縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            第255号

硫黄島は、生きるヒント-2

 

∞「硫黄島に残っている英霊の思い」∞

 

硫黄島は、生きるヒント2

http://jp.youtube.com/watch?v=8-J0Mev4TNE&feature=related

 

 

硫黄島の戦いは、

戦争末期の戦いで、

圧倒的な物量の豊富で、

有利な米軍に対して、

日本が、考えられないぐらい

善戦した戦いでした。

 

 

それは、今までの日本軍の戦いであった、

バンダイ突撃などの突撃を、

栗林中将が、止めさせ、

空爆や、戦艦などの砲撃でも、

陣地や、砲が、壊れないような、

地下陣地を掘って、守りを固め、

持久戦、ゲリラ戦をしたからだと、

言われています。

 

栗林中将は、それまでの日本陸軍の

精神論の戦法とは違って、

極めて合理的に戦ったから、

米軍に、日本軍以上の犠牲を出させましたし、

それ以後、沖縄戦でも、

日本軍が、善戦したのは、

この硫黄島の戦いを、

参考にしたからだと言われています。

 

 

しかも、米軍が、空爆を強化して、

結局、日本上陸作戦を中止したのは、

硫黄島と沖縄の戦いの結果だと言われています。

硫黄島と、沖縄での、あまりにも多い被害に、

日本に上陸したら、

何十万人も死んでしまうと恐れて、

ドイツのように、本土まで、

攻めこまなかったのです。

 

 

 

だから、栗林忠道中将は、

結果的に、日本を救ったと言われています。

もし、米国などの連合国が、

本土に攻め込んだら、

日本の女、子供も戦ったので、

空爆よりも、遥かに大きな被害者を出して、

日本は、もっと大きな被害を受けていたと言うのです。

 

 

しかし、私も、青山繁晴さんの話を、

聞くまでは、日本を救ってくれた、

硫黄島の英霊達が、どんな思いで、

地下の陣地を、掘ってくれていたかは知りませんでした。

私自身、知識としては、

硫黄島というように、島のあちこちで、

火山の硫黄が、吹いている島で、

地下を掘ることが、どれだけ大変だったか、

飲み水にさえ苦労した島で、

地下に陣地を掘ることが、

本当に熱くて、大変だったことは、

知っていましたが、

どんな思いで、硫黄島の兵士が、

掘ってくれていたのか、

それは知らなかったのです。

 

 

というのも、最初、栗林忠道中将が、兵士達に、

自決とバンダイ突撃などの、

二つの行為禁止を、堅く命令した時、

兵士の反応は、喜ぶのではなく、

逆に、ものすごく反発したそうです。

 

 

何故なら、硫黄島にいる兵士の人達は、

自分が、生きて帰れるとは思っていませんでした。

死ぬつもりだったのです。

なのに、「自分達は、死ぬのは分かっている、

最後は楽に死ねると思っているから我慢しているのに、

それまで禁止するとは、この人はどういう人なのか」

と思ったというのです。

言い換えるなら、日本軍が、

バンダイ突撃したのは、勇敢だったからではないのです。

 

 

でも、栗林忠道中将は、そんな兵士達に、

硫黄島で戦う意味を伝えて、

見事に、兵士達を統率して、

戦いました。

 

 

それは、米国やカナダに、

駐留して、米国の民主主義を理解し、

その民主主義を、密かに愛していた、

栗林忠道中将には、

米軍の本土爆撃の狙いが、

分かっていたと言うことです。

 

 

それは、日本の軍事施設や、

工場を破壊することが目的ではなく、

日本の女、子供を殺すことが、

目的だったのです。

それを、栗林忠道中将は、

分かっていたというのです。

 

 

 

何故なら、硫黄島から帰った後、

青山繁晴さんは、生き残っている、

米軍の二人の航空隊の二人の兵士に、

日本の空爆の真の狙いは、

何ですかと、密かに聞いた時、

二人の兵士は、

それを認めたそうです。

 

 

二人の兵士は、

「間違いなく、栗林のいう通りだ。

サイパンでも、どこでも、

日本の兵士を、皆殺しにしても

日本は、降伏しようとしない

ドイツはもう降伏しているのに、

日本は、いつまでも、戦おうとしている。

最後の手段として、

日本の未来の希望、

女、子供を殺して、

日本の希望を破壊したら、

日本は、降伏すると思った」

というのです。

 

 

 

