縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            第254号

     青山繁晴さんの硫黄島の話

 

∞「青山繁晴さんのご紹介」∞

 

青山繁晴さんという評論家がいます。

今の簡単な経歴を言えば、共同通信社から、

2002に三菱総合研究所から分離・独立し、

同年41日・独立総合研究所を創立、

代表取締役・兼・首席研究員に就任。

研究者としては主に安全保障危機管理

外交政治を専門分野とし様々な場所で

講演・講義を行っているとあります。

 

 

また、この青山繁晴さんですが、

テレビのニュース番組とか、政治の番組で、

いろんな解説をしてくれますが、

とても人気があります。

たぶん、皆さんも、

一度や二度は、見たことがあると思うのです。

 

 

しかも、その持っている情報も、

日本の政治家、官僚、

外国の情報機関と豊富です。

どうやら、いろんな政治家や、官僚が、

日本国民に、何か情報を伝えたい時に、

青山繁晴さんを、利用している感じなのです。

 

その上に、なかなか分からない、

米国や、北朝鮮、中国の狙いも

見事な解説をしてくれます。

今、悲しいことですが、

外国にマークされるので、

日本の事を考えて、発言できる、

専門家の評論家の人達、

日本には、いないのですが、

青山繁晴さんは、違います。

いつも、私自身、

ハットする情報をくれるのです。

 

 

だから私自身、今、一番注目している評論家です。

水曜日、夕方、5時から、

関西テレビで行なわれる、

ニュースアンカーの

青山繁晴さんのコーナーは、

職場の帰りのバスで、

携帯のワクセグで、

聞いているのです。

 

 

しかし、私自信、青山繁晴さんで、

高く評価するのは、

米国や、北朝鮮、中国関係の情報を、

持っているだけではありません。

 

 

青山繁晴さんは、過去に、日本の為に、

戦った多くの英霊達の思いや、願いも

よく話してくれるから大好きです。

特に、去年の6月23日、沖縄の戦争終戦日には、

沖縄に行って、戦争で亡くなった、

英霊達のことを、話してくれて、

本当に感動しました。

胸が熱くなったのです。

 

だから、私自身、高く評価していますし、

こんな評論家は、なかなかいないと思います。

最新の政治、外交、防衛の情報と

英霊達の思いを、

一緒に話せる青山繁晴さんは、

天からの大きなお役があると

確信しているのです。

 

 

また、青山繁晴さんは、

口には出しませんが、

私自身、ある程度、

御霊が見えるとか、

御霊の思いが分かる、

霊感があるのではないかと感じています。

でないと、テレビで、ここまで、

信念を持って、御霊の話ができるはずがありません。

 

 

何故なら、生きがいシリーズで、

人の生まれかわりや、前世のことを

講演したり、出版したりしている、

飯田史彦先生も、霊感があって、

多くの霊が見えるので、

歩くときでも、

ぶつからないように、

斜めに歩くという裏話を、

ある人から聞いたことがありますが、

同じだと思うからです。

 

 

そういったことは、

本や講演で言ったら、

多くの人は、自分の話を聞かないので、

隠しているだけで、

本当は、飯田史彦先生にしろ、

青山繁晴さんにしろ、

もっと、御霊さんのことで、

話したいことは、たくさんあると思うのです。

 

 

ですから、私自身、

いつか、青山繁晴さんにお会いするようなことがあったら、

是非、この事は聞きたいと思いますし、

青山繁晴さんの話してくれる、

北朝鮮、米国、中国の、安全保障にかかわる問題には、

今の日本のことを、心配している、

多くの御霊さんの思いや願いも入っていると

確信しています。

青山繁晴さんの背景にいて、

一緒に話しているのです。

是非、皆さんも、

そう思って、青山繁晴さんの解説、

聞いて欲しいと思います。

 

 

∞「硫黄島は生きるヒント動画の紹介」∞

 

第126号「青山繁晴さんのご紹介」で

評論家の青山繁晴さんの話をしました。

というのも、私は、是非、皆さんに、

今から、見て欲しい、

インターネットの動画があるのです。

 

 

それは、硫黄島(いおうとう)の英霊の事です。

この話は、中国が、チベットの弾圧が問題になった

2008年3月ですが、

関西テレビ、五時からのニュース、アンカーの、

青山繁晴さんのコーナーの中で、

硫黄島の英霊の事で、話してくれて、

私自身、仕事の帰り、

ワクセグで、見てとても感動しました。

胸が熱くなったのです。

 

 

だから、是非、私は、今から、

そのニュース番組の

インターネットの動画を、

皆さんに見て欲しいと思います。

きっと、皆さんも、感動すると思います。

硫黄島は生きるヒント1

http://jp.youtube.com/watch?v=INiuEmtsJtM&feature=related

 

