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        NHK大河ドラマ 「風林火山」記念 一年武田日記

                        

          第2話「さらば故郷」



2007年01月16日

風林火山 第2話「さらば故郷」

第2話「さらば故郷」見ました。今回は、山本勘助の生い立ち、少年時代と、大林という家を捨て、山本という姓名に戻り、故郷を捨てた話でした。

菊としては、少年時代から、青年になった山本勘助には、五体満足で、武芸者としての腕が優れた人物でいて欲しかったです。
そのまま、武芸者として、名をあげるために、都に行き、そこで、剣豪として、戦い、いろんな刀傷ができたという設定です。

そしてあるとき、味方だと思っていた仲間に、裏切られ、目と足をやられます。何とか、相手を斬って、命は保ちますが、剣豪としての望みはなくなります。

しかし、目をやられたことで、反省して、自分の視点だけでなく、相手の視点でも、つねに物事を考えられるようになります。

何故、相手が、自分を斬りつけて来たか、理解して、片目だけど、物事は両目で見れるようになりました。
二つ目を持っている人よりも、よく見えるのです。

そして片目と足をやられて、びっこをひいていることで、剣豪の望みは捨てて、日本で一番最初の軍師になることを志す。
やり直せるものなら、そうして欲しいなあ。(o^-^o)

子供のとき、目を病気でやられ、父親が、鍛えすぎて、足もけがして、武士として使い者にならない、弱い勘助なんか、菊のイメージにはあわないのです。

しかし、そうなったのも、実は、山本勘助の事、いまだによく分かっていないからです。
というのも、武田家、24の武将の中でも、山本勘助ほど、よく分かっていない人物はいません。

山本勘助の名前が、登場するのは、高坂弾正が作者といわれている甲陽軍鑑だけだからです。

だから、山本勘助の存在は、実在しているのか、存在していなかったのではないかということで、つい最近まで、議論されていました。

江戸時代、山本勘助の存在は、信玄を尊敬する家康が、天下を取ったことで、本当に有名でした。家康が、甲州流、武田流を、兵法に採用したことで、甲陽軍艦は、大ベストセラーでした。
その中でも、山本勘助は、実在しているか、分からなかったこともあって、軍師としてヒーロー的になりました。
江戸時代、山本勘助は、武士なら誰でも知っている人物だったのです。

それが明治維新以後、徳川が否定されたことで、甲陽軍鑑見向きもして貰えなくなりました。山本勘助の存在は、特に、甲陽軍鑑しか名前が登場しないことで否定され、本当はいなかったといわれている時期が続きました。

新田次郎の「武田信玄 風林火山全4冊」では、山本勘助は、忍者として登場するしまつですが、昭和四十年頃、特に否定されていて、新田次郎は、山本勘助を登場させたくなかったそうなのです。

でも、信玄が、書いた、山本勘助の実在を示す重要な書類が、昭和四十四年に発見されたことで、情勢は一変しました。
誰も疑わなくなりました。信玄が、使者として山本勘助を派遣するという書類を、相手の武将に出している以上、歴史学者は、誰も疑うことはできなかったのです。

また、菊は、たぶん、その書類が出てこなかったら、山本勘助の名前は、有名でも、いくら風林火山の本が売れても、大河ドラマになる事はなかったと思います。架空の人物を、NHKが主人公にするわけにはいかないからです。

そのことで考えても、菊は、昭和44年に、山本勘助の実在を示す証拠が発見されたこと、偶然ではなく、山本勘助の御霊というよりも、武田家の御霊達の意志を感じます。たぶん、武田家の事を研究している学者をギャフンといわせたのです。やったです。^^

だけど、それでも、専門家達は、甲陽軍鑑でも、軍師とは、一言も書いていないということで、山本勘助は、軍師なのではない。身分は、足軽大将だとか、山県昌景の部下だったとか、城造りのエキスパート、技術者だとか言っています。
専門家でも、軍師とは考えていない人が多いのです。

しかし、菊は、甲陽軍鑑の作者、高坂弾正の前世の記憶がある人を知っています。
その人の話では、あるとき、うすくらい部屋に、信玄公に呼ばれ、この人から、軍略を教わるようにと言われ、山本勘助を紹介されているそうです。
山本勘助は、軍師なのです。
何しろ、甲陽軍鑑の作者の高坂弾正さん自身の記憶ですから、これほど正確なことはありません。^^

本物の軍師だったから、極力、自分の名前は隠し、手柄は、すべて信玄や、他の武将に渡し、名前は隠していたのです。
菊は、そう思っています。
是非、そんな山本勘助が、今、復活したこと、武田家の御霊と一緒に喜びたいと思います。


2007年01月16日
chibatuさん
歴史を知った上で見るとドラマも面白さが倍加する。解説面白いよ。

菊  2007年01月17日
chibatuさん、ありがとうございます。
歴史の解説、そういって頂けたら、とても嬉しいです。
この武田日記は、一年間と非常に長いです。
菊が、知っている、武田家の事、できるだけ全部書きたいと思います。
そういったお役、天から頂けたこと、心から感謝したいです。

