秋季 特別陳列 信玄公の兜

福井市立郷戸歴史博物館に入って、秋季 特別陳列 越前山縣家と武田信玄のコーナーに、五人の済度の人達と入りました。まず、一番、最初に展示していたのは、信玄公が被っていたと言われている兜でした。

菊は、それを見て、前世、信玄公であるIさんの夢に、多くの武田家の御霊が来て、どうして兜がここにあるのと訴えた気持ちが分かった気がしました。菊自身も、信玄公の兜が、どうして甲斐から、遠く離れた越前にあるのか不思議な気持ちがしたからです。

でも、福井市立郷戸歴史博物館に、帰ってから、お電話お聞きしたら、山縣家がずっと保管していたくれた兜ということでした。正式名は、四十八間総覆輪二方白筋兜で、京都井伊美術館寄託と書いていますが、山縣家が、代々、守ってくれていたものなのです。

しかし、それが、信玄公の兜だったのか、どうかは分かりません。武田家が滅亡した混乱で、はっきりしたことは分からないのです。でも、菊は、山縣家がそう思って、大切に守ってくれたのであれば、武田家の御霊達にとっては、信玄公の御霊だと思います。その思いが大切であって、本物か、そうでないかは、二の次なのです。
 
だから菊は、その信玄公の兜に対して、その信玄公の兜の背景にいる、武田家の御霊に、心から感謝しました。何故なら、武田家が、滅亡した時、信玄公をずっと恐れていた織田信長の憎しみ激しく、厳しい武田狩りが行われました。武田家一族だけでなく、家臣も、根こそぎ残圧しました。多くの家臣も、騙されて、呼び出されて、殺されているのです。

ですから、その織田家の追求から必死で、逃れた武田家臣の苦労は大変だったと思います。命がけで逃げたのです。血を吐く思いだったと思うのです。菊には、その事は、痛いほど分かります。武田家の御霊が、「どうして信玄公の兜」が、ここにあるのという訴えは、武田家狩りが、本当に苦しかったという思いでもあるのです。

菊は、そう思うと、何も、武田家の御霊に対して、何も言えませんでした。ただ、すまないという気持ちと、冥福を祈らせて頂いたのです。でも、菊は、そんな気持ちは、武田家の御霊もよく分かってくれると思います。もう、許してくれているから、菊や、Iさんを呼んでくれたと確信しているのです。

しかも、今回の武田家済度では、勝頼だけでなく、お屋形様、信玄公も一緒です。武田家親子で、お参りさせて頂きました。心から、武田家の家臣にお詫びしました。武田家が滅亡した時に苦しんだ御霊さんも、二人が、親子で来てだけで、満足してくれたのではないか。菊の勝手な解釈ですが、菊自身、そう思いました。

だって、信玄公の兜以外でも、「川中島合戦図屏風」とか、「長篠合戦図屏風」、「武田家二十四将図」を見た時も、別に、頭が痛くなるとかいう事もありませんでした。武田家の御霊の怒りは、感じなかったのです。

それに、今回の菊には、菊よりも熱心にしている済度の仲間が、四人もいました。エネルギーも一杯持っていますし、御霊を救わせて頂く専門家です。きっと、菊の知らない間に、救って頂いたと思うのです。本当に感謝です。

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