 

また、今から、私は、その動画を、

皆さんに、少し解説したいと思います。

というのも、硫黄島は生きる1、2、3の動画を、

見て頂いたら、私自身が、

解説することは、そんなにありません。

すべて、青山繁晴さんは、

御霊さんに、言わされています。

 

 

でも、それでも、皆さんに、なかなか分からない

ところもあると思います。

だから、私自身も、硫黄島で亡くなった英霊の思いを、

私自身の解説として、御霊を、あの世に帰すという、

済度という視点で、

皆さんに書きたいと思うのです。

 

 

また、同時に、今の時代、インターネットを通して、

テレビの番組を、動画にして流してくれる人がいるので、

本当にいい世の中になったと思いますが、

その動画が、いつまでも、残っているとは限りません。

だから、私自身も、縁の花で、

青山繁晴さんが、言ってくれた、硫黄島の英霊のことを、

永遠に残すことも、縁の花のお役の一つだと思います。

是非、そんな天のお役を、

硫黄島の英霊のことを思って、

今からさせて頂きたいと思います。

よかったら、是非、お読み下さい。

 

 

∞「硫黄島のヒント1」∞

 

http://jp.youtube.com/watch?v=INiuEmtsJtM&feature=related

 

 

青山繁晴さんの硫黄島のヒントの話は、

去年ヒットした、クリント・イーストウッド監督が、

作った映画、硫黄島の映画で、始まりました。

 

 

というのも、2007年、

米国のクリント・イーストウッド監督は、

米国と、日本の視点ということで、

二つの映画を作りました。

 

 

その一つが、米国の視点でみた、

父親達の星条旗で、

もう一つは、日本の視点でみた、

硫黄島の手紙という映画です。

私自身は、この内、

硫黄島の手紙は、見ましたが、

渡辺謙さん、二宮和也さん、中村獅童さんも、

出演されていて、なかなかいい映画でした。

私自身も、感動したのです。

 

 

しかし、安全保障などの、防衛の専門家でもある、

青山繁晴さんにとっては、

この二つの映画は、忘れていた、

何かを思い出させてくれた映画になりました。

 

 

というのも、防衛の専門家として、

硫黄島を巡っての、日米両国の激戦は、

知識として、よく知っている青山繁晴さんでしたが、

米国人であるクリント・イーストウッド監督が、

米国の視点で、「父親達の星条旗」の映画を、

作っただけなら、何とも思わなかったのですが、

もう一つ、日本の視点で、硫黄島の激戦を描いた、

「硫黄島の手紙」を、制作したことで、

その映画が、本当に、日本の視点で、

描いた映画なのか、どうか、

日本の多くの若者が見る以上、

検証しないといけないと思ったというのです。

 

 

また、それで、改めて、

硫黄島(いおうとうと言います。いおうじまは、間違いです。

これは、米国の日系人が間違って呼んだことで、

戦後言われるようになったそうです)

のことを調べて、

青山繁晴さんが、呆然としたのは、

硫黄島は、日本の東京都小笠原村の島なのに、

防衛省が、管理していて、

日本の一般の人は、一切入れないということです。

日本人の島になっていないのです。

 

 

しかし、それは、おかしいと

青山繁晴さんは思いました。

それで、青山繁晴さんは、

防衛省に電話して、

防衛省の幹部と激しい交渉をしたそうです。

 

 

でも、青山繁晴さんが、硫黄島に行きたいといっても、

一切、駄目だと、防衛省の幹部は、認めなかったと言うのです。

それで、青山繁晴さんは、ハリウッドに電話して、

米国のクリント・イーストウッド監督と俳優の渡辺謙さんが、

映画の撮影の為に、一日だけですが、

硫黄島に入っていることを確認して、

再び、交渉したそうです。

 

 

米国のクリント・イーストウッド監督が、入れたのに、

日本の領土の硫黄島に、日本人が、

入れないのはおかしいと詰め寄ったのです。

 

 

そうしたら、防衛省の幹部は、

あれは、米国の国務省の依頼だとか、

言い訳したそうですが、

「米国の国務省が、ナンボノものじゃい」

と詰め寄る、青山繁晴さんに、

とうとうぶち切れて、

「ああ、そうですか。じゃ、勝手に行って下さい。

その代わり、一切協力しませんよ」

と言ったというのです。

 

 

だけど、青山繁晴さんは、

そんな防衛省の幹部の人に、

心から、感謝しました。

 

 

というのも、防衛省の幹部の人が、

そういったことで、どうなるかは、

青山繁晴さんには、よく分かっていました。

実際に、今、防衛省には、

「あおやまという若造が入れたのに、

どうして我々が入れないのだ」という、

抗議が、各マスコミで、殺到しているそうですが、

防衛省の幹部は、それが分かっているのに、

認めてくれたというのは、

心対心で、青山繁晴さんの純粋の思いを、

分かってくれて、あえて、そういってくれたと

心から感謝したというのです。

 

