風林火山 第29回 「逆襲!武田軍」 7月22日放送

 上田原の敗戦で、板垣信方、甘利虎泰などの重臣を失った武田軍にとって、その半年後に、起きた塩尻峠の戦いでの勝利は、実に大きかったです。この勝利によって、信濃の武田軍の覇権は、決まったと言ってもいいぐらいです。武田晴信は、この後、再び、村上義清に、戸石崩れという大きな敗戦をしていますが、信玄の有利は覆りませんでした。小笠原氏を破ったことで、信濃の中信を得たからです。兵の数では、北信だけの村上義清に対して、甲斐、諏訪、中信を得ている武田軍の方が、圧倒的に有利だったのです。

 だから、晴信が、北信の村上義清と戦う前に、小笠原氏を倒していたら、上田原の敗戦は、なかったかもしれません。少なくても、互角で戦うことはなかったと思います。もっと、有利に戦えたのです。ですから、この事は、菊は晴信の失策だと思っています。晴信自身も、小笠原氏を破った時に、ものすごく後悔したと思います。

 でも、その敗戦も、塩尻峠の勝利で、補うことができました。もし、この塩尻峠の戦いの勝利が、上田原の敗戦の後、すぐになかったら、武田軍は、折角手に入れた諏訪内でも、反乱が起きて、信濃から追い出された可能性がありました。信濃の人達にとっては、甲斐の武田家は、よそ者だからです。信濃の人達に、結束されたら、危なかったのです。そうなったら、たぶん、甲斐、22万石の2倍、ちかくの40万石を支配する信濃を攻略することは、長い年数が必要だったと思います。武田信玄は、とても名将になれなかったのです。

 しかし、塩尻峠の戦いで、晴信は勝てました。兵の進軍をわざと遅らせて、油断させたことが大きかったです。七月の暑い時期、一気に、騎馬隊を率いて、奇襲攻撃したことが成功したのです。それが、山本勘助の策か、晴信が考えた策なのかは分かりませんが、見事です。武田軍の逆襲、天晴れといいたいです。

 しかも、この上田原の敗戦と、塩尻峠の勝利で、晴信は、その後、ますます強くなりました。奢る気持ちがなくなって、慎重に戦を進めるようになったのです。その上、板垣信方と甘利虎泰の重臣を失ったことも、若手の家臣を登用することで考えたら、武田家にとって、益になりました。晴信は、有能な家臣だった、馬場信春などを、抜擢することもできました。家臣の穴を埋めることができたのです。武田晴信、信玄は、ある意味で、ツイテいたと思います。

 だけど、これに比べて、武田勝頼は、まったく不運でした。長篠の戦の後、織田・徳川に対して、挽回することはできませでした。勝頼に、山本勘助のような軍師はいませんでしたし、たとえいたとしても、織田信長、徳川家康相手では、挽回することは難しかったと思います。そり上に、長篠の戦で、あまりにも、多くの重臣を亡くしすぎました。敗戦が大きすぎたのです。

でも、それは、まだ先の話です。今は、多くの武田家の御霊達と一緒に、塩尻峠の戦いの勝利を祝いたいと思います。武田軍の逆襲に乾杯です。


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