だから、その事が分かっている、

栗林忠道中将は、硫黄島の兵士達に、

「どうせ皆死ぬけど、一日だけでも、

戦いが延びたら、その分、

日本の女性と、子供が、助かる

二日延びたら、二日助かる。

その為には、地下に穴を掘って、

こもるしかないと言って、

兵士達を説得して、

兵士達も、それが、だんだん分かったから、

地下に穴を掘って、見事な地下壕を、

掘ったと言うのです。

私自身、そんな硫黄島で、

戦った日本の兵士の思いは、

知りませんでした。

そうだったのかと、知らなかったことに対して、

本当に、お詫びしたい気持ちで、一杯になったのです。

 

 

 

しかも、硫黄島で、穴を掘るということは、

日本の本国や、南方の島で、

穴を掘るのとは、全然違います。

硫黄島のような火山の島で、

穴を掘ったら、温度は、

70度以上になって、蒸し地獄です。

その上に、川が一つもない島ですから、

飲み水も満足に飲めない環境で、

道具さえ、満足になかったそうです。

戦争末期で、つるはしも、十分になく、

とんかちで、2万人の兵士が、

穴を掘ってくれたのです。

それは、生半可の決心で、

とても掘れるものではないのです。

 

 

だから、青山繁晴さんは、

自分と一緒に同行してくれた、

関西テレビの人や、

監視している日本の自衛隊に、

「皆、これを見たか。

生半可の気持ちで、掘れるものではないよ。

誰か一人でも、自分のため、

自分の利益の為に掘った人が、一人でもいたのですか。

皆、女性のため、子供のため、

皆の為、人の為、公の為、

皆の未来の為に掘ったのはないですか」

と教えてくれました。

私自身、今まで、硫黄島の兵士は、

自分達の為に、戦争に勝つ為に、

上官の命令で、地下に陣地を、

掘っていたと思っていただけに、

その青山繁晴さんの言葉に、

恥ずかしい気持ちで、一杯になりました。

 

 

硫黄島の兵士達は、

楽に死にたいのに、

最後まで、日本の女性と子供の為に、

日本の未来の為に、

突撃をせず、35日間も、

絶えて戦ってくれたのです。

改めて、心から、

硫黄島の英霊に、感謝したいと思います。

本当に『ありがとうございます』

 

 

∞「硫黄島の英霊は、生きるヒント」∞

 

硫黄島は、生きるヒント3

http://jp.youtube.com/watch?v=4hBUGxDmcik&feature=related

 

 

硫黄島の兵士達が、

どんな思いで、蒸し地獄の中で、

地下に陣地を造って、

35日間も戦ってくれたのか、

そのことを、132号の中で、

書かせて頂きました。

 

硫黄島の兵士達は、

ただの一人も、自分の為でなく、

日本の女性や、子供の為、

日本の未来の為に、

戦ってくれたのです。

 

 

しかし、そんな思いをしてまで、

戦ってくれたはずの、

日本の未来を、託されたはずの、

戦後の日本人は、

どうでしょうか。

そんな英霊に、恥ずかしくない、

生き方をしているのでしょうか。

恥ずかしくない国にしているのでしょうか。

青山繁晴さんは、そう動画の中で、

訴えています。

 

 

というのも、戦後、日本は、

確かに豊かになりました。

まだまだ経済大国です。

しかも、その以降、一切、

外国に侵略していません。

鉄砲の弾一つ撃っていません。

平和憲法を与えられ、

それを守っているのです。

 

 

でも、その反面、戦前の貧しい日本でも考えられなかった

親が子を殺め、子供が、親を殺め、

いじめられた子供が、自殺しています。

その上に、硫黄島なので、

日本の為に戦ってくれた英霊の存在を忘れ、

その事実を知ろうともせず、

豊かな、自由の社会で、

平然と生きています。

日本の長い歴史二千年で、考えたら、

わずか60年前に、

自分達、日本人の為に、日本の為に、

命がけで戦い、犠牲になってくれた、

尊い存在、ご先祖様のことを、

忘れている、感謝の一つもしない、

恩知らずなのです。

 

 

だから、青山繁晴さんは、

硫黄島の地下陣地を出た後、

南方の海に、じっと聞いてくれている英霊達を意識して、

止むに止まない気持ちで、

自分達を監視している、

若い自衛官や自衛隊の幹部の人に、

そんな思いを言ったら、

二人の自衛官は、まっすぐ、

自分の目を向けて、

答えてくれたそうです。

 

