れることができず、

キクは、強烈な色情因縁に

なってしまうと思っています。

人の思いで、修業すること、

この世で、一番の欲を、断ち切ることは、

修行にも、何にもなっていないと考えているのです。

 

 

ですから、キクは、

上杉謙信公は、女性を知っていて、

女性との、セックスを経験していたり、

特定の女性を愛した上で、

正室や、側室を、何かの理由で、

持とうとしなかったと思いたいです。

それだったら、上杉謙信公自身、

納得しているので、色情因縁になる事は、

ないと思っているのです。

 

 

また、そんな視点でみれば、

上杉謙信公にも、何人かの女性との、

エピソードもあります。

一つは、・・・・・

 

 

 

 

 

一つは、・・・・・

京都に、上落した時に知り合った、近衛前嗣妹、絶姫(たえひめ)

一つは、上野国平井城主千葉采女息女、伊勢姫、

大河ドラマ風林火山では、武蔵国の忍城の成田長泰の妻として、

出てきていましたが、千葉采女息女の伊勢姫との説は、

相思相愛でしたが、家臣に反対して、添えることが、

できなかったといわれているのです。

一つは、同じく、大河ドラマ風林火山に出てきた、直江景綱息女、ふえ、

上杉謙信のお側に、父、直江景綱の命で仕え、

謙信の子供を、身ごもることを願っていたといいます。

一つは、天と地のドラマで出てくる、謙信の軍師だった、

宇佐美定行息女 乃美(なみ)

二人は、幼馴染で、愛し合っていたといいますが、

天と地の物語では、謙信公は、実は、宇佐美定行の子供で、

謙信と乃美は、血のつながりがあるので、

愛し合いながらも、男女の仲になれなかったといいます。

 

 

 

キクは、このどの説が正しいのか、

どうか分かりませんし、

全部、正しくないのかもしれませんが、

それでも、謙信公は、今、多くの人が信じているように、

謙信公は、立派な男性で、女性も、十分に愛せるのに、

あえて、戦の為に、女性を、禁欲していた

女性と、交わらなかったとは思いたくないです。

 

 

 

そうではなくて、

謙信公には、誰か好きな女性がいて、

女性との経験もあった上で、

その一人の女性との愛の為に、

身分違いの為に、

添い遂げることができなかった、

愛する女性の為に、

生涯、他の女性とは愛し合わなかった、

そんな純粋だけど、

女性に対する執着もなく、

あの世に、毘沙門天として、

帰ったと信じているのです。


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html