また、歴史としてあったことだけではなくあの当時の武田家の人達や、今川家、上杉家、北条家の人達の思い、御霊の思いを書いていきたいと思います。御霊達の気持ちになって、チャンネルを合わせて書いていきたいです。そうすることで、御霊達の思いが、形として現れて、納得して、浄化されること、成仏して頂けること、心から願いたいです。

それが、菊が、この1年間でやろうとしていることです。でも、菊一人だけではできません。皆さんが、読んでくれないとできません。
一人でも多くの人が読んでくれることで、きっと多くの御霊も、喜ぶと思います。
これからも是非、よろしくお願いします。

2007年01月26日

風林火山 大林勘助について

菊が知らなかったことに一つに、山本勘助が、昔、大林勘助と名乗っていたことがあります。これは、ドラマを知るまで、まったく知りませんでした。
菊がイメージしている勘助は、板垣信方の誘いで、甲斐に招かれて、晴信、信玄に会うまで、一切消息は不明です。

三河の牛窪に生まれ、今川家の家老、庵原忠胤に伝を頼って、何年も厄介になっていたことは知っていましたが、あくまでも過去は、詳しくは分かっていないと思っていたのです。たぶん、ずっと、そんな時代が続いていました。
少なくても、大河ドラマで、武田信玄が放送されていた頃、20年前までは、山本勘助の存在さえ認められていなかったのです。

 だから、風林火山のドラマで、あんなにはっきりと、小さい頃の勘助や、武者修業に行くまでの勘助の姿を描かれていることにはびっくりしました。
 正直、本当なのかと疑ったのです。

 でも菊の持っている資料で見ても、勘助が大林家の養子になっていたことは本当みたいです。勘助の場合は、伝説になっているので、どこまでが真実かは分かりませんが、山本勘助の生まれは、富士宮市山本になるそうです。駿河、富士山の近くなのです。
 しかも、お墓までも、甲斐の山本家にあるそうです。ずっとひっそり内緒で、山本家で守られていたのが、、近年発見されているのです。
 それが、山本勘助の存在を実証する大きな証拠になっているのです。

 また、父の名は、山本貞幸と言い、母親の名前は、大林入道の娘、安女で、三男二女に恵まれ、その末っ子が、源助が、勘助になります。
 というのも、源助が、後に、三河の牛窪の牧野家の家臣、大林勘左衛門貞次の養子になって、勘左衛門の勘の一字を貰って、大林勘助となっているのです。
 ここまで分かっているのです。菊は、本当に驚いてしまいましたが、きっと、武田家の御霊さん達の導きだと思います。

しかもその後も、少しは分かっています。20歳代で、武者修行に出掛けて、全国を回っていることは間違いないですし、ドラマにあったように、大林勘左衛門に、歳をとってからの実子が生まれたのも、本当みたいです。

 菊の資料では、武者修行の途中、35歳の時に、飄然と、大林家に戻って来て、実子が生まれていることを知って、養子の関係を解消して、山本に戻ったそうです。
山本勘助に関しては、実際の事はまだまだよく分からず、伝説になっている部分が多いので、よく分かっていないのが現実だと思いますが、それにしても、現在という時代はすごいと思います。隠されていた真実が、どんどん明るみになります。
勘助に関して、ここまで分かっているのかと、感心してしまったのです。

 だから風林火山のドラマでは、そういった伝説をうまく使って、物語を作っていますが、片目で、びっこの若者が、武者修行に行くはずがないので、ここは違うと思いますが、まったくの作り話ではないこと、皆さんにお伝えしたいと思います。

 そして菊が、ドラマの中で、一つ、これは御霊さんの訴え、知って欲しいと思ったのは、大林勘左衛門が、少年だった山本源助を養子にした時のシーンです。大林勘左衛門が、源助を養子にした理由は、分かりませんが、源助という少年の将来を見込んで上での話だと思います。将来、この源助は、名を成す人物だと見込んだと思うのです。

 それが、実子が生まれた為に、大林から山本になったので、大林家の名は残りませんでしたが、大林勘左衛門さんの御霊さんにとっては、それはとてもおしいと思います。
 あのまま、勘助が、大林であったら、山本勘助ではなく、大林勘助として、勘助の名は、天下に名をなしたと思います。この風林火山も、大林勘助として放送されていたと思うのです。
 菊は、大林家の御霊さんにとっては、それが残念で、残念で仕方ないと思うのです。
 それで、風林火山のドラマの中で、勘助に、「大林家の名を成さしめる為」とか、「これにてそれがし、大林の名をきっぱり捨てました。これからは、山本勘助、山本勘助の名を背負って生きていきます」と言わせたと何となく思うのです。
 是非、大林家の事も願いたいと思います。

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです

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