その一人は、若い自衛官で、

「青山繁晴さん、この基地では、

昼飯を食べていたら、隣で、帝国の軍人が、

普通に飯を食べているのですよ。

あれは、今まで幽霊だと思っていましたが、

ずっと無視して、見えていないふりをしていましたが、

本当は、あの人達は、日本に、故郷に、

帰りたいといっていたのですね」

と答えてくれたのです。

 

 

また、もう一人は、自衛隊の幹部の人で、、

「自衛隊ができて、40年、50年、

国民にちゃんと説明していませんでしたね。

硫黄島に、国民が、入れないのも、おかしいですね」

と言ってくれたというのです。

青山繁晴さんの思いは、

硫黄島の英霊の思いは、

見事に、自衛隊の人達にも伝わったのです。

 

そして、その時に、青山繁晴さんは、

この話の最大のテーマである、

我々、日本人が、

精神が、おかしくなっている、

今の日本人達が、

生きるヒントを得たそうです。

いえ、私に言わせたら、

英霊達が、青山繁晴さんに、

教えてくれたのです。

 

 

それは、硫黄島にあるお骨を、

全部取り返して

海上自衛隊の基地、滑走路にある、

アスファルトを、全部、引き剥がして、

全部、回収することです。

 

 

そうすれば、何故、この人達は、

お骨になったのか、

何故、僕達は、その事を、

忘れていたのか、

それを、今の子供達に、

話すことができる、

 

 

青山繁晴さんは、そうする事で、

日本人が、ずっと忘れていた、

自分達の為に、戦って死んだ人達に、

感謝することを、子供達に伝え、

今の大人達が、

英霊の存在を、忘れていたことを、

謙虚に反省する姿を、

子供達に見せることで、

これからの日本を、

どうすることがいいのか、

考えることができる、

そう確信することが、できたのです。

本当に、すばらしいことだと思います。

 

また、私自身も、済度をしているものとして、

英霊達のことを、願っているものとして、

この青山繁晴さんの意見に、大賛成です。

というのも、英霊は、遺骨が、

日本に帰らなくても、簡単に帰ることはできます。

思った瞬間に、どこにでもいけるのです。

その気さえあったら、簡単に、日本に

帰れるはずですし、

両親や、家族が、待っている故郷に、

帰りたいはずです。

 

 

しかし、60年以上も、帰らずに、

地下の暗い陣地に、多くの戦友の英霊と一緒にいるのは、

戦争が終わった後の日本人の意識、波動が、

すべてだと思っています。

 

自分達の為に、

本当に辛い中を、

命がけで戦ってくれた、

硫黄島や、沖縄、南方の島々の兵士達の存在を

あっさり忘れて、思い出そうともしない日本人、

 

 

英霊のことを知ろうともしないで、

ずっと無視し続けて、

敵国だった米国のクリント・イーストウッド監督が、

制作してくれた硫黄島の映画で、

初めて、何かを思い出した、

情けない日本人

 

 

戦後、日本やアジアの為に戦ってくれた

多くの英霊のおかげさまで、

戦後の平和と自由と豊かさを、

得られたのに、

その最大の恩人である英霊に対して、

戦争をしたことはいけないこと、

間違っていたという人達、

侵略戦争をした悪者達と言う、

レッテルを貼って、

ずっと、心からの、冥福を祈らずに、

拒む波動を、無意識でも送り続けていた日本人、

 

 

これでは、多くの英霊が、

日本に帰りたくても帰らないと思います。

だから、遺骨が問題ではありません。

そんな日本人の意識を、

変えない限り、英霊は、いつまでも、

硫黄島や沖縄、サイパン、ガダルカナル島、

ニューギニア諸島から、帰れないと思います。

今の日本人の意識が、

すべての日本人が、英霊達に感謝して、

日本に帰国を願い、

成仏されることを、願わないかぎり、

あの大東亜戦争は、終りませんし、

英霊も、救われないのです。

 

 

だから、是非、硫黄島は、生きるヒントの動画を、

通して、そのことを、皆さんに考えて欲しいし、

私自身も、考えたいと思います。

よろしくお願いいたします。

 

縁の花第249号 「青山繁晴さんの硫黄島のお話」

縁の花第250号−1 「硫黄島は生きるヒント」-1」 「硫黄島の滑走路の真実」

縁の花第250号−2  「硫黄島は生きるヒント-2」 「硫黄島に残っている英霊の思い」 

縁の花第250号−3 「硫黄島は生きるヒント-3」 「英霊のご縁は、鏡の法則で考えましょう。」

縁の花第250号−4  「硫黄島は生きるヒント-4」 冷水一杯運動


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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

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