 

でも、私自身は、それだけではないと思います。

この事は、すべて決まっていたことだと思いますが、

多くの英霊が、青山繁晴さんの背景にいて、

応援していて、

防衛省の幹部の人に、そう言わせたと思いますし

防衛省の幹部の魂も、そのことが分かっていて、

気がついたら、そういってしまったと思うのです。

 

 

∞「硫黄島の英霊の悲しみ」∞

 

http://jp.youtube.com/watch?v=INiuEmtsJtM&feature=related

 

 

青山繁晴さんが、羽田空港から、

わずか六人乗りの、ジェット機で、

硫黄島に行ったのは、12月7日でした。

 

 

青山繁晴さんは、それは、神のいたずらだと言っていましたが、

私自身も、自分の体験で言っても、そうだと思います。

12月7日は、米国から見れば、日本の真珠湾攻撃による、

太平洋戦争が始まった日です。

その日に、青山繁晴さんが、何人かの人と、

硫黄島の土地に、入ったということは、

天の意思、霊界の意思で、

天のメッセージだと思うのです。

きっと、霊界は、青山繁晴さんに、

ありがとうと言いたかったのだと思うのです。

 

 

また、そんな青山繁晴さんは、

羽田から、硫黄島まで、2時間ほど、

ジェット機で、上空六千メートルから、

冬の海を、眺めていたのですが、

その時、珍しく、何も考えずに、

心が空っぽになっていたとき、

突然、何ともいえない慟哭が、

腹の底から、上がってきたというのです。

 

 

 

というのも、硫黄島には、

2万1千人以上の兵士が、いましたが、

その殆どの人は、戦争末期なので、

職業軍人というよりも、

40歳以上の一般人の人達でした。

学校の先生とか、お菓子屋さん

といった一般の人達で、

本来なら、戦争にかかわらずに、生きる人達、

戦争で、死ぬという覚悟がない人達だったのです。

 

でも、そんな人達は、60年以上も前に、

冬の海を、硫黄島を守る為に、日本を守る為に

船で、海を渡ったのですが、

その中で、生き残って帰った人は、

わずか1033人です。

 

 

しかも、その上に、お骨になって帰ったのは、

8千人程度で、後の1万2人のお骨は、帰っていません。

今も、硫黄島に、遺骨のままずっと残っているのです。

しかも、そんな1万2千人の人達の御霊の存在は、

多くの日本人だけでなく、

青山繁晴さんのような、安全保障の専門家にさえ、

忘れられています。

はっきりいって、私に言わせたら、

英霊にもなれていないのです。

 

 

 

だから青山繁晴さんは、

自分は、今、この冬の海を渡っていますが、

皆は、この冬の海を渡って、

日本に帰ってきたいのだなあと思うと、

慟哭というよりも、

悲しみがどっと出て来て、

仕方がなかったというのです。

 

 

また、私自身も、そんな青山繁晴さんが、

感じた悲しみは、よく分かります。

きっと、青山繁晴さんが、突然感じた慟哭は、

今も、硫黄島にいて、日本に帰りたくても、

帰れない硫黄島の英霊達の悲しみ、空しさだと思います。

 

 

何故なら、御霊になれば、

空も飛ぶこともできますし、

波動で、何でも分かります。

なので、当然、硫黄島の事を思って、

青山繁晴さんが、何人か人と、

来てくれることは分かっていて、

自分達の悲しみ、空しさ、思いは、

声として、伝えることができないけど、

青山繁晴さんの腹の中から、入ることで、

それを伝えようとしたと思います。

私も、済度のご縁のある一人として、

その御霊、硫黄島の英霊達の思い、

訴えは、よく分かるのです。

 

 

是非、皆さんも、

そんな硫黄島の英霊達に、

意識を向けて、

この硫黄島のヒント1の動画、

見て下さい。

きっと、英霊達の悲しみ、

感じることができると思います。

 

では、皆さん、縁の花 第254号、ここまで読んで頂いてありがとうございます。

2008年4月5日

縁の花第249号 「青山繁晴さんの硫黄島のお話」

縁の花第250号−1 「硫黄島は生きるヒント」-1」 「硫黄島の滑走路の真実」

縁の花第250号−2  「硫黄島は生きるヒント-2」 「硫黄島に残っている英霊の思い」 

縁の花第250号−3 「硫黄島は生きるヒント-3」 「英霊のご縁は、鏡の法則で考えましょう。」

縁の花第250号−4  「硫黄島は生きるヒント-4」 冷水一杯運動


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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