縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            第255号

硫黄島は、生きるヒント-

 

∞「硫黄島の滑走路の真実」∞

 

硫黄島は生きるヒント2

http://jp.youtube.com/watch?v=8-J0Mev4TNE&feature=related

 

 

硫黄島に向かう、ジェット機の中で、

60年以上、日本国民に、ずっと無視され続けて、

日本に硫黄島が、復帰しても、12000人の、

遺骨さえ、本国に帰そうとせず、

今も、日本に帰りたくても帰ることができない

多くの硫黄島の英霊の悲しみ、怒りを、

感じた青山繁晴さんですが、

そんな青山繁晴さんは、今度は、硫黄島に着いて、

アスファルトで囲まれている滑走路に、

硫黄島に、足をツケようとした瞬間、

今度は、足が動かなくなったそうです。

 

 

何故なら、青山繁晴さんは、その時、

知識として知っていたことを、

思い出したのです。

それは、硫黄島が、占領された後、

米国は、日本人の遺体を集めて、

その遺骨、遺体を片付けずに、

多くの遺体の上に、アスファルトを流し込んで、

飛行機場を造ったということなのです。

 

 

しかし、だからと言って、

青山繁晴さんは、そんな米国人のしたことを、

責めるつもりはありませんでした。

人と人、民族と民族が、命かげて戦う戦争です。

多くの仲間が、殺されて、憎しみあう戦争です。

しかも米国は、サイパン島などから、

本土を爆撃する、B29などの爆撃機が、

日本のゼロ戦などの攻撃で、被害を受けたり、

故障したりした時に、

不時着できる大きな飛行機場が、すぐに必要でした。

ある意味で、仕方がなかったのです。

 

 

でも、許せないの、その後、

日本人が、日本政府がしたことです。

というのも、1968年、

今から、40年前に、硫黄島は、日本に返還されました。

飛行機場も、海上自衛隊の飛行機場になったのですが、

その時に、日本政府、海上自衛隊が、何をしたかと言えば、

アスファルトを引き剥がして、

日本の為に、亡くなった人達の遺骨を、回収しようともせずに、

少しだけわきにずらしただけで、

それで、遺骨を回収したという名目を作っただけで、

そのまま、その滑走路を、今も利用しているというのです。

だから、その時に、わきにずらしたことで、

ずらされたところにある遺骨は、回収されましたが、

殆どの兵士の遺骨は、今も、アスファルトの下にあるのです。

 

 

私自身、その事は知りませんでしたし、

40年前に、ある程度の遺骨が、戻ったことさえ、

知りませんでしたが、

その事は、正直、ショックでした。

何故なら、遺骨が、わきにずらしたところから、

たくさん出たということは、

今も、滑走路の下に、遺骨がたくさんあることは、

海上自衛隊の人達は、その時に、十分に分かったはずです。

なのに、同じように、日本の為に、命をかけて戦う立場なのに、

回収もしようとしないで、平気でいます。

そんな海上自衛隊、日本政府の人達の思いは、

無視されていることは、

すべて硫黄島の英霊達に、波動で伝わります。

これでは、成仏されるはずがないのです。

 

 

また、青山繁晴さんも、

そんな硫黄島の英霊達の気持ちが、分かったのか、

今まで、知識としては知っていても、

そのことに、思い浮かばなかった自分に、

まったく忘れていた、自分を、

心から、英霊達に懺悔しました。

 

 

というのも、青山繁晴さんは、

やっと自分が、今、滑走路に足をつけるということは、

日本を守る為に、日本人や、家族を守る為に、

本当に、厳しい環境の島で、

戦ってくれた、兵士達、

殆どは、一般人だった人達の遺骨、

顔や喉や首や足首、胸を、

上から踏みつけることになるということが、

分かったのです。

だから、足が動かなくなったのです。

 

 

でも、そうは言っても、

滑走路を歩かないと、硫黄島を見ることはできません。

それで、青山繁晴さんは、滑走路を降りると

滑走路を、両手で、一生懸命になでると、

「皆さん、申し訳ありません。

滑走路の人たちに、僕も忘れていました。

日本の皆も忘れていました。

その代わり、今から、この島を見せて頂いて、

見たものは、僕が生きているかぎりは、

どんな機会でも、必ず、日本国民にお伝えしますから、

どうか、見せて下さい」とお願いしたというのです。

私自身も、心から、青山繁晴さんと、

同じように、硫黄島の英霊に、約束したいと思います。

是非、皆さんも、この現実は、知って欲しいと思います。

 

 

名将栗林忠道中将の御霊

 

硫黄島に着いた青山繁晴さんは、

早速自分達に付いた米国人や、

日本の自衛隊の二人に、監視されながら、

硫黄島で戦った、日本軍の陣地や、洞窟に、

実際に、入って見たのです。

 

 

また、その洞窟の中に入って、

軍事の専門化としての青山繁晴さんは、

その構造に、感動しました。

地下壕の入り口は、人が、一人、

はっていくしか入れないぐらい、

本当に狭いですし、

何個も小さく枝のようなものが、

造られていて、

そこが、燃えている後があったそうです。

 

 

それは、硫黄島に、たくさんの地下壕を、

造るように命令した、

栗林忠道中将が、火炎放射器で、

焼かれることが分かっていたから、

造らせたそうですが、

そういったことをしていたから、

硫黄島の日本軍は、

米国軍を、苦しめることができました。

 

 

最初、米国は、五日間で、

硫黄島を、占領する計画だったのですが、

何と35日もかかりましたし、

死傷者の数も、何と、2万人の日本軍よりも、

多かったです。

米国は、太平洋戦争で、

日本軍と、いろんなところで、

戦いましたが、一番、苦しめられたのです。

 

 

だから、青山繁晴さんも、

別な動画で言っていましたが、

米国や世界では、

栗林忠道中将は、太平洋戦争で、

活躍した日本の軍人の中でも、

とても有名ですし、高く評価されています。

名将といわれているのです。

 

 

だから、青山繁晴さんは、

クリント・イーストウッド監督は、

硫黄島の手紙で、栗林忠道中将を、

主人公に選びましたし、

日本の軍人では、珍しい、

名将として描いたというのです。

 

 

でも、残念ながら、

今、その栗林忠道中将や、

硫黄島で戦った兵士達は、

日本では、まったく評価されていません。

私自身は、少しは、栗林忠道中将のことを、

知っていましたが、

栗林忠道中将の生まれた、

長野県の地元、長野市松代町でも、

全然名前を知られていないとか、

栗林忠道中将や、硫黄島の兵士達の、

慰霊祭のようなことをしようとしたら、

何故、するのかという反発さえあるそうです。

 

 

それで、青山繁晴さんは、硫黄島から帰った後、

硫黄島から生還した人や、

ご縁のある人達に、

呼びかけて、慰霊祭を行なった時に、

同じ日本人なのに、いろんな抗議があったと、

話していましたが、

それが、今の日本人の意識なのです。

 

 

だけど、それは、私は、本当に、

悲しいことだと思います。

戦後、日本では、

戦争で戦ったことは悪いこと、

日本軍は、侵略戦争をした、

悪者だという意識がありますし、

栗林忠道中将に対しては、

もう戦争は、負けることが分かっているのに、

硫黄島を、守れるはずがないことも、

分かっているのに、

2万人以上の兵士を、

無駄死にさせたというような、

間違った思い、情報があるみたいですが、

それは全然違うのです。

 

 

また、それを、硫黄島は、生きるヒント2の動画で、

青山繁晴さんは、栗林忠道中将さんの、

エピソードで、お話してくれました。

それは、栗林忠道中将は、米国やカナダに、

軍人として、駐留していて、

米国の強さと、民主主義のすばらしさが、

よく分かっていたということです。

 

 

だから、私自身、知りませんでしたが、

栗林忠道中将は、日本の軍人の中で、

一番、米国と戦うことに反対した軍人だったそうです。

しかも、栗林忠道中将は、海軍ではなく、

陸軍の軍人です。

海軍では、山本五十六から始まって、

井上成美など、一部の軍人が反対しましたが、

陸軍ではなかなかいませんでした。

精神論が、はびこっていた陸軍では、

そんな環境になかったのです。

 

 

でも、そんな栗林忠道中将のことを、

私自身、知りませんでした。

それを、本当に反省して、

栗林忠道中将の御霊のご冥福を、

お祈りしたいと思います。

 

 

何故なら、日本人の多くの人が、

そのことを理解して、

栗林忠道中将の御霊や、

硫黄島で亡くなった、

英霊の冥福を祈らなかったら、

いまでも、栗林忠道中将の御霊や、

多くの硫黄島の英霊が、

日本に帰らないからです。

 

 

特に、その中でも、

栗林忠道中将の御霊さんは、

生前の性格から考えても、

硫黄島で、たくさんの兵士を、

亡くしてしまった責任を感じて、

きっと、最後の一兵の御霊まで、

硫黄島から離れない限り、

私は、ずっと留まっている気がしています。

今も、栗林忠道中将の御霊は、

硫黄島にいる気がしているのです。

 

 

だから、多くの硫黄島の英霊を、

代表して、栗林忠道中将の御霊の、

ご冥福をお祈りしたいと思います。

是非、よかったら、皆さんも、

お祈りして下さいね。

 

縁の花第249号 「青山繁晴さんの硫黄島のお話」

縁の花第250号−1 「硫黄島は生きるヒント」-1」 「硫黄島の滑走路の真実」

縁の花第250号−2  「硫黄島は生きるヒント-2」 「硫黄島に残っている英霊の思い」 

縁の花第250号−3 「硫黄島は生きるヒント-3」 「英霊のご縁は、鏡の法則で考えましょう。」

縁の花第250号−4  「硫黄島は生きるヒント-4」 冷水一杯運動


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『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

